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フンボルト星・前編

「新製品のスマートフォンでーす! よかったら触ってみてくださー!」


 怜奈れなは原宿の路上で大声を張り上げていた。生憎怜奈の声に耳を傾け、足を止める客は見つかりそうもない。怜奈はあらん限りの声をあげる。


「新製品ですよー! こんなに薄いんですよー! ほらほらー!」


 客は怜奈を一瞥するのみだ。なんだ。何が悪いというのだ。この制服か。この制服に色気がないというのか。

 怜奈は思い切ってスタッフジャンパーを脱いでしまおうかと考えるが、季節は3月。中にはノースリーブのワンピースという、一般的なキャンペーンガールの官能的な衣装を隠しているとはいえ、この寒空の下で晒してやる気にはなれなかった。


「あのぉ」


 ふと一人の外国人が怜奈に話しかけてきた。慌てて営業スマイルを貼り付けて、


「はい! 新機種をご体験してみますかぁ?」


 と、色気たっぷりに言ってやった。


「それって、フンボルト星、でも使えますか?」


 金髪に青い目、鼻も高い。あらやだなかなかのイケメンじゃないの。日本語も流暢だ。だが、フンボルトセイ、という国名がよく聞き取れなかった。


「え、どちらのお国ですかぁ?」

「フンボルト星です」


 フンボルトセイ? どこかアフリカのほうの国だろうか? 地理に詳しくない怜奈にはどこの場所か見当がまるでつかない。


「ちょっと、お待ちください。店長に確認してみますね」


 怜奈は男を店頭に残し「てんちょー!」と店の奥に呼びかける。


「どうしたの鈴木さん」

「この新機種ってフンボルトセイって国でも使えますか?」

「え? どこの国?」

「だから、フンボルトセイ、です」

「フンボルトセイ?」


 店長は国名が一覧になっている確認票をぱらぱらめくって調べてみる。


「ないよ、そんな国」

「じゃあなんかの街の名前ですかね」

「たぶんそうだと思うよ。これ持っていくといいよ」


 店長は世界地図のボードを怜奈に手渡した。使用可能な国は水色に塗られているというなかなか便利なボードだ。

 怜奈はボードを引っさげて店頭に戻った。金髪の男は興味深げにスマートフォンを見つめている。


「お待たせしましたー!」


 怜奈はボードを男の目の前に掲げる。


「お客様の国って、どのあたりにあるんですか?」


 男は困惑して世界地図を眺めた。ふいに沈黙が訪れる。男は地図を穴が空くほど見つめて言った。


「いや、あの、これは何ですか?」

「なにって、世界地図ですけど」

「なるほど。これが、この星の世界地図……」


 男は生まれて初めて世界地図を見るような口調だ。怜奈は嫌な予感がしてきた。この客はただの冷やかしなのか、購入客なのか。冷やかし相手に怜奈の貴重な労働時間を割く必要はない。怜奈は客を値踏みするように質問を続けた。


「お客様、免許書とか持ってます?」

「メンキョショ? メンキョショってなんですか?」

「じゃあ、クレジットカードは?」

「クレジットカード? なんですかそれ」


 怜奈は苛々を必死に抑えながら尋ねた。


「じゃあ、外国人登録証明書はお持ちですか?」

「ガイコクジント、え? 何て言ったんですか」


 駄目だ。この客は買わない。日本に来たばかりの観光客なのだろう。クレジットカードの存在も知らないとは、今までどんな暮らしをしてきたのだ。怜奈は見切りをつけて言った。


「証明書がないと購入できないんですよー。何かあったら声かけてくださーい」


 怜奈は素早く客から離れた。しかし男はすがりつくように怜奈から離れない。


「フンボルト星に何か持って帰りたいんです。こんな綺麗な石、僕の星じゃ見たことない。フンボルト星でもキラキラ光るのか教えてください」


 男は電波なことを言い出した。なんだ。電波か。怜奈は安心した。ここ原宿では珍しくもない。電波は相手にするだけ無駄だ。


「残念ながらフンボルト星? じゃ使えないんですよー。ごめんなさいねー」


 男からスマートフォンを取り上げ棚に戻す。男は相当しょんぼりした様子だ。


「あ、そうだ。これ新機種お試しの方にプレゼントしてまーす。良かったらどうぞー」


 キャンペーンの粗品はあげることにした。ティッシュと、動物のキャラクターがついたストラップだ。


「これは、こんな素敵なものをもらっていいんですか?」

「はい、どーぞ」


 早く帰ってくれ、怜奈は営業スマイルを張りつかせながら、心の中で叫んだ。男は動物のストラップが気に入ったようで仕切りにいじっている。


「すごい技術、すごい造形術だ。この動物ってシダノビッチですよね!?」


 怜奈は無視することにした。犬だよ。イヌ。なによシダノビッチって。


「ありがとう、あなたは素晴らしい人だ」


 男は大層感激した様子で怜奈を見つめた。こんなイケメンなのに、頭の中は電波かぁ。神は二物を与えないものね、と心の中で呟いた。


「お礼に私の惑星、フンボルト星にご招待します。私はレオパルド・ビッチビーチノ・フンボルト。フンボルト星の第3王子です。是非、王宮でのパーティに参加してください」


 電波からのナンパの誘いだ。だが、携帯の売り子という仕事をしていれば、こんな厄介な客に会うのは日常茶飯事だ。怜奈は営業スマイルを崩さす努めて冷静にお断りした。


「いえ、お気持ちだけで結構です。さよならー」

「思慮深いお方だ。ますます気に入った。遠慮なさらずに来てください」


 しつこい電波だ。怜奈が店の奥に引っ込もうかと思った時、男の口から妙な言葉が溢れ出した。


「ビチビチーノリコリーノハルモンデナイトカプセタイヨモンモンモモーンパプパプパプリカーーーーノ」


 ひい、気持ち悪い。怜奈は店の奥に駆け込んだ。


「てんちょー。変な客が来てます。しばし非難させてください!」

「なになにどうしたの?」

「あれです、あれ」


 玲奈は受付カウンターの下にしゃがみこみ、店頭の金髪の外国人を指さした。男は両手を合わせてまだ呪文のようなものを呟いている。


「なんだ。ハリウッドスターみたいなイケメンじゃないか」

「そうなんですけど会話の中身が電波なんですよぉ」

「電波か、それは厄介だね」


 店長はのんびりと頷いた。


「まぁ、電波な人はこの辺じゃ珍しくないからねぇ」

「なかなか電波レベル高いですよ」

「よし。じゃあ僕が対応してこよう」


 店長はつかつかと金髪の外国人に近づいていった。何やら外国人と二言三言会話をしたかと思ったら消えた。消えた。そう、消えたのだ。


 怜奈は慌てて店頭に飛び出した。いない。右を見ても、左を見ても、店長も外国人の姿もかけらもなかった。


「どうしたのぅ?」


 もう一人のバイトの女の子、真由美ちゃんがのんびり尋ねてきた。怜奈は何と言っていいか迷ったが、ありのままを話すことにした。


「あのね、店長と、外国人の電波な客が話してたら、二人とも消えちゃったの」

「へぇー」


 真由美ちゃんはのんびり頷いた。元々マイペースなおっとりした子だ。


「店長いないんじゃ、受付あたし達がやらないといけないねぇ。怜奈ちゃんもあたしも受付用の端末操作できるから、まぁ、なんとかなるんじゃなぁい」


 これまたのんびり言った。店は小さな携帯ショップのため、元々の店員は店長と私と真由美ちゃん、後は今日休みになっている内藤くんの4人しかいない。確かに、なんとかなるっちゃなるけど…。怜奈は不安だった。目の前でぱっと人が消えたのだ。頭でもおかしくなってないか不安だった。


「大丈夫だよぉ」


 真由美ちゃんが不安気な様子の怜奈を見て励ました。


「きっと閉店までには帰ってくるよぅ」

「そ、そうだよね…」


 どこか裏路地に入ったのかもしれない。店長がいなくても仕事はなんとか回る。怜奈は気持ちを切り替えて新商品のスマートフォンを手にとり、路上のまだ見ぬ客に向かって呼びかけた。


「新製品のスマートフォンでーす! よかったら触ってみてくださーい!」





「困ったねぇ」

「うん、困ったねぇ」


 夜21時。まだ店長は帰ってこない。もう怜奈も真由美ちゃんもとっくにシフトは上がりの時間なのだが、責任者がいない以上店を離れる訳にはいかなかった。レジ締め、報告業務は玲奈たちが済ませ、あとは店長の帰りを待つだけだ。


「いいや。もう締めちゃお。私、明日もシフト入ってるし。鍵持って帰るよ」


 怜奈は諦めて言った。明日は店長が早番、怜奈が遅番の日だが仕方あるまい。ちょっと早起きして店に出ればいいだけだ。


「店長、どこにいっちゃったんだろうねぇ」


 真由美ちゃんがのんびり呟いた。


「このまま蒸発しちゃったりしてぇ」

「ちょっと縁起でもないこと言わないでよ」


 怜奈は外国人が言っていた「フンボルト星」という言葉が気になっていた。まさか店長、フンボルト星に連れていかれちゃったのかしら…。



 翌日。怜奈は一人で携帯ショップを運営した。結局店長は帰って来ないばかりか、電話してもずっと圏外だ。朝から閉店まで休憩なしで一人で店を回した怜奈は疲れに疲れきっていた。


「くそぅ、余計に残業つけてやる」


 怜奈はタイムカードにその日の出勤時間を多めに打ち込んだ。





 翌日。いまだ店長からの連絡はない。相変わらず電話しても圏外だ。


「おはよー鈴木さん。昨日は大変だったみたいね」


 もう一人のバイト、内藤くんが出勤してきた。今日は怜奈が早番、内藤君が遅番の日だ。


「きいてよー。一人で店回したんだよ。もうちょう疲れた。今日は内藤君に全部任せる」

「そんな。一緒にやりましょうよう」

「やだ。もう携帯なんか見たくない」

「携帯屋さんでそんなこと言ったら仕事になりませんよう」


 内藤君は相変わらず爽やかに笑っている。怜奈より二つ下のこの内藤君は店長より使えるなかなか便利なやつだ。怜奈は今日はサボる日と決めて、カウンターの椅子に腰掛けてのんびり原宿の街並みを眺めていた。


「ちょっと鈴木さん。ちょっとちょっと」

「なによ」

「鈴木さんご指名のお客さんが来てます」


 店頭に目をやると、一昨日店に現れた電波の外国人がにこやかに手を振っている。怜奈は慌ててカウンターの下に飛び込んだ。


「ちょっと、電波な客じゃない。何で私を呼んでるのよ」

「え、あの人電波なんですか? 鈴木さんと話したいっていうから、お知り合いかと思ったんですけど」


 なぜ自分の名前を知っている? 怜奈はしぶしぶ店頭に出た。


「良かった。また会えましたね。僕のこと覚えていますか? フンボルト星の第3王子、レオパルド・ビッチビーチノ・フンボルトです」

「はい、まぁ、覚えてますけど」


 金髪の外国人は嬉しそうに笑った。電波なことを言わなければハリウッドスターみたいな男前なのに。


「どうして私の名前をご存知なんですか?」

「ハットリさんからお聞きしたんです」


 ハットリ、服部。店長の苗字だ。


「あなた、店長の行方知ってるんですか?」

「はい。フンボルト星にお招きしました。今は恐らくイベッチビッチーノにいるはずです」

「はぁ?」


 怜奈は相変わらずの電波発言に頭がくらくらし始めた。


「店長をさらったんですか? 店長は無事なんですか?」

「さらったなんて人聞きの悪い。ハットリさんはフンボルト星をとても気に入ってくれまして。しばらくここに残りたいと仰ってくれたんです」


 怜奈は思わず外国人に詰め寄った。


「そんな! 困ります! 店長がいないとお店が回らないんです。店長を返してください!」

「そうですか…。それならばフンボルト星にご招待しますよ。そうすればハットリさんとも会えます」


 怜奈が「いや、招待は結構です」と言っている最中に、電波の外国人は呪文みたいな言葉を呟きだした。


「ビチビチーノリコリーノハルモンデナイトカプセタイヨモンモンモモーンパプパプパプリカーーーーノ」


 ひい。気持ち悪い。怜奈は必死に店内に逃げ出し、様子を見ていた内藤君の背中に急いで隠れる。


「鈴木さん、どうしたんですか?」

「また電波が呪文唱えだしたの! もうやだ! あいつ店長をさらったのよ! フンボルト星に連れていかれる!」

「え、あの人店長の行方知ってるんですか?」

「ちょっと聞いてきて! 店長何してるかって!」

「はぁ」


 内藤君は外国人に近づき声をかけたその時、一瞬の出来事だった。二人の姿は一瞬にして消えた。


「きゃああああああ!!!」


 怜奈は店を飛びだし、周囲を確かめる。路地裏も、車の下も、ゴミ箱の中も探してみるがどこにも二人の姿がない。


「で、でんわ!」


 怜奈は内藤君のケータイにすぐさま電話した。圏外だ。もしくは電源が入ってない。怜奈は思わず真由美ちゃんに電話した。


「どぉしたのぉ?」

「真由美ちゃん! 内藤君が、内藤君がいなくなっちゃったよー!!!」

「あらまぁ、そんなこともたまにはあるよぉ」

「たまにあったら大変だよぉぉ」

「閉店まで待ってみればいいんじゃないかなぁ」

「うん…とりあえず待ってみる」


しかしその日、内藤君が帰ってくることはなかった。


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