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ヤンキーステーション


1 ヤンキーステーション 1967年7月31日 南ベトナム沿岸


 

「まるで、故郷の北九州のような陽の色だろ」


 屋良内夫海軍中尉は、そう呟いた。

 その日、ベトナムの空に昇った太陽は、屋良中尉の目にはそのように映った。

 綺麗か?と問われれば、首を捻るしかない。好きになれない色だった。光化学スモッグで変色した陽の色だ。好きになれる人間は稀だろう。

 南ベトナムの、水分過多の空に不似合いな陽の色だった。この空は危険に満ちているが、同じくらい自然豊かな、きれいな空なのだ。原因は、思い当たる節がある。北爆のせいだ。燃えるハノイから海に流れた煤煙が太陽をこんな色に変えてしまった。

 屋良内夫海軍中尉は、視線を太陽から外して、水平に戻す。

 水平方向に映えるのは淡い水色だった。下は雲海。スコールの雲だ。熱帯性低気圧が猛威を奮っている。しかし、天上は静かなものだった。

 なだらかなの雲の丘がゆったりとした速度で迫り、或いは過ぎ去っていく。まるで夢のような風景だ。

 屋良中尉が操るF-8J”イエロークルセーダー”は音速の70%程度の速度で飛行中だった。

 神の視座に立つことができれば、その飛行が最終的に大きな楕円を描いていることが分かる。

 西側空軍が採用している標準的な空中戦闘哨戒パターンだ。

 ちょうどコーナー部分にさしかかるところだった。

 屋良中尉はほぼ無意識で機体を最適なバンク角に乗せ、コーナー曲面で滑る機体に当て舵を入れる。緩い右旋回。太陽が真上から、左上に流れる。重力の方向がほんの少しずれて、別のポイントで釣り合いが取れる。

 そして、2機のクルセーダーは180度大きく緩い旋回をして、元来た道を戻っていた。

 慣れてしまえば、どうということもない作業だ。

 ただし、僚機はそうでもないようだった。旋回が終わって、編隊の間隔が僅かに空いていた。間隔は僅かなものだ。しかし、小さな誤差だが、これが屋良と僚機の技量の差を意味していた。僚機は舵の使い方が今ひとつなのだ。滑らかさが足りない。

 屋良から5つほどの離れた後輩は、まだ経験が足りなりなかった。

 後輩の入足出来夫少尉は勉強熱心な士官だったが、こればかりは教本を読み込んで会得できるものではなかった。こういうものはパイロットの大部分がそうであるように、本人の自覚を待つしかない。

 願わくば、そうなる前にミグとご対面することがないように祈るばかりだ。

 ただし、本人はそうは思っていないらしかった。


「リード。今日も暇ですね。早く先輩みたいにミグ・キルしたいものですよ」

「100年早い」


 後輩の無駄口を一蹴して、屋良は視線を太陽の方向に向けた。

 太陽の色は、やはりいつもと少し違っていた。

 別にそのようなことはどうでもいいのだけれども。何か嫌な感じがする。太陽の中をしばらく、じっと見つめる。

 ピケット艦によるレーダー早期警戒があっても、太陽の方角が気にならないパイロットはいない。屋良も同じだった。いつの日か、あの眩い光の中からミグが降ってくるのではないかと酷く恐怖していた。夢に見るほどに。

 そんな時は決まって、悲鳴をあげてハンモックから転げ落ちることになる。

 こんなことなら、空軍に入るべきだった。屋良はそう思った。

 大戦終結後に、海軍航空隊の一部と陸軍航空隊が合流して成立した空軍は、ベトナムに戦闘機を派遣していない。あまりにも防空戦闘に特化した組織のため、ベトナムで日常的に行われている近接航空支援には不適と考えられているからだ。

 だからと言って、海軍の母艦航空部隊がそうした任務に最適かどうかは判断が別れるところであったけれど。

 そもそも基地航空部隊と異なり、積載できる燃料と弾薬に制限がある航空母艦は継続的な火力投射のプラットホームには向いていないのだ。

 海軍の士官パイロットにあるまじき思考回路だったが、屋良は空母機動部隊というのは航空戦力の在り方としては邪道と断じていた。

 狭い飛行甲板からの離着陸を強いられる艦上機は、有限のリソースを極端にSTOL性能を傾けた特殊用途機なのだ。F-8はそうした特殊な機材の、さらに例外的な存在だった。帝国海軍が主力とした零式艦上戦闘機も同じだ。艦上機であるにも関わらず、陸上戦闘機と互角に戦えることなど、基本的にはありえないことなのだ。同程度の技術水準を用いるのなら、陸上機は艦上機よりも必ず軽く作ることができる。飛行機において軽いということは、あらゆる意味において優位を意味している。

 零戦もクルセイダーも、こうした例外は技術的過渡期における一時的な錯誤に過ぎない。たまたま同世代の陸上機に、ヒット作がないだけのことなのだ。

 合衆国海軍が主力としているF-4ファントムⅡなどは、例外を飛び越えた奇跡のような代物と言えた。あんなものをつくって、合衆国海軍は何をしようとしているのか。或いは、そんなものを主力戦闘機に据えた合衆国空軍の心情はいかばかりのものか思わざるえない。

 ただし、屋良は現実主義者だったので、合衆国が同盟国である限り、そんなことは形而上の問題にすぎなかったけれども。

 一度飛ばしてみたいものだ。屋良はそう思った。

 もちろん、そんなことは現実には不可能だろう。帝国海軍がもつ最大の航空母艦である瑞鶴を以てしても、ファントムⅡの運用は不可能だった。

 瑞鶴よりも小さい雲龍型の笠置や阿蘇では、クルセイダーの運用さえ諦めて搭載機をA-4スカイホークだけで固めている。艦上攻撃機としては例外的に高い運動性をもつA-4は爆装を解除すれば、ミグとも互角に戦えた。スカイホークは合衆国海軍のアクロバット・チームで使われるほど軽快なのだ。ただし、その場合、爆弾を投棄したため、攻撃任務は失敗になってしまうが。

 せめて、信濃が帝国海軍の手元に残っていれば、屋良にもファントムを飛ばすチャンスがあったかもしれない。

 しかし、先の大戦の戦時賠償で合衆国に引渡された信濃は、艦名をユナイテッド・ステーツに改めて、合衆国海軍の空母として活躍していた。

 ただし、信濃は例外の中の例外というべきケースで、戦時賠償で引き渡された船の大半は原爆実験で沈むか、スクラップにされている。

 そうでなくとも、帝国海軍の手元に残っている大型艦艇は少ない。

 1944年6月19日から20日にかけて生起したマリアナ沖海戦で、帝国海軍は参加艦艇の9割を失う歴史的な大敗を喫したからだ。

 太平洋戦争における決戦となったこの戦いで、帝国海軍は8隻の空母と5隻の戦艦を失った。撃沈された艦艇には、不沈戦艦として建造された大和型戦艦大和、武蔵も含まれている。

 初陣となったマリアナ沖海戦で、大和と武蔵は”ウィリアム・ハルゼー”率いる空母機動部隊の執拗な航空攻撃に遭い大破。さらに突進してきた米戦艦部隊との砲撃戦で袋叩きにあって沈没した。長く帝国海軍の象徴して国民に親しまれた長門も同様だった。元巡洋艦戦の金剛と榛名は航空攻撃だけであっけなく撃沈されている。

 航空母艦も大半が航空攻撃で沈み、撃沈を免れたのは瑞鶴だけだった。その瑞鶴も内地に帰還したときに座礁し、航行不能の状態だった。おかげで賠償艦指定を免れたのは歴史の皮肉か、或いは単純な幸運か、もしくは悪運というべきだろうか。

 これだけの損害と引換に帝国海軍が撃沈したのは小型の護衛駆逐艦が僅かに3隻だけだった。

 急性マラリアで倒れたレイモンド・スプルーアンスに代わって急遽指揮をとることになったハルゼー提督は、期待以上の大戦果を挙げ、不滅の伝説を創り上げた。

 これほどまでの一方的なワンサイド・ゲームは、世界の海戦史上においても、日本海海戦以外に例がない。

 そして、そうであるが故に、日本海海戦と同様に戦争の行方を決めた決戦となった。

 海軍の主力艦隊の壊滅、とくに不沈戦艦として建造された大和、武蔵を同時に失った大日本帝国はこの敗戦に強い衝撃をうけ、国体護持を条件に降伏を決意。太平洋戦争は1944年8月に終結し、日本の降伏を以て日独伊三国同盟は完全に崩壊したのである。

 ナチス・ドイツはその後も単独で戦争を継続したが、1944年10月に対日戦線から引き抜いた戦力を得て行われたマーケット・ガーデン作戦(合衆国海兵隊による連続強行渡河と大規模空挺降下によるオランダ打通作戦)の成功により、連合国軍はライン川を越えてドイツ本国に侵入。翌年3月には合衆国海兵隊によるベルリン強行突入とアドルフ・ヒトラー総統の自殺で第二次世界大戦は終結した。

 よって欧州では、ドイツが無条件降伏した3月15日が戦勝記念日として記憶されている。

 ただし、日本においてはその限りではなく、大日本帝国の戦争はもう少し続いた。

 なぜならば、ドイツ敗戦を前後して、満州国とソビエト国境で武力衝突が発生。ソビエト連邦が一方的に中立条約を破棄し、満州に雪崩込んできたからだ。

 これをソビエトは日本軍の攻撃に対する自衛行動と説明したが、誰がどうみても明らかなソビエトによる火事場泥棒だった。

 スターリンがこのような暴挙に出たのはそれなりに訳があった。

 すなわち、米軍によるドイツ本土の占領である。合衆国海兵隊がベルリン突入したとき、ソビエト軍はまだオーデル川を渡ることさえできていなかった。事前の秘密交渉により、米軍はエルベ川で停止するはずだったが、マーケット・ガーデン作戦の成功でやっかいなジークフリード要塞線の迂回に成功した米軍は約束を反故して進撃を続け、ベルリンを陥落させた。

 これがスターリンを激怒させた。スターリンは呆気無くライン川突破を許したドイツ軍を罵り、無能なヒトラーを罵倒したが、ドイツ軍が強かったり、ヒトラーが変に有能であっても困るため、少し冷静になって戦略を練り直すことにした。

 ソビエト連邦は戦後を睨んだ勢力圏拡大競争に出遅れた。ドイツを占領できなかったことは大きい。戦後世界をリードするために、ドイツの優れた科学技術と産業設備が喉から手が出るほど欲しかった。或いは、独ソ戦で壊滅的な被害を受けた国土復興のために、それが必要なのだった。衛星国化した東欧各国も戦災についてはソビエトと同様であり、奪えるものはなかった。それどころか、施しを与えなければならなかった。

 八方塞がりの中、スターリンは枢軸国は欧州以外にもあることを思い出した。大日本帝国だ。より正確には、日本がつくった傀儡国家の満州国だ。そこには少なくない近代産業設備と高度な教育を受けた労働力がある。既に日本は合衆国に降伏していたが、中国大陸では混乱が続いていた。よって、付け入る隙はあると考えられた。さらに合衆国に降伏した帝国陸海軍は武装解除が進んでおり、軍事力は弱体化していた。今なら、戦争のどさくさにまぎれて合衆国の介入前に電撃的に既成事実をつくりあげることができるかもしれない。日本本土を狙うのは無理だが、上手くすれば朝鮮半島まで手に入れることができるかもしれなかった。素晴らしい思いつきだった。

 ただし、思いつきは所詮、思いつきに過ぎなかった。

 スターリンは日本軍の能力を明らかに過小評価していた。東部戦線という史上最大の地上戦で勝利をもぎ取り、欧州最強のドイツ軍を叩き潰したことで少なからず慢心していた。また、合衆国軍に意外なほどにあっさり降伏した日本軍を見下していたのである。

 そのツケは高くついた。

 たしかに帝国海軍は壊滅したものの、帝国陸軍は未だ大きな負けを経験しておらず、主力は未だ健在だったからである。

 さらに、この種の火事場泥棒的な行為にありがちなことに、ソビエト軍は長期的な作戦計画をもっていなかった。武器弾薬の備蓄は少なく、兵士の多くはシベリアで後方警備にあたっていた後備兵で、実戦経験に乏しかった。東部戦線からの戦力引き抜きは一部実施されるにとどまっている。戦力を引きぬいて移送する時間が乏しかったからだ。戦争のどさくさに紛れるにはあまり時間をかけていられなかったという事情もある。

 対して日本軍は関東軍が営々と溜め込んだ備蓄物資があり、兵士の多くが中国軍を相手に実戦経験を積んだベテランばかりだった。ニューギニアやガダルカナルとは異なり、潜水艦や航空機による交通妨害もないことから、内地や朝鮮からの物資輸送や増援も容易だった。日本軍としては久々にまともな兵站線を維持した状態での戦いだったのである。

 さらに、合衆国に降伏した半年が経っても満州においては治安維持の名目で武装解除は行われておらず、支那派遣軍に至っては政府方針に反抗して未だ降伏を受け入れていなかった。

 結果、スターリンの火事場泥棒は攻勢開始から1週間程度で完全に頓挫。支那大陸派遣軍が北上し、満州に入ると一部では反撃で国境線までの撤退を余儀なくされることになった。

 火砲や戦車、航空機等、近代戦争における3種の神器とも言える兵器ではソビエト軍が圧倒的に優勢だったものの、兵站計画が杜撰だったため、攻勢開始から数日でそれらの優位は失われていた。この種の近代兵器は大量の燃料や弾薬を必要とするため、兵站計画の杜撰さは戦力低下に直結していた。

 スターリンのもう一つの誤算は、合衆国の即時介入だった。

 スターリンの読みでは、遠からず何らかの介入があるとしても、即時に日本軍に味方するようなことはないはずだった。米ソは同盟国なのだ。。亀裂が既に見え始めている同盟だが、それを放り出して、昨日まで敵だった日本人に手を貸すようなことはないはずだった。

 しかし、スターリンの予想に反して、合衆国はソビエト軍の満州侵攻の翌日には日本への支援を行っていた。合衆国にしてみれば、政府方針に反して降伏を受け入れようとしない中国大陸の日本軍と次期ライヴァルのソビエトが勝手に潰し合いをしてくれるのだから、全く結構な話だった。さらに日本人に恩を売るという意味もある。窮地に手を差し伸べる昨日の敵というのは、洋を東西問わずに人々を惹きつけるシチュエーションなのだ。戦後のスムーズな日米関係を考えれば、安い投資と言えた。

 容共的な態度を取ることが多かったフランクリン・D・ルーズベルト大統領が健在ならば、或いはスターリンの思い通りにことが運んだ可能性もあった。

 しかし、ルーズベルトは1945年4月12日。第二次世界大戦の勝者としての栄光に包まれたまま、脳卒中で急死しており、副大統領から昇格したトルーマンは筋金入りの反共主義者として知られていた。

 1ヶ月半に渡る戦闘の末、米国の斡旋により5月7日に停戦が発効。大日本帝国は満州を守りきった。そして、その日が日本にとっての終戦記念日となった。

 それから20年。

 日ソ戦争の結果、共産主義に対する東アジアの盾として存続を許された帝国陸海軍はベトナムの地で合衆国の同盟国として肩を並べて戦っている。

 

「イーグル・ネストより、カラス。不明機が接近中。方位1-3-0。定期便だ」


 屋良中尉はノイズまじりの通信で我にかえる。

 イーグル・ネストは母艦のCIC。カラスはCAPを意味する。定期便とは、ヤンキーステーションの活動を監視するソビエト空軍の偵察機のことだ。 


「まずいな。まもなくフェル・ビンゴだ。タンカーは?」

「予約が入ってこられない。5分待機が既に上がった。カラスは頭を抑えるだけでいい」


 屋良は燃料計と母艦との距離から残り時間を計算した。

 タンカーは来ない。間が悪かった。タンカーとは空中給油機のことだ。空中給油を受けないかぎり、偵察機を出迎えてから母艦に戻るのは難しい局面だ。より正確には戻ることはできても、着艦は難しい。さらに正確に表現するならば、着艦のやり直しが効かない。着艦をやりなおしたら、燃料切れで墜落するかもしれない。


「カラスより、イーグル・ネスト。02を巣へ戻す。定期便は01だけで歓迎する」

 

 この場合、02とは僚機を意味する。01は自機の意味。

 屋良は単機でソビエト軍の偵察機を迎えることにした。


「危険すぎます。自分も行きます」

「駄目だ。母艦に戻れ。お前の腕じゃ、一発で着艦できるかどうかわからん。ウェーブ・オブしたら燃料がもたないだろ」


 ウェーブ・オフとは着艦のやり直しを意味する。アングルドデッキを装備した現代型航空母艦は着艦ミスをしてもそのままエンジンを全開にして飛び去ることができる。何度でも着艦をやりおなすことができる。ただし、燃料が続く限り。

 空母への着艦は難事業だ。戦後、ミラーランディングシステムやアングルドデッキ、LSO士官制度等の各種着艦補助システムが考案された。しかし、それでも着艦は難事業だ。特に経験の少ない新米にとっては。ベテランでも決して容易いことではない。夜間や天候の悪い時は事故も少なくない。

 これから偵察機を出迎えて、さらにその後、着艦を一発で決めるのは入足少尉には厳しい。屋良はそう思った。空中給油機があれば別だが、タンカーは来ない。


「02、入足。先に戻れ。酒保でビールを確保しておくだろ」


 会話を一方的に打ち切り、屋良は機を反転させた。

 強引な方向転換。同時にスロットルを押しこむ。機を加速させる。アフターバーナーは焚かない。あまりにも大量の燃料を使うからだ。帰れなくなるおそれがある。

 僚機がいないことが不安だった。

 ただ、偵察機の相手をするぐらいなら、単機でも問題ない。

 問題ない、はずだったのだ。




 

 

 この時、ヤンキーステーションに展開していた空母は、意外に思われるかもしれないが、瑞鶴ただ1隻のみだった。

 もちろん理由はある。

 2日前、1967年6月29日に共同作戦中の空母フォレスタルにおいて、合衆国海軍史上最大級の爆発事故が発生。同艦は大破して、修理のためにノーフォークに戻ることが決定していた。他の空母も、ローテーションの谷間でフィリピンのスービック海軍基地に戻っていた。

 穴埋めのためにインディペンデンスが急遽、スービックを出港していたが、到着するのは明日だった。

 たった1日ではあるが、ヤンキーステーションは手薄になっていたのである。

 しかし、それは比較的という意味であり、瑞鶴の展開する航空戦力が弱体という意味ではなかった。

 この数年間の航空戦で、北ベトナム軍は日本人が操るクルセイダーが対戦闘機戦闘において、ファントムⅡよりも遥かに強力で、敵に回してはいけない相手であることを身に染みて理解していた。

 ミサイル万能論に毒された米空軍が忘れかけていた近接格闘戦のノウハウをきっちり継承してきた日本海軍航空隊は制空戦闘においては悪鬼のような存在だった。特にクルセイダーは有視界での戦闘に最適化した最後の艦上戦闘機であり、その良好な運動性と操縦性は帝国海軍のパイロット達から零戦の再来とも呼ばれるほどだった。

 合衆国海軍で問題となった目視射程外ミサイルの未装備も、交戦規定による制限がある限り無意味だった。帝国海軍には全く理解できないことだったが、合衆国軍は目視射程外距離から一方的に攻撃できる武器があるにもかかわらず、誤射を避けるために目視で確認してから攻撃することをパイロットたちに強要していたのである。

 故に、艦隊防空用のミサイル・キャリアーとして設計されたファントムⅡが予想外に苦戦を余儀なくされるなか、帝国海軍の少数のクルセイダーが幾人ものミグ・マスターを生み出すことになった。

 屋良内夫中尉も、そうしたミグ・マスターの一人である。

 しかし、そんな中尉をしても、北ベトナム軍のとった奇襲は心胆寒からしむものだった。


「カラス01より、イーグル・ネスト!敵機発見。敵は偵察機とミグが2機だ!」


 悪態をついたとき、Mig17は隠れ蓑にしてきた偵察機から離れた。

 ジャングル迷彩のミグが増槽を切り離す。

 Mig17は北ベトナム空軍の主力戦闘機だ。大半が中国製ライセンス生産機のJ-5だった。このころ、ソビエトは供与機を最新鋭のMig21PFMに切り替えていた。最新鋭のMig21の大量供与で北ベトナム空軍の戦力が飛躍的に強化された時期だった。

 ただし、北ベトナム空軍のパイロットはベテランほどMig17やMig19を好んだ。旧式機の方が運動性が高いからだ。Mig21は一撃離脱型の迎撃機だった。Mig17やMig19もその点は同じだったが、Mig21はより一撃離脱に特化した設計だった。戦闘機同士の取っ組み合いには向いていない。F-4ファントムⅡと同様に仮想敵は大型の戦略爆撃機だった。東側得意のプロパガンダで喧伝されるマッハ2に高速性能も、実戦にはおいては殆ど実用性がなかった。

 大型のレシプロ偵察機が、役目を終わったとばかりに翼を翻す。

 偵察機はソビエト軍のTu-95”ベア”だ。ベアは大型の核攻撃用戦略爆撃機だった。ソビエト本土から合衆国本土を直撃できるだけの航続能力がある。成功した大型爆撃機にありがちなことで派生型も多い。屋良が要撃したベアもそうした改造機の一つだった。Tu-95をベースに改造された電子偵察機で、機体に電子偵察用のアンテナをカバーする大型のフェアリングが装着されている。機首もレーダーアンテナを収めるために下膨れ型の膨らみがついていた。

 そんなことはどうでもいい。

 問題は、その下にコバンザメのようにくっついてきたミグだった。

 ピケット艦のレーダーから逃れるために、ベアの影に隠れるように飛んできた2機のミグは二手に分かれて屋良機を包囲する機動を見せていた。

 屋良は僚機を戻したこと心の底から後悔する。

 逃げることはできなかった。今逃げても、後ろから撃たれるだけだ。

 クルセイダーは右旋回。アフターバーナー点火。加速しつつ、右から回りこもうとするミグに狙いを定める。

 屋良は自分に言い聞かせた。


『早く、正確に飛ぶんだ。いつもより早く。いつもより正確に。そうすれば負けないはずだ。常識的に考えて』


 視界の広いコクピットの端からミグが消える。

 敵機の機動を無意識に計算。クルセイダーを右上昇反転宙返りさせる。アフターバーナーを焚いていても、機速が見る間に減っていく。

 だが、クルセイダーは艦上戦闘機だ。低速域の安定性は高い。心配いらなかった。失速して落ちるようなことはない。

 再び視界中にミグを捉える。ミグは真下にいた。反転中の屋良からは見上げる格好にある。暗緑色のストライプパターンが海の青から浮いていた。攻撃から身を隠す迷彩が逆効果になる瞬間だった。反対に屋良は空を背にしていた。灰白色の制空迷彩が最大限に効果を発揮している。

 屋良は反転宙返りを継続。ハーフターンを打って順面に戻す。降下を利用して増速、一気に間合いを詰める。

 サイドワインダーは使えない。敵機は下にいた。太陽はまだ高い位置にある。海面に反射する太陽光をシーカーが拾ってしまう。レイセオンのセールストークほどサイドワインダーの命中精度は高くない。現行の空対空ミサイルは核爆撃機を撃墜するために開発された対爆撃機兵装だ。先の大戦で空対空ミサイルの実戦投入にあと一歩まで手をかけていたナチス・ドイツも、ミサイルは爆撃機に使用するもので対戦闘機戦闘に使うつもりはなかった。

 ドイツの研究を引き継いだ合衆国が20年後に完成させたAIMー9Bも高速で機動する戦闘機相手には限界があった。ミサイルの自体は12G旋回さえ可能だが、シーカーの精度が低すぎて敵機を追いきれなかった。

 屋良はガン攻撃を決意。スティックの銃把に指をかける。

 クルセイダーは降下の加速で一気に間合いを詰める。一瞬で敵機が光学サイトいっぱいに広がった。

 ここで敵機が屋良機の接近に気づく。ミグ17は左急旋回。クルセーダーを振り切ろうとする。

 屋良は再度、クルセイダーを上昇させる。ハイ・ヨーヨー。機体を捻って順面に戻す。速度を高度へ。そして、再び速度へ変換。敵機の後ろにつける。

 射撃前の一瞬、屋良はバックミラーで後方確認。

 そこにもう1機のミグ17がいた。屋良の後方に占位しようとしていた!

 今度は屋良が追われる番だった。

 スティックの銃把にかけていた指を外す。そのままスティックを両手で握り締め、いっぱいに引き倒す。クルセイダーは右急旋回。スライスバック気味に降下しつつ、敵機を引き剥がしにかかる。

 敵機は水平旋回。軽々と追尾してくる。逃げられない。

 クルセイダーはタイミングを読んで、左急旋回。今度は、ミグは追尾してこなかった。舵を逆に切り替えす。シザース機動。相互に逆旋回を繰り返す。先にミスをした方が、オーバーシュートして撃たれる。

 アフターバーナー全開でも、見る間に速度が失われていく。連続旋回のGで全身が重い。酸素マスクの中に荒いを息を吐く。ただ、集中力だけで疲労を忘れる。

 その時、クルセイダーの鼻先をミグが横切る。

 眼と鼻の距離にミグがいた。

 屋良は、ミグのパイロットと目が会ってしまう。

 瞬息の内、屋良は上司のエアボスの言葉を思い出す。エアボスの言葉によれば、空中戦の最中に敵機のパイロットと目が会うことは珍しくないことだと言う。エアボスは先の大戦で零戦を飛ばしていた。B17を要撃したときは、敵機の隅々まで、零戦のコクピットから見えるはずのないところまで透視することができたという。

 屋良は冗談だろうと思った。或いは、低速のレシプロ機ならではの珍事だと考えた。音速を超えるジェットの時代にそんなことはありえない。そう思った。

 しかし、屋良には見えてしまった。

 ミグパイロットの顔と、笑みが。

 交歓は一瞬だった。敵機が切り替えしてくる。屋良は敵機を視界の端に捉えつつ、スティックを引く。クルセイダーを急旋回させる。

 強い予感がした。敵は何かを仕掛けてくる。致命的な何かを。

 まだ終わるわけにはいかなかった。こんなところで死ぬわけにはいかない。やり残したことがある。ただ、殺されてやるつもりなど、ない。

 再び、ミグが接近。もう一度クロスする。そう思った。そして、そうはならなかった。

 視界の端で、屋良はミグの左主翼の先が雲を引くのを見た。

 次の瞬間、ミグが屋良の視界からこつ然と消える。

 屋良は反射的に身を竦めていた。強い衝撃に襲われる。

 撃たれた。恐る恐る目を開けて、コンディション・パネルに目を走らせる。全ての警告灯が点灯していた。機体が安定を失い、機が激しく振動する。

 振り返ると機体後部に火が見えた。

 クルセイダーが燃えていた。垂直尾翼が根本から吹き飛んでいる。機がゆっくりとローリングする。

 駄目だった。これ以上は飛べない。少しでも機を安定させてから脱出したかったが、無理そうだった。機を安定させる前に爆発してしまう。

 

「イーグル・ネスト。こちらカラス01。被弾した。脱出する」


 言い終える前に、屋良は足をシートに引き付け、頭をヘッドレストに押し付けた。フェイス・カーテンハンドルを引く。

 脱出シークエンス。爆砕ボルト、点火。キャノピーが吹き飛ぶ。シートのロケット・モーターが点火。ガイドレールに沿って、15Gをかけて屋良を空中に放り出す。猛烈な衝撃に襲われた。急激な気圧変化。耳鳴りが止まらない。爆圧のような風にひたすら耐える。

 ストラップが外れ、座席が体から離れる。もう一度衝撃が走った。パラシュートが開いた。降下速度が緩やかなものになる。そのまま、風に流される。

 そこで初めて屋良は息をつくことができた。パラシュートがひらかなかったら、どうしようかと思っていたのだ。

 予備のパラシュートはあるが、それをきちんと散開させられる自信がなかった。

 パラシュートがひらかなかったときのことなど、考えたくもない。石のように落ちていく有様を思い浮かべただけで、全身が凍りつくようだった。

 少し余裕ができた屋良は、辺りを見渡した。高度はかなり低かった。下は海面。風で流れているが、陸地に届くほどではない。ここは味方領内だ。すぐにヘリが助けに来てくれるだろう。

 どうやら敵機も退散したらしかった。既にミグは影も形もなかった。

 屋良は、自分を落としたミグを脳裏に蘇らせた。最後の機動は、全く理解不能なものだった。少なくとも、屋良にはアレが瞬間移動か何かにしか見えなかった。

 アレが噂のトーン大佐なのか?

 屋良は合衆国空軍で噂になっている北ベトナム軍のエースパイロットの噂を思い出した。20機以上の合衆国軍機を撃墜したエースパイロットの伝説。

 もちろん、噂に過ぎない。噂は、噂だ。東側お得意のプロパだと思う。

 だが、あんなものを見せられた後では、噂も真実味を帯びて聞こえた。だとしたら、自分は伝説に遭遇したことになるのか?


「馬鹿な」


 気がつくと海面がすぐそこまで迫っていた。

 着水の衝撃はかなりのものと聞いている。衝撃に備えて身構えた屋良は、水平線の手前に船がいることに気がついた。あまり大きくない。艦艇というよりは、ボートのような感じの船だ。魚雷艇かもしれなかった。

 きっと救助の船だろうと、その時は思った。

 屋良がその船の正体に気づくのは、海から助けだされて、日本人には馴染みのないイントネーションの言葉と共に、北ベトナム海軍の階級章を付けた男達にAK47突撃銃を突きつけられた時だった。

 

 



 続く





 

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