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天魔の血脈  作者: 黒ひげの猫
王都断罪編 ①
43/44

エピソード 42

「っ――カハッ……!」


 ズクリ、と鈍い音がした。

 次の瞬間、ファウストの胸の中心に、拳大の穴が穿たれ血飛沫が弧を描き、宙へと散った。


「コポッ……グッ……カハッ――」


 口から、どろりと血が溢れ出し同時に、穿たれた胸の穴からも、絶え間なく赤が滴り落ちていく。

 一瞬で、致死量を超える血を失い身体は言うことをきかず、ふらりと揺らぎ片膝をつく。


「っ……なん……で……」


「ファウストっ!?」


 崩れ落ちる身体を、ヘレナが慌てて抱きとめた。


「ッ……カハッ……!」


 気づけなかった。

 襲撃の気配も、敵意も、その瞬間さえ。

 認識した時には、すでに胸の中心に、大穴が空いていた。


「っ……クソッ……!」

 

 ――心臓を、潰された。


 最大にして、致命的な急所である心臓を迷いなく狙い撃つ。

 そんな芸当ができるのは魔族以外、あり得ない。


「っ……ゲボッ……」


 胸の穴から、ドクドクと血が溢れ出す。

 心臓を失ったことで、ファウストの体内から魔力は、完全に消え失せていた。


 ――再生、できない。


 心臓も。

 穿たれた穴も。

 自分の身体が、ただ崩れていくだけなのが、はっきりと分かる。

 焦りが込み上げ、それと同時に視界がじわりと白く滲み始めた。

 音が、遠い。

 すぐそばにいるはずのヘレナの声さえ、輪郭を失っていく。


 ――死が、近い。


 そう悟ったその瞬間、どこからか強く鋭く自分の名前を呼ぶ声が、ファウストの意識へと突き刺さった。

 

「っ――ファウストッ!!」


 白く霞んだ視界を、燃え盛るような赤が切り裂いた。

 魔力が、空気そのものを震わせ風を引き裂く勢いで、赤い髪の少女が駆け寄ってくる。


「ファウスト! もう、大丈夫だからっ!!」


「っ――」


 その声を、ファウストは嫌というほど知っていた。


「ど……して……ここに……っ……」


「喋らないで!!」


 叫ぶように言い切り、イリスは迷いなくファウストを抱き寄せる。


「大丈夫。私がっ……私が絶対に守るから!!」


「あ、あなたっ! な、何をしているのですかっ!」


 ヘレナの動揺した声が響く中、冷え切っていたファウストの唇に温かな感触が触れた。

 次の瞬間、口の中へ濃く、熱を帯びた液体が静かに流し込まれていく。


「……大丈夫……大丈夫だから……」


 囁くような声。

 それを飲み込んだ瞬間、消えかけていた胸の奥に、確かな熱が灯った。

 止まっていた呼吸が、ぎこちなく、しかし確実に戻ってくる。

 体温がじわじわと蘇り、氷のようだった指先にも、ぬくもりが宿り始めた。


「……っ、間に合った……」


 安堵に震える声が、すぐそばで揺れる。


「……本当に……良かった……」


 張り詰めていた何かが切れ、ファウストは大きく息を吸い込んだ。

 白く滲んでいた世界が、ゆっくりと色と輪郭を取り戻していく。


「……イリ……ス……?」


「ファウスト……っ!!」


 お互いの視線が絡むと、イリスの瞳から堪えきれなかった涙が零れ落ちた。


 ――イリスが、泣いている。


 その姿を、ファウストは、今まで一度も見たことがなかった

 

「っ、なに泣いてんだよ……」


 そう言いながら、ファウストはイリスの頬を伝う涙をそっと指先で拭った。

 触れた涙は、驚くほど熱い。


「当たり前でしょ……っ」


 イリスの声が、少し震える。


「すぐ帰るって言ってたのに……。急にアンタの魔力が、消えて……。ここに来たら……心臓が……っ」


 言葉の途中で、声が詰まり再び涙が溢れ出す。


「悪かったよ……心配、かけた」


 そう言いかけてファウストは、ふと動きを止めた。


 ――イリスの、片腕がない。


 肘の少し下から、綺麗に斬り落とされている。

 血はすでに止まっているが、断面には淡く魔力の残滓が揺れていた。


「イリス……その腕……」


 理解した瞬間、胸の奥がぎゅっと締めつけられる。

 自分を生かすためにイリスは、ためらいもなく自分の腕を差し出したのだ。


「……腕、大丈夫か……?」


 ファウストの声が、わずかに震える。

 自分でも分かるほど、動揺していた。


「……全然、へーき」


 涙を残したまま、それでもほっとしたように、イリスはいつもの調子で笑った。


「ファウストが……生きてるなら。それだけで、全部、いいから」


 その笑顔に、ファウストは安堵しながらも、胸が痛むんだ。

 無意識に、自分の胸へと手を当てる。

 イリスの血によって魔力を得たことで、潰れていた心臓は完全に再生し、胸に空いていた穴も、跡形もなく塞がっていた。


 ――この鼓動は、イリスが、命を削って繋ぎ止めたものだ。

 

「……もう、大丈夫なの?」


「……あぁ」


 ファウストはイリスの支えを受けながら、ゆっくりと立ち上がった。

 気づけば、先ほどまで肌を刺していた“何者か”の気配は、完全に消えている。


「イリス……」


「えぇ。この魔力量……尋常じゃないわ」


 イリスはすでに平静を取り戻していたが、それでも周囲に満ちる異様な気配に、思わず眉をひそめた。

 魔王としての本能が、強く警鐘を鳴らしている。


「これは……」


 低く呟いたその時、立ち込める煙を押し分けるようにして、ひとつの人影が、ゆらりと姿を現す。

 まるで世界そのものが、その存在を拒絶するかのように微かに震え、空気が張り詰めた。


「……逃がしはしないぞ、ファウスト」


 揺らめく黒いマント、氷のように冷えきった瞳が、真っ直ぐにファウストを射抜く。


「時間をかけて作り上げた“試作品”まで奪うとは……お前は、どこまで俺の邪魔をするつもりだ」


「っ……アドルフ……」


 姿を現したアドルフは、憎悪を隠そうともせず、ファウストたちを睨みつけていた。

 その手にはかつてファウストに見せた、“あの角笛”が握られている。

 本来は深紅だったはずのそれは、今や禍々しいほどの黒に染まり、まるで生き物のように不気味な魔力を脈打たせており、アドルフの指先にまで黒い魔力の翳りが絡みつくように這っていた。


「お前が魔界に消えてからの間……俺が、どんな思いでいたか……分かるか?」


「…………」


「お前は――俺のモノだ」


 吐き捨てるような声。

 だがその響きは、異様なほど執拗で、歪んでいる。


「そうだろ、ファウスト?」


 アドルフの瞳には、角笛に呼応するかのようにゆらゆらと黒く揺れ、憎悪と執着が濁った渦となって渦巻いていた。


「なぜ……俺の元から離れたっ……!」


 怒声に混じるのは、怒りだけではない。

 理性を削り取られ、縋りつくような狂気。

 それが、アドルフの声には、はっきりと滲んでいた。

 

「……いつ、俺がお前の“もの”になったんだよ」


 温度のないファウストの声が、アドルフに投げつけられた。


「っ、なんだとっ!」


「俺にとってお前は……“利用価値があったから”近づいただけだ。それ以上でも、それ以下でもない」


「貴様っ――!」


 その瞬間、上空を覆っていた黒い煙がざわりと蠢き、アドルフの握る角笛へと吸い寄せられていく。

 アドルフの瞳が、墨を流し込んだように黒く濁り、狂気がはっきりと形を帯びた。


「俺は、お前の所有物になった覚えは無ぇよ」


「……もういい」


 怒鳴り声ではなかった。

 それが、かえって不気味だった。


「やはりお前も……俺を裏切るんだな」


 アドルフは、角笛をゆっくりと口元へ持ち上げる。

 その動きは滑らかで、しかしどこか壊れた人形のようだった。


「俺の手で――ファウスト。貴様を、殺す」


 次の瞬間、角笛の音が世界を裂いた。


 ブォォオォオォオォ――


 地の底にまで染み込むような重音が木霊し、その反響に呼応するように、大地へ巨大な亀裂が走る。


「っ……クッ……!」


「救世主の復讐メサイア・ヴェンジェンスっ!」


 イリスは反射的に、防御魔法を展開するが薄氷のように砕け散った。


「なっ……! 私の……魔法が……!」


「この煙は魔法を“無効化”するぞ!」


「魔法を無効化!? じゃあ、どうしろってのよ!」


 答えが出るより早く、イリスとファウストの鼻から、ツーッと血が垂れ落ちた。

 魔力を乱され、身体の内側から破壊されている証拠だ。


「ゲート魔法は!?」


「無駄だっ……干渉されて、出せない!」


「私たち……何もできずに、殺られろって言うの!?」


「っ――!」


 逃げ場も、抗う手段もない。

 完全な絶体絶命。

 その瞬間だった。


 バンッ――!


 割り込むように、ファウストとイリスの目の前へ扉が現れる。


「二人ともっ! 早くっ!!」


 扉を開け放ち、ローザが叫んだ。

 考える暇はなくイリスとファウストは、同時に駆け込む。

 その背後からヘレナの必死な声が響いた。


「ファウストっ! あの場所で、待っていますっ!」


 その言葉にファウストの足が、ほんの一瞬だけ止まった。


「ファウスト! 早くっ!」


 イリスが動きを止めたファウストの腕を掴み、引き寄せる。


「ずっと、待っ――!」


 その声が途切れた直後、扉は音もなく閉じ闘技場の景色は、完全に断ち切られた。

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