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第1話

ようこそお越しいただきましてありがとうございます。

気軽に読んで楽しんでいただければ幸いです。

これからよろしくお願い申し上げます。

「オヤスミ。いい夢をね」


 ルキウスは掴まれていた二の腕から相手の手の力が抜けていくのを感じ取ると、目の前の巨漢の男の胸元を軽く押した。


 南にある都市では最大の港町エールグランデ。大小色形様々な船が数多く行きかう。港から見て北の方角にある神殿へ真っすぐ伸びる大通りから一本入った安宿街、何の装飾もない硬いマットを持つベッドに仰向けに倒れこんだ巨漢男は、純真無垢な赤ん坊のように寝息を立て始めた。顔には女神像のような笑みまでたたえている。


 ルキウスは先程掴まれた腕をまるで汚れを落すかのように軽く払う。そして親指と人差し指を器用に使っていつもの手順で男の腰にくくりつけられた銭袋に手を伸ばそうとした瞬間、突然鳴った大きな物音に華奢な体をすくませた。


「…なんだ、隣りか」


 状況を把握し、ルキウスはほっと胸をなでおろす。他人の金に手をつけるので、やはり、少しは、後ろめたい気持ちがあるのだ。


 壁の薄い安宿だけに隣の話し声が丸聞こえで、何やら魔術師による施術が始まったらしい。金切り声をあげ、良く分からない呪文を唱えている。が、この安宿の一室で行われる呪術など低級の魔術師か詐欺と相場は決まっている。魔術師は魔力が強ければ強いほど地位も高いが規制も厳しく、軽々しく魔術は見せないし魔力のない一般庶民とそうそう交りあうことはない。よく会えて役人の中級魔術師くらいだ。


 気を取り直し、ルキウスは男の銭袋に再び手を伸ばして指をつっこむ。指先の伝える感触にルキウスは肩から力が抜けるのを感じざるを得なかった。


「夜はこれからだって言うのに、これっぽっちの端金はしたがねで何するつもりだったの?」


 落胆から男に向かって思わず問いかけてしまった程だ。もちろん答える筈はない。


 手のひらには沢山の人の手を渡ってきたのだろう、彫られた歴史上の大魔術師の横顔が所々磨り減っている1リュキ硬貨。ルキウスに言わせれば、たったの3枚。


「これでは今日の宿代にもならないな」


 といっても海の見える広い窓と、朝日を柔らかな光に変える上質のカーテン、そしてこことは比べ物にならないふかふかのベッドを備えた部屋のことである。


 しかし、よく考えればこの宿へ連れてこられた時点で大金は望めないと割り切るべきだったのだ。いや、むしろこの宿屋に泊る客にしては金を持っていた方だと言ってもいい。


「仕方がない、もう一仕事しますか」


 ルキウスは手にしていた硬貨の一枚を相変わらず気持ち良さそうに眠る男へ投げた。彼にも一応良心というものがあり、全ての有り金を取り上げるのは気が引けるのだ。1リュキあればここの宿ならおつりもくる。


 投げた硬貨は窓から差し込む夕日を受けて朱色に染まった男の顔に当たったが、起きる気配は全くない。たとえ目が覚めても彼にはルキウスが何故ここにいるか分からないだろう。そして宿屋まで一緒に来た、彼の『思い出の人』を探すのは目に見えている。


 ルキウスには相手の心に住む『思い出の人』に自らの姿を変える力がある―そう気づいたのはかれこれ六年位前であった。


 初めは知らない人が知らない名前で自分を呼ぶことが理解できなかった。自分が何者なのか思い悩む日々が続き、人前に出るのが嫌になった。知らない相手が自分をみて目を見開いた瞬間、心臓が跳ね上がり、考える間もなく走って逃げたことも一度や二度ではない。


(かわいかったよね、あのころの俺)


 今ではその能力を『幻覚』と呼び、自分の望む時だけ相手に見せられるようになった。


 これが世に言う『魔力』ではないかと初めは思った。両親のどちらかが魔術師であれば、子供のうち一人だけ魔力を持つ者が生まれるのだが、親はふたりとも普通の人間だったので魔力ではない。それ故、ルキウスは『幻覚』を両親と死に別れ、一人で生きていく事を選んだ自分を神が哀れんで与え給うた『特技』だと考えた。


(ありがたく使わないとバチがあたるってもんだよね)


 ただ、この『特技』にも問題点がある。自分では何者になっているか全く分からないのだ。鏡を見ても自分は自分としか映らない。だから、相手の会話から今の自分が相手にどう見えているのか推測しなければならないという面倒さはついてまわる。


 ルキウスは街角に立って心に思い出をもつ人を探し、言葉巧みに連れ出しては都合の良いところで相手に薬を盛り眠らせて生活費をかせぐ、という毎日を送っている。人の銭袋から金を抜き取るのはいい事とは思わないが、相手も会いたい人に、形だけでも、会えるのだからお互い様だ、と早い段階から割り切った。 


(さっきの巨漢男は思いが伝えられなかった初恋の人らしいことを言っていたな。立派な体格の割にはロマンチックな事だ)


 そして世の中にはそういう『思い出の人』に会いたい願望を持つ人間が結構多くいるらしく生活に困ったことはなかった。此処が港町という人々の出入りの激しい土地柄も関係があるかもしれない。


 今やルキウスは十六という歳には似つかわしくない豪勢な宿屋で泊まり、遙か離れた首都エルクサンドラから取り寄せた有名な仕立て屋の、絹でしつらえた目の細かい柔らかな肌触りの服を身にまとうことが当たり前になっている。


 選ぶ色は髪の色と同じ黒が多い。好きな色を聞かれれば迷わず『黒色』と答えている。そこから伸びる細い手足は対照的に透けるように白い。『幻覚』のおかげでルキウスは外での労働を必要としなかったからだ。そして深いエメラルドグリーンの瞳は、昔泊まった宿屋の女将に『神話に出てくる、水深い神秘的な湖みたいね』と言われる程翠色が濃く透明感がある。ルキウスもこの瞳の色は気に入っていた。


 安宿街から抜けだし、歩いて程なく大通りへ出た。途端に往来の人々の熱気と様々な香りに包まれる。夕暮れ時という時間帯のせいもあってスパイシーな香辛料の香りや焼きたてのパンのこうばしい香りが空腹感を覚えさせる。 


 海辺の街らしく道の両端には新鮮な魚が所狭しと売られており、まだ跳ねているものさえある。店主の客の呼び込みにも熱が入っている。最近夏の先走りのような暑い毎日が続いており、魚が痛む前に売りさばいてしまいたい気持ちがどの店でも前面に出ていた。


「ルキちゃん、今日も来てくれるんだろうね?」


 いつも夕食を世話になっている食堂の女将が忙しそうに野菜を刻みながらも窓越しからにこやかに話しかけてきた。本人曰く、昔は何人もの男を夢中にさせてきたそうなのだが、今ではその面影をかすかに残すのみだ。女将は毎回『綺麗な子には特別』とおかずを愛嬌のあるウインクと共に他の人より一品多く付けてくれるのでルキウスは彼女が好きだった。


「今は先にやらなきゃいけないことがあるから。でも後から絶対いくよ」


 この店の蒸した魚料理は絶品でこの街一だが、資金源ターゲットが他の店で金を使ってしまう前に捕まえなくては落ち着いて食事もできない。


 女将に最大限の笑顔を見せてから、ルキウスは大通りの雑踏をしなやかなバネを使って切り抜けていく。


 日暮れとはいえ軽く汗をかきながら目的の場所へ着いた。そこはこの街で一番高級な売春宿だ。この街も港町の例にもれず売春宿の需要は高く、ピンからキリまで揃っている。


(てっとりばやく稼ぐのはここが一番いい)


 高級売春宿なら客の懐もかなり暖かいはずだ。治安がいいとはお世辞にも言えないのでいつもは避けるが、例え何かあったとしてもこの街の構造は頭にしっかり入っており、逃げ切れる自信はあった。


 店を物色しては歩く男達を尻目に『幻覚』を見せる態勢をとる。気を集中するため深呼吸をしてルキウスは後悔した。満開の花束と熟れ過ぎた果物が混ざったような甘ったるい香水の香りとアルコールの鼻につく匂いが空腹も手伝って胃をむかつかせる。


(はやく幻覚を見せて、とっととこの場から立ち去ろう)


 ルキウスは瞳を閉じると、途切れた集中をもう一度はじめた。


「見つけた」


 街角に立ってから程なくそう声をかけられた。ただ、ルキウスが手を伸ばせば届きそうなほどその男が近づいていたことに気づかなかったので、驚きのあまり弾けるように顔を上げた。


 そこには背の高い全身黒に包まれた男が一人、周りの喧騒とは対照的に静かに立っていた。



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