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天魔の血脈  作者: 黒ひげの猫
王都断罪編 ①
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エピソード 6

 その時だった――。

 それは、まるで暗闇の中から何かが這い出てきたかのように、脳裏に記憶の断片がよみがえってくる。

 あの笑顔。

 あの声。

 自分を「兄さん」と呼んだ、少女の姿が――。

 目の前の黒い塊と、記憶の中の少女が、ゆっくりと重なっていく。

 そして、ファウストは知ってしまった。

 その焦げた物体が、ただの「見せしめ」などではないことを。

 それが確かに、自分が守るはずだった、たった一人の家族だったことを。


「お前の妹は――魔族にしか扱えないはずの魔法を、子供相手に使用しているところを多くの目撃者に見られた」


 アドルフの声は淡々としていた。

 感情の起伏すらない。

 それが逆にファウストの中にじくじくと広がる怒りを煽る。


「な……なんで……そんな……」


 信じたくない。

 信じられない。

 混乱するファウストをよそに、アドルフは処刑台の前方にある丸太の束を順に指差していく。


「左端がリュドミラ。隣が彼女の婚約者。次が、魔法をかけられたとされる子供と、その母親だ。国王陛下の命により――昨日、四人とも火炙りにされた。“疑わしきは罰せよ”。それが我が国の正義だ」


 ファウストは絶句した。

 黒焦げとなった塊を見つめる。

 声も、思考も、心さえも止まっていた。


「……いや……そんな……なんでだよ……っ」


 全身から力が抜け、膝にかかる重力が二倍にも三倍にも感じる。

 歯を食いしばる。

 認めたくない。


「リュドミラは……妹は……俺と関係ないはずだ。何も……関係ない……」


 その呟きに、アドルフはくつくつと喉の奥で笑った。


「“関係ない”? 忘れたのか。お前が、なぜ今この場所にいるのかを。お前は魔族の手先として、この国を裏切った。ならばお前の血筋もまた、穢れていると考えるのが当然だろう?」


 アドルフの目は笑っていなかった。

 無慈悲で、冷たい鉄のような瞳。

 感情の一切が宿っていない、処刑人の目だった。


「……話が……違うだろ……」


 ファウストの唇が震える。


「話が違うじゃねぇかぁああっ!」


 怒りに我を忘れ、ファウストはアドルフに飛びかかろうとする。

 しかし――


 ガシャリ!


 拘束された鎖が甲高い音を立てて引き絞られ、ファウストの身体を無情にもその場に縛りつけた。


「っ――ぐ……!」


 その隙を逃さず、アドルフの拳が勢いよく振り抜かれた。


 ドゴッ――!!


「ガハッ……!」


 鈍い音と共に、ファウストの腹へ重たい衝撃が突き刺さる。

 拷問と衰弱で弱り切った肉体には致命的だった。

 膝から崩れ落ち、身体を支えきれず前のめりに倒れ込む。

 そして――


「ゲホッ……カハッ……!」


 激しく咳き込みながら、口の端から熱い血が溢れ出した。

 赤黒く泡立った血が、斬首台の禍々しい染みに混ざっていく。

 息が詰まる。

 血が止まらない。

 苦しい。

 苦しい。

 苦しい。

 苦しい――。


「カハッ……! ハァッ、ハァッ……!」


 意識が遠のく。

 寒い。

 いや、冷たい。

 肉体ではなく、心が。

 胸の奥から、何かが崩れていく。

 リュドミラ。

 頭の中に、その名が幾度となくこだまする。

 リュドミラ。

 リュドミラ。

 リュドミラ。

 リュドミラ――!


「リュドミラ……リュドミラッ、リュドミラ……リュドミラッ! リュドミラァァアァァッ!!」


 声が嗄れるほど叫ぶ。

 命に代えて守ると誓った、唯一無二の妹。

 この世界に自分が存在する理由。

 全てを失ってなお、最後まで手放さなかった存在。


「妹を……リュドミラを……返せ……っ!」


 血まみれの身体を引き摺りながら、ファウストはアドルフに縋りつく。

 高貴な衣を汚すことも構わず、必死に縋りつく。


「リュドミラが……あいつが、お前たちに何をしたっていうんだ……! 死ぬのは、俺だけでいいだろ……!」


 荒く息を吐き、嗚咽を堪える。

 その姿は、かつて“英雄”と呼ばれた男のものではなかった。

 哀れな、ひとりの兄だった。

 だが、アドルフはそれを見下ろしながら、まるで慰めるように、囁く。


「お前の言う通りだ。リュドミラは、我々に“何もしていない”。」


「……っ!」


 ファウストの瞳が見開かれる。


「ただな、“その特別な力”を持つ人間は――お前だけで、充分だ」


「…………は……?」


 時間が止まったかのように、ファウストの脳が言葉の意味を拒絶する。

 理解が追いつかない。

 アドルフは微笑すら浮かべず、無慈悲な事実を突きつけるように言う。


「お前をこの処刑台に立たせるだけでも、どれほどの手間がかかったか……。余計な駒はいらない。妹は……“その程度”の理由で処分されたのさ」


 この茶番をさっさと終わらせたい――そう言わんばかりに、アドルフは剣を鞘から抜き放ち、無造作に高く振り上げた。


「……ふざけるな……。ふざけるなっ!」


 ファウストの怒声が響く。

 その声は、もはや叫びではなかった。

 呪詛だった。


「そんな理由で……! リュドミラを……!」


 全身を怒りで震わせ、歯を食いしばるファウストの瞳には、剣の煌めきが映っていた。


「ぶっ殺してやる……お前ら、全員ッ!!」


 断罪の言葉を叫ぶファウストの声をよそに、アドルフは冷ややかに言い放つ。


「――しばしの別れだ。ファウスト」


 剣が振り下ろされる。

 視界が、鋭く煌めく剣先に染まる――その瞬間だった。


 ドゴォォオォォンッ――!!


 大地が爆ぜた。

 斬首台ごと世界が揺れる。


「っ――!?」


 誰もが息を飲んだ。

 風が巻き、土煙が舞う。

 その中から――どこかで聞いた、凛とした声が聞こえてきた。


「……良かった。間に合った……」

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