65話 騎士団長の家で、ふたりの食卓
「……ここが、私の家です」
逃げ込んだ先は、王都の中でも有名な高級住宅街だった。
王都の喧騒からわずかに離れたその一帯は、まるで別世界のように静まり返っていた。
白石の街路には整えられた並木と草花が続き、邸宅の庭園には穏やかな風が流れる。
広大な敷地に佇む屋敷の数々はどれも気品を漂わせ、この場所は選ばれた者が住まう地であることを物語っていた。
「……随分いいとこ住んでんだな」
「普段は、騎士団の宿舎で寝泊まりしてるんです。でも、威厳を示せって勝手に用意されちゃって……」
苦笑いをするヘレナ。
――まあ、当然か。
王国騎士団長が宿舎暮らしでは、示しがつかないしな。
「どうぞ、入ってください」
ファウストはヘレナに案内をされて家の中に入る。
明かりが家の中を照らし、広くて何もない殺風景な部屋が姿を現した。
「……本当に宿舎暮らしなんだな」
「た、たまには帰ってきてますよ?」
テーブルとソファしかなく、それだけで十分だと言うような部屋だった。
「な、なんか食べますか? 明日から忙しいですし!」
「え、あ……じゃあ」
「私、なにか作っておくので、先にお風呂どうぞ!」
ヘレナは部屋の中を忙しなく動き回りながら、ファウストを浴場へと案内する。
「なにか、苦手な食べ物ってありますか?」
「い、いや。特には」
「分かりました! では、ゆっくりしてくださいね!」
――バタンッ!
逃げるように、扉が閉まった。
「なんだったんだ……」
ようやく一人になり、溜めていた息を吐いた。
熱い湯を頭から浴び、じわりと体の奥に溜まっていた疲れがほどけていった。
「ふぅ……」
一息がついたそのとき、ジジジッ――と魔力による通信が入った。
「……どうした?」
『どうしたもねぇよっ! アンタ、いつ帰ってくんだよ!』
聞こえてきたのは、半泣きのレオンの声だった。
「あー、ちょっと用事があってな」
『それはもう知ってんだよ! あの人にバレてんだよ! アンタがいねぇって!』
レオンの言う”あの人”とはイリスのことだろう。
そしてレオンの声の様子からして、自分に黙って姿を消したことに対して相当怒っていることが分かった。
『もう、なんでもいいから早く帰ってきてくれよっ! 魔界からアンタを追放するとか言ってたぞ!』
魔王城での様子が目に浮かんだそのとき、煙の臭いがした。
――っ、もう来たのか?
「っ! 悪い。また後で連絡する」
『はぁぁあっ!? ふざけ――』
レオンの通信を一方的に切り、ファウストは慌ててヘレナの元へ駆け出した。
「ヘレナッ! なにが、あった……」
「え……?」
厨房では、ヘレナが涙目で咳き込んでいた。
鍋からは黒い煙が上がっているのに、それを当然のように受け入れてる。
「ちょっ、ファウストッ! 服を着てください、服をっ!」
目の前の事態よりも先に、腰にタオルを巻いただけの状態のファウストに視線が止まったヘレナは見慣れない姿に動揺した。
「……とりあえず、火を消せ」
そう言って、服を着るためにファウストは浴場へ戻った。
服を着て厨房に向かうと、ヘレナは何がダメだったのかと言いたげな様子で鍋の中を見つめていた。
「あれ、戻ってきたんですか?」
「当たり前だろ」
鍋の中を確認すると、肉は黒く焼け焦げ、野菜は原型を留めていなかった。
「何を作ろうとしてたんだ?」
「獣肉のスープです! この前、食堂の方に教えてもらって挑戦してみようかなって……」
――スープを作ってるはずなのに、なんでこうなる。
とは思ったものの、口に出すわけにもいかずファウストは新しい鍋を取り出した。
「俺が代わりに作っておくから、休んでろよ」
「……料理できるんですか」
「いいから。明日から忙しいんだろ?」
ヘレナは少し迷ったあと、静かに頷き浴場へと向かった。
元々、生活感のない家に残されていた僅かな食料の大半が無駄になった今、作られる料理はだいぶ限られている。
「とりあえず、胃に入ればなんでもいいだろ」
食料棚を探っていると、ふと焦げた鍋の近くにあった物に目が止まった。
「……これならいけるか」
しばらくした後、浴場からヘレナが出てきた。
「……あれ、いい匂いがする」
興味深気に鼻をひくつかせ、匂いに反応した腹がぐう、と鳴った。
「お、ちょうど出来たとこだ」
出来上がった料理を皿に盛り付けているファウストの姿を見たヘレナは、信じられない光景でも見たように目を見開いた。
「な、なんで……料理、出来なかったんじゃ?」
「え?」
「だって……昔、全然できなかったじゃないですか。肉もまともに焼けなくて、火の近くに行くなって止められてたのに……」
懐かしい話に、ファウストは小さく笑う。
「いつの話だよ。……まぁ、必要だっただけだ」
一瞬、ヘレナの表情が曇る。
「……変わりましたね。なんか、知らない人みたい」
するとヘレナは、パンッ――と手を叩き、さっきまでの表情が嘘だったかのようにニコリと微笑んだ。
「さっ! 温かいうちに食べましょ! 楽しみです、ファウストが作った料理」
何か閃いたように、食料棚の奥を漁り始めそこから一本の酒を取り出した。
「記念に、お酒でもどうです?」
「……何の記念にだよ」
「再会の記念、ですよ!」
「ったく、一杯だけだぞ?」
二人は料理を並べたテーブルを囲み、ヘレナは少し弾んだ手つきでグラスに酒を注いだ。
「このお酒、私の地元で採れた果物を使った果実酒なんです! ……美味しいって評判なんですよ」
「へー、確かにいい香りだな」
果物の甘い香りが、ふわりと広がる。
「それじゃ、乾杯っ!」
「……乾杯」
口に含んだ瞬間、柔らかな甘みと果実特有の酸味が舌の上に広がった。
「……美味いな」
「でしょう?」
少し柔らかく笑い、ヘレナはグラスを口元へ運んだ。
「懐かしい味です」
「良く飲むのか?」
「いえ、普段はまったく飲みません。せっかく実家から送ってもらったお酒をダメにするところでした」
するとスプーンを持ったまま、ヘレナは料理をじっと見つめている。
「食料、私がほとんど使っちゃったのに……どうやって作ったんですか?」
テーブルには、野菜のスープとミルク粥。
「あ。そうだ、お前……野菜、皮むきすぎだ」
「え?」
「食えるとこまで捨ててるぞ」
ファウストは、スープを指さす。
「それ、皮で作ったやつだ」
「えぇっ!? これ、皮なんですか!?」
野菜の皮と言っても、食べ応えのあるサイズの野菜がふんだんに使われている。
「……まさか、あなたに料理について指摘されるなんて」
ヘレナは納得いかない様子でスープを口にする。
「…………凄く、美味しい」
「だろ? ミルク粥はおまけだ」
ヘレナは何も言わず、もう一口。
二人の間には静かな時間が流れ、近くにいるはずなのに、どこか遠い。
そんな夜だった。




