今日のランチはサイゼリヤ
さあ、十三時がやってきた。
ここからが私のランチタイムの始まりだ。
開封したばかりの骨伝導イヤホンを耳に装着し、足早に会社の階段を降りた。
特に聞きたい曲があるわけでもなく、ランキングから聞いたことがあるグループ名をタップする。
ここに拘りは特にない。
耳を塞ぐイヤホンというものは、難聴のリスクがあるとどこかのネット記事で読んだことがあった。
興味本位で骨伝導イヤホンを買ってみたものの、それまで使っていたイヤホンの使い心地が気に入っていたために、我が家の炊飯器の横に数ヶ月ほど飾られていた。
毎日、器に米を盛る度に「そろそろ使ってやらないとな」と気にかけてやっていた。
そんな折、左耳側の接触不良でやっと出番が回ってきたのだ。
普通の耳の穴を塞ぐイヤホンとは違い、耳に引っかける仕様。
慣れていないせいで何度も耳の引っかかりを調整する。
スピーカー部分に指が触れる度に、音楽が止まり、また始まったりと耳が落ち着かない。
仕方がないので自身の耳を引っ張り、どうにか調整を済ませた。
これが果たして正しいのかは分からない。
会社から出て、銀行の前を通過する。
自動ドアから漏れる冷気を感じる。
数歩踏み出すとモワッと夏の空気が私を包み込む。
早く建物に入らなければと、さらに足を速めた。
ある建物の階段を上る。
やや螺旋状に伸びる階段は、銀色の手すりがついている。
この手すりには決して触れない。
自分はまだ若い。
そう言い聞かせ自力のみで上っていく。
私はいつもこの階段を上りながら、隣の建物との隙間を見下ろす。
散乱するペットボトルのゴミと年寄りが使う杖が落ちているからだ。
この杖の持ち主は無事なのだろうか。
休日の夕方に放送しているアニメのように実は大きな事件に巻き込まれ、何かメッセージを送っているのではないか?と妄想しながらも店の入り口に立つ。
ここは、『サイゼリヤ』。
気軽にサイゼと呼ぶせいか、サイゼリヤなのかサイゼリアなのか分からなくなる。
呼び方に関しての拘りは特にない。
扉を開けると、待ち人は一人だけ。
急いで受付表に名前を記入する。
大人 一名
今日は土曜日。
いつもは混み合い十人ほどが待機するこの時間に並びは一人となれば当然、私は待つ。
むしろ、この時間からランチを決め直すことが面倒なのだ。
この周辺の選択肢は多い。多すぎる。
私には決められない。
五分も待たずに案内される。
小さなテーブルと一つの椅子。
テーブルの下に荷物置きがあった。
足に当たるなと思ったが椅子を少し引き、スペースを取れば何の問題もない。
スマホを取り出し、小さなQRコードを読み込ませる。
表示にそって操作するが、この店と私のスマホは相性が悪い。
三回に一度は操作ができなくなり、テーブルのボタンを押し口頭でメニューを読み上げることになる。
今日はその日だった。
鼻から息を吐き、テーブルのボタンを押した。
若い女性スタッフにメニューを指差し、お願いしますと軽く頭を下げた。
「ご注文を繰り返します。」
「ディアボラ風ハンバーグで宜しいですか?」
私はメニューをまとめながら、こくりと頷いた。
ハンディ端末を閉じる音と共にスタッフは他のテーブルに向かう。
もしかしたら同じようにスマホで注文できない客がいるのかもしれない。
そう思うと気持ちが楽になる。
このディアボラ風を最近までディアボロ風だと思っていた。
最近というかたった今違うことに気付いた。
カタカナは苦手だ。
鞄からジップロックを一つ取り出す。
中には小説が一冊入っている。
天気予報にはない、突然の大雨に備えて紙類は一つずつジップロックに入れて保護している。
たまに袋の口を閉め忘れることがあるが、被害が出たことは今のところはない。
チラリとドリンクバーのコーナーに視線を送る。
今なら人はいない。
ジップロックをテーブルの上に置くと、迷いなく席を立った。
サイゼリヤの水はセルフサービスだ。
やや速足でドリンクバーのコーナーへ向かう。
くすんだグラスを手に持ち、ステンレス製のスコップで氷を四つ掬い取る。
グラスに縦に並ぶように入れる。
銀色のバーに押し付け、水を注いでいく。
一番上の氷に当たるように水を注ぐことで、より冷えそうだな。そんなイメージでこのやり方を貫いている。
氷は五つではなく、必ず四つ。
縦に五つではグラスのふちから氷がはみ出てしまう。
それでは水が跳ねて手が濡れてしまうからだ。
そんな大人は嫌だ。
グラスのギリギリまで水を注ぎ、零さないように席に戻る。
ここからは水のおかわりごときで立ち上がりたくないからだ。
テーブルに水を置き、椅子に座る。
そっと息を吐く。
テーブルに残していたジップロックを開け、小説を取り出す。
三ページほど読んだところでディアボラ風ハンバーグが運ばれてきた。
急いでジップロックに小説を戻す。
油が跳ねるかもしれない。
そっとテーブルの隅に追いやる。
軽く会釈をして、テーブルに設置されたカトラリーケースを開きナイフとフォークを取り出す。
このカトラリーという単語も最近までカラトリーだと思っていた。
英語なんだろうかと疑問に思うが、調べることは多分ない。
カタカナは嫌いだ。
ディアボラ風ハンバーグの食べ方には少しだけ拘りがある。
まず目玉焼きから手をつける。
口に運ぶという意味ではない。
フォークとナイフで挟み、添え物のコーンの上にひっくり返して置く。
理由は後に説明することとする。
次にハンバーグ。
ディアボラ風の所以となっている刻まれた野菜をナイフでならす。
この時の私はパティシエのような気分でナイフを滑らかに動かしている。
それは大きなホールケーキに生クリームをパレットナイフで均等に塗り広げるように、平仮名の『ん』を大袈裟に描く。
ホールケーキに生クリームを塗った経験はない。
しかし、ホットケーキにジャムやバターを塗ったことはあった。
イメージは大切だと思う。
次にハンバーグを切っていくわけだが、口に入れる直前に一口ずつ切るか、最初に一度に全てを切ってしまうかという問題にぶつかる。
私はサイゼリヤでは後者だ。
びっくりドンキーなら前者。
理由は特にない。
なぜなのか自分でも分からない。
そういう訳で、ハンバーグを一口サイズに切っていく。
まず縦に四つ均等にナイフを入れる。
そして、横に二つ線を入れる。
この横に切る時に少しコツがいる。
ハンバーグが動いてうまく切れない事態に陥りがちだからだ。
私は腕を交差し、フォークで右側を押さえながらナイフで一気に切っていく。
この時に迷いはあってはならない。
この方法でハンバーグを十五口にカッティングするのだ。
これが丁度いい。
いや、私にとってだが。
まだ、口には運ばない。
ぐっと我慢し、次の作業に移る。
目玉焼きを覚えているだろうか。
コーンの上に裏返された目玉焼きを。
裏返したまま、ナイフを十字に入れる。
半熟の黄身がとろりと流れ出すが、気にする必要はない。
このまま余熱でコーン入りの卵焼きが出来上がるからだ。
中にはハンバーグに黄身を絡ませたいという人もいるだろう。
しかし、想像して欲しい。
黄身がシャツに零れ、汚れるリスクがあることを。
黄身の汚れは割と目立つ。
そんな大人は嫌だ。
このディアボラ風ハンバーグはただでさえ刻まれた野菜ソースが乗っている。
さらに危険を冒す必要があるのか?
きっと、ないだろう。
さて、これで準備は完了する。
あとは口へ運び、咀嚼するのみとなった。
十五口を噛み締め、味わう。
この野菜ソースには、玉ねぎが入っている。
それくらいしか分からない。
目玉焼きの白身とコーンの卵焼き。
プチプチと口の中にコーンの皮を感じる。
たまに焦がしてしまい苦くなることもあった。
それはそれでいい。
食べ進めていくと鉄板の隅で動かずにいるポテトに目が止まる。
私は芋類は好きではない。
何も考えずに口に放った。
特に拘りはない。
野菜ソースを鉄板に零してしまった場合にポテトで拭い集めて、口に入れたらいいのかも知れない。
口に放った後に、ふとそう思った。
空になった鉄板にフォークとナイフを置く。
スタッフが運びやすいようにテーブルの端に斜めに置いた。
本当に運びやすいのかどうかは、サイゼリヤで働いたことがないため分からない。
それを確認することは多分ない。
口についた油を紙ナプキンで拭き取る。
それを半分に折り、水のグラスの下に敷いた。
スマホで時間を確認する。
まだ三十分しか経っていない。
さて、どうするか。
ジップロックを手に取り、小説を取り出した。
紙のしおりを外し、読み進める。
二ページほど読み進めるとスタッフがやってきて食器を下げていく。
軽く頭を下げた。
また文字を追う。
数秒後、食器が割れるような音が響く。
何となく顔を上げる。
私の使った食器だろうか。
いや、鉄板だから違うだろうな。
おそらくパスタかサラダの食器だろうか。
それとも、ティラミス用のあの冷えた皿だろうか。
そんなことを考えているともう十三時五十分になろうとしていた。
ジップロックに小説を戻し、しっかりと封をした。
レシートのような注文票を片手にレジに向かった。
中途半端な螺旋階段を降りながら、目の前のコンビニに目が止まる。
そう言えば玉ねぎを食べたな。
自動ドアに向かう。
ひやりとした空気と聞き慣れたメロディチャイムが迎える。
目指すはガムのコーナー。
ブラックの板ガムを四つ手に取りレジに向かう。
店を出るともわっと熱い空気が体を包んだ。
ガムをポケットに押し込み、会社へと戻る。
駅前を横目に、行き交う人がいつもより多い気がする。
広場に停まる大きなバス。
献血車。
みんな献血だろうか。
そんなわけないか。
骨伝導のイヤホンを外し、充電も兼ねたケースに戻す。
右耳のイヤホンを落とし、コンクリートの溝にはまった。
口から息を吐いた。
屈んで拾い上げケースにしまう。
「グゲッ」
カエルのような音が口から出た。
そっと周りを見回す。
幸い誰も居なかった。
玉ねぎの臭いが喉奥から湧き上がる。
私はポケットからブラックガムを取り出すと、くるりと赤いテープを外した。
黒い包み紙を残し、銀色の紙だけを抜き取る。
こうすることで枚数が減りパッケージから落ちる現象を防ぐことができるのだ。
銀色の紙を開き、薄く白い粉をまとったガムを口に押し込む。
何度か噛むと唾液が滲み出し、口の中が辛くなる。
実際に唐辛子のように辛味を感じる訳ではないが、なぜ辛くなると表現するのか。
この先も調べる予定はない。
十三時五十八分。
会社の扉を開いた。
荷物を置き、席に戻る。
パソコンの前に座り、マウスを操作した。
十四時。
ランチタイムは終わった。
私は真剣な表情でモニターを見つめた。
ヤフーニュースのコメントを開く。
これは、うーんだな。
カチッ。
軽い音が社内に響いた。




