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天魔の血脈  作者: 黒ひげの猫
王都断罪編②
48/65

48話 精霊のイタズラ

 それは、命令だった。

 怒鳴り声でも、脅しでもない。

 ただ、従うことを前提として放たれた声。

 空気が、一段階重くなる。

 背中に冷たい圧がのしかかり、肺がうまく膨らまない。

 ゆっくりと振り返らずとも、分かってしまう。

 この声の主が、誰なのかを。


「……ここは、お前がいるべき場所じゃない」


 低く、静かで、それでいてすべてを制圧するような声。

 まるで、この場そのものが、彼の支配下にあるかのようだった。

 魔獣の唸り声が、わずかに引く。

 その事実が、レオンの背筋を、凍りつかせた。

 

 ――グルルルッ


 たった一声に気圧されながらも、魔獣は低く唸った。

 威嚇ではなく、不満と抗議を押し殺した、文句の声音だった。


「それは、お前の主に言え。腹が減ったとしても、子供を食うのは違うだろ」


 ――グルルッ


 今度の唸りは、先ほどより短く、弱い。

 まるで「だが、それでも」と、言い訳を返すような響きだった。

 ――会話だ。

 レオンは、はっきりと理解した。

 今のやり取りは、鳴き声に似せたものではなく意味を持ち、感情を伴った言葉そのものだ。

 すると魔獣は諦めたように身を伏せ、命じられるまま、この場を離れようとする。

 だが、その背を声の主が制した。


「待て。これなら、食っていい」


 レオンとリーナを越えて、魔獣の前へと放り投げられたのは、小さな魔獣の死骸だった。

 小さいとはいえ、レオンたちの三倍はある。


 ――グルルルルッ


 今度の唸りは、隠しようのない歓喜だった。

 魔獣は与えられた餌を貪り、空腹が満たされるとレオン達の前から姿を消した。


「っ……」


「っ、た、助かった……」


 まるで首を締められていたかのような緊張から解き放たれ、レオンとリーナは、目一杯に空気を吸い込んだ。


「大丈夫か? 怪我はないか?」


 二人のもとへ駆け寄ってきたファウストは、先程まで言葉だけで魔獣を従えていた、あの冷たい雰囲気を微塵も残していなかった。

 

「ファ、ファウストさん……助けてくれて、ありがとうございます」


「アリアドネから話を聞いてな。本当に、間に合ってよかった」


 ファウストの口から初めて聞く名に、レオンとリーナは顔を見合わせ、リーナがその名を呟く。


「……アリアドネ?」

 

「そういえば、二人には、まだ紹介していなかったな。城から出る方法を女の子から教えられただろ?」


 ファウストの言葉に、レオンは小さく、息を漏らした。


「――あれは、魔王城に住み着いている精霊だ。魔王城の案内人でもある」

 

「精霊……?」


「あぁ。魔王城の中は、護衛の意味もあって、部屋の配置が日によって変わるんだ。その護衛を担当しているのが、精霊のアリアドネだ」


 少し間を置いて、ファウストは続ける。


「本来なら、先に二人をアリアドネに紹介するべきだったんだけど……」

 

 そこでファウストは言葉を濁したが、その続きを察したリーナが言葉を継いだ。


「その前に、私たちがお城を出ようとした……」


「いや、それに関しては、俺たちが悪い」


 ファウストはばつが悪そうに続け、そして、一拍置いてから告げた。


「イリスが魔獣を放し飼いにしている、この時間帯を狙ってアリアドネは、わざと二人を城の外へ追い出したんだ」

 

 ファウストの言葉を聞き、レオンは城内で最後に耳にした「遅い。遅い。外が、うるさいの」という言葉を、はっきりと思い出した。

 

「てことは、俺たちを魔獣のエサにするつもりで……」


「アリアドネは、相手の心を読むことができる。城から出たいっていう思いに反応して、それで――お前たちを……」


 ファウストの言葉を聞いた瞬間、レオンは、全身の血が一気に引いていく感覚に襲われた。

 体温が急激に下がり、力が抜ける。

 視界が揺れ、立っていることさえ難しくなる。


「お、おい……大丈夫かよ」


 咄嗟に動いたファウストに支えられていなければ、そのまま地面に倒れ込んでいただろう。


「……俺が、悪いんだ」


 意識が朦朧とする中で、レオンはその言葉を、何度も繰り返した。

 ここから逃げ出さなければならない。

 その一心だけで、冷静さを欠いた行動を取っていたのだと、今になって思い知らされる。

 運良く助けられ、何事もなく済んだ。

 だが、ほんの少しでもタイミングがずれていれば自分たちは、さきほどの魔獣に食い殺されていた。

 自分の判断でリーナを、殺すところだった。


「レオン。もう大丈夫だ。ゆっくり、息を吸え」


 その言葉に、呼吸がうまくできていないことに気づいた。

 背中に、確かな温もりが添えられる。

 ファウストの手だった。

 

「っ、カヒュッ……! ハッ、ハッ、ハッ――」


「お前も、リーナも生きてる。もう大丈夫だ」


 レオンがここまで取り乱す姿を初めて見たリーナは、その様子につられるように、どうしていいか分からず右往左往と視線を彷徨わせた。


「リーナも落ち着け。もう大丈夫だ。レオンに声をかけてやってくれ」


「っ、お――お兄ちゃんっ!」


 その声に、レオンの荒れていた呼吸が、わずかに揃った。

 詰まるようだった息が、少しずつ、肺の奥まで届いていく。


「……リーナ」


 かすれた声で、名を呼ぶ。

 強張っていた肩から、すっと力が抜けた。

 背中に添えられた温もりと、呼びかけられた名前。

 その二つに縫い留められるように、レオンは、ゆっくりと現実へ引き戻されていった。

 

「……ごめん、リーナ」


 伏せたまま、レオンはそれだけを口にした。

 震えが完全に収まったわけではない。

 それでも、その言葉は、はっきりとリーナに届いた。


「怖い思いをさせて……悪かった。怪我は、ないか?」


「ううんっ! 私は大丈夫」

 

 そう答えると、リーナはそれ以上、何も言わなかった。

 ただ、小さく息を吐き、強張っていた表情を、ようやく緩める。

 その様子を見て、レオンの胸に張りつめていたものも、静かにほどけていった。

 

「――なんだ。こんな所に、いたんだ」


 張りつめていた空気に、ふっと隙間を作るような声だった。

 振り向くと、赤い髪を揺らしながら、イリスがそこに立っている。

 彼女は言葉を発することなく、視線だけで双子の無事を確かめた。

 その瞳に、ほんのわずかな安堵が滲む。

 

「……帰るわよ」


 短い言葉だったが、そこには張りつめていた空気を解くような、やさしい余韻があった。


「腹減ってるだろ? 戻って、飯にしよう。レオン、立てるか?」


 未だファウストの手に体を支えられていることにハッとし、レオンは勢いよくファウストから距離を取った。

 

「だ――大丈夫だっ!」

 

「あ……そういえば」


 城に向かって歩き出していたイリスは足を止め、ファウストの方へ向き直った。


「アンタ、アリアドネに問い詰めたんだって? あの子、完全にへそ曲げてるわよ」

 

「急いでたんだから、しょうがないだろ。……悪かったとは、思ってるよ」


「あの子のお気に入りなんだから、あとでちゃんと構ってあげなさいよ」


 ファウストは小さく苦笑し、肩をすくめた。


「……わかってるよ」


 それ以上、言葉を重ねることはなかった。

 イリスが先に歩き出し、レオンとリーナがその後に続く。

 やがて、ファウストも合流し、四人は並んで魔王城へと向かった。

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