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天魔の血脈  作者: 黒ひげの猫
王都断罪編 ①
23/44

エピソード 22

 食材を求め、ファウストと共に王都クレスチナ東の町を訪れたイリスは、目を輝かせていた。


「すっっごい!」


 生活感あふれる町並み。

 威勢よく声を張り上げる商人たち。

 屋台から漂う香ばしい匂いは、否応なく空腹を刺激する。

 その全てが、イリスの好奇心を煽ってやまない。

 大通りは、まだ朝だというのに人でごった返していた。

 色とりどりの布地や香辛料を並べる商人、荷馬車を操る若者、子どもを抱えながら野菜を売る女性。

 人の生活そのものが熱気となって溢れ出している。

 魔界育ちのイリスにとっては、全てが目新しい光景だった。

 

「ファウスト! 早くアンタも来なさいよ!」


 心躍らせるイリスとは対照的に、ファウストの顔は青ざめていた。

 この国で「ファウスト」という名は、かつて人類を救った英雄の名であり、同時に国家転覆を企んだ裏切り者として知られた名でもある。

 だからこそ人間界に滞在する間は偽名を使うよう、口酸っぱくイリスに言い聞かせてきた。

 余計なことは絶対にしない、と胸を張って宣言していたイリス。

 だが、その時間は無意味だったとしか思えないほど、イリスは堂々とファウストの名を叫んでしまった。

 周囲の視線が一斉にファウスト達へと注がれる。

 「ファウスト」という響きがもたらす記憶と噂が、人々の間にざわめきを広げていった。

 

「何してるのよ! 私、お金持ってないんだから!」


 自分が注目の的になっていることに気づいていないイリスは、棒立ちのファウストに大きく手を振った。


「もう、お腹が減ってるんだから早くしてよね!」


 駆け寄ったイリスは、心配そうにファウストの顔を覗き込む。


「大丈夫? なに、もしかしてお腹痛いの?」


 ピタリと硬直したままのファウスト。

 その様子に首を傾げたイリスだったが次の瞬間、ファウストの手が彼女の頭を叩いた。

 パシン、と乾いた音が響く。


「いったぁ! ちょっと、なにするのよ!」


「何するんだはこっちの台詞だ、このバカッ! あれほど俺の名前を呼ぶなって言ったのに、お前は……っ!」

 

「あっ……」


 自分の失態に、ようやく気づいたイリス。

 無自覚だったことを物語るその表情。

 しかし、もう遅い。

 周囲では囁きが渦を巻いていた。


「今、あの娘……ファウストって言ったぞ」

 

「まさか……あの処刑されたはずの男が?」

 

「いや、でも……確かに、あの男に向かってファウストって――」

 

 不信と恐怖、そして好奇が入り混じった声が飛び交う。

 数人の商人は荷を下ろし、衛兵を呼ぼうと走り去る者まで現れる。

 ささやきは瞬く間に波紋のように広がり、ただの通行人までもが足を止めて彼らを見つめていた。

 英雄の名が持つ重みは、時を経てもなお人々の心に深く刻まれている。

 だがそれは憧憬ではなく、恐怖と猜疑心を伴った記憶だった。

 

「無意識だったの! 仕方ないじゃない、呼び慣れてないんだから……」


 不貞腐れた声に、ファウストは深くため息をついた。


「……お前も知ってるだろ。俺がなぜ処刑されることになったのか」


 言葉は低く、鋭い。

 吐き出した言葉は自分自身への確認のようでもあった。

 イリスが本当に理解しているのかを確かめるように、再度釘を刺す。


「ファウスト・ライウスという存在そのものが、もう罪なんだよ」


 一瞬、空気が冷え込んだ。

 イリスは視線を逸らし、小さく呟く。


「……わかってるわよ。次からは気をつけるから」


「今の俺は“ギル”。そういうことにしておけ」


「なんだか……そこらにいそうな、ありふれた名前ね」


「――それでいいんだよ」

 

 自分の存在そのものが罪だと語ったファウスト。

 けれどこの町に入ってから、ファウストがどこか懐かしそうに周囲を眺めていることに、イリスは気づいていた。

 市場の喧騒、行き交う人々の声。

 それはかつてファウストが守った世界の断片だった。

 彼の横顔をじっと見つめながら、イリスは問いかける。


「……なんだよ」


「懐かしいの?」


 その一言に、ファウストは眉間に皺を寄せる。


「勝手に人の心を読むな」


「気づいてる? 今の自分が、どんな顔してるか」


 言葉に詰まり、ファウストはわずかに目を逸らした。


「……知るかよ。興味ねえよ。――ほら、腹減ってんだろ。先に何か食おう」

 

 これ以上この話に触れられたくないのか、ファウストはイリスを置き去りにして市場の方へ歩を進める。

 残されたイリスは、その背中を見つめながら七色に光る魔眼をそっと開いた。

 ――大英雄と呼ばれたファウストの影。

 ――この町を揺るがした戦闘。

 ――ファウストに救い出された若い娘。

 ――祈りに満ちた素朴な礼拝堂。

 ――そして、町の中央に立つ銅像。

 魔眼が映す断片は、まるで時の層をめくるように鮮やかに浮かび上がる。

 そこには英雄としてのファウストの姿と、人々に記憶された彼の残滓が刻まれていた。


「……嘘つき」


 小さく呟く声は、雑踏のざわめきに掻き消される。

 イリスは魔眼を閉じ、静かにファウストの後を追った。

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