58話 竜の継承
「レオン、あんたは自分が生まれてきた方法を知ってる?」
ヴァルグリムから視線を離さぬまま、イリスは静かに問いかけた。
「いや……それは」
突然の質問に、レオンは歯切れ悪く言葉を濁す。
「まぁ……そうよね」
イリスは小さく息を吐いた。
「なら、よく見てなさい。私たち魔族の――種の残し方を」
その言葉が落ちた、次の瞬間だった。
――バシャッ。
レオンの足元へ、血が飛び散った。
「え……」
鉄臭く、生暖かい匂いが一気に周囲へ広がる。
この血が誰のものなのか――それは、すぐに分かった。
レオンは恐る恐る視線を上げ、目の前に広がる光景に、息を呑んだ。
ヴァルグリムが、自らの鋭い鉤爪を胸へ深く突き立てていた。
「な、なにしてんだよ……あのドラゴンは」
動揺を隠しきれないレオンとは対照的に、イリスは静かに答えた。
「あれが、種の残し方よ」
「あ……あれが?」
「そう」
イリスは視線をヴァルグリムから外さないまま続ける。
「私たち魔族は、自分の血を使って種を残すの」
胸を貫いた鉤爪から、ヴァルグリムの血がゆっくりと地面へ流れ落ちていく。
「私たち魔族の寿命は、人間とは比べものにならないほど長い。ほとんど半永久的と言っていいわ。だけど――」
イリスは小さく息を吐いた。
「長く生きるが故に、体の寿命より先に魔力が衰え始めるの」
「魔族は、その時を迎えたとき……」
ヴァルグリムを見つめながら、静かに言った。
「自分の培ってきた経験も、記憶も、歴史も――すべて血と魔力に込めて、新しい命を生み出す。致死量の血と魔力を体から解き放ってね」
「なら……あのドラゴンは……」
レオンの声は、かすかに震えていた。
「もうじき死ぬわ」
イリスは淡々と言った。
だが、その瞳はヴァルグリムから一度も逸れない。
「ヴァルグリムが命をかけて、次の命を生み出しているの」
巨体の胸から溢れ出る血が、月明かりの下でゆっくりと地面を染めていく。
「それを、あなたが引き継ぐのよ」
イリスは、ゆっくりとレオンを見た。
「ドラゴンの主として」
その言葉に、レオンの呼吸が一瞬止まる。
「言っている意味……分かるわよね?」
レオンは答えることができず、ただヴァルグリムの姿を見つめることしかできない。
胸に突き刺さった鉤爪から、ドラゴンの血が溢れ続け、その血は地面へと流れ落ち、やがて一か所へと集まり始めた。
「……始まるわ」
イリスが静かに呟く。
次の瞬間、地面に広がった血がゆっくりと渦を巻き始めた。
赤黒い魔力が立ち昇り、空気が震える。
ヴァルグリムの巨体から溢れ出る魔力が、すべてその血へと吸い込まれていく。
そして、血の渦の中心が強く光を放った。
ドクン。
まるで心臓が鼓動するかのように、赤い光が脈打つ。
ドクン。
ドクン。
やがて血の塊は形を変え、ゆっくりと一つの“卵”の姿を作り上げていった。
月明かりの下で、深紅のドラゴンの卵が静かに輝く。
「……レオン、受け取りなさい」
イリスに促され、レオンは深紅の卵を両腕で抱きかかえた。
その瞬間――
コツン。
卵の内側から、つつくような小さな振動が伝わってくる。
「な、なぁ! そろそろ割れるんじゃねぇか!」
新たな命の誕生にレオンは思わず声を上げ、助けを求めるように隣へ視線を向ける。
だが、そこにイリスの姿はなかった。
「……?」
レオンは辺りを見回す。
そして、すぐにその姿を見つけた。
イリスは血に汚れるのも構わず、ヴァルグリムの亡骸へと抱きつき肩を震わせながら、静かに涙を流している。
「あ……」
レオンは小さく声を漏らした。
巨体を横たえたヴァルグリムは、どこか満足したような穏やかな表情で眠っているが、その体からはもう生の気配は感じられなかった。
その時、レオンの腕の中で卵に亀裂が走った。
ドラゴンは魔界でも屈指の魔力量を持つ種族だ。
だが、その力ゆえに生まれたばかりの個体は常に魔力不足の状態に陥っている。
その状況を打開する方法は、ただ一つ。
同族の血と肉を喰らうこと。
ヴァルグリムが死に、魔界に新たなドラゴンが生まれてから二日が過ぎていた。
「……お前も、少し休んだらどうだ?」
ファウストが、少し心配そうな表情でレオンの隣に腰を下ろす。
「まだ、半分以上はあるな」
「……うん」
新しく生まれたドラゴンは、不足していた魔力を、その体へ取り込むために時間をかけて、自分を生んだヴァルグリムの亡骸を肉も、骨も、何一つ残さずに喰らい続けていた。
ドラゴンを食べ尽くすまでが、ドラゴン族が種を残す儀式だった。
やがて、鼻の奥を劈くような腐臭が辺りに漂い始め、時間の経過とともに、虫の数も増えていく。
レオンは目の前に群がる虫を手で払いながら、新しいドラゴンの主として、まだ小さなドラゴンを見つめ続けていた。
「俺なんかが、ドラゴンの主でいいのか?」
「珍しく弱気だな」
「うるせぇよ」
ファウストはまた傷が増えたレオンの体を見つめた後、小さく笑みをこぼした。
「もう十分面倒みてんだろ? 今更怖がることなんてないだろ」
他種族にとって、産まれたばかりのドラゴンを狩るなどまたとないチャンスだった。
弱い状態のドラゴンを生け捕りにし高値で売れば、一生働かなくて済むほどだ。
実際に、この二日間の間でドラゴンの命を狙いに来る種族は多かった。
その全てを払いのけたが、キリがないほどだ。
「お前なら、大丈夫だ。あのアリアドネとヴァルグリスがお前のことも認めたんだからな」
ファウストは立ち上がり、レオンの頭を包み込むように優しく撫でた。
「……名前。早く決めてやれよ」
「分かってる……」
レオンは小さく答える。
その時だった。
向こうでは、小さなドラゴンが骨を噛み砕きながらこちらを見ていた。
バキッ――。
骨が砕ける乾いた音が、妙に静かな荒野に響き、赤い瞳がまっすぐレオンを見上げていた。




