エピソード 23
ファウストとイリスは、港町の市場に立ち並ぶ屋台をのんびりと巡っていた。
「この町は海に面しているからな。海産物が安く手に入ることで有名なんだ」
「なるほど。だから魚を扱っている屋台ばかりなのね!」
イリスは足を止め、並べられた料理を興味深そうに眺める。
塩気を帯びた潮風と、炭火にのせられた魚の香りが鼻をくすぐった。
通りを行き交う人々の声は活気にあふれ、子供たちのはしゃぐ声、行商人の威勢の良い呼び込みが、まるで波のように押し寄せては引いていった。
「ここの屋台は、魚の香草焼きが美味いんだ。……香草焼きを二人分くれ」
ファウストが声をかけると、店主は頷き、串に刺した魚を大きな葉で包み、炭火の上に置いた。
パチパチと弾ける音とともに、香草の爽やかな匂いが漂ってくる。
「二つで銀貨六枚だ」
「……前より高くなってないか?」
眉をひそめるファウストに、店主は肩をすくめて答える。
「そりゃあな。安全だって評判だったこの町も、もう昔のままじゃない。物価も上がっちまったし……兄ちゃんたち、旅の途中で寄ったんなら、長居せずに早めに出るこった。身のためにな」
「…………あぁ。必要な物が揃ったら、すぐに出ていくさ」
ファウストは店主から料理を受け取ると、隣のイリスに手渡した。
「温かいうちに食べよう」
「…………さっきの話、詳しく聞かなくてよかったの?」
イリスが問いかけると、ファウストは間髪入れずに答える。
「あぁ。――もう“大英雄”なんて、この世にはいないんだから」
「……そう。アンタがそう言うなら、私からは何も言わないけど」
その答えを聞いたイリスは、どこか不服そうな表情を浮かべる。
二人は市場の一角に置かれた木のベンチに腰を下ろし、ようやく一息ついた。
香草に包まれ、弱火でじっくりと焼かれた魚はふっくらと柔らかく、芳しい香りが辺りに漂っている。
「その魚は骨が多い。気をつけろよ」
「……そんなに心配しなくても平気よ」
イリスは魚を包む葉を慎重に剥がし、立ちのぼる湯気を胸いっぱいに吸い込む。
次の瞬間、豪快にかぶりつき数日ぶりのまともな食事に、思わず頬を緩ませた。
「美味しいっ!」
「だろ? 俺もこの飯が好きで、よく食べてたんだ」
ファウストも負けじと魚にかぶりつき、口いっぱいに頬張った。
二人はあっという間に平らげてしまい、まだ物足りなさそうなファウストは、そわそわと周囲の屋台へ視線を走らせる。
「他にも美味い料理を出してる店がある。行ってみるか?」
食欲に火のついたイリスは、パッと目を輝かせ、ファウストの手を引いてベンチから立ち上がった。
「早く行こう! まだまだ食べられるわ!」
「分かった、分かったから落ち着けよ」
そうして二人は屋台を次々と巡った。
魚の揚げ物に、貝を煮込んだスープ。
気づけば両手に持ちきれないほどの料理を抱え、笑い合いながら食べ歩いた。
屋台の店主たちは最初こそ珍しげに二人を見ていたが、次々と平らげていく様子に感心し、時にはおまけを渡してくれる者までいた。
五軒目にしてようやく足を止めることになった。
「……食べすぎて、もう動けないかも……」
その言葉に、ファウストはただ無言で頷くしかなかった。
普段から元気いっぱいのイリスだったが、この日は普段の倍以上を平らげ、ついには表情を引きつらせ、どこか遠くを見つめていた。
「はぁ……。買い出しは俺がやるから、お前は少し休んでいろ」
呆れ半分の表情を浮かべながら、ファウストはイリスを日陰へ座らせると、一人で市場へと向かっていった。
残されたイリスは、買い物をするファウストの姿をじっと見つめる。
「ちゃんと、人間の中に溶け込めているじゃない……」
あの時は必死だったとはいえ、ファウストを魔界へ連れ去ったことに、イリスの胸には今も負い目が残っていた。
他にもっと、彼にとって良い方法があったのではないか。
そんな考えが頭から離れない。
そっと立ち上がると、イリスは魔眼で景色をなぞりながら、目指す場所へ歩き出した。
「確か、この辺りのはず……」
賑わう市場を離れ、古びた家並みの前に辿り着く。
放置された草木が道を覆い、苔むした井戸がぽつりと立つ。
朽ちかけた家々には人の気配がなく、この一帯だけ時が止まったようだった。
「市場からそう離れていないのに……」
耳を澄ませば、遠くから人々の喧騒がかすかに届く。
明るい市場と、静まり返ったこの一角。
対照的な空気の落差に、イリスは足を止めた。
奥へ進んだイリスの視線の先に、素朴な造りの礼拝堂が現れた。
「ここね……」
礼拝堂の脇に立つ銅像に、イリスは足を止める。
胸の前に剣を構える青年の像。
蔦に覆われ、手入れもされていないが、その顔立ちは、イリスのよく知る“ある人物”を思わせた。
近づいて見ると、像の足元には古びた花束が置かれている。
誰かが忘れずに祈りを捧げていた名残なのだろう。
「……なにが、大罪人よ」
イリスは銅像に絡みついた蔦を剥ぎ取り、ようやくその全体を陽の光にさらした。
古びてもなお、その剣を構える姿は凛として力強く、町の人々が英雄をどう記憶していたかを物語っていた。
「――東の町の英雄、ファウスト・ライウス。……やっぱり懐かしいんじゃない」
しばらく銅像を眺めていると、背後からまだ幼さの残る声がした。




