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天魔の血脈  作者: 黒ひげの猫
王都断罪編 ①
44/44

エピソード 43

 扉が閉じる音と同時に、ファウストたちは魔王城の一室へと転移していた。


「ハァッ……ハァッ……」


「ッ……ハァ、ハーッ……」


 二人とも、立っているだけで精一杯といった様子で、肩を大きく上下させている。


「……アンタたち、向こうで何が――」


 ローザは言葉を途中で詰まらせた。

 ここまで疲弊しきったファウストとイリスを見るのは、初めてだった。


「っ……私たちも、さっぱりよ……」

 

 イリスは息を整えながら、吐き捨てるように言う。

 

「気づいたら……魔法が、使えなくなってたの」


「……魔法が、使えない?」


 その言葉に、ローザは一瞬、理解が追いつかないといった表情を浮かべる。

 人間界にいただけで、魔法が封じられるというそんな事態、聞いたことがない。

 だが次の瞬間、斬り落とされたイリスの腕と、血に汚れたファウストの姿が目に入り、ローザの顔色が変わった。


「……イリス。アンタ、その腕……」


「あぁ。大丈夫だから」


 イリスは気にも留めない様子で、斬り落とされた腕を傷口へと当てる。

 ぴたり、と触れると断面の細胞同士が絡み合い、音もなく繋がっていく。

 数秒後には、そこにあったはずの欠損は、跡形もなく消えていた。


「……本当に、何が起きてるのよ」


 再生した腕を確かめるように、イリスは拳を握り、開く。

 問題なく動くのを確認すると、呆れたように小さく息を吐いた。

 

「あの角笛……一体なんなの? あの魔力量、私を超えてるじゃない」


「角笛?」


 その言葉に、ローザの眉がわずかに動いた。


「そう。向こうのアホが、バカみたいな魔力量の角笛を操ってたのよ。ファウスト、アンタは角笛のこと知ってた?」


「あぁ。魔界に来る前に一度だけ見せられたけど……その時は何も違和感がなかった」


「まぁ、そうよね。私だって、あの魔力に気づかなかったくらいだし」


 イリスとファウストが角笛について話している間、ローザは何かを考え込むように沈黙していた。


「ローザ? どうかしたの?」


「え? あぁ……ごめんなさい。角笛のことだけど、心当たりがあるかもしれないの…」


「本当?」

 

「えぇ。でも確証はないから……少し、時間をちょうだい」


 そうローザが答えた、そのときだった。

 部屋の入口から、小さな影が駆け込んでくる。

 闘技場でファウストが保護した少女、リーナだ。


「ファウストさんっ!」


 泣きはらした目のまま、リーナは縋るように走り寄り、ファウストの脚に抱きついた。

 無事な姿を確かめた瞬間、張り詰めていたものが切れたように、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。


「……無事だったか」


 ファウストはそう呟き、リーナの頭にそっと手を置いた。


「イリスを呼んでくれて、ありがとうな」


 その瞬間、後ろから伸びた手が、ファウストの手を勢いよく払いのけた。


「リーナに触るんじゃねぇ!」


「お兄ちゃんっ!」


 駆け込んできたレオンが、リーナを庇うように前へ出る。


「……お前も、無事でよかったよ」


「っ――」


 一瞬だけ、レオンの表情に戸惑いが走った。

 感情が追いつかないまま、言葉だけが先に出てしまったような顔だった。

 ファウストに向けられるその刺のある態度に、リーナはきっと睨むが、すぐに向き直り深く息を吸ってから、その場で深々と頭を下げた。


「……助けてくれて。本当に、ありがとうございます」


 震えながらも、はっきりとした声だった。

 その様子を黙って見ていたイリスが、ふいに一歩前へ出てレオンの前にずい、と立ちはだかる。

 

「……何よ、そのガキみたいな態度」


 イリスの声は低かった。


「ファウストは、アンタの命の恩人でしょう?」


「イリス……。いいから」


「よくないわよ」


 イリスは即座に言い切った。


「アンタたちを助けるために、ファウスト……本当に、死にかけたのよ」


「っ――」


 その言葉に、レオンの表情が一瞬だけ歪む。

 言い返そうとして、できなかった。


「黙ってないで。何か、言いなさいよ」


 責めるというより、突きつけるような声音だった。


「……イリス」


 そこでファウストが、静かに割って入る。


「レオンは、俺が“世界を滅ぼす未来”を予知したらしい。

 警戒するのは……当たり前だろ」


 感情を交えない、淡々とした口調。

 だがその言葉はイリスの逆鱗に、真っ直ぐ触れた。


「……はぁぁあ!?」


 一気に声の温度が跳ね上がる。


「ファウストが、世界を滅ぼす? 何バカなこと言ってんのよ!」


 イリスは一歩、前に出た。


「それにね。予知があろうがなかろうが、今回の件とは別の話でしょ?」


 じわりと、威圧するような魔力が、彼女の足元から滲み出す。

 イリスの魔力を直に浴びるレオンは息苦しそうに喉を鳴らし、顔を歪める。

 その空気を、断ち切るようにパンッ、と乾いた音が部屋に響いた。


「はい、そこまで」


 ローザが、両手を打ち鳴らしていた。

 

「ファウスト。向こうで保護した“魔法を操る子供”……私に見せてちょうだい」


「あ……あぁ」


 即座に応じたファウストの声には、自然と従う色が混じっていた。


「それと、イリス」


 ローザは視線だけを向ける。


「あなた、魔王でしょう。感情に任せて動くなんて……今さら、することじゃないわ」


「っ――」


「私、昔から……あなたに、何度も言ってきたわよね?」


 その言葉と同時にローザの足元から、ひやりとした冷気が静かに広がった。

 床に霜が降り、白い模様を描くように凍りついていく。

 冷気は意思を持つかのようにイリスへと伸び、足元から絡みつき、脚、腕へと薄く霜を落としていった。

 魔王であるイリスですら、思わず肩を震わせる。


「……少しは、冷静になったかしら?」


「っ……分かってるわよ」


 イリスは視線を逸らし、短く吐き捨てるように答える。


「なら、いいわ」


 ローザはそれ以上の追及はしなかった。

 霜から解放されたイリスはそのまま背を向け、自分の部屋へと歩き去った。

 ローザが、いつものようにニコリと微笑む。

 すると先ほどまで張りつめていた冷気は、嘘のようにすっと消え去った。

 あのイリスを、言葉と気配だけで制する存在。

 ファウストの胸に、ひとつの疑念が浮かぶ。


 ――ローザとは、一体何者なのか。


 そんな空気の中、ローザは何も言わずリーナとレオンをそっと抱き寄せると、そのままゲート魔法を発動させた。

 

「今日は、私の店で子供たちを預かるわ」


「あぁ……頼む」


 ファウストはそう言うと、自分の影へと手を差し入れた。

 影がゆらりと歪み、その中から黒い棺が静かに姿を現す。

 魔法を操る子供を収めたそれを、ファウストは迷いなくローザの影へ沈めた。

 まるで、預け先が決まっている荷物を渡すかのような、手慣れた動作だった。


「また明日、子供たちを連れて来るわ」


「分かった」


 ローザは扉へ向かい、子供たちを促す。

 だが、扉を潜る直前ふと足を止め振り返った。


「……イリスのこと、よろしくね」


 先ほどまでの冷静さとは違ってい、少しだけ柔らかい声だった。


「だいぶ……動揺してたから」


「……分かってる」


「……頼むわよ」


 念押しするように言い残し、ローザは子供たちと共に、扉の向こうへと姿を消した。



 

  静まり返った部屋で、ファウストは燭台を手に取り、イリスの部屋へ向かった。

 扉の前に立つと、中からこれ以上近づくな、と拒むような気配が伝わってくる。


「……イリス」


 扉は叩かず、声だけを投げる。

 しばらくして、ギギギィ……と重たい音を立て、扉がゆっくりと開いた。


「入るぞ」


 返事はなかったが、ファウストは一歩ずつ、慎重に部屋の中へ進む。

 部屋の中央。

 ベッドの上で、ブランケットを深く被り、身を縮める影があった。

 ファウストはベッドの縁に腰を下ろし、低く呼びかける。


「……イリス」


「入れなんて、言ってない」


 返ってきたのは、拗ねたような不貞腐れた声だった。


「今日は……その、悪かった。心配かけた」


 ゆっくりと、ブランケットがずれる。

 イリスが顔を覗かせ、真っ直ぐにファウストを見つめた。


「……死んじゃったかと思った」


 ぽつり、と零れるような声。

 イリスはそっと腕を伸ばし、今はもう傷一つないファウストの胸に手を当てる。


「本当に、死んじゃったと思った。すごく……怖かった」


 触れた手は、かすかに震えていた。


「私は……ファウストを失いたくないの。もう……あんな思い、したくない」


「あぁ」


「お願い、ファウスト。私より……先に死なないで」


「……約束する」


 その言葉に安心したのか、イリスの体からふっと力が抜け、ファウストの胸に身を預けるようにもたれ、そのまま静かに眠りに落ちた。


「……ったく、風呂くらい入れよ」


 苦笑まじりに小さく呟き、ファウストはイリスの体をそっと抱き上げ、ベッドへ横たえた。

 乱れたブランケットを、肩までかけ直す。

 眠る顔は、先ほどまで必死に強がっていたのが嘘のようだった。

 立ち上がろうとしたその時、イリスの手がファウストの服の裾を、ぎゅっと掴んだ。


「……仕方ねぇな」


 ファウストは再び腰を下ろし、眠るイリスの傍らに静かに座った。

 戦場では決して見せない、やわらかな表情で、ただイリスの寝顔を見守り続けた。

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