エピソード 34
「無力化にすればいいだけのことだろ!」
この状況をようやく理解できた参加者たちの悲鳴が、闘技場に木霊する。
「あの子には、もう誰も殺させはしない……!」
ファウストは身を低く沈め、砂塵を巻き上げながら一気に間合いを詰める。
その瞬間、無表情だった少年の顔に、かすかな反応が走った。
掌に黒炎が灯り、爆ぜる音が空気を裂く。
――ドガァンッ! ドガァァアンッ!
連鎖する爆発音が闘技場を揺るがし、石床が裂け、砂煙が天へと吹き上がる。
轟音と共に衝撃波が押し寄せ、観衆の悲鳴が重なった。
「……なんつー威力だよっ!」
ファウストは足を止め、咄嗟に腕を上げて顔を庇う。
爆風に混じって襲いかかる熱気が肌を焼き、露出した部分が赤く爛れていく。
焦げた匂いが鼻を突き、喉がひりついた。
「死にたくないなら、会場の入口に向かえっ! ――狙いは俺だ!」
怒号は轟音に呑まれながらも、この戦いの参加者たちに届いた。
命からがらファウストの指示に従い入口へ逃げ惑う者、足を竦ませ呆然と立ち尽くす者。
混乱と恐怖が渦巻き、場内は修羅場と化す。
観客席でも悲鳴が絶えず、老若男女が押し合いへし合いしながら闘技場の出口に殺到していた。
中には転倒した者を踏みつけて逃げようとする者もおり、群衆の恐怖がさらに恐怖を呼んでいく。
「クソッ……」
ファウストは呻き、咄嗟に傷ついた腕をローブの袖で覆った。
焼け爛れた皮膚が、じわりと蠢くように再生を始め、赤黒い肉が音もなく塞がり、火傷の痕が見る間に消えていく。
その異様な光景を、誰にも悟らせるわけにはいかなかった。
少年との距離を再び詰めようとしたその瞬間、爆炎が地を裂くように舞い上がり、壁となって行く手を阻む。
観客席から悲鳴が響き、熱気に煽られた砂が炎に吸い込まれて消えた。
「焼き殺す気かよ――」
炎はうねりを増し、火柱が更に高く上がる。
観客たちは思わず顔を背け、何人かは膝をついて喘いだ。
「おいっ! 大丈夫か!」
煙を吸い込み、咳き込みながら崩れ落ちた参加者に駆け寄る。
砂と灰が舞い、熱気で視界が揺らぐ中、ファウストはその体を支えた。
「ここは危険だ!」
「ゴホッ……でも、どこに逃げれば……ッ」
「っ、来いっ!」
ためらう暇もなく、ファウストは参加者の肩を力強く抱え上げる。
灼熱の空気を裂くように走り、混乱する群衆をかき分けながら、闘技場の入口へと突き進んだ。
「チッ――。初めから生きて帰す気なんてなかったのかよ!」
重く閉ざされた扉に向かってファウストは叫び、鞘に納めていた剣の柄に手をかけた。
剣を抜き放った瞬間、剣身に青白い魔力が奔り、眩い光が刃を包み込む。
次の瞬間、振り抜かれた斬撃が厚い扉に叩き込まれた。
ズガァァアンッ――
闇を切り裂く閃光が走り、扉には光を帯びた亀裂が深々と刻み込まれる。
「――伏せろっ!」
怒号と同時に、ファウストは振り向きざま、飛来する炎へと剣を振り抜いた。
轟音を立てて迫っていた火球は、閃光の軌跡に真っ二つに断ち割られ、二つに裂けた炎が、空中で激しく爆ぜ散る。
ズドォンッ――!
唸りを上げる熱風が闘技場を駆け抜け、火花と火炎の残滓が、豪雨のように降り注いだ。
さらに、炎を斬り裂いた衝撃波が地を震わせ、ファウストの身体をも大きく揺さぶる。
「やっぱこの剣じゃ、ここまでが限界か……」
二度の斬撃だけで刀身に亀裂が入った剣を投げ捨てる。
すると、胸の奥にずしりと重い痛みが走り、視界がぐらついた。
「……ッ!」
その瞬間、皮膚の奥で何かがひび割れるように熱を帯び、変身薬の効力がぷつりと切れ始めた。
赤く染まっていた髪は色を失い、鮮烈な金色が根元から覗き始める。
頬を覆っていた影が薄れ、血色が戻り、偽装の仮面が剥がれ落ちていく。
そしてくすんでいた瞳が、じわじわと鮮やかな青に変わっていった。
「薬が切れたか……」
闘技場はざわめきに包まれる。
目撃した者たちは顔を見合わせ、動揺の声を漏らした。
「金髪……青い瞳……」
「まさか、お前は……ファウスト……!」
観客席の一角では、老人が震える手を合わせて膝をつき、かつて戦場で見た英雄の姿を思い出していた。
若い兵士たちは言葉を失い、民衆は信じられないという顔で口を覆う。
その反応は歓喜と恐怖の入り混じった複雑なもので、空気は一層混沌を増していった。
――英雄か、亡霊か。
闘技場にいた誰もが、その正体を確かめずにはいられなかった。
ざわめきは次第に大きな波となり、闘技場を呑み込んでいった。
歓声にも似た叫びと、恐怖の悲鳴が入り混じり、誰もが混乱に支配されていた。
「生きていたのか……! 本物の大英雄が!」
「いや、違う……処刑されたはずだ! あれは化け物だ!」
群衆の声は次々に重なり、収拾がつかなくなる。
英雄の名は畏怖と期待を同時に呼び起こし、人々の心を容赦なくかき乱していた。
その中心で、少年は微動だにせず立っていた。
無機質な瞳は虚空を映すだけで、そこに意思の光はない。
ただ黒炎が絶え間なく噴き出し、周囲を焼き払い、肉体という器を突き破らんばかりに暴走していた。
ファウストはその光景を見つめ、奥歯を噛み締める。
――これは戦っているのではない。ただ生きたまま炎に呑まれているだけだ。
自我を奪われ、力だけを振るう姿に、かつて救えなかった子供たちの影が重なり、胸が痛む。
「……もう十分だ」
低く呟き、拾い上げた新しい剣を握り直す。
この闘技場に取り残された人々を守り、そして目の前の少年を――必ず止める。




