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天魔の血脈  作者: 黒ひげの猫
王都断罪編 ①
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エピソード 1

 魔族の無慈悲な殺戮により滅亡寸前まで追い込まれた人類を救った大英雄、ファウスト・ライウス。

 今日、彼は処刑される。

 ――罪状は、国家転覆罪。



 

 場所は『フォルスター王国』

 フォルスター王国は、人間界に七つある王国の一つ。

 そのなかでもフォルスター王国は随一の貿易大国として名高い。

 その理由は明白だ。

 広大な領土に加えて海にも面しており、農作物や海産物が豊かに実る。

 貿易の中心地である王都『クレスチナ』には、国内外から多くの行商人が訪れ、活気に溢れていた。

 日々行き交う人や金、物の流れを静かに見守るように、クレスチナの中心には豪勢な造りの王城が堂々と聳え立っている。

 この王城は、商いの賑わいをただ見つめるだけでなく、街全体の秩序と治安を維持する役割も果たしていた。

 王都クレスチナが貿易都市の中心地として発展する少し前――。

 人の流入と共に治安悪化を懸念する声が住民の間で高まり、先代である第二代目国王は莫大な資金を投じて、王城の地下に新たな監獄を建造した。

 その名は『アブソリュート監獄』

 王直属の騎士団によって厳重な警備と監視が敷かれ、一度足を踏み入れた者は、その人生の大半をそこで終えると言われている。

 噂は瞬く間に国内へと広まり、やがて他国にもその名は知れ渡った。

 完成から数十年が経った今も、アブソリュート監獄は一度としてクレスチナの治安を揺るがすことなく、街の平穏を陰から支え続けている。

 


 

 アブソリュート監獄――地下第十階層。

 最下層には、狂気に取り憑かれた殺人者たちの怒号が、まるで獣の咆哮のように響き渡っていた。

 その騒々しい喧騒の奥深く、ひっそりと黒鉄で造られた一枚の扉が存在する。

 漆黒に塗り固められたその扉は、誰もが自由に開けられるものではない。

 それは、現フォルスター王国第三代目国王──ヒンツ・フォルスターによって「特別な者」にのみ開扉が許された、王家の最深の秘匿。

 その存在を知る巡回騎士たちの間では、いつしかそれは「秘密の牢獄」と囁かれるようになっていた。

 血と錆の匂いが混じり合う腐敗した空気の中、一際異質な気配がその扉の前に立ち現れる。

 上質な毛皮をあしらった漆黒のマントに身を包み、堂々と歩みを進めるのは、フォルスター王国第一王子──アドルフ・フォルスター。

 数多の護衛兵を引き連れ、彼は静かに、しかし確かな意志を持って、黒き扉の前へと歩を止めた。

 

「すぐに戻る」

 

 アドルフは護衛兵達を数歩後方へ下がらせると、懐から一つの鍵を取り出した。

 装飾のない、粗末な造りのそれを錠前に差し込み、ゆっくりと扉へ手を掛ける。

 

 ――ズズズズッ。

 

 重々しい金属が地を擦る音が、地下深くに低く響いた。

 開いたその先に広がっていたのは、灯火ひとつない、漆黒の闇が支配する空間。

 アドルフは護衛の一人から火の灯った燭台を受け取り、それを手に暗がりへと足を踏み入れる。


 ――カチャ。


 静寂の中、燭台の光に応えるように、奥から鎖が軋む音が微かに聞こえてきた。


「……まだ生きていたのか」


 鎖の軋む音を耳にしたアドルフは、唇の端を吊り上げ、どこか邪悪な気配を孕んだ笑みを浮かべた。

 音の方角へと数十歩、ゆっくりと歩を進める。

 燭台の薄明かりが揺らめく先に、錆びついた鉄格子が並ぶ牢屋群が浮かび上がってきた。


「っ……ここから……出してくれ……」


 かすかに掠れた男の声が、牢の奥から洩れた。

 その声は今にも消えてしまいそうなほど弱々しく、喉が枯れ果て、言葉の端々が苦しげに途切れている。

 アドルフは手にしていた燭台をその牢へと近づけた。

 薄暗がりの中から、ようやく人の姿が現れる。

 ひどく痩せ衰えた、一人の青年だった。

 浮き上がった肋骨の影。

 肉の落ちた手足は枯れ枝のように細い。

 手首には重々しい鎖がかけられ、足元には動きを封じる分厚い足枷。

 その姿は、もはや人というより、幽鬼に近い。

 長くこの闇に囚われていたのだろう。

 青年は目に力を宿すこともなく、ただ項垂れたまま、静かに光を受けていた。

 アドルフは静かに牢の鍵を開け、中へと足を踏み入れた。

 項垂れている青年のもとへ歩み寄ると、無造作にその髪を掴み、顔を無理やりこちらへ向けさせる。

 空ろに開いた瞳孔が、怯えるように左右に細かく揺れ動いていた。

 アドルフは、その揺れる瞳をじっと見つめた。


「……さすがのお前でも、酷い顔をしているな」


 そう言いながら、乾ききってひび割れ、血の滲んだ青年の唇を、アドルフは指先でなぞった。

 冷ややかで、慈しみのかけらもない手つきだった。


「お前の“主人”が、わざわざ会いに来てやったんだ。少しくらいは何か言ったらどうだ?」


「……ここから、出してくれ……」


 音も光も存在しない深い闇に独り閉じ込められ続けていた影響か、青年の声はうわずり、先程と同じ言葉を繰り返す。


「……そんなに、ここが嫌か?」


 アドルフの声はどこか愉しげだった。

 青年の体が小刻みに震え始め、呼吸は徐々に乱れていく。

 過呼吸のように、苦しげに浅く、短く。


「ハァッ、ハァッ……ハァッ……お願いだ……何でもするから……俺を、ここから……出してくれ……!」


 震える手が、必死にアドルフへと伸ばされる。


「……妹に……リュドミラに、一目でいい……会わせてくれ……っ!」


 青年は声をふり絞って懇願した。

 だが、その手はアドルフによって無情にも振り払われる。


「――それは、無理な願いだ」


 そう告げると、アドルフは手にしていた燭台を青年の顔の近くに寄せる。

 ふっと光が青年の顔を照らし出す。

 やせ細ったその身体はもはや生気の欠片もない。

 それでもなおどこか、儚い美しさを宿していた。

 完璧という言葉が陳腐に思えるほど、青年の顔は整っていた。

 形の良い目・鼻・唇が均整を保って配置され、透明感のあるブロンドの髪は燭台の灯りを反射して静かに煌めいている。

 その髪の隙間から覗く瞳は、青みを帯び、まるで雲ひとつない空をそのまま閉じ込めたかのような色をしていた。

 アドルフはその顔を見つめ、うっとりとした表情を浮かべる。

 そして、まるで壊れ物に触れるような手つきで、青年の頬をそっと撫でた。


「……お前を失うのは、惜しいんだ」


 その言葉に、青年は乾いた笑みを浮かべた。

 鎖に繋がれた腕をわずかに持ち上げ、アドルフの手を力なく払う。


「……ハッ。そういうことかよ」


 虚ろな目でアドルフを見据えながら、言葉を吐く。


「アンタもずいぶん悪趣味になったなと思ってたけど……俺がここにいるのも、アンタ達の“計画”の尻拭いってわけか」


 アドルフは鼻先で笑った。


「……フン。まだ減らず口を叩く余裕があったとはな」


 青年は視線を逸らし、静かに天を仰いだ。

 そして、深く、ゆっくりとした呼吸を何度も繰り返し、荒ぶる感情を必死に押し沈めていく。

 自分の身に、これから何が起こるのか。

 それを悟ったのか、答え合わせをするようにアドルフにゆっくりと問いかけた。

 

「……俺はもう用済みだから、今度は処刑される罪人になれってことか?」

 

「ああ。そうだ。明日の昼、王城前の広場で、お前の公開処刑が正式に決まった」

 

 アドルフは、間を置くことなく即座に答える。


「……あぁ、そうかよ」

 

「…………命乞いはしないのか?」

 

 死を告げられたというのに、あまりにも静かな青年に、アドルフは訝しげに問う。

 

「命乞いなんて、今さら意味ないだろ。罪人の言葉なんて、誰も耳を貸さない。それに、仮に聞いてもらえたところで、結局……俺はいつもみたいに殺されるんだろ?」

 

 アドルフは、先程手を払われたにもかかわらず、なおも名残惜しそうに青年の首筋に手を這わせる。

 

「神と同等の特別な力を持つお前なら、死ぬことはないはずだ」

 

 その言葉を聞いた青年は、あきれたように鼻で笑った。

 

「フッ……どうだかな。さすがに首と胴が離れたら、死ぬのは当然だろ。この力を、過信しすぎなんだよ。アンタ達は」

 

 その反抗的な態度に、アドルフは眉間に皺を寄せ、語気を強めて否定する。

 

「いいや。お前は、たとえ死んだとしても必ず生き返る。なぜならお前は、この世界を魔族から救った“大英雄”ファウスト・ライウス、なのだからな」

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