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天魔の血脈  作者: 黒ひげの猫
王都断罪編 ①
31/36

エピソード 30

 ファウストは魔王城と人間界ローレル街を繋ぐゲートを潜り抜けた瞬間、眩い光に包まれた。

 

「っ、眩しい……」


 魔界の淀んだ空気に慣れていた目には、人間界の光はあまりに強すぎる。

 思わず片目を細めると、鼻先をかすめる風の匂いが違うことに気づいた。

 魔界の重たい空気とは違い、人間界の風はやけに乾いて軽い。

 鼻を突く鉄と土の匂い。

 耳に届くのは、遠くのざわめきと荷馬車の車輪の音。

 子供の笑い声が微かに届く。

 懐かしくも、どこかよそよそしい。


「……帰ってきた、か」

 

 久しぶりに踏みしめる人間界の大地。

 だが懐かしさを覚えるよりも先に、ファウストの視線は前方にいた一人の男に捕らえられた。

 パチリと、目が合う。

 

「へ……」

 

「あっ……」

 

 情けない声を漏らす男と、思わず間の抜けな声を上げるファウスト。

 本来なら人気のない裏通りを選んでゲートを開いたはずなのに到着早々、人間と鉢合わせるなんて思いもしなかった。

 ファウストは一瞬、体を強張らせる。

 

「え、え? どこから……どうやって……」

 

 動揺しているのはファウストだけではない。

 男もまた、目の前に現れた“ありえない存在”に狼狽していた。

 人の気配のない場所に、奇妙な方法で突如現れたのだから無理もない。

 男は罠でも仕掛けられているのではと、落ち着かない様子で周囲を見回す。

 そんな男に、ファウストは短く「悪い」と呟くと、その背後へと回り込み、口元を押さえた。

 

「ちょっとだけ眠っててくれ。――迷える子羊の眠り《ストレイシープスリープ》」

 

 低く囁かれた言葉と同時に、淡い光が男の瞳を包む。

 男の瞼はゆっくりと重くなり、抵抗の声も途切れ、ほどなく安らかな寝息を立て始めた。

 魔法が完全に効いているのを確認すると、ファウストは男を支え、そっと地面に寝かせる。

 その際、ふと視線に入った荷物の中に、今の自分にうってつけの品を見つける。

 

「……お、いい物あるじゃん」

 

 取り出したのは真っ黒なローブ。

 厚手の生地は埃にまみれ、擦り切れてはいたが、今のファウストにとっては格好の隠れ蓑だった。

 ためらいなく羽織り、フードを深く被る。

 

「変身魔法が掛かってるとはいえ……念には念を、だな」

 

 頭から足先まで覆い隠すそれは、顔までも影に沈めてしまう。

 これなら、よほどのことがない限り正体を怪しまれることはないだろう。

 

「よし……これで大丈夫か」

 

 身なりを整えたファウストは、闘技場へと足を向けた。

 通りを進むごとに、耳へ届くざわめきが大きくなっていく。

 肉を焼く匂い、酒の香り、怒鳴り声や笑い声が入り混じり、空気は熱気に満ちていた。

 その中に混ざって、かすかに魔力の気配が僅かに強まる。

 途切れ途切れで頼りないその波動に、ファウストは眉をひそめた。

 

「大分、弱ってるな……」

 

 眉をひそめつつ魔力を辿り進むと、闘技場の正面入り口には、既に人集りが出来ていた。

 

「ローレル闘技場、記念すべき千回目の試合だ! 優勝者には特別な景品を用意したぞ!」


 小太りの男が手にした鉄棒で檻を叩く。


 カァァン――。


 甲高い音が響き渡り、ざわめいていた観衆の視線が一斉に檻へと集まった。


「ちょっと通してくれ」


 ファウストは人の壁をかき分け、騒ぎの中心を覗き込む。

 そこで目に飛び込んできたのは、檻に閉じ込められた幼い双子の姿だった。

 顔や体には無数の傷が走り、服は布切れ同然。

 殴られ、蹴られ、踏みつけられた痕跡が生々しく刻まれている。

 うつむく小さな肩が震えるたび、ファウストの胸の奥に過去の記憶が蘇る。


「……やっぱりか」


 否応なく、幼い日の自分を重ねずにはいられなかった

 

「今回の景品はなんと――不思議な力を持つ双子の兄妹だ!」


 ガシッ。


「いッ、痛ぇっ! 触るな、ジジイ!」


「黙れ、小僧!」


 男は檻越しに少年の髪を掴み上げ、無理やり瞼をこじ開ける。

 現れたのは、妖しく輝く紫の瞳。


「うわっ……!」

 

「人間の目じゃない……!」


 観客の間から短い悲鳴が上がる。


「見たか! この双子の正体は――かつて人間を襲い、多くの命を奪った魔族の子供なのだ!」


 ざわつく群衆。

 恐怖と嫌悪の声が渦を巻き、誰かが「処刑しろ!」と叫ぶ。

 その一方で、物珍しげに身を乗り出す者もいる。

 だが男はさらに煽るように続けた。


「それだけじゃない! この子供達には、不思議な力が宿っている!」


 今度は少女を引きずり出し、右目を無理やり開かせる。

 そこには銀色に煌めく瞳。


「やめろ! リーナに触るな!」


 少年の叫びも届かず、観客の視線は銀の輝きに釘付けになった。

 好奇心と欲望が混じり合い、口々にざわめきが広がる。


「兄は――最悪の未来を。妹は――幸せな未来を! 二人を合わせれば、この先の人生を迷うことなく歩めるのだ!」


 一度は逃げ腰だった観客たちが、再び足を止め熱気を帯び始める。

 恐怖は欲望へと姿を変え、人々の目は獲物を見つけた獣のようにぎらついていた。


「ちょいとそこの兄さん!」


 檻の前に立つ小太りの男が、最前列にいた観客を指差した。


「未来のアンタの姿、知りたくはないか? ほら、未来の嫁さんを見られるかもしれねぇし、これから起こる不幸を先に知って避けることだってできるんだ!」


 声を張り上げ、わざとらしく観客を煽る。

 その言葉に周囲の観客たちは沸き立った。


「おお、そりゃすげぇ!」

 

「金持ちになれるかどうかもわかるんだろ!」

 

「俺も見てもらいてぇ!」


 どよめきは熱狂へと変わり、渦のように広がっていく。


「さぁ! あの方の未来を言うんだ!」


 小太りの男は檻を叩きつけ、双子に怒鳴りつける。

 

「黙ってねぇでさっさと口を開け! お前らの“力”を皆に見せてみろ!」

 

 少年は歯を食いしばり、観客から目を背けた。

 

「……い、嫌だっ……」

 

 震える声。

 だがその瞬間、男の拳が容赦なく檻を叩きつけた。


「言えッ!」


 怒号が響き、少年はついに観念したように目を開く。

 紫色の瞳が妖しく光り、視線の先にいた観客を射抜く。


「……あんたは……酒に溺れて、数年後に……死ぬ……」


 観客席にざわめきが走る。

 

「な、何だと……? 俺が……?」

 

 指名された男は顔を真っ青にし、後ずさった。

 すかさず小太りの男が、今度は少女の肩を乱暴に掴む。

 

「次はお前だ! 今度は幸せな未来を言え!」


 銀色の瞳が開かれる。

 少女は涙を溢しながらも、か細い声で告げた。

 

「……あの人は……家族に囲まれて、静かに……幸せに……」


「おおぉぉ!」

 

 観客の間から歓声が沸き上がる。


「へへっ、兄さん。アンタ酒癖が悪いのかい?」

 

「おい、こいつ当たってんじゃねぇか? この前も酒場で暴れてただろ!」


 茶化すような笑い声が起こり、当の男は顔を真っ赤にして怒鳴り返した。

 

「ち、違う! 俺はそんな……!」


 だが群衆の笑いは止まらず、まるで見世物を囃し立てるように声が重なる。

 その狼狽を見て、小太りの男は勝ち誇ったように両腕を広げる。

 

「どうだい! 見ただろう? この力は本物だっ!」

 

 残酷な強制に震える双子と、それを面白がる人々の温度差に、ファウストの胸の奥で黒い怒りが煮え立っていく。

 ファウストの胸に広がっていた嫌な予感は、確信へと変わっていた。

 男は檻を叩きながらさらに声を張り上げた。

 

「力を欲しければ――さぁ、闘技場へ! 誰がこの双子の力を手にするか、決めるのは今だ!」


 観衆は押し寄せる波のように、自然と闘技場の入り口へと誘導されていく。

 闘技場に歓声と欲望が渦巻く中、檻の奥で小さく震える銀の瞳の少女と、ファウストの視線が交わった。

 その瞳には恐怖と絶望がにじみ、声も震える。


「……お願いっ、助けて……」


 小さな声は、群衆の喧騒にかき消されそうになるが、ファウストの胸には鋭く突き刺さった。

 まるで、過去に自分が味わった痛みの記憶が、呼び覚まされるかのようだった。

 

「あぁ。今、助けてやる」

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