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天魔の血脈  作者: 黒ひげの猫
王都断罪編②
50/65

50話 精霊の宣告

 ピリピリと肌を刺すような空気が張り詰める中、当の本人であるアリアドネだけが、どこか気の抜けた様子で口を開いた。

 

「それでじゃ。ヴァルグリムの子を、レオンに託そうと考えておる」


「は?」


「……ん? え、あ、俺?」


 この話の流れの中で、唐突に自分の名前を呼ばれたことに、レオンは完全に思考が追いつかなかった。

 聞き間違いかと思い、反射的に周囲を見回す。

 だが、アリアドネの視線は、間違いなく自分に向けられている。

 ――待て。今、何を託すと言った?

 

「ちょっと! ヴァルグリムは、私の――」


 アリアドネの判断に納得がいかない様子で、イリスは強い口調を取った。

 状況がまったく飲み込めていないレオンだったが、これ以上面倒なことに巻き込まれたくない一心で、心の中ではイリスに同意していた。

 だが、その言葉を遮るように、アリアドネが静かに言葉を重ねる。


「ヴァルグリムは、私のなんじゃ? アヤツは、ギル坊のドラゴンじゃろう」


「っ、でも――尚更、私の方が……」


「この妾を、否定するというのか?」

 

「……っ」


 イリスは、言葉を続けようとして詰まった。

 開きかけた口が、そのまま閉じられる。

 反論の言葉は確かにあったはずなのに、喉の奥で形にならず、押し戻されてしまった。

 

「…………分かったわよ」


 イリスは唇を噛み、視線を伏せる。

 沈黙の末、ようやく押し出した言葉だった。

 イリスはガタリと音を立てて立ち上がり、そのまま食堂を後にする。

 その後ろ姿を最後まで見送っていたアリアドネは、小さくため息をついた。


「はぁ……。ギル坊の話になると、あのように取り乱す癖は、まだ治らんのか」


「……あの子も、まだ子供なのよ」


 書物の続きを読む手を止めたローザが、ぽつりと呟いた。

 その言葉に応じるように、アリアドネはゆっくりとローザへ視線を向け、静かに言葉を継ぐ。


「誰も、イリスのことだけを言っておるのではないわ。お主もじゃよ。ローザ、もう何百年が経つ。いつまでも未練がましい女は……少々、扱いに困る」


「……うるさいわよ」


「ギル坊も、今どこにおるのか……。面倒なことに首を突っ込んでおらねばよいが」


 すると、アリアドネは「ん?」と小さく首を傾げ、レオンとリーナへと顔を向けた。


「ギル坊のことが、気になるのか?」


「え、あ……いや。その……」


 レオンは、先ほどから続く話の中心にいる“ギル坊”の存在が、正直なところ気になってはいた。

 だが、この場の空気からして、軽々しく触れてはいけない話題だとも感じている。

 にもかかわらず、どうやら自分の顔には、「ギル坊って誰だ?」と、はっきり書いてあったらしい。

 

「……まあ、レオンはギル坊のことを、少しは知っておくべきかの」


 アリアドネは、ファウストが注いだばかりの茶を一口、ゆっくりと口にした。


「ギル坊は、先代魔王。つまり――イリスの父親じゃ」

 

「先代……魔王」


「名は、ゼルギウス・イェルムヴァレーン。アヤツは歴代魔王の中でも魔力量が群を抜いており、神に近いとまで言われておった」


「神に、近い?」


 その言葉に、黙って聞いていたファウストが反応する。


「そうじゃ。魔族は、魔力が高まった者が魔人となる。そして、その魔人の中でもなお魔力量を高め続けた者が、魔神へと至る。魔族とは、魔力がすべてを決める世界なのじゃ」

 

 そう言ったアリアドネは、「やれやれ」とぼやきながら、小さくため息をついた。


「アヤツは、まだ幼かったイリスを置いて、この魔界から忽然と姿を消した。あの時の魔界の荒れようときたら……思い出すだけでも、胃が痛くなるわ」

 

「魔王だったのに、どうして魔界からいなくなったんだ?」


 ファウストの問いに、今度はローザが吐き捨てるように答えた。


「女よ」


「……女?」


「そう。アイツは、消えた女を追いかけて、この魔界を出て行ったの」


 その言葉とともに、再び冷気が足元を這うように広がる。

 ローザにとっても、この件は決して穏やかな記憶ではないらしい。


「……あれだけ、やめておけって言ったのに」

 

 イリスとファウストは、互いに自分の過去を聞こうとはしなかった。

 ファウストにとって、生まれてから今に至るまでの時間は、誰かに語って慰められるようなものではなく今後、誰かに打ち明けるつもりも一切なかった。

 それはイリスも同じで、自分のことを頑なに語ろうとはしない。

 だからこそ、二人はこれまで深く踏み込まずにいたのだ。

 だが、イリス本人がいないこの場で、これ以上この話を掘り下げその奥に踏み込むような真似をしてよいのか。

 そう考えたそのとき、終止符を打つかのように、アリアドネがパンッと手を叩いた。

 

「ま、もう過ぎた話じゃ。ギル坊が今もどこかで生きておることは分かっておるのだから、心配はいらぬじゃろ」


 そう言うと、アリアドネはゆっくりとファウストを見上げる。


「……血は争えぬ、か」


 ぽつりと、そう言葉を残した。


「……それはそうと、お主ら。随分と厄介な魔眼を持っておるようじゃの?」

 

 先ほどまでの重苦しい空気が嘘のように、アリアドネは好奇心を隠そうともせず、レオンとリーナの瞳を覗き込んだ。


「ふむ……未来予知、か。これまた、難儀な魔眼じゃのう」

 

 アリアドネは、しばらく二人の瞳を見つめ続け、「ふむ……ふむ」と小さく相槌を打った。


「お主ら、観えておる未来が……揺らいでおるのう」


 核心を突くその言葉に、レオンの胸がどくりと強く脈打った。

 確かにアリアドネの言うとおり、魔界に来てから、数分おきに観える未来がわずかに変化している。

 ほんの些細な違い。だが、それが確かに“ずれて”いくのを、レオンは感じていた。


「原因は、魔力の供給過多じゃの。これまで魔力の乏しい人間界におった者が、いきなり魔界へ来れば、そうなるのも当然じゃ。じきに魔眼の力も安定するはずじゃろう」

 

 アリアドネはそう言うと、ひょいと椅子から飛び降り、ゆっくりとファウストへ視線を向けた。


「妾から一つ、忠告じゃ。ファウスト――レオンを、使い物になるよう育てよ。さもなくば、あの子供は……近いうちに死ぬであろう」


 その言葉だけを言い残すと、アリアドネは再び精霊の姿へと戻り、きらりと淡い光を残して、どこかへと飛び去っていった。

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