61話 甘いパイと死の予告
顔を覆い隠すようにローブを深く被ったファウストは、どこか落ち着かない様子だった。
ここはフォルスター王国の繁華街にある、とあるレストランの前。
蛇の紋様、そしてアリアドネが言っていた「ファウストを待つ人物」に会うため、ファウストは変身薬をあえて飲まず、人間界へ戻ってきた。
その人物とは、英雄だった頃のかつての部下――ヘレナ。
今では王国騎士団長という立派な肩書きを持つ人物だ。
なぜ人通りの多い繁華街、それもレストランの前なのかと言うと、闘技場で再会したとき、ヘレナが「あの店で待っています」と言っていたからだ。
ヘレナはこの店のフルーツパイが好物で、英雄時代にはよく付き合わされていた店でもある。
だが今のファウストは、この国にとって仇となった男だ。
そんな人物を呼び出すには、あまりにも大胆すぎる場所ではないか――。
そんなことを考えながら、ファウストは恐る恐る店の扉を開けた。
「いらっしゃ――」
カウンターに立っていた店主は、あまりにも怪しすぎる客の風貌に、警戒心を隠そうとはしなかった。
その警戒は店内にも伝わり、食事をしていた客たちの視線が一斉にファウストへ向けられる。
「……フルーツパイと、お茶をくれ」
「…………好きな席に座りな」
ファウストは、いつ何が起きてもいいように、店の外と中の両方を見渡せる窓際の席に腰を下ろした。
怪しすぎる男の登場に、店内は一気に静まり返った。
そんな中、トレイにファウストの注文した品を乗せたウェイトレスが、おずおずと近づいてくる。
「フ、フルーツパイのセットを……お持ちしました」
皿を持つ手はカタカタと震え、その振動でフォークがカチャカチャと皿の上で暴れる。
波打つお茶は、今にもカップから溢れそうだった。
――そして。
ちゃぽっ。
とうとうカップの縁からお茶がこぼれ落ちた。
「す、すみませんっ! すみません、すみませんっ!」
ウェイトレスの粗相によって、店内にはさらに緊張が走った。
――この怪しい男は、いったい何をするつもりなのか。
そんな視線を一身に浴びながら、ファウストはさすがに居たたまれない気持ちになりながらも、震えるウェイトレスに向かってできる限り優しい声をかけた。
「だ、大丈夫だから。ありがとう」
それでもウェイトレスは何度も「すみません」と繰り返し逃げるように、店の奥へと消えていった。
なんだか申し訳ないことをしたとは思ったものの、このローブを脱ぐわけにもいかない。
自分の正体が明るみになれば、さらなる混乱を招くことになる。
ファウストはできる限り存在を消しながら、久しぶりのフルーツパイを口に運ぶ。
「美味いな……」
あの頃と味は変わらない。
フルーツのほのかな甘みと、フルーツとパイ生地の間に塗られたクリームが、口の中で蕩けていく。
変わらない懐かしい味を堪能しながら、ファウストはヘレナがこの店を訪れるのを待っていた。
だが、今日この店にヘレナが来る保証などない。
一方的にこの店で待つと言われただけで、今のファウストはヘレナと連絡を取る手段すら持っていない。
互いに一方的に動いているだけなのだ。
現に、この店に来てすでに数時間が経過している。
自分だと気づいてもらえるよう目印としてフルーツパイを頼んでいるが、さすがに何度も注文していると腹も満たされてきていた。
「……さっきと同じものを」
そばを通りかかったウェイトレスに注文すると、彼女は慣れた様子で品を運んできた。
「先ほどから同じものを注文されていますけど……そんなに好きなんですか? フルーツパイ」
数時間前までは声をかけることさえ緊張していたウェイトレスだったが、この怪しい客が害のない人物だと分かると、自分から話しかけてきた。
「久しぶりに食べたから、つい」
「そうだったんですね。マスターって怖い見た目ですけど、甘いものを作ったら天才級なんですよ」
「おい。客の邪魔をするんじゃねぇ」
「はーい。今行きますよ」
自分の話をされていることに気づいた店主は、山積みになった食器を指差した。
「アンタ……もう何時間もここにいるけど、誰か待ってんのか?」
「まぁ、そんな感じです」
何時間も店に居座り、注文を繰り返すファウストに、店主は怪訝そうな表情を向けたままだった。
警戒心は未だに解けていない。
「……何時間も店に居座られちゃ困る。それを食ったら帰んな」
「分かりました。食べ終わったらすぐに出ます」
この見るからに怪しい客を、よく数時間も店にいさせたものだ――。
そんなことを思いながら、ファウストは最後のフルーツパイを食べ進めていく。
ヘレナに会う唯一の手段も途絶え、どうするべきかと考え始めたその時だった。
チリンとベルを鳴らしながら店の扉が開いた。
「ふぅ……やっと休憩できる」
深く被ったローブのせいで、誰が来たのかは見えない。
だが、その声は懐かしく、よく知ったものだった。
「今日も来たのか。毎日来て飽きないのか」
「うーん、待ち合わせしてるし。それに、私ここのパイ好きだし」
その声の主が、こちらへ近づいてくるのが分かる。
「……マスター。この人と同じものを二つください」
「はいよ」
「やっと来てくれましたね」
そう言いながら、声の主は堂々とファウストの向かいの席に腰を下ろした。
しばらくして、テーブルにフルーツパイとお茶が並べられる。
「ごゆっくり」
店内に、何とも言えない緊張感が走った。
それもそのはずだ。
顔が隠れるほど深くローブを被り、何時間も店に滞在している怪しい男の前に、王国騎士団長のヘレナが堂々と座っているのだから。
誰も予想していなかった展開に、勘ぐらないほうが逆に怪しいほどで、周囲の客たちは料理の手を止めたまま二人を見ていた。
「私、この前から体重が二キロも増えちゃったんですよ? 早く来てくれないから」
「……悪かったな」
「本当ですよ。女性が体重二キロも増えるなんて、この世の絶望に近いんですからね。危うく、新調したばかりの鎧をまた作り直させるところでしたよ」
体重が増えたと言いながら、ヘレナはフルーツパイを食べ進めていく。
するとカウンターで作業をしていた店主が徐に立ち上がり、店の扉を開いた。
「今日は店じまいだ。もう帰んな」
食事中であろうが関係なく、ファウストとヘレナ以外の客たちを店の外へと追い出していく。
当然、文句の声も上がったが「騎士団長の仕事の邪魔をするのか」と言い放つだけで、聞く耳を持たなかった。
もぬけの殻となり静まり返った店内にはファウストとヘレナ、そして店主のみ。
急な展開に驚きを隠せないファウストに、ヘレナは平然とした態度で声をかける。
「この店のマスターは、私の協力者です。安心してください、ファウスト。顔を見せて」
ファウストは何が何だかと思いながら、ローブから顔を覗かせる。
この店に再びファウストといるという、どこか遠くへ消え去ってしまった懐かしい記憶を思い出したヘレナは、名残惜しそうに微笑んだ。
「絶対に、会いに来てくれると信じていました。間に合ってくれて良かったです。私……もうじき殺されるので」




