60話 消された真実
先日、何者かに命を奪われたヘレナの部下が、とある事件について調べていたことが判明した。
それは、ファウストが国家転覆罪として処刑されるきっかけとなった事件。
『王都魔人襲撃事件』
多くの犠牲者を出した、王都史上でも指折りの惨劇だった。
当時の王都は血の匂いに包まれ、街の至る所で魔人と魔獣が暴れ回った。
多くの騎士が命を落とし、民衆は恐怖に震え、そして、そのすべての罪を背負うことになったのが――王都魔人襲撃事件の首謀者とされた、一人の英雄だった。
「ヘレナ団長……この事件は……」
机の上に広げられた大量の資料を見て、部下の男は思わず目を丸くした。
古い報告書、戦闘記録、証言書。
机の上は紙の山で埋め尽くされている。
「ん? 原因の究明よ」
ヘレナはそう言いながら、まるでそこに隠された真実を掘り起こすように、何冊もの資料に一つひとつ丁寧に目を通していく。
「ですが、その事件はファウストが首謀だったと公表されているではありませんか」
男は戸惑いながら言った。
この事件は、騎士団にとっても忘れたい過去の一つだった。
“どうして今さらこんなことを調べているのか”そんな疑問が、男の顔にははっきりと浮かんでいる。
「この事件が起きる数週間前から、私はファウストと一緒に隣国にいたの」
「…………え?」
初めて聞く情報に、男は困惑した表情を浮かべる。
「これは公になっていない情報よ。上が、すべての記録を抹消したから」
ヘレナは資料から目を離さないまま、まるで昨日の出来事のように語り始めた。
「あの頃の私は、ファウストが率いる遊撃部隊に所属していたの」
ヘレナは机に広げた資料を一枚めくりながら、淡々と言った。
「あの事件が起きる数週間前。私たちは隣国からの要請を受けて出撃したばかりだった。何千もの魔獣や魔人を相手に、一週間以上戦い続けたわ。仲間が何人も魔獣に食われていくのを見た」
男はあまりの凄惨さに、思わず息を呑む。
「生き残ったのは、ファウストと私。それと、この前殺された部下。たった数人。それでも上からの命令は止まらなかった。私たちは戦場を渡り歩き続けた」
ヘレナは静かに言った。
「私たち遊撃部隊は――死なない前提だったから」
「…………死なない?」
男は思わず聞き返すと、ヘレナはゆっくり視線を上げた。
「こんな話、聞いたことあるでしょう? ファウストが魔法を使ったって」
「え、えぇ……それが原因で、斬首刑に……」
男の額に、うっすらと汗が浮かぶ。
「遊撃部隊の全員は知っていたわ。ファウストが魔法を使えることを。でも、攻撃魔法じゃない」
ヘレナは一瞬だけ言葉を区切る。
「ファウストが使っていたのは治癒の魔法よ。どんな怪我でも、即死レベルの傷でも、患部に手を当てるだけで治してしまう」
腕を撫でながらヘレナは続けた。
「実際、私は何度も命を救われた。戦場で片腕や両脚を失ったこともある。腹の半分が抉られてなくなったこともあった。でも――」
その光景を想像してしまい、男は思わず目を逸らした。
ヘレナは青ざめた男の顔に視線を向けると、まるで何事もなかったかのようにニコリと微笑み、腕を揺らして見せる。
「ファウストの力によって怪我の全部が、なかったことになる」
男は言葉を失った。
「だから、死なないことが前提の遊撃部隊だった」
資料を閉じる音が、小さく響く。
「ファウストがなぜ魔法を使えるのか。それは誰も知らない。誰も教えてくれなかった」
ヘレナの声がわずかに柔らぎ、資料に落としていた視線を、ゆっくりと窓の外へ向けた。
「でもね。私たちは本気で思っていたの。あの力があれば、この世界を救えるって」
男は何も言えなかった。
「だから、みんなファウストを慕っていた」
ヘレナの手が止まる。
「隣国での戦いが終わって帰還してから、私たちがいない間でこの街に起きた惨劇を知った。……そして、ファウストは捕らえられたの。国家転覆罪として」
ヘレナの瞳がゆっくりと細くなり、拳がわずかに震える。
「この国は、魔法を使えるファウストに永遠に戦うことを命じていた。なのに――手のひらを返した。ファウストは、謂れもない罪をあっさりと受け入れた」
ヘレナの声が低くなり、強く握られた拳の隙間から、血とともに強い後悔が溢れ出していた。
「私は抗議したわ。こんなの間違っているって。誰よりも仲間の死を嘆いていたファウストが、国家転覆罪だなんておかしいって。でも、処刑は止められなかった」
ヘレナの声がかすかに震える。
「ファウストは処刑台へ送られ――」
男はその日の光景を思い出し固まった。
あの日の処刑広場。
歓声。
怒号。
二人の間に、重い沈黙が落ちる。
「……最愛の妹さんまで殺された」
重い沈黙が落ちる。
「こんなの……ファウストが魔界に行くのも納得よ」
ヘレナは静かに、吐き捨てるように言った。
「この国は――腐っている」
男は動けなかった。
「ファウストを慕っていたのに、私たちはファウストのことを何も知らない」
ヘレナは窓辺へ歩き、王都の街並みを眺める。
「ファウストの処刑が決まった日、この国は私たちに命じたの。ファウストについて知ろうとするな、って。ファウスト自身も、それに従えと言った」
ヘレナは振り返り、男を見つめた。
「……でも、我慢できなかったみたいね」
閉じた資料の表紙を、指でなぞる。
「皆、ファウストのことが大好きだから。彼らが殺されたのなら――次は、私の番」
男の背筋に寒気が走る。
今回殺された部下たちは、きっと見つけてしまったのだ。
この国が隠していた、ファウストの秘密と王都を襲った魔人の正体を。
だからこそ、口封じとして殺された。
男の手は、気づかないうちに震えていた。
自分も、あの日ファウストを罵り、石を投げた民衆の中に混ざり広場にいた。
そして処刑台で妹を死を嘆く英雄を、ただ遠くから見ていた。
あのときは、それが正しいことだと思っていた。
国家転覆罪の罪人。
国を裏切った裏切り者。
そう信じて疑わなかった。
だが今、そのすべてが、崩れていく。
「……そんな、ことが……」
かすれた声が、ようやく漏れる。
ヘレナは何も答えず、ただ窓の外を見つめていた。
王都クレスチナの街並み。
多くの人々が、何も知らずに今日も笑い、暮らしている。
その光景を見つめながら、ヘレナは静かに息を吐き、ゆっくりと目を閉じる。
再び目を開けると、そこには真実を知ってしまった者の覚悟だけが宿っていた。
ヘレナが目を通した資料の中には、きっと残されていたのだろう。
殺されると分かっていながら、それでもファウストを慕い続けた部下たちが命を賭して辿り着いた、この国が隠し続けてきたファウストの秘密が。
ヘレナの瞳に、迷いはなかった。




