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天魔の血脈  作者: 黒ひげの猫
王都断罪編 ①
33/44

エピソード 32

 ワアァァァァァァアァァアッ――!


 血の気の多い参加者たちが姿を現すと、観客席は興奮で揺れ、地響きのような歓声が試合会場を包み込んだ。

 押し寄せる歓声は地鳴りのように大地を震わせ、闘技場の空気を灼熱に変えていた。

 観客たちは立ち上がり、拳を振り上げ、名前も知らぬ参加者の登場に狂喜乱舞する。

 血の匂いを求める群衆の熱狂。

 それは祭りではなく、生贄を欲する獣の咆哮そのものだった。


『っ、何の音なの!?』


「相変わらずだな、この場所は……」


 ファウストは小さく呟き、ゆっくりと視線を巡らせた。

 石畳で造られた円形の広間は、大人が百人集まってもなお走り回れるほどの広さを誇っている。

 安全面を考慮してか、会場の周囲には大人二人分ほどの高さの壁がぐるりと築かれ、その外周には三段に分かれた観客席が設けられていた。

 数千人もの観衆が、見下ろすようにしてそこに陣取っている。

 床には無数のひび割れや凹みが残されており、ここで幾度となく激しい戦いが繰り広げられてきたことを、雄弁に物語っていた。

 


「おいおい、満席じゃねぇかよ……」


「それだけじゃねぇ! 立ち見客まで隙間なく詰まってやがる!」


 これほどの規模の試合は滅多にないのだろう。

 観客の視線を浴びるだけで興奮し、気分を最高潮に高めている参加者も少なくなかった。

 高鳴る歓声の中、煌びやかに装飾が施された貴賓席に視線が集まる。

 すると、小太鼓や管楽器の甲高い音色が響き渡り、場の喧騒を一気にかき消した。

 記念試合の進行役を務める初老の男が、声を張り上げる。


「これより、ローレル街闘技場・第千回記念試合を記念して本日は、ヒンツ・フォルスター国王、そしてアドルフ第一王子がお越し下さっている!」

 

 その瞬間、会場全体がざわめきに包まれた。

 観客の間からどよめきと歓声が交じり合い、いくつもの声が重なって大きな渦を巻く。


「国王だって!?」

 

「まさか直々に……!」

 

「第一王子まで揃うなんて……これはただの記念試合じゃないぞ!」


 やがて、貴賓席の奥からゆっくりと人影が現れる。

 ヒンツの頭上には黄金の冠が輝き、威厳を放つ姿は遠目にも圧倒的な存在感を示していた。

 その隣に並ぶのは、深紅のマントを翻す若き王子――アドルフ。


「……なんの偶然だよ」


 思わぬ人物の登場に、ファウストは反射的に体を強張らせる。

 進行役の紹介を受け、ヒンツとアドルフが貴賓席から姿を現した。

 二人は観客席に向け、上品さを崩すことなく、しかし堂々と手を振る。

 その仕草ひとつで、群衆は再び爆発するような歓声を上げた。

 だが次の瞬間。

 拡声器を通したヒンツの威厳ある声が、その熱狂を鋭く切り裂く。

 

「記念すべき千回目の試合――。今回の優勝景品は特別なものが用意されていると聞いている。結果を楽しみにしているぞ」


 王の挨拶は短く簡潔。

 それだけで、観客たちはさらなる期待に胸を膨らませる。

 ファウストはヒンツの隣に立つアドルフへと視線を移した。

 相変わらず、善人を装う仮面は一分の隙もなく貼り付いている。

 その徹底ぶりには感心すら覚えるが痩せこけた頬、目の下の隈、血の気の失せた青白い肌。

 その不自然さに、違和感を覚えざるを得なかった。


「……血でも足りてないのか?」


 皮肉とも独り言ともつかぬ声が漏れる。

 やがて、長く続いた来賓の紹介や試合形式の説明が終わりを告げると、場の空気は一変する。

 会場全体に、肌を刺すような緊張感が満ちていった。

 参加者たちの闘志が、炎のように立ち上っているのだ。

 剣を掲げて気勢を上げる者、肩を震わせながらも必死に前を睨む者、そして静かに両手を合わせ祈りを捧げる者。

 それぞれの呼吸と鼓動が、試合開始の瞬間を待ちわびて高鳴っていた。


「……ようやく話が終わったか」


 固まった肩の筋肉を解すように腕を回していると、背後から足音が近づいてきた。


「この俺様を挑発したこと、必ず後悔させてやるからな」


「アンタ……肉だるまかよ」


 振り返ると、控え室でファウストに絡んできた男が、下卑た笑みを浮かべて見下ろしていた。

 男は再び挑発的に前に詰めるが、ファウストの態度は微動だにしない。

 舌打ち一つして、男は苛立ちをあらわにした。


「チッ。この俺様を相手にそんな態度を取るなんて、命知らずもいいところだ。試合が始まったら真っ先にお前をズタズタにしてやる」


 男はいつでも斬り掛かれるよう、両手剣を構えた。

 刃先がわずかに震え、周囲の空気に冷たい緊張を添える。

 観客席からは「やれ!」「首を飛ばせ!」と下卑た声が飛ぶ。

 男はその声援に気を良くしたのか、唾を吐き捨てながら剣を振りかざし、今にも叩きつけんばかりに刃を揺らした。

 だがファウストは一歩も動かない。

 その瞳は相手の呼吸や肩の動き、握り込んだ指の力の入り具合さえ冷静に捉えていた。


「威勢がいいだけかよ」

 

 吐き捨てるように呟いた瞬間、チリチリとまるで全身の毛穴を貫いてくる刃のような、純然たる“殺意”の熱が走った。

 同時に、胸の奥がざらつき、皮膚の下を冷たいものが這い回る感覚に襲われる。

 観客の歓声が遠のき、世界が一瞬だけ水の底に沈んだかのように歪んだ。


 ――何だ、この気配は。

 

 耳の奥で小さな耳鳴りが生まれたその直後、慌ただしい声がファウストの脳裏に響いた。


『ファウストっ!』

 

 イリスの声だ。

 遠くから、そして切迫して。


『ファウスト! そこから早く離れて!』

 

「……は? 離れろって、もう試合が始まるんだぞ? ローザからの依頼はどうするんだよ」


「気味悪ぃな。誰と話してんだ……」


 突如として見えない相手と会話を始めたファウストに、男は冷ややかな視線を投げた。


『もうそんなことどうでもいいわ! ……嫌な予感がするの。とにかく、そこから早く離れて!』


 その声色に、ファウストは眉をひそめた。

 イリスがここまで取り乱すのは、これまでに一度もなかった。


「……何をそんなに焦ってるんだよ」

 

 イリスの焦りの理由を掴めぬまま、試合開始の合図を告げる小太鼓が鳴り響いた。

 観客席からは、熱気を帯びた期待の歓声が巻き起こる。

 人々はこの瞬間を待ち望んでいたのだ。


「これより――ローレル街闘技場、第千回記念試合を開始するっ!」


 進行役の張り上げた声に合わせて、甲高い笛の音が場内に突き抜ける。

 数千の喉が一斉に叫びをあげ、闘技場の空気が揺れるほどの熱狂が沸き立った

 

 パァァァアアァッ――。


『ファウストッ! 逃げっ――――!』


 イリスの悲鳴のような声が脳内を震わせた。

 観客の歓声、笛の音、進行役の声、そしてイリスの叫び。

 幾重もの音が渦を巻くその瞬間、それらを一瞬でかき消すように、地を割る轟音と、肌を灼く熱風が会場を貫いた。

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