エピソード 38
闘技場の入口へと繋がる扉をくぐると、錆びついた鉄格子の向こうで双子の魔人と視線がぶつかった。
「おっ……おいっ! 止まれっ!」
闘技場で起きた騒ぎを聞きつけたのか、入口の周囲には騎士たちが隊列を組み、野次馬達が群がっていた。
「き、貴様っ……何者だっ!」
空間の裂け目のように現れた扉から、一人の男が歩み出る。
その異様な光景に、騎士たちは反射的に剣を構えた。
「止まれっ!」
鋼が擦れ合う音が一斉に響く。
だがその顔を見た瞬間、騎士の一人が青ざめ、震える声で叫んだ。
「ま、まさか……ファウストッ!」
その名が響いた瞬間、場の空気が揺れ周囲にどよめきが広がった。
怒号とざわめきが混じり合う中、ファウストは無数の刃をものともせず、静かに双子の魔人へと歩みを進める。
「止まれっ! それ以上動くと、貴様の首を叩き斬るぞっ!」
警告など意に介さず、ファウストは騎士たちに背を向けたまま、静かに鞘から剣を引き抜いた。
それを合図としたかのように、複数の騎士が一斉に駆け出す。
鋭い剣閃が、一直線にファウストの首を狙って振り下ろされた。
その瞬間、ファウストは躊躇なく指先を噛み斬り、滲み出た血を、自身の影へと一滴落とした。
「――操り人形の悪夢」
赤い滴が影に吸い込まれると、闇が波紋のように揺らぎ、輪郭を歪ませながら、やがてファウストと同じ姿をした影がゆっくりと起き上がった。
「騎士を無力化にしろ」
ファウストが短く命じると、影はふわりと霧散し、この場にいる騎士たちの影の中へと吸い込まれていった。
すると、騎士たちの動揺する声が重なる。
「なっ、なんだこれはっ!」
「どうなっている!」
騎士たちの足元で揺らめいていた影が、ぐにゃりと輪郭を歪ませた。
次の瞬間、それらは地面から浮かび上がるようにせり上がり、影でありながら“立体”となる。
現れたのは、騎士たちの姿をそのまま写し取った、黒い人形だった。
構えも体格も寸分違わず、彼らが手にしていた剣の影までもが実体化し、ギラリと不気味な黒光りを放つ。
「なっ……!?」
「か、影が……動いているだとっ!?」
影の騎士たちは本体に向かって無言のまま襲いかかる。
本物の騎士が構えた剣と、黒く歪んだ“影の剣”がぶつかり合い、甲高い音が響き渡った。
「今、助けてやるから離れてろ」
「――っ、ア……アンタは」
人と影の戦闘が繰り広げられる中、ファウストは双子の魔人が閉じ込められた鉄格子へ向かった。
南京錠に鋭い斬撃を叩き込む。
ガチャンッ――。
重い音を残して南京錠が床に転がる。
ファウストは剣を鞘に収め、鉄格子を押し開けると、双子へ手を差し伸べた。
「遅くなって悪かった。……帰ろう」
張りつめていた表情が緩んだ双子。
だが次の瞬間、少年は険しい目でファウストを睨みつけ、パシン、と乾いた音を立ててその手を払いのけた。
「アンタが……リーナの言ってた……」
少年は咄嗟に“リーナ”と呼んだ少女をファウストの陰から庇うように隠し、睨みつける紫の瞳が、怒りと警戒に揺れる。
「リーナに、近寄るんじゃねぇ」
少年の紫の瞳が、淡く光を帯び始め魔の気配が空気を震わせた。
「未来予知か……。お前は確か、最悪な未来を視るんだったな」
すると、少年は震える声で叫んだ。
「っ――。本当に英雄なのか……? アンタが、世界を滅ぼす姿が視える!」
震える腕で妹を背に庇い、少年は牙を剥くようにファウストを睨みつけた。
その瞬間。
「お兄ちゃんッ!」
甲高い叫びとともに、リーナが飛び込むように兄の腕へしがみついた。
泣き出しそうな顔で、震えながら必死に訴える。
「やめて! この人は……そんな人じゃない!」
「離れろ、リーナ! アイツはっ――」
「違うっ!」
リーナは首を激しく振り、兄を見上げる。
涙を含んだ瞳が、必死に“恐怖”と“迷い”を押し返していた。
「大丈夫……大丈夫だから。お兄ちゃん、私を信じて……」
「ッ、でもっ――」
「お願い、お兄ちゃん。私を信じて」
「クソっ――」
少年は、得体の知れないファウストへ向けられたリーナの信頼に腹を立てながらも、妹の必死の説得には逆らえず、渋々従った。
それでもファウストへ向ける視線は、疑念と警戒に満ちたままだった。
「……お前がどんな未来を視たか興味ない。でも今は時間がない。急いでくれ」
ファウストは短く告げると、少年とリーナを牢から連れ出し、魔力を通してイリスへ連絡をとった。
「イリス、聞こえるか?」
『聞こえてるわよ。双子は無事?』
「あぁ。双子の魔人を保護した。これからそっちに戻る」
『了解。急いでね。待ってるから』
通信を切ると、リーナが不安げにファウストを見上げ、おずおずと口を開く。
「あ、あの……帰るって、どこに?」
「ん? 魔界。今から俺と一緒に魔界に帰るから」
そう言ってファウストが手をかざすと、空間が軋むように歪み、魔界と繋ぐ扉がゆっくりと現れた。
その瞬間、さっきまで無関心を貫いていた少年が、勢いよく身を乗り出す。
「魔界に帰れるのかっ!?」
「あ、あぁ……」
少年の顔に広がった表情は、驚きよりも“安堵”の色が濃かった。
小さな身体であっても、妹を守ろうとする兄の責任と恐れは、重くのしかかっている。
同じ境遇だったファウストには、その重さが痛いほど理解できた。
「もう大丈夫だから、安心しろ」
「っ、オレは別に平気だしっ!」
強がる声とは裏腹に、その表情は牢の中にいた頃よりずっと柔らかかった。
「よく……頑張ったな」
「っ、子供扱いすんじゃねぇっ!」
言葉に棘を散らしてはいるものの、その震えた声は安堵の裏返しだった。
その不器用な強がりに、ファウストはくすりと笑う。
「さ、帰ろうか」
ファウストの背後では、影たちが騎士たちと無言で剣を交えている。
魔界へ繋ぐ扉が完全に姿を現したのを確認すると、ファウストはそちらへ視線を向け、短く命じた。
「……戻れ」
その一言で、影の騎士たちは揺らぎ、黒い霧のようにほどけていき、本来の“主の影”へと吸い込まれるように、黒い影たちは一点へと収束していく。
霧がまとまっていくように形を整え、最後には一つの輪郭となってファウストの足元へ落ち着いた。
その影はぬるりと立ち上がり、主人を守護するかのようにファウストの横へと並び立つ。
「早くこの扉に――」
双子を促そうとしたその瞬間だった。
空気を震わせるような、凛とした声が響き渡る。
「ファウストッ!」
ファウストの足が止まる。
耳に馴染みすぎて、忘れようとしても忘れられない声。
振り返るより先に、胸の奥がわずかに波打った。
声の主が誰なのか、考えるまでもない。
振り返ると、淡いピンク色の髪が、緩やかなウェーブを描きながら揺れていた。
日の光を受けてきらきらと輝くその髪の向こうで、
気丈な青い瞳がまっすぐファウストを捉えている。
「……ヘレナ」
まだ少女らしさの残る顔立ち。
だが、その立ち姿には幼いながらも気高さが宿っていた。




