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天魔の血脈  作者: 黒ひげの猫
王都断罪編②
52/65

52話 地獄の訓練、開幕

「レオン、そろそろ起きろー」


 容赦のない声量が、部屋に響き渡る。


「っ……なんだよ」


「なんだよ、じゃねぇよ。朝だって言ってんだろ」


 レオンが渋々目を開けると、そこにはやけに涼しい顔をしたファウストが立っていた。


「おはよう、レオン。リーナはもう食堂に向かったぞ」


「っ、わかったよ……」


 まだ眠っていたい身体を無理やり起こし、レオンはベッドから這い出る。

 重たい足取りのまま、ファウストと並んで食堂へ向かった。


「今日から、お前の魔力の底上げと戦闘訓練が始まるからちゃんと食っておけよ」


 食堂では既に朝食を済ませていたリーナやイリス、ローザが食後のお茶を嗜んでいた。


「……本当に大丈夫なの?」


 まだ意識が微睡んでいるレオンに、あきれた様子のイリスが呟いた。


「ま、黒泉にでも入れば、嫌でも目は覚めるだろ」


「黒泉って、なんですか……?」


 レオンの代わりに、リーナが恐る恐る問いかける。

 それに答えたのは、ローザだった。


「魔王一族に伝わる、魔力を回復させる泉のことよ。……まあ、初日から黒泉に浸かるのは、妥当でしょうね」

 

「レオン、あんまりのんびり食ってんなよー」


「もう食い終わってる」


 ようやく意識がはっきりしたレオンは、朝食を綺麗に平らげ、やる気に満ちた表情でファウストを見上げた。

 だが、ファウストはそんなレオンを頭のてっぺんからつま先までじろりと眺め、わずかな間を置いてから口を開いた。


「……でも、その前に風呂だな」

 

「風呂ぉお?」


 満ち溢れていたやる気がぱちんと弾けるように霧散し、レオンは分かりやすいほど肩を落とした。


「風呂なんて、別にいいだろ……」


「それがな、この城じゃ“よくねぇ”んだよ。面倒くさいことになる前に、さっさと諦めろ」


 その言葉と同時に、イリスが冷ややかな視線をレオンへ向けた。

 改めて見れば、今のレオンは“あまり綺麗とは言い難い”などという生易しいものではない。

 土と乾いた血で肌は茶色く濁り、髪は指がいっさい通らないほど固まっており、あちこちで塊になっている。

 擦り切れた布をただ羽織っているだけの格好で、その布からは、ねっとりと鼻腔を刺すような臭いが立ち上っていた。

 

「私の可愛い子たちに、その変な臭い、覚えさせないでよね」


「……可愛い、子?」


 イリスから飛び出した意味の分からない言葉に、レオンは助けを求めるようにファウストを見上げた。

 だが、当のファウストはぎこちない笑みを浮かべたまま、わざとらしく明後日の方向へ視線を逸らす。

 

「おい。可愛い子って、なんのことだよ」


「……ま、それは近いうちにな」


 はぐらかすような物言いに、レオンは眉をひそめる。

 魔眼を通さずとも分かる。

 これから、自分にとってろくでもないことが起きる――そんな嫌な予感が、胸の奥でざわりと広がった。

 レオンは詰め寄るようにファウストを見上げるが、当の本人は口元に薄く笑みを浮かべるだけで、それ以上は何も語ろうとしない。


「これも、お前に必要なことだからさ。な?」


 死の宣告を受けたばかりの自分に、その言い方はずるいだろと思いながらも、レオンは何も言い返せなかった。

 睨み上げるようにファウストを見るが、結局レオンは半ば強引に誘導される形で浴場へと向かった。





「っ――熱っつい!」


 湯気が立ち込める浴場に、レオンの悲鳴が響き渡る。

 全身を泡まみれにされたまま、レオンは全力で抵抗するが、ファウストの腕力に敵うはずもなく、あっという間に動きを封じられた。


「いちいち大袈裟なんだよ。熱くねぇよ。ほら、大人しくしてねぇと泡が目に入るぞ」


 そう言うや否や、ファウストは桶になみなみと張った湯を、容赦なくレオンの頭上からぶちまけた。


「ぶはっ! ちょっ――!」


 熱と水圧に一瞬息が詰まり、レオンは目をぎゅっと閉じる。


「死にはしないんだから、平気だろ」


「そういう問題じゃねぇ!」


 ずぶ濡れになった前髪をかき上げながら、レオンは噛みつくように言い返す。


「俺は向こうでも風呂には入ってた!」


「どうせ、週に一度、水をかけられる程度だろ? 世間一般じゃ、それは“風呂に入ってる”とは言わねぇんだよ」


 ぐぬ、とレオンが言葉に詰まる。


「……うるせぇ」


 否定できないところが、余計に腹立たしい。

 

「うん。だいぶ良くなった」


 見違えるほど綺麗になったレオンの姿を見て、ファウストは満足そうに頷いた。

 年相応の潤いを取り戻した肌。

 指通りの良くなった、霞がかった銀色の髪。

 そして、前髪の隙間から覗く顔立ちは少年というより、どこか少女を思わせるほど愛らしいものだった。

 

「お前、結構可愛らしい顔してんだな」


 初めてまともに見るレオンの顔に、ファウストは少し面食らった表情を浮かべた。

 

「見んじゃねぇよっ!」


 レオンは慌てて濡れた前髪をかき下ろし、顔を隠した。

 そんな様子など気にも留めず、ファウストはレオンの濡れた身体にタオルをぐるりと巻きつける。


「綺麗になったし――黒泉に行くか」

 

「黒泉……?」


 次の瞬間、足元がふわりと宙に浮いた。

 何が起きたのか理解するより早くレオンの身体は、湯の中へ叩きつけられていた。


「っ――熱っ!」


 反射的に湯の中から身体を起こすと、頭上からファウストの声が響いた。


「おいっ! 湯から出るな! 意味がなくなるだろ!」


「はぁあ!? 湯の中にいて、戦闘訓練に繋がんのかよっ!」


 文句を言いながらも、レオンは再び湯の中へと沈む。

 すると、湯の中に紛れた何かが、じわりと皮膚を通して身体の奥へ染み込んでくるような感覚が広がった。

 

「だから朝に言っただろ。黒泉は、魔力が回復する場所なんだって」


「魔力が、回復……?」


「体の中に、何かが流れてくるような感覚があるだろ?」


「……これが、魔力なのか?」


 体の芯がじんわりと温かくなってくるのが分かり、不思議と力が漲ってくるのも感じた。


「しばらく浸かってれば魔力が完全に回復するから、しばらくそのままでいろ」

 

 次第に湯の中が心地よく感じられてきたレオンは、このあと血を吐くような戦闘訓練が待ち受けていることなど、知る由もなかった。

 

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