42話 絶たれた魔力
ジジジジッ――。
微弱な振動とともに、魔力通信の術式が反応する。
数秒の遅れののち、わずかにノイズを帯びたファウストの声が頭の中に響いた。
『イリス、聞こえるか?』
「聞こえてるわよ。双子は無事?」
『あぁ。双子の魔人を保護した。これからそっちに戻る』
「了解。急いでね。待ってるから」
事務的な報告だけを残し、ファウストはプツリと通信を切った。
「………………はぁー……」
音が途絶えた瞬間、イリスは堪えきれず、重たげなため息を吐いた。
「ため息なんて珍しいわね」
「まぁ、ね……」
人間界にいるファウストの話しを盗み聞きしていたため、イリスは彼に起きた出来事をすべて把握していた。
隣でお茶を啜るローザに視線を向けながら、どこか煮え切らない態度を見せる。
「……ねぇ、ローザ。その……」
「やめてちょうだい。面倒事は嫌いなの」
「まだ何も言ってないじゃん!」
「言ってるのよ。あなたのその態度が」
「っ――」
「ただでさえ“魔眼持ちの双子の魔人”ってだけで厄介なのに、今度は何に首を突っ込んだのよ」
“双子の魔人は私たちには関係ない”そう言いかけたイリスだったが、すぐに口を噤んだ。
このタイミングで余計なことを口にするのは得策ではない、と理解していた。
「えっと……そのぉ……」
「勿体ぶらないで、早く言いなさい」
腹を括ったイリスは、観念したように口を開いた。
「その……魔法を操る人間の子供を……保護しました」
「……………………」
ローザから返事はなかった。
しばらく待っても何の反応もなく、不安になったイリスが顔色を伺うと、ローザは完全に固まっていた。
「……ローザ?」
恐る恐る名を呼ぶと、ローザはふっと我に返り、ティーカップをそっとテーブルへ置く。
「……イリス」
「は、はいっ――」
静かに名前を呼ばれただけで、イリスの肩がびくりと跳ねた。
「もう一度、言いなさい」
「は、はい……」
一呼吸置き、イリスは先ほどの言葉をもう一度繰り返した。
「魔法を操る人間の子供を……保護しました」
「魔法を操る……“人間”の子供?」
ローザは言葉を噛みしめるようにゆっくりと復唱した。
「はい……」
その反応は当然だった。
萎縮して縮こまるイリスの姿は、とても魔王とは思えない。
ファウストが向かった闘技場で何が起きたのかを説明すると、ローザは呆れたように長い息を吐いた。
「魔法を操る人間の子供なんて、聞いたことがないわ」
動揺を抑えるように、ローザはそっとお茶を口に含む。
「ただでさえファウストという存在が魔界の常識から外れているのに……。人間界で何が起きてるのよ」
深く、長いため息が漏れた。
「本当に、その子からは魔力が感じられないの?」
「はい……。ちゃんと、確認しました」
「はぁぁぁあーー」
さらに深いため息が返ってくる。
「その話が本当なら、その子供は魔界じゃ生きられないじゃない」
「っ、なので……ローザの力を借りたくて」
イリスの言葉に、ローザは眉間に手を当てた。
「どうしてあんたたち“父娘”は……揃って面倒事を運んでくるのよ」
するとローザは通信魔法で誰かとやり取りを始め、相手に次々と指示を出していく。
「どうにかするしかないじゃない……」
「あ、あの……なにか、できることがあれば――」
「当たり前でしょ! とりあえず一室、借りるからね!」
その直後、城外から大量の荷物が運び込まれてきた。
「あら、もう揃ったのね」
研究用の器具がすべて届いたようで、ローザは感心したように目を細める。
ふと、何かを思い出したように顔を上げた。
「――そういえば、ファウスト。遅くない?」
「え? あ……」
通信が途絶えてから、すでにかなり時間が経っている。
ゲートを使えるファウストなら、とっくに戻っていてもいいはずだった。
そんな話をしていると、イリスたちの目の前に、ゆらりと扉が現れる。
「噂をすれば、ね」
ギギギギィ――。
ゆっくりと扉が開き、中から姿を現したのは、半泣きになっている幼い双子の男女だった。
「双子……」
「この子たちが」
目立った外傷もなく、二人とも無事なようだ。
ローザとともに胸を撫で下ろしたものの、いくら待っても、ファウストだけが現れない。
「……ファウスト?」
イリスがその名を呟いた瞬間、双子がビクリと肩を震わせ、同時に顔を上げた。
「イリス! イリスはどっちだ!」
「イリスさんはどこですかっ!?」
双子は泣きそうな顔で周囲を見回し、必死にイリスの名を呼んでいた。
その異様な慌てぶりに驚きながらも、イリスは応じる。
「わ、私がイリスだけど……。ねぇ、ファウストは?」
女の子が、堰を切ったように涙をぽろぽろと零しながら叫ぶ。
「ファウストさんが……っ! 急に、すごい血を――!」
「え? ファウストが、何?」
確認しようと一歩踏み出した瞬間、扉は影に吸い込まれるように消えていった。
「え、ちょっと……ファウストがまだ――」
その時だった。
ズクリ、と胸の奥を抉られるような痛みがイリスを襲った。
「っ――!」
痛みに呼応するように、プツリとファウストとの魔力のつながりが途絶えた。
「…………え? ファウスト?」
瞬間、背筋を氷で撫でられたような悪寒が走る。
ファウストの魔力が、感じられない。
胸が痛い。
心臓を鷲掴みにされたように、呼吸が止まる。
「っ、ファウストはどうしたの!」
嫌な予感が、ゆっくりと確信へと姿を変えていく。
イリスはほとんど錯乱したように双子へ詰め寄った。
「アンタたち……まさか、ファウストを――!」
その瞬間だった。
ぶわり、とイリスから大量の魔力が暴発する。
怒りと恐怖が混じったその圧に、双子はカタカタと震え出した。
「イリス! 子供を相手に何してるの、やめなさい!」
「っ――!」
ローザの鋭い叱責に、イリスはハッと我に返る。
双子を傷つけかけた自分に気づき、反射的に飛び退くように距離をとった。
「ど、どうしよう……ローザ……ファ、ファウストが……っ、死んじゃう……!」
魔界に来てから、ファウストは幾度も致命傷を負ってきた。
それでもいつだって生き延びてきた。
だが、魔力そのものを感じ取れなくなるなんて、今まで一度もなかった。
胸の奥がざわつく。
呼吸が浅くなる。
思考がまとまらない。
「イリス、しっかりしなさい!」
あまりの動揺に震えるイリスを見て、ローザは即座に判断した。
ファウストがいる闘技場へと繋がる扉を、その場に出現させる。
「まだ間に合うわ! 早く行きなさい!」
「っ……ありがとう――!」
返事を言い終えるより早く、イリスは扉の向こうへ飛び込んでいた。
逃げるように。
追いすがるように。
ただ、ファウストの名だけを心の中で叫びながら。




