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1年ぶりの投稿です。

覚えている人はいるかな?今回で完結です。遅くなって申し訳ありません。

3 北ベトナム軍基地 1967年8月2日 タンホア郊外



 屋良内夫は、今でも自分がどうしてあの地獄から生還できたのか疑問に思うことがある。

 もちろん、死にたかったわけではない。

 生きたいと思って生き残ったのだから、結果は上々だ。

 だからといって、アレと同じことをもう一度やれと言われたら、力なく笑うしかないが。


「××%(&%Y('(!×アル%()FA!」

「GO&)’!jが’&T&!」


 日本人の耳には人語というよりは、音程差の激しい歌曲のように聴こえる言葉でNVAの兵士が激しく口論していた。3人いる。内2人はAK突撃銃を持っていた。もう1人は手ぶらだ。ただし、腰にピストルを吊っている。カーキー色の制服に小さな徽章が見えた。

 たぶん、士官か、何かだろう。屋良はそう思った。

 口論しているのは士官と兵士の一人だった。

 よく観察すると兵士ではなく、おそらく下士官だった。かなりの年重に見えたからだ。なりも士官とは比べものにならないほどくたびれていた。不潔だが不快な感じではない。戦場の服を着慣れている感じだった。歴戦の勇士といった体だ。

 屋良内夫は、サバイバル訓練で多少のベトナム語を取得していた。ヒアリングも少し出来る。特に、殺すとか、死ぬとか、そういう単語は簡単に聞き分けることができた。

 ちなみに、殺すと言っているのは下士官で、殺すなと言っているのは士官の方だった。

 理由は推測できる。

 士官は珍しい日本軍の捕虜を簡単に処分できないのだろう。だが、下士官は奪還の可能性を心配している。その心配は杞憂ではない。

 何しろ、外はおそろしく騒がしいことになっている。

 地響きが、15分ほど前から止まらない。爆撃だった。かなり近づいてきている。5分ほど前からはそれに銃声が交じるようになっていた。つまり、小火器を使うような距離まで味方が来ているということだった。

 また、地面が揺れた。

 今度は恐ろしく大きく揺れた。大人でも立っていられないほどだった。地下牢の壁がばらばらと崩れる。天井から落ちる埃や砂が危険な量だった。天井の照明が点いたり、消えたりした。爆弾が、真上か、それに近いところに落ちたのだ。

 信管が瞬発ではなく、遅発だったら危なかった。遅発信管は、着弾から起爆までタイムラグがある。地下構造物へ与える打撃が大きい。

 屋良が顔をあげるとマチェットを抜いた下士官が牢の鍵を開けるところだった。

 今の爆撃が口論の種を吹き飛ばしたのだ。同時に、屋良の中の迷いや恐れも吹き飛ばしていた。

 屋良は冷たい殺意が内蔵を触るのが分かった。頬に嫌な感じの油が浮く。同時に半日にわたって受けた尋問で受けた傷が今になって騒ぎ出した。あまりの痛みに火がついたように思われた。血中に放出されたアドレナリンによる一時的な活性化作用だった。

 ここまで来たら後は殺るか、殺られるかだった。

 

「天皇陛下バンザァァァァイ!!!!!」

 

 後年、何故そのような雄叫びを上げたのか、自分自身でも理解できず、深刻に悩み続けることになる雄叫びを上げて、屋良は突貫した。

 大声で下士官がひるんだ一瞬の隙を屋良は突く。隠し持った拳銃を下士官に向ける。大声による威嚇と突然現れた致命的な武器に下士官は激しく動揺した。

 下士官が一歩後退する。致命的な後退だった。その間合いを屋良は一瞬で詰めることができた。

 屋良は拳銃を下士官の胸に押し付けるようにして、発砲。

 零距離射撃だった。外しようがない。

 8mm南部弾が、下士官の胸に小さな穴と、背中にその何倍も大きな穴を開けた。糸が切れた人形のように下士官が足元から崩れる。そうなる前に、屋良は下士官の服を掴んだ。牢の格子に叩きつける。首をホールド、即席の盾にする。格子の間から右手を突き出し、ワン・ハンド・グリップで4発撃った。飛距離は3m足らずだ。どんな下手でも必中距離だった。

 3発は、AKを持った兵士にあたった。胴体に3発だ。即死だった。

 最後の一発は、士官にあたった。腕に。

 腕を抑えてうずくまった士官は、それでも左手でなんとか腰のピストルを抜こうとしていた。

 士官が銃を抜く前に、屋良は残った弾丸を撃ち込んだ。

 一瞬硬直した後で、士官は足から地面に墜落した。

 しかし、士官はすぐに死ねなかった。胸と口から血を吹出し、手足が無秩序な痙攣を繰り返していたが、すぐに死ねなかった。

 士官が屋良を見上げた。屋良も士官を見下ろしていた。

 屋良はそのベトナム人の瞳の中に怒りを感じた。怒りではなく、困惑かもしれなかった。困惑ではなく、恐怖かもしれなかった。

 彼が何をその時感じていたのか、屋良はなんとか感じ取ろうとした。しかし、その前にベトナム人の瞳から光が失われた。呼吸が止まり、ピストルが手から落ちる。

 屋良は足元に落ちていたAKを拾い上げ、コッキングレバーを引いて初弾を送り込む。

 不意に、後悔の念がこみ上げる。

 もっと慎重な方法がなかったのか、自問してしまった。しかし、既に退路は絶たれていた。或いは、最初からなかった。

 殺らなければ、殺られる。シンプルな結論だけが残った。

 白旗は通用しない。異変を感じ取って、ここに敵が駆けつけるのは時間の問題だった。

 とにかく移動しなければならない。

 兵士の死体からAKの弾帯を拝借する。旧軍の士官が寄越した拳銃は弾を撃ち尽くしていた。装弾数はたったの6発だ。きわどいところだった。ギャンブルもいいところだ。だが、屋良はギャンブルに勝った。配当はAK47と予備のマガジン3つ。それに当座の自由が少々。 

 屋良は天井を見上げ、電線の配置を確かめた。たいていのVCがつくる地下トンネルには照明がない。だが、ここは間隔的に白熱灯が設置されていた。それなりの規模の基地なのだ。

 よく狙いをつけ、7.62mm弾を叩き込むと電線がちぎれ飛んだ。火花が飛び、青白いスパークが走る。金臭い香りが立ち込めた。同時に、照明が一斉に落ちた。

 これで、かなり時間が稼げるだろう。

 屋良は目が闇に慣れるのを待って走りだした。

 行き先は銃声轟く戦場だ。そちらに、出口があるはずだった。




 

  

 NVAの基地は川にへばりつくように作られた漁村だった。

 だったというのは、準備攻撃の爆撃で殆どが更地に近いことになっているからだ。残っているのは、家だったものの残骸と火と煙、敵だけだった。

 しかし、NVAは煙の向こうからヘリに向かって弾丸の雨を降らせている。

 しぶとい奴だった。

 入足出はLZに使えそうな場所はないか観察した。開けた土地は少ない。村の周りは深いジャングルだった。道も狭い。両側の木々が邪魔だった。ヘリが安全に降りられるのは村の中心ぐらいだ。しかし、直接乗り付けるのは絶望的だった。それではただの鴨撃ちにしかならない。

 気は進まないが、当初の作戦どうりにいくしかない。

 入足出遣夫は、UHのパイロットに降下を命令した。

 UHのパイロットは、自分が何をすべきか心得ている男だった。

 ヒューイは銃火の中を鷹のように急降下。川岸のぎりぎりの地点まで、墜落するかのような速度で降下した。川面すれすれで機首上げ、急停止。

 NVAは降下したUHに猛射を浴びせた。派手な金属音がヘリを連打する。

 だが、その攻撃は入足出と分隊に何の被害もあたえることができなかった。

 弾丸の大半がUHの機体下面に装着した増加装甲で弾き返された。機首上げをしたのはその為だ。敵に底面を晒すことで、パイロットと兵員を守ることができる。

 さらに、上空で待機していた残りの3機が援護射撃を行った。

 電動モータが回る低い音に続いて、雷雨のような射撃音がした。M134の制圧射撃だ。電動式ガトリングガンが毎分3000発の弾雨を降らせた。さらに70mmロケット弾の掃射が止めを刺す。

 ジャングルの銃火が一瞬で沈黙を強いられた。

 入足出はそのタイミングを掴んで、外へ飛び出した。

 川は深くない。水が腰まであったが、動けないことはなかった。だが、遮蔽物が何もない危険な場所でもあった。とにかく前身しなければ、死ぬだけだった。

入足出が何の指示をしなくても、分隊は散開していた。入足出を守るように布陣して、目の前のジャングルに飛び込んでいく。

 ここでようやく入足出は降下した場所がジャングルではなく、船の整備所であることが分った。

 一見ジャングルに見えるが、地上から見るとコンクリート製のスロープがあちこちにあった。焼け焦げた熱帯樹木の間に、ウィンチで引き上げられた魚雷艇や短艇が見える。

 上空はカムフラージュネットと極相林に覆われていた。上空からの写真偵察では見分けがつかないだろう。


『まるで秘密基地みたいだお』


 みたいではなく、まさにそのとおりなのだが、入足出は奇妙に感心を覚えた。

 ミニガンの掃射を浴びてチーズのようになった魚雷艇の影にとりつく。

 銃撃が来た。AKの乾いだ射撃音。一瞬、カーキー色の戦闘服が見えた。7.62mm弾が魚雷艇の船底を削る。それだけだ。素人臭い連射だった。

 部下の一人が、手本のような指切りでバースト射撃を返す。すぐにベトナム語の悲鳴が聞こえて、銃撃が止んだ。

 入足出は指2本を伸ばして、前方に倒した。

 分隊員の二人が前進をした。もちろん、援護射撃を受けた上でだ。分隊支援火器の99式軽機関銃が前進を援護している。99式軽機関銃は旧軍時代に制式化された軽機関銃だった。しかし、射撃速度が適度に速く、命中精度が世界で一番高いため、未だに現役を保っていた。そして、枯れた技術で作られた武器によくあることで、ほとんど故障を知らない。

 殆ど全ての装備を米国式で統一していた第101海軍特別陸戦隊も、分隊支援用の軽機関銃は国産品を持ち込んでいた。

 理由は、米軍支給のM60がクソだったからだ。特にジャングルで伏射すると、すぐに泥や埃がつまって使い物にならなかった。SOGや海兵隊では、M60の使用を拒否して、旧式のBARを使うほどだった。米国製の最新装備が常に最善とは限らなかった。

 入足出も援護をうけながら、前へ前と出る。何かにつけて米国式の101NLFであっても、帝国海軍であることに疑問の余地はなかった。帝国海軍では、指揮官は陣頭になければ、部下を掌握できないと考えられている。

 もちろん、射撃位置を頻繁に変えることで、敵のこちらの位置を掴ませないという意味もある。どちらかといえば、後者の方が重要だった。

 ときおり頭上を掠める弾丸に身を竦める。

 背中に走る冷たいものを意思の力で抑えつけ、入足出は姿勢を低くしたままXM177を構え、応射した。銃身が短い、従って反動がキツイXM177の銃口が跳ね上がる。カウンタートルクを筋肉の力と射撃技術で抑えつけ、低い弾道で描くように連射した。

 入足出は30発入り弾倉を一気に撃ち尽くした。空薬莢が滝のように降り注ぐ。

 ポーチから予備の弾薬を引きぬき、空になった弾倉に叩きつけ空になった弾倉を強引に跳ね飛ばす。訓練で気が狂うほど繰り返した高速弾倉交換だった。コッキングレバーを引き、初弾を薬室に送り込む。

 再び射撃態勢を整えた入足出が見たものは、逃走する敵の後ろ姿だった。

 背後では、2機目のUHが降りて、兵員を降下させている。

 敵は逃走し、味方は増えている。だが、のんびりと時間をかけて制圧していく余裕はない。ここは北ベトナムだ。敵地だった。敵の増援はすぐに来る。

 それに、焦ったNVAが捕虜を始末する可能性があった。自分ならそうする。

 銃撃が続く中、入足出は木の影から村の様子を伺った。

 村は壊滅していた。しかし、地下基地への入口があるのか、村の中央の崩れ落ちた高床式住居から、次々のNVAの歩兵が湧きでてくるのが見えた。まるで蟻の巣をつついたようだ。

 すぐさま、上空のUHが制圧射撃をかける。遮蔽物が効かない上からの攻撃に歩兵は弱い。ミニガンの掃射は圧倒的だった。重々しい射撃音と同時に土煙が舞う。流れ弾にあたった樹木が一撃でへし折られる。入足出は敵の上半身がちぎれ飛ぶのを見た。

 敵の攻撃は散発的になっていた。上空のヘリの制圧が効いている。効果的に敵の頭を下げさせている。

 思い切った前進をするなら今だった。


「小隊長!アレを!」


 前進を指示しようとした瞬間、小隊軍曹が何かを指し示した。

 NVAの兵士がどういうわけか悲鳴を上げて逃げていくところだった。理由は不明だ。しかし、すぐに分かった。

 ミニガンの掃射を浴びて崩れ落ちた高床式住居が派手に吹き飛ぶ。爆風と土煙で視界がなくなる。

 伏せたまま、入足手は何が起きたか悟った。爆薬か何かで、上に積もった瓦礫を吹き飛ばしたのだ。独特の刺激があるトリニトロトルエンの匂いが立ち込める。舞いがった瓦礫にはNVA兵士の残骸も含まれていた。味方ごと吹き飛ばしたのだ。無茶苦茶だった。

 一瞬、あらゆる戦場音楽が沈黙した。奇妙な沈黙が訪れる。

 入足出はこうした沈黙が多くの場合、恐るべき状況の始まりであることをよく知っていた。頻繁に遭遇するからだ。

 酷く嫌な予感がする。


「うそだお・・・」


 沈黙を破ったのは、野太いエンジン音だった。そして、履帯が土を噛む音が聞こえた。残骸と白煙を押しのけて見えたのは、角張ったシルウェットだ。その上に、円形の小型砲塔と悪夢のような主砲が据え付けられている。ソビエト軍の主力戦車T-55だ。砲塔が回る。主砲がこちらを向いた。

 入足出は反射神経が許す限界速度で通信兵のプリックを掴み、叫んだ。


「こちらブロボー・シックス!ブロークン・アロー!航空支援を要請する!戦車だお!」


 戦車の出現に気がついたUH-1が上空から急降下。ミニガンを怒らせながら突進する。

 猛烈な7.62mm弾の雨が降る。着弾の土煙で戦車が見えないほどだった。装甲板に数百発の弾丸が激突して火花を散らす。だが、T-55はその中からでも平気で主砲を放った。

 防御も回避も間に合わない攻撃だった。

 爆圧で魚雷挺がひっくり返し、ジャングルが根こそぎ吹き飛ばされた。入足出もひとまとめになぎ倒される。

 入足出は痛みを感じ無かった。気がつくとジャングルに仰向けに倒れていた。

 降下地点、軽機関銃、食べかけのCレーション、M72軽対装甲ロケット、かきかけの手紙、ネオンサイン、故郷に残してきた老いた母、去っていた女の顔が次々に現れては消えた。

 ついにその時が来たのか。

 以外なほどあっけない感じだった。もう少し何かないのかと抗議したくなった。だって、こんな終わり方はあまりにも呆気無さ過ぎるではないか。自分はもっとこう、何か特別な存在だったはずだ。

 しかし、もう指は羽になっていた。足も、体も羽になっていた。

 何もかも軽かった。風が吹けば飛んでいけそうな気分だった。


「××$’%’!ふぁsdしろ!」


 天使が来た。

 面長の天使だ。白い羽は無いが、異様なほどに肌が白く、顔が長かった。ケツ顎だった。天使は白人だと思っていたが、その天使はアジア系だった。

 しかも、男だった。嫌すぎる。


「しっかりするだろ!起きろ!起きろ!」


 入足出の世界に音が戻ってきた。続いて色が戻り、最後に正常な思考が戻ってきた。同時に、味わったことがない激痛を覚えた。

 激痛の元を見ると太ももに木の破片が刺さっていた。どす黒い血が止めどもなく溢れてくる。

 

「屋良内夫中尉?どうしてここにいるんだお!?」

「隙をついて脱出してきたんだろ!常識的に考えて!」


 銃撃の合間を縫って、屋良はAKで応戦した。

 パイロットの癖に、なかなか堂が入った射撃だ。入足出はそう思った。

 これではどちらが助けにきたのか分からない。


「小隊長!こっちです!早く!」

 

 分隊の一人が叫んでいた。

 気の抜け音と共に擲弾が発射される。発煙弾だ。入足出はT-55が赤い煙に包まれるのを見た。唸りをあげていた車載機関銃の射撃が止まる。

 逃げ出すなら、今のうちだ。


「立てるか!?」

「大丈夫だお」


 屋良の肩を借りて、入足出は立ち上がった。

 歩くたびに木の破片が突き刺さった右足が激痛を訴えた。煙幕の向こうから飛来する弾丸が、恐ろしく近くをかすめる。

 入足出には、味方が確保している陣地に転がり込むまでの数分が永遠に思われた。


「HQに報告。ホワイトロングを確保!脱出するお!」

「隊長!戦車はどうするんですか!戦車は!?みんなやれてしまいます!」


 戦車が主砲を撃った。

 発射の衝撃で煙幕が吹き払われる。砲弾は地面をえぐって、泥と瓦礫のシャワーを入足出に浴びせた。


「大丈夫だお!心配するな!」


 入足出は空を見上げ、部下に頭を下げておくように命じた。

 上空からジェットエンジンの爆音と共にA-4スカイホーク独特の急降下音が近づいてくる。


 

 



 

「リトルフレンズより入電。ホワイトロングを確保!繰り返す。ホワイトロングを確保!」


 現場から入った勝報に、瑞鶴のCICが沸き返った。

 菅野直はその爆音に紛れるように小さく息をついた。

 一つの山を越えた。だが、まだ戦いは終わったけではない。気を引き締めてかからなければならない。 かつて、零式戦を駆って米軍との戦いに明け暮れた熟練搭乗員は勝利の瞬間こそ、最大の危険が潜んでいることを知悉していた。

 勝利の瞬間、背後からの一撃を喰らって南冥に散った多くの同期生がそれを教えてくれた。

 まだ、戦いは終わっていない。まだ、だ。


「ツサ(通信参謀)。敵情はどうか?」

「大規模な作戦行動の兆候が確認されています。特に、ドンホイ周辺の通信量が増大しています」


 しかし、それだけは何も分からないのと同じだった。

 推理らしきものをするとすれば、VCの大混乱と反撃の兆候があることぐらいだ。


「白い恋人はどうか?」

「まだ、何も連絡はありません」


 菅野の個人的な依頼によって、正規の仕事の合間に手伝いをしてくれている米空軍のレーダー・サイトからも、敵の反撃について情報は入ってこない。

 元から無謀な、あまりにも無謀すぎて、作戦の体をなしていないような、投機的な作戦だったが、ここに来て、さらに不透明さが増していた。

 特に、作戦域を俯瞰するような情報が得られないのは問題だった。

 艦型の小さな瑞鶴には、米海軍が用いているような早期警戒機は搭載できなかった。早期警戒は昔ながらの水上艦艇を使ったレーダー・ピケットが頼りだ。しかし、これらの水上艦を沿岸に寄せて情報収集に当たらせるようなことは不可能だった。

 何しろ、艦長達は、夜半が行われている一連の捕虜奪還作戦について、何ら知らされていないのだ。それどころか、南ベトナム派遣艦隊司令部どころか、東京の海軍軍令部でさえ、この作戦については全く知らされていなかった。

 つまり全ては、菅野と菅野に対して信仰の域に達するまで心酔している瑞鶴空母航空団のパイロット達による、完全な独断専攻。個人的な戦争なのだった。

 当たり前だが、軍法違反であり、憲法違反だった。完全なる統帥権の干犯だった。在りし日の帝国陸軍の関東軍でも、ここまで酷くはない。

 しかし、そのエキセントリックすぎる経歴から、ベトナム戦争がなければ現役であることが絶望的に不可能であると公的な文書中でさえ名指しされている菅野は、自分の個人的な戦争のために、帝国海軍の全ての巻き添えにすることに何の躊躇いも感じていなかった。

 東京の市ヶ谷に陣取る軍事官僚がこの事件の余波で何人路頭に迷い、人生が狂って自殺しようが知ったことではなかったし、時の内閣が引責して退陣しようと関係無かった。政局が破綻して総選挙になり、10年ぶりの政権交代が起きてベトナム戦争から日本軍全面撤退が実現しようと、そんなことはどうでも良かった。軍刑務所には、刑務官に顔なじみができるほど慣れていたし、銃殺されたところで、失うものは自分の命ぐらいしかない。

 菅野の到達していた年齢と社会的地位を考えれば、おそるべきことかもしれないが、菅野にとって、守るべきものは、たった一つしか存在しないのだった。

 それは、とても簡単な、シンプルなルールだ。


「白い恋人から入電あり。お客が入店したとのこと」

「敵はどこだ?」

「ひな鳥の方位3-2-1。500ノット以上の速度で接近中。複数。少なくとも6機以上」

 

 菅野は口の端を釣り上げ、嗤った。

 そうでなくては困るのだ。舎弟を誘拐されたら、当然取り返す。だが、それだけではまだ足りない。まだ、足りない。全然足りない。

 なぜならば、


「イーグル・ネストから、ひな鳥へ。最低2機以上は撃墜するまで帰ってくるな。米軍の同業者が出張って来る前に、全部片付けろ」


 喧嘩のルールは、「倍返し」なのだから。






 入足出来夫少尉にとって、永遠に忘れられない5分間が始まった。

 入足は意識して息を深く吸った。吐いた。もう一度深く吸った。そして、吐いた。機上酸素発生装置から潤沢に供給される高濃度の酸素が肺胞を通じて、血中へ溶けていくを感じた。

 放出されたアドレナリンで、口の中が少し粘着く。唾を飲み込むと喉がひりつくような感じだ。


「バンデッド、10時方向。突っ込んでくる。8機だ。」


 編隊長がインターカム越しに叫んだ。

 瑞鶴から発艦した8機のF-8クルセイダーは、編隊を2つに分けていた。4機編隊が2つ。第二次世界大戦の半ばから、一般化したフィンガー・フォーだ。コンバット・スプレッドとも言う。

 入足は編隊長機の左後方につけていた。右後方に3、4機が見える。

 編隊を維持しつつ、入足は敵機を探した。

 瞳の神経細胞を10時方向に向けて集中させると水色の空にゴマ粒のような機影が見えた。細い眩い光が目を刺す。アルミの地金が朝日を反射している。

 迷彩塗装をしていないのか。遠くからでもよく見えた。ソ連初の超音速戦闘機、ミグ19だ。

 単発機のミグ15や17によく似ているが、ミグ19は双発機だ。ただし、運動性は前作よりも向上している。エンジン推力が大幅に向上していて、余剰推力が多いからだ。

 合州国の超音速機開発に焦ったソヴィエトが実用化を急いだミグ19は、合州国空軍の超音速機に比べてお世辞にも洗練されているとは言えない戦闘機だった。音速突破も、双発化によるエンジンパワーに頼る力任せなやり口だ。

 そうであるため、期待された超音速飛行性能は、さほどのものでもなかった。音速突破すると滞空時間が極端に悪化するので実用性は皆無だった。

 そもそも、空対空戦闘というものは、その殆どが音速以下で行われるもので、超音速状態では殆どの空対空兵装が使用不能なのだ。

 超音速機としての性能は落第点のミグ19だが、戦闘機としてのミグ19はベトナムの空における最大の脅威だった。音速以下の速度域では、双発化による余剰推力が大きいこの戦闘機は近接格闘戦におけるスペシャリストだった。

 大型で、極めて高度な電子兵装と倍近いエンジン推力を持つ合州国空軍のF-4ファントムⅡが、ミグ19に翻弄されるのを入足は何度も見てきた。

 旋回するミグ19を同程度の速度で追尾した場合、F-4は確実に致命的な状態に陥った。センチュリーシリーズの全ての戦闘機が同様だった。

 もちろん、クルセイダーは例外だ。ミグの低空低速旋回をほぼ同条件で追尾できる。この戦闘機は、そういう戦い方をするために作られた最後の戦闘機なのだから。

 ただし、帝国海軍の戦闘機パイロットは、そんな単純な戦いを方はしないが。

 ミグ19と交差すると編隊長はただちに背面上昇。入足も続いた。操縦桿を引き付ける。一杯に引き付ける。スロットルを押し出す。アフターバーナー点火。最大速度を維持する。インメルマンターン。Gメーターが跳ね上がり、6Gに迫る。

 体重が突如6倍になり、肺から息が搾り出された。入足は痩せ狼のように喘ぐ。喘ぎつつ、6倍の重力下で、首をめぐらし敵機を探す。

 見つけた。4機編隊が下方にいる。明らかにキレのない動き。ミグは無駄な水平旋回中。急上昇したクルセイダーを見失っている。

 失神と失速の危険を冒したクルセイダーは賭けに勝った。

 編隊長が背面飛行のまま、緩い降下旋回に入る。ミグの後方、上方を占める。

 入足は、編隊を維持しつつ、残り4機を探した。敵機は8機。残り4機はどこにいるのか。この瞬間、敵機が来ないとも限らない。

 ウィングマンの役割は、敵機の撃墜ではなくリードの援護だ。

 入足出来夫には後悔がある。

 一昨日に、リードの屋良内夫を一人で敵機に向かわせてしまったことだ。結果、屋良は敵の奇襲を受けて撃墜された。入足が先に母艦に帰投したのは、リードの判断だが、リードにそうした判断をさせたのは、入足の技量が足りなかった為だ。

 もしも、あの時、抗命してでもついて行っていたら、こんなことにはならなかっただろう。或いは、もう少し自分の技量があれば、リードは安心して入足を連れて行ってくれたに違いなかった。 

 

「フォックス2、フォックス2」


 編隊長は、赤外線空対空ミサイルの発射をコール。

 入足は編隊長のクルセイダーの胴体パイロンからAIM-9Bが滑り出すのを見た。ロケットモーターの白煙。2.2秒で燃え尽きる。ミサイルはマッハ1.7まで加速。4.5秒後、熱電池で近接信管が作動。ミサイル、爆発。

 敵の4番機が粉々になる。ミグの編隊がバラけた。

 1、2番機が急上昇、やる気だ。3番機は急旋回、逃げる気だ。

 

「イエロー1より、3、4。逃げた敵を追え。2はついてこい」


 編隊長機が急上昇。入足は後を追う。

 敵機は上昇を続ける。速度が見る間に減っていく。入足は速度計の針をちらちらと見た。失速まであと何秒か。

 敵の機動は巧妙だった。AIM-9Bは上方に向かって撃てない。太陽熱をミサイルの熱感知シーカーが拾ってしまうからだ。ミサイル攻撃を避けるなら、これがベストだ。

 上昇を続ける敵の二番機が編隊を離れる。バレルロールだ。クルセイダーがオーバーシュートする。背後をとられる。放置できない。

 入足は即座に自機をバレルロールさせた。編隊長が遠ざかる。リードはそのまま敵の1番機を追う。

 上昇しつつ、並走してバレルロールする敵機が間近に見えた。顔が見えるほどの距離だ。目があったような気がした。

 機速が失われていく。失速前の嫌な気配が近づく。

 離脱すべきか?入足は自問した。状況はチキンレースだ。先に逃げた方が負ける。背後から撃たれる。失速したら、鴨撃ちだ。共倒れもありえる。

 入足はクルセイダーの優位を信じてバレルロールを続けた。

 艦上機のクルセイダーは離着艦のために、低速飛行性能に優れる。先に失速するのはミグの方だ。

 入足の読みが当たる。ミグは失速を恐れ、先にロールから離脱した。反転降下。機速を回復しようとする。ミグが加速する前に、入足が射撃ポジションについた。

 距離が近すぎる。ミサイルは使えない。操縦桿の銃把を握る。

 光学照準器からミグの機体がはみ出す。撃った。

 2門の30mm機銃が火を噴く。

F-8の基本武装は20mm機関砲4門だが、帝国海軍がライセンス生産したJ型は固定機銃を換装していた。オリジナルのコルトMk12は給弾機構に欠陥があり、3G程度の旋回でも給弾不良を起こすことが判明したためである。

 合衆国海軍も欠陥は認識していたが、対爆撃機戦闘においては支障なしと判断していた。鈍重な戦略爆撃機を相手に、高G機動しつつ射撃を行うことなどありえないからだ。

 これは対戦闘機戦闘においては重大な欠陥だが、合州国海軍は艦上戦闘機を艦隊防空に専念させるつもりだったので、不問にされた。艦隊防空戦闘において、その相手となるのはソヴィエト軍の核爆撃機だ。対戦闘機戦闘など発生しようもない。核兵器が乱れ飛ぶ米ソの最終戦争において、艦上戦闘機が攻撃機を護衛して、敵の基地に殴り込みをかけるようなことなど、ありえないと考えられたのだ。

 もちろん、これが壮大な勇み足であったことは言うまでもないことだが。

 30mm機銃弾の破壊効果は劇的だった。一撃でミグ19の右主翼に大穴が空く。

 昭和20年に制式採用された五式三十粍固定機銃六型は20年におよぶ改良の結果、弾速は秒速1200mに達していた。徹甲榴弾を使用した場合、弾丸は主力戦車の上面装甲を貫通する。戦闘機などひとたまりもなかった。

 ミグ19は回復不能のスピンに陥り、黒煙を引いて落ちていった。

 パイロットの脱出は確認できなかった。スピンの遠心力で機体に貼り付けられているのか、それとも最初の射撃で死んでしまったのか。

 どちらにせよ、入足が敵パイロットの死を意識することは殆どなかった。初めて成し遂げたミグ・キルの興奮がそれを忘れさせていたからだ。

 敵機撃墜の興奮は熱く、甘かった。


「イエロー1より、2。チェック6」


 リードに後方警戒を注意されるほどに。

 入足は冷や汗をかく。


「ノージョイ、ノージョイ」


 リードはいつの間にか上空支援位置にいた。入足の撃墜は、リードの援護下で起きたものだった。援護されているなど、気づきもしなかった。

 撃墜の甘い興奮は去り、恥ずかしさと自責がこみ上げてくる。同時に、すとんと心に落ちるものもあった。なるほど、これが今の自分の実力かと。

 入足は酸素マスクを外し、スカーフでマスクに溜まった汗を拭う。

 空中戦は既に終わっていた。いつもどおりのベトナムの空だった。いつも少し違うのは、おびただしい数の飛行機雲あることぐらいだ。

 入足は、計器盤の航空時計を見る。

 恐ろしいことに、まだ5分しか経っていなかった。

 

 


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