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貴方が要らないと言ったのです

作者: 藍田ひびき

「アイリス、お前とは離縁する」

「そうですか」


 淡々と答えた私に、夫ケヴィンが驚いたような顔をした。


 何を驚くことがあるのかしら。

 とっくに私たちの夫婦関係は破綻している。いつ離縁を言い出されても、おかしくないと思っていた。


「ですが、良いのですか?メイランド男爵家からの援助が無くなりますわよ」

「構わん。もう赤字からは回復した。新しい事業も順調だ」


 気を取り直したのか、夫は椅子にふんぞり返って薄笑いを浮かべた。


「お前はただでさえ容姿が地味な上に、家政を取り纏めることも出来なかった。そんな無能な女にいつまでも居座られては困るんだ。メイランド男爵の助力が無くてもやっていけるようになった今、お前はもう必要ない」


 あまりの言い様に、頭に血が上る。

 しかし隣に立つ侍女メイベルが鬼の形相で彼を睨みつけているのを見て、逆に頭が冷えた。


「分かりました」とだけ答え、私は離縁届にサインをする。


 私がどれだけこの家のために努めてきたのか。

 メイランドからの支援が無くなればどうなるか。


 教えてやる気などない。無能な妻の言葉なんて、要らないでしょうから。




「なんて恩知らずな……!困窮していたサージェント家が立ち直ったのは、アイリス様とメイランド家のおかげですのに」


 メイベルはぷりぷりと怒りながら荷物を纏めている。

 主人の前で感情を見せるなど本来ならば侍女失格なのだろうが、先程は彼女が先に怒ってくれたおかげで冷静になれた。


 サージェント伯爵家は古くは王族が降嫁したこともあるという、由緒正しい家柄だ。領地には宝石を産み出す鉱山が多数有り、それを使った宝飾品で財を成した。

 しかしその栄華も今は昔。

 採掘量は変わらないものの売り上げは落ち込み、凋落の一途を辿っている。

 

 それを打開すべく、サージェント伯爵は息子ケヴィンとの縁談を裕福な我が家へ持ちかけた。

 しかし当のケヴィンはそれが大層不満だったらしい。

 

「俺は、もっと美しく高貴な家柄の女性を妻に迎えたかったんだ」


 初夜を迎えようとするその時に、顔を歪めた夫にそう言われた。

 その後は一度も床を共にしていない。

 

 見かねた義父が注意したらしいが、「君が父に頼んだのか?なんとはしたない……これだから下賤な男爵家の娘など嫌だったんだ。抱いて欲しいなら、せめてその陰気な見た目をなんとかしろ」と心底見下すような目を向けられた。


 私は何も頼んでいない。思いやりのかけらもない男との閨事など、私だって願い下げだ。

 

 夫からは顔を合わせる度に難癖を付けられる。


「いつも陰気な顔で鬱陶しい。視界に入るのも不快だ」

「顔が地味なんだから、せめてもう少し着飾れば良いものを。少しは母上を見習え」

「帳簿もロクに付けられないらしいな。母上にばかり負担を掛けて、申し訳ないと思わないのか」

 

 それでも義父が生きているうちはマシだったと思う。

 伯爵が病に倒れ亡くなり、ケヴィンが伯爵位を継ぐと私への当たりはさらに強くなった。

 

 義父の手前大人しくしていた義母も、ねちねちと嫌味をぶつけてくる。


「ケヴィンには、もっと良いところのご令嬢をと思っていたのに」

「食事の作法がなってないわ。男爵家ではどんな躾をされてきたのかしら」


 当主とその母親がそんな態度なものだから、使用人たちも私を軽んじるようになった。

 侍女は私に関する仕事だけ雑。冷め切った料理を出され、部屋の掃除もおざなりだ。

「ケヴィン坊ちゃんに岡惚れして、金の力で妻の座を手に入れた悪女」と聞こえよがしに言われたこともある。

 

 夫にどうにかして欲しいといっても無駄だった。

 むしろ「我が儘ばかり言って使用人を困らせるな!」と怒鳴られる始末。

 

 だから私は父を頼り、実家の侍女メイベルを寄越して貰った。

 それを知った夫が「俺へのあてつけか?お前の分の予算を増やすつもりはないからな」と言ってきたから、メイベルの給金は父が出していると答えたら言葉に詰まっていたわね。

 

 我ながらこんな生活を三年も、よく続けていられたと思う。

 だけど、それももう終わり。

 今となっては子供が出来なかったのは幸いだったわ。


「奥様。嫁がれてから購入したものは、持って行っても良いと旦那様が」


 ノックと共に入ってきた執事アンガスが、遠慮がちにそう伝えてきた。


「この家で買える程度の物など要らないわ。捨てるなり売るなり、そちらの自由にして頂戴」

「そう、ですね……。このような次第になってしまい、誠に申し訳ございませんでした」

「貴方が悪いわけではないわ」

 

 前伯爵が亡くなった後、メイベルの他はこの屋敷で彼だけが私の味方だった。

 彼がケヴィンに何度も忠言していたのを知っている。夫が耳を貸すことはなかったけれど。

 

 わずかの手荷物を持って馬車に乗る私とメイベルを見送り、老執事は深々と頭を下げた。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 


「ようやくあの女と縁が切れたか」


 離縁届が無事に受理されたという報告を受け、俺は叫び出したい気分になった。やっと不本意な結婚生活より解放されたのだから、はしゃいでしまうのも無理ないだろう。


 俺の母は麗しい人だ。

 いつだって母は誇り高く、また美しい。艶やかなドレスに身を包んだ姿は社交界で注目の的だ。

 だからといって家庭に手を抜く事も無い。俺のことは慈愛深く、時に厳しく育ててくれた。妻にするなら、母のように高貴で美しく賢い女性にしようと心に決めていた。

 

 父の事も尊敬はしている。

 だが母は時折「あの人は優秀なのだけれど、少しお金に厳しい所があるのよね。伯爵家の体裁を整えるために仕方のない出費だと言っているのに、渋い顔をするの」と愚痴っていた。


 サージェント伯爵家の血を引いているのは母であり、父は係累の子爵家からの入り婿だ。この国では女性に継承権が無いため、父が伯爵位を継いだに過ぎない。育ちが違うのだ。伯爵家の家風が理解できない所もあったのだろう。

 

 そんな父が連れてきた婚約者、アイリス・メイランド男爵令嬢と初めて会った時には、ひどくがっかりしたことを覚えている。

 細目でぱっとしない顔立ち。着ているのはシンプルな柄のドレスで、彼女の地味さをより際立てている。きっぱりした物言いも気に喰わない。

 メイランド男爵も好きにはなれなかった。態度は柔らかいが、俺を見定めるような目つきがひどく癇に障る。


「父上、俺はあんな地味な女を妻にしたくありません」

「そうよ。それにメイランド男爵家は、たかだか先代が叙爵された程度の家柄。誇りあるサージェント伯爵家には相応しくないわ」

「我が家の事業が傾いていることは知っているだろう。ケヴィンには悪いと思っている。しかし財政を立て直すためには、この婚約が必要なのだ」

「裕福な高位貴族なら他にもあるでしょう?」

「メイランド商会は王国全土に販売網を持っている。それにアイリス嬢は才があると評判で、アルフォード侯爵からの推薦でもあるんだ。分かってくれ」


 アルフォード侯爵は我が家の寄り親だ。侯爵から勧められた縁談とあらば断ることはできない。俺は渋々この結婚を受け入れた。


「ケヴィン、子供は作らないようになさい。事業が軌道に乗ったところで離縁して、ふさわしい令嬢を娶ればいいのよ」

「では白い結婚に」

「それじゃあ駄目よ。向こうから離縁を言い出すかもしれないじゃない。離縁のタイミングを決めるのはこちらじゃなきゃ」

 

 本当はあんな女を抱くのも嫌だった。

 だが母の言う通り、二年間白い結婚を続ければ、妻と夫どちらでも離縁を申し立てることが出来る。

 その時にわが家の財政が持ち直しているとは限らない。

 一度限りの我慢だと自らに言い聞かせて初夜を済ませ、その後はいっさい妻に触れなかった。


 それが我慢できなかったのか、アイリスは父を通して閨事をせがんできた。

 なんてはしたない女だろうと呆れた。


 自分で言うのも何だが、俺は容姿には恵まれている。学院時代、俺にアプローチしてくる令嬢は多かった。しかし母に比べれば皆劣って見えて、結局誰とも縁談は結ばなかったのだ。

 今となっては、あの中の誰かと婚約しておくべきだったと思う。そうすれば、アイリスなどを妻にすることはなかったのに。


 父や執事は「メイランド商会の支援の重要性を理解していないのか。妻を大事にしろ」と煩かったが。


「メイランド男爵は、我が家と縁戚になることで箔をつけたいのよ。商人の考えそうなことだわ。平民上がりのくせに、図々しい」


 母の言葉の方が腑に落ちる。双方にメリットがあるのなら、俺だけがアイリスへ阿る必要はない。

 それに彼女だって一時的とはいえ名門サージェント家の一員になれたのだから、それで十分だろう。


 名目上とはいえ妻なのだからと家政は任せてみたが、あの女はそれすらロクにこなせなかった。

 帳簿も付けられない為、ほとんど母がやっていたらしい。


 父はアイリスに何やら仕事を言いつけていた。何も出来ない彼女を見兼ねて、手伝いでもさせていたのだろう。

 

 しかも妻は、使用人と度々トラブルを起こしていたらしい。侍女長が「奥様は、伯爵家の家風がお気に召さないようで……」と言葉を濁すほどだ。

 母が若い頃から仕えている彼女はこの家で一番のベテランであり、信頼できる侍女だ。侍女長がそこまで言うのだから、妻の素行はよほど悪いのだろう。

 嫁いだ身だというのに、いつまでお嬢様気分なんだと怒鳴りつけてやった。


 使用人すら上手く使えないなんて。何が()()()()()だ。アルフォード侯爵の目は節穴か?

 

 夜会には仕方なく妻を伴う。あんな女に時間を使うのは惜しいので金は出すからドレスは自分で選べと指示したら、ひどく地味なドレスを着てきた。

 恥ずかしくて、夜会の間はなるべく傍から離れるようにした。


 結婚して三年が経ちようやく事業が軌道に乗り、財政が黒字になった所でアイリスに離縁を申し渡した。父はもう天の国へと旅立ったが、生きていたとしても反対はしなかっただろう。もうメイランド男爵家の助力は不要なのだから。

 

 アイリスにごねられたり縋られたりしたら少々やっかいだなと思っていたが、すんなり了承したのは拍子抜けだった。

 

 結婚してから購入したものは持ち帰って構わないと伝えたところ、「この家で買える程度のものなど要らない」と全て置いていったらしい。

 せっかく餞別代りに与えてやったのに。どうせ悔し紛れの虚勢だろう。最後まで不快な女だった。



「昼食はウィンウッドへ行きましょう」

「まあ、嬉しい!一度行ってみたかったのですけれど、あの店は人気があるからなかなか予約が取れなくて」

「サージェント伯爵家の名を出せば問題ありませんよ」


 今日はルイーズ・バックリー伯爵令嬢と街歩き(デート)だ。


 彼女には以前から目を付けていた。夜会で何度か話をする機会があり、可憐なルイーズに惹かれた俺は、離縁が成った後すぐに婚約を申し込んだ。

 バックリー伯爵もこちらに好意的で、まずは相性を見るためにこうやって交流を重ねている。

 

「流石はサージェント伯爵ですわ~」と、ルイーズは頬を染めながら俺を見つめた。


 ルイーズは目がぱっちりと大きく、愛らしい容貌の女性だ。今日はフリルのついたワンピースを着ているが、可憐な彼女にはよく似合っている。不細工なアイリスとは大違いだ。

 どうやらルイーズも俺を慕ってくれている様子である。早く婚約に持ち込みたい。


「申し訳ございません。本日は予約で席が埋まっておりまして」

「専用個室があるだろう」


 以前は席が埋まっていても、サージェント伯爵と名乗れば専用個室へと通された。店長は俺の顔を知っているはずなのに、頑なに通そうとしない。


「専用個室は、メイランド商会様と年間契約をしております。メイランド商会様の関係者でなくばお使いになれません」

「なっ……俺は伯爵だぞ!いいから通せ」

「高位貴族の方も、予約なさった上でご利用されています。貴方様だけを特別扱いをすれば、当店の評判に関わりますから」


 店長の表情はにこやかだが、帰れという圧を感じる。更には奥から警備員らしき男たちまで出てきて、こちらを睨み付けた。


「サージェント家を敵に回すことになるぞ。いいんだな!」と吐き捨てて俺はその場を後にした。

 

 ルイーズには「済まない、どうやら手違いがあったようだ。他の店にしよう」と誤魔化したが、その後はあまり会話が弾まず、早々に引き上げる羽目になった。

 

 あの店長め。男爵家如きに阿っているのなら、こちらにも融通を利かせればいいじゃないか。

 

 ……そういえば母も、いつも使っていたブティックに入れなかったと怒っていたな。

「当店は会員制でございます。アイリス様のご家族でなくなったのであれば、ご利用できません」と言われたとか。


「アイリスめ……嫌がらせか?おい、アンガス。メイランド男爵に抗議を入れておけ」

「お止め下さい。旦那様が恥をかくだけです」

「何がだ。今まで使えていたものが、急に使えなくなったんだぞ。あの女か、あるいは男爵が裏で手を回したに決まっている」

「違います。アイリス様の、つまりメイランド商会の親類だから様々な特権を使わせて貰えていたのです。離縁なさったのですから、以前の状態に戻っただけですよ」

 

 執事の言葉は正論だと思いつつも、俺は釈然としなかった。

 あの女を三年も置いてやったんだ。離縁したにしても、少しは気を遣えばいいものを。

 

 それからしばらくして、バックリー伯爵から「この縁談は無かったことに……」と連絡があった。

 お目当てのレストランを利用できなかったことで、ルイーズがヘソを曲げたのかもしれない。性根が悪いな。見た目に騙されるところだった。

 女はいくらでもいるんだ、他を探そう。

 

 しかし、どこの家へ縁組を申し込んでも断られた。仕方がないので子爵家へレベルを落としても良い返事は来ない。

 かといって男爵家まで下げるのはプライドが許さなかった。


 それからも良くないことは続いた。

 

 祖父の代から付き合いのあった貴族から、突然取り引きを打ち切るとの連絡があったのだ。

 何か失礼があったのか、あるいは製品に問題があったのか?と問い合わせたが「ご自分で考えて下さい」との回答。

 いったい何が起こっているんだ?

 

 


「それで、用件は何かね」


 俺は寄り親であるアルフォード侯爵のもとを訪れていた。良い縁談を紹介して貰うために。


 このままでは我が家は立ち行かなくなる。我が家と事業提携の上で支援が出来るような高位貴族、悪くても子爵家の令嬢がいい。


 という俺の話を聞いた侯爵は顔を顰めて「君に紹介できる縁談などない」と吐き捨てるように答えた。


「そもそもアイリス嬢を君に紹介したのは私だ。それを身勝手に離縁しておいて、縁談を頼みに来るとは……厚顔無恥とはこのことだ」


 バカにするような言い方にカッとなるが、相手は格上。俺は感情を抑えた。

 そもそも、侯爵が最初から俺に高位貴族の令嬢を娶せてくれれば良かったのではないか?


「アイリスは我が家に相応しくなかったんです!家政もろくに出来ない、社交のために装うこともできない。男爵家では格が違ったんでしょう。やはり子爵家以上でなければ」

「君は何も見えていないんだな」と侯爵が溜め息を吐いた。


「何か誤解しているようだが。相応しくないというのならば、むしろ()()アイリス嬢に相応しくない。君の縁談は、最初の時点で高位貴族のほとんどから断られていたんだよ」

「えっ……?」


 そんなバカな。由緒正しい伯爵家の嫡男で、優秀で見目麗しい俺が断られた?


「いくら裕福な家でも、無尽蔵に資金があるわけではない。見込みのない事業に支援したところで、金をどぶに捨てるようなものだろう?だからサージェント伯爵家の事業そのものを立て直す必要があった」


 淡々と言い聞かせるように、アルフォード侯爵が言葉を綴る。

 

「メイランド男爵も最初は渋ったんだ。アイリス嬢は彼の自慢の娘だったからね。しかしサージェント家を救えるのは彼女しかいないと、君の父上が頭を下げて何とか婚約を取り付けた」

「しかし、メイランド男爵だって我が家と縁付くことで、益があったはずで」

「メイランドはこの国で一番の資金と規模を持つ大商会だ。顧客の中には高位貴族は勿論、王族もいる。家柄しか誇るもののない斜陽の家と縁を結ぶメリットなど、あちらにはない」

「まさか、そんな」


 信じられなかった。父上が、頭を下げただと?男爵如きに?


「事業の取引を打ち切られてるそうだな。当然だ。ほとんどの貴族はメイランド商会の重要性を理解している。メイランドに不義理を働いた相手と、付き合いを続けるわけはないだろう。まして縁組などするわけがない。我が家とて、寄り子でなければ切り捨てているよ」


「話は終わりだ」と立ち去ろうとした侯爵が、ふと俺の方を振り返った。


「使用人の統制は相変わらず母親任せかね?」

「はあ、そうですが。家中の取りまとめは女主人の役目でしょう」

「……そうか」


 どういうことかと聞き返す間もなく、俺は侯爵家から追い出された。




「よぉ、ケヴィン。離縁したって本当か?」

「ああ」


 その日は王宮で開かれる夜会へ参加していた。正直そんな気分ではなかったが、貴族当主のほとんどが招待されているため、出ないわけにはいかない。


 話しかけてきたのは友人のブラッドだ。洒落者で知られる男で、今日も見慣れない型の礼服だがこいつが着ると洒脱に見えてしまう。

 俺も新しい服を仕立てたかったがそんな余裕はなかったため、仕方なく手持ちのものから選んだ。しかも体型が変わったのかキツくなっていたので慌てて仕立て直した。

 

「勿体ないことをしたもんだ。メイランド商会のご令嬢、しかもあの通りの美人なのに」

「はぁ?」


 ブラッドが指さした先には、若い男性数人と談笑しているアイリスの姿。

 なぜ当主でもないアイツが出席しているんだ?


 なにやら事業を始めたとは聞いている。

 女に何ができると言うんだ。どうせメイランド男爵が金を出したのだろう。あの男は娘に甘い。女の遊びのようなものに出す金があるのなら、こっちに援助して欲しいくらいだ。

 

 ……そうか。きっと事業が上手く行かず、再婚したくて男漁りに来てるんだな。みっともない。


「何を言っている。家政もろくにできない無能だぞ?見目だって美人というほどでもない。それに見ろよ、あの地味なドレス。いつもああいうセンスのない服を選ぶんだ」

 

 ふんと鼻を鳴らした俺に、ブラッドがひどく驚いた表情になった。


「お前こそ何を言ってるんだ。あれが地味だって?」

「華やかさのかけらもないじゃないか。男を漁りたいなら、もう少しマシな格好をすればいいものを」

「お前な……。周りのご夫人がたをよく見てみろよ」


 言われて会場にいる女性たちを見ると……なぜか皆、アイリスと似たような飾りっけのないドレスばかり。


「何だ、どの女性も随分そっけない服装だな。不景気だからか?」

「あのな、ケヴィン。あれは地味じゃなくて、シックというんだ」

「だけど母はもっと華やかなドレスを」

「飾りをじゃらじゃらつけるようなドレスが流行ったのは、一昔前だぞ。今どきそんなものを着ているのは年輩のご夫人くらいだ」


 シンプルな分、布地の質やちょっとした装飾に金を掛けるのだとケヴィンは語った。


「アイリス嬢のドレスは、おそらくイーリア産の布地だ。最高級品だぞ」


 言われてみれば。アイリスが着ているドレスは彼女が動く度にしゃなりと流れ、上品な光沢を放っている。

 同じような格好をしている夫人たちの中にあって、アイリスは決して不美人には見えなかった。いや、むしろかなり美人の部類なのでは……?


 母のように華やかな顔立ちこそが美人だと思っていたが、アイリスの楚々とした佇まいはまた別の美しさがあるのかもしれない。


 しかも彼女と話している青年の一人は、ルーファス王太子殿下だった。

 メイランド商会が王族とも取り引きがあるというのは本当だったのか!


 そうだ。アイリスとやり直せばいいんだ。

 そうすれば我が家の財政難も解消され、アイリスも再婚できる。全てが丸く収まるじゃないか。

 王族と顔見知りだと言えば、母も反対しないだろう。

 俺がもう一度結婚を申し込めば、アイリスも喜ぶに違いない。あれほど俺に尽くしていたのだから。


 彼女に話しかけようと近寄った俺の耳に、彼らの会話が聞こえてきた。


「婚約が決まったそうだな。おめでとう。グレアム、ようやく念願が叶ったのだな」

「ありがとうござます、ルーファス殿下。何度もアイリスを口説いて、やっと承諾して貰えました」

「私は離縁された身ですし、ウィンストン辺境伯家にはふさわしくないとお断りしたのですが……。ようやく決心が付きましたわ」

 

 アイリスが婚約だって!?

 あの男は確か、ウィンストン辺境伯の次男でルーファス殿下の側近だ。

 嘘だろう……アイリスが辺境伯家と?


 何を勝手な。彼女は俺のものなのに!


「それは前夫の見る目がなかっただけだろう。アイリス嬢はやり手の商会主であるメイランド男爵が、自慢するほどの才女だぞ」

「私はサージェント伯爵家に必要ない、と言われましたわ」

「ふん。よほど自分に自信があるらしいな。まあ、いずれ後悔するだろうさ」

 

 俺は息を呑んで歩みを止めた。王太子殿下の言葉には明らかに侮蔑の色が籠もっていたからだ。


「このグレアムが良い男であるのは、俺が保証する。少々固すぎることが玉に瑕だがな。女の噂一つなくて、心配していたくらいだ」

「ええ。俺はアイリス以外の女性は要りません。彼女自身を愛しているのはもちろんですが、彼女の類まれな能力も尊敬している。この国のためにも、仕事は続けて欲しいと思っています」

「おっと、これは当てられたな」


 ふざけた調子の殿下に合わせて周囲の人々が笑った。その声がまるで俺を嘲笑しているように聞こえて、いたたまれない。


「仕事を続けさせていただけるのは有り難いですわ。勿論、家のことも疎かにするつもりはございませんけれど」

「家令や侍女長に任せますから、その点はご心配なく。貴方の好きなようにして頂けばいい。我が辺境伯家の使用人は優秀です。主人の妻を侮るような真似はしませんよ」


 そう話すグレアムがちらりと俺の方を見た。その氷点下の如き冷たい瞳に、背筋が凍る。

 背中に刺すような視線を感じながら、俺は慌ててその場から立ち去った。

 



「旦那様、アクトン商会から支払いがこれ以上滞るようであれば取り引きを止めるとの連絡がありました」


 執事が慌てた様子で報告してきた。

 あれから数週間、ただでさえ鬱々とした気分を抱えていたのに……追い打ちを掛けないで欲しい。


「どういうことだ?家計の管理は母上に任せていたはずだろう」

「それが……」とアンガスが見せた帳簿を見て俺は驚いた。


 食材に日用品、衣料品……全てが有り得ない程の高額で購入されており、収入を上回っている。

 慌てて母を問いただしたが、キーキーと騒ぐだけで要領を得ない。


 遡って帳簿をチェックしたが、去年までは問題が無かった。なぜ急に支出が増えたんだ?


「以前はメイランド商会から購入していました」とアンガスが口を挟んだ。

 

 邸内で使用するものはアイリスを通して買っていたため、かなり割引きされていたという。さらにアイリスは先々まで消費を予測してまとめ買いしたり、同等の品質でより安価なものを選ぶなどでコストカットを図っていたらしい。


「母上は知っていたはずでしょう?帳簿は母上が担当していたのですから」

「それもアイリス様です。彼女が嫁いで来られる前は、大旦那様が家計を管理されておられました」


 実際、離縁前と後の帳簿を見比べれば一目瞭然。

 アイリスは細かい収支まできっちりと、メモ付きで記入していた。

 それに対して母の記入は大雑把で間違いだらけ。しかも財政難だというのに、高価な化粧品やドレスを毎月のように購入している。


 だから父は、母へ家計を任せなかったのだと気付く。


「なぜ嘘を吐いていたのです!?」

「あの女は生意気だったのよ。男爵令嬢風情のくせに!だから早く追い出そうと」

「……まさか、使用人たちも?」


 俺は侍女長を呼び出して問いただした。

 最初は知らぬ存ぜぬを繰り返していた侍女長だったが、叱り飛ばすと母の指示で嫌がらせをしていたことを認めた。


 脱力して椅子に座り込んだ俺の目に、空の花瓶が目に入る。

 アイリスがいた頃は花が飾られていた。庭に生えていた花を彼女自身が選んで、切り取って。

 それを知った時は「伯爵夫人が庭師の真似事か?」と嘲笑ったし、花があろうがなかろうが全く気に留めなかった。


 ブラッドからイーリア産の布地の価格を教えて貰ったが、我が家の数か月分の収入にも匹敵する値段だった。

 

「この家で買える程度の物など要らない」

 

 あの言葉は悔し紛れなどではなく、本当に要らなかったのだ。

 メイランド男爵家からすれば、俺が買ってやった物などいくらでも手に出来るのだから。

 それなのに、アイリスは懸命に節約に努めてくれていたのだ。


 俺は何も見えていなかった。あの花と同じだ。

 確かにそこに在ったのに、認識していなかった。

 いや、俺が見ようとしなかったのだ。アイリスの献身も努力も……。

 

 見えていれば、もっと違う未来があっただろうに。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 


「アイリスお嬢様、お手紙が届いております」


 メイベルから手渡された手紙の差出人を見て、私は「あらまあ」と声を上げる。そこには元夫ケヴィンの名が書かれていた。



『君が我が家を救ってくれていたと聞いた。恥ずかしながら我が家は窮地に立たされている。もう一度、手を貸して貰えないだろうか。俺には君が必要なんだ』

 

 ようやく知ったのか、と溜め息が出てしまう。

 

 サージェント家の財政の立て直しを主導していたのは私だ。

 私は幼い頃より商売について叩き込まれている。どうやら適性があったらしく、父や兄からはよく「お前が長男だったらなあ」と言われたものだ。

 

 結婚してすぐ、私は義父と共に改革へと乗り出した。

 

 近年隣国で新しい鉱山が見つかって安価な宝石が流入するようになり、サージェント伯爵家の宝石は売れ行きが悪くなっている。

 それなのに彼らは古い家柄であることに胡坐をかいて、殿様商売をしていた。顧客が離れていくのは当然だろう。

 元義父は優秀な人ではあったが、少々気が弱い所がある。しかも入り婿であるため妻に頭が上がらず、彼女の無駄遣いを容認していた。


 まずメイランド商会の伝手を辿って腕の良いデザイナーや職人と契約し、新商品を開発。

 一方で無駄な部分はどんどん排除して経費削減に努め、やる気のない部下は入れ替えた。

 ついでに家計も掌握して無駄遣いを止めさせた。おかげで元義母には嫌われてしまったけれどね。

 

 あれからサージェント伯爵家の事業は落ち込む一方らしい。

 私が残していった仕組みのおかげで、暫くは持ちこたえたようだけれど。

 メイランドの販売網はもう使えないし、ケヴィンや義母が私に対してやったことは貴族界に知れ渡っているため、次々と取り引きを打ち切られている。

 もはや爵位返上も目前だろうともっぱらの噂だ。


 

『母は領地に押し込めた。侍女長を始め、君に嫌がらせをしていた使用人は全て解雇した。俺の本気を分かってくれるだろう?今度はきちんと君を愛する。子供も作ろう。良い返事を待っている』


 その文章に鳥肌が立って、手紙を破り捨てた。

 

 使用人を解雇したことは知っている。

 侍女長を始めとした伯爵家の使用人たちが、私に「取り成してくれ」と泣きついてきたから。

 勿論、問答無用で追い出した。

 あれだけのことをしておいて、なぜ私が彼女たちを助けると思っていたのだろう。面の皮の厚いところが主君にそっくりだわ。

 

 離縁の後、私は父の助力の元で新しい事業を立ち上げた。主力は隣国からの輸入品だ。

 サージェント家と縁を切った顧客が契約してくれたため、売り上げは順調に伸びている。

 

 それを知って、手紙を寄越してきたのでしょうね。

 彼の中で私は『夫を愛するが故に不遇に耐えて尽くしていた妻』なのだろう。物事を見たいようにしか見ない人だから。


 確かに夫は義母に似て容姿には恵まれている。

 だけど逆に言えば、それしか取り柄がないということだ。

 学生時代は令嬢にモテていたことが自慢らしいけど、どこからも正式に縁談の申し込みがなかったことを不思議に思わなかったのかしら?

 

 彼のご面相に岡惚れした令嬢たちは、親から諫められて諦めたのよ。

 落ちぶれた伯爵家と縁を繋いだところで、貴族にとってはデメリットでしかない。まだ彼に見込みがあれば、将来性を見越して婚約してくれる相手もいたかもしれないけれど……誰もそうは思わなかったということだ。


 しかも加齢と共に、ご自慢の顔もだいぶ弛んできているしね。


 私だって最初はケヴィンと向き合おうとしたのだ。

 例え女性として愛することが出来なくても、家族として敬愛や親愛を持つことはできたはず。だけど彼は私を拒絶し、義母や侍女の言葉を信じて私の努力を認めなかった。

 三年もあの家にいたのは、私の能力を認めて頭を下げてくれた亡き義父のために過ぎない。


 私とグレアムとの仲は良好で、三か月後には結婚式を控えている。ウィンストン辺境伯のバックアップのおかげで、他国との取り引きも増えつつある。


 今さらケヴィンの元へ戻って、私に何の得があるというのかしら?



 そんなことを破れたオブラートに包んで、彼への返信に綴る。

 そして最後に一言だけ付け加えた。離縁の日から、ずっと伝えたかった言葉を。


『私の人生に、貴方は必要ありません』


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――――

【8月新刊のお知らせ】

『粗末に扱われておりますが、このまま悲劇の令嬢になるつもりはありません!アンソロジーコミック』に拙作「幸せは自分次第」のコミカライズ(作画:榮恵愛先生)が収録されています。


挿絵(By みてみん)


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― 新着の感想 ―
ロミオメールの内容がキモすぎて、いち読者もゾワッと鳥肌が立ちました。しかもマザコン…しんど過ぎる…本当に主人公はよく3年も我慢しましたね。事業のためですし、最初だけとはいえ夫婦関係を持つまでもない気も…
面白かったですが、大半がバカ男視点なのでイラっとしますね。
『破れた』オブラート!!! 包んでるはずなのに包めていないって。 最高です!!
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