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後編②




「僕は、人の顔が識別できないという疾患を抱えている。」

「・・・え?」


タチアーナは自分が想定していたものと全く違った打ち明け話に、咄嗟に言葉を返すことが出来なかった。


「15歳の頃、馬車の事故で頭に損傷を負ったことが原因だ。目や鼻や口があるのはわかるんだが、その事故以来、人の顔を見ても誰が誰なのかわからなくなってしまった。」


100%相手側に責がある事故だった。わき道を歩いていた自分に、横切った障害物を避けようとした馬車が運悪く突っ込んできた。

幸いにして、外傷は少なかったものの、その代わりに見えない部分へのダメージが深刻だった。


セティはその日を境に、鏡に映った自分の顔でさえわからなくなってしまった。


最初は理解が追い付かなかった。けれども事故の後遺症で、自分の認知機能は二度と元に戻ることはないと医者から宣告され、腹をくくった。もとより、人の顔の造形にそれほど興味を持っていなかったので、人生を絶望するまでに至らなかった。


顔で人が認識できないのなら、声、仕草、服装、髪型など、顔以外のありとあらゆる情報を頼りに識別すればいい。

中でも、服装にはその人の個性が出る。そのことに興味を覚え、それまで縫製業を生業にしていた家業から、ファッション事業を立ち上げることを思いついた。


最初は両親も難色を示し、まともに取り合ってくれなかった。けれども、家を出て下級貴族や平民が通う職業直結のデザインを専門とした学校に通い出すと、自分の本気度を見た父が、多少の融資をしてくれた。

そのわずかなお金を元手にして、徐々にクローシュブランドというものを浸透させていった。


「これまで全然気づきませんでした…そんな、大変なものをお抱えになっていたとは…」

「言うほど大変でもないよ。でもね、だからこそ僕には人の顔の美醜というものがわからない。その人が美しいかどうかは、その人を形成する全てを総合して判断しているんだ。」


正直、セティはタチアーナの顔が美しいと賞賛されていても、その判別ができない。

彼女のつつましい性格、立ち振る舞い、鈴の鳴るような可愛らしい声、そういったことで、彼女のことを誰よりも美しいと感じていた。


「以前、僕の仕事先に君が突然現れたとき、君だと気付くことができなかった。言い訳になるかもしれないが、体型や髪、姿勢まで覆い隠すいつもと違った服装で、しかも声も出してない状態だったから、個人を判別することがどうしてもできず、君だと認識することができなかったんだ。」


目の前の女性が泣きながら「セティ様」と声をかけてきたことで、ようやくタチアーナだと気付くことができた。


「そのときに、君にこの秘密を話すべきだったんだ。けれど、僕は臆病で…君に打ち明けて嫌われたら…と、保身に走ってしまった。」

「そんなことで嫌いになんかならないです!」

「君はそう言ってくれると、今なら思うことができる。けれど、あのときはまだ、自分の心の準備が出来てなかったんだ。ちなみに、この疾患のことは、家族とニコラス、そして当時の担当医しか知らない。」


顔の美醜はわからないまま、周囲にはわかったふりをし続けてきた。ときには人を間違えることもあったが、持ち前の人あたりの良さでなんとか切り抜けてきた。バレなければいい、それがたとえ自分の妻であってもだ。この秘密は墓場まで持っていこうと、自分の中では昔から心に決めていた。


「…僕はね、この病気が遺伝することが怖かった。だから、子供は作らなくてもいいと、どこかから養子を貰って育てたらいいと、そう思っていたんだ。」


自分は割り切りのいい人間だから、人生どうとでもなると思っているけれど、子供も同じ考えを持つとは限らない。人と違うことで、大きく悩みを持つことになるかもしれない。そう思うと、子作りを積極的にしようと思わなくなっていた。


「…そんな…それで…」

「でも、君を迎えに行く前に、勇気を出してそれまで避けていた医者にかかってみた。そしたら、僕の場合は後天性のものだから、遺伝の可能性はないらしい。」


問題がないと言われたら話は別だ。

これまでどれだけ我慢してきたと思っているんだ。


「だから、タチアーナがいいというなら、その…いいかい?」


早速子作りのために抱かせてくれ、という直接的な言葉はなんとか飲み込んだ。しかし、遠回しな言い方でもタチアーナにはきちんとその意図が伝わったらしい。


タチアーナはやっと彼の本当の妻になれるという嬉しさで、思わず涙が出そうになる。が、一つ問題があった。



「とても嬉しくて、はい、と言いたいところなんですが…その、もとの体形に戻るまで待っていてはくれませんか?」


タチアーナは大幅に増量してしまった自身の身体を見て、これは彼に見せることができないと我に返った。できれば、一番キレイな自分の状態で彼に初めてを捧げたかった。顔の美醜がわからないのならなおさら、身体だけでもベストな状態に持って行きたいと思ったのだ。


「ごめんね…もう待てない。君が我慢してくれていたように、僕も毎晩我慢していたんだよ、…知ってた?」


これまで見たこともない彼のギラついた顔に、タチアーナは、「ひ」、と息を飲み身体をすくませる。

え、この流れは、拒否できないやつでは…と、彼女の本能が警告を鳴らした。







朝になってセティが目を覚ますと、隣のベッドにタチアーナの姿がないことに気付き、慌てて上体を起こす。昨日帰ってきたのは夢だったのかとセティの心をざわつかせたが、すぐに自分の隣で寝息をたてている彼女に気が付き、ほっと胸を撫で下ろす。


いつもの癖で、別々のベッドに寝ているものだと勘違いしてしまった。


まだ寝ているタチアーナを起こさないように、そのふっくらとした身体を優しく抱き寄せる。


昨夜の情事を思い出し、思わず顔が緩む。よくぞこれまで耐えてきたと自分を褒め称えたい。

タチアーナには、二年分の愛をしっかりと受け取って貰った。肉付きの良くなった彼女の身体は非常に官能的で、彼女は初めてだというのに欲望のまま溺れてしまった。

きっと彼女は今日一日、身体が辛くて何も出来ないのではないだろうか。その分、自分が精一杯お世話をしてあげねば。



「う、ん?」


クロ―ディアの目が開いた。

彼女は、あ、という表情をして、身体を自分から離してシーツに包まったあと、「…おはようございます。」と小さく挨拶をする。


「隠さないで。」

「は、恥ずかしいです…」

「何が恥ずかしいんだ。昨日のほうが余程恥ずかしいことをいっぱいしたと思うよ。身体は辛くない?」

「少しだけ、下半身に違和感があります。」

「今日は一日ゆっくり休もう。仕事も今日まで休んでいいと言われている。もう少し寝るかい?」

「いいえ、私、セティ様とこのままお喋りがしたいです。」


なんて可愛いらしいことを言うのだろう。下半身が朝から元気になりそうなところをグッと我慢する。二年も耐えた自制心が、ここに来て本領を発揮した。


「…いいよ。これまで話せなかったお互いのことをたくさん話そう。」

「ありがとうございます。ねえセティ様。私、これまで恥ずかしくて伝えられてなかったことを言ってもいいでしょうか?」

「なんだろう、それはとても気になるね。」


そう返事をすると、少し恥ずかしそうにしながら、こちらを向いて話し始める。


「私達が初めて会った夜会で、貴方が私にお仕事のスカウトで声を掛けてくれたとき、運命の鐘が鳴った気がしたんです。大袈裟ではなく、本当に。」

「運命の鐘…とてもロマンチックだ。それはどうして?」

「これまで私に声をかけて下さる方は、私の身体目当てか、アクセサリー感覚で私を妻にしたいという方ばかりでした。」


見てくれは良くても半分平民の子。しかも爵位は男爵と低位。遊びには持って来いだとよく誘われた。いい加減うんざりしていたが、私を家格のいいところに嫁がせたがってた父は、毎晩のように夜会に自分を連れ出し、高位貴族に娘をアピールしに行った。


「でも、そんな中、セティ様は開口一番、ドレスを褒めてくれました。」


『失礼、ご令嬢。私はセティ・クローシュというものです。貴方のドレスはどうやってお選びになったのかお伺いしてもよろしいでしょうか?余りに素敵だったので思わず声をかけさせて頂きました。』


最初は何を言ってるんだろうと思ったが、名前から目の前の青年が今社交会のご婦人の間で話題となっているクローシュブランドの創立者であると瞬時に理解した。


『は、初めまして。私はタチアーナ・ハロフスキーと申します。父は男爵位を受け賜わっております。このドレスは、父が隣国から既製品を買い付けたものと聞いています。』

『隣国の!どおりでこの国では見かけたことがない型だと思ったんだ。既製品と言えど、ドレスの形も色味も、貴方の立ち姿と肌の色味に良く映えています。お父上は素晴らしい買い物をした。』


「普段だと、男性はまず私の容姿に触れるのに、まさかドレスに目がいくなんて、そのときは変わったお方としか思いませんでした。それに、そのとき着ていたドレスは義妹のお下がりではなく、父がわざわざ私のために買ってくれたものだったのです。だから余計に思うところがありました。」


『ありがとうございます、父にも伝えておきます。』

『それと、いきなりこのようなことを言われて困ってしまうかもしれないのですが、もし貴方が興味があれば、私の家業である服飾事業に関わっては貰え無いでしょうか?我がクローシュブランドも、貴方が着ているものに負けない位魅力的なものを展開していると自負しています。貴方の姿勢や着こなしは、どんなモデルよりも素晴らしいと思えるのです。』


「顔の美醜については全く触れず、ドレスの次は、私の姿勢と着こなしを褒めてくるなんて。それまで一度も無かった経験に、自然と興味が湧きました。」


『ちなみにですが、お仕事というのはどういったことをするのでしょうか?』

『簡単に言えば、モデルですね。新作のドレスや装飾品を着てターゲット層の方々に宣伝していただく。クローシュブランドの広告塔となって貰うイメージです。もちろん、これはビジネスです。賃金はちゃんと発生します。』


「ここで、頭の中に鐘が鳴り響きました。誰かと結婚することでしか役にたたないと思い込んでいた自分の容姿が、違った形で役に立てることがあるなんて、それまで想像もしたことが無かったのです。私はあのとき、何かに導かれるかのように貴方の手を取っていました。」

「…勇気を出して声をかけて良かった。」

「私も、貴方に声をかけられて本当に良かったと思っています。ただ・・・いまのこの身体では広告塔としてはお役に立てそうもございません、本当に申し訳ございません…」

「いいや、謝らないで。これを機に、今のタチアーナの身体にあった服飾ラインを立ち上げよう。以前から妊娠中や産後に身体のラインが変わってしまって、うちのサイズ展開では着れないといった声が上がっていたんだ。」


セティはふくよかなタチアーナの身体を抱き寄せる。どこまでも柔らかく、その感触はセティを夢見心地にさせてくれる。



――タチアーナ、君は覚えていないかもしれない。でも、君に声をかけたとき、実は初対面では無かったんだ。

僕は初めて君と会ったときに、君と同じように、鐘が鳴り響いた気がしたんだよ。



数年前の王家主催の高位貴族から低位貴族までが入り乱れる大規模な夜会。セティは大口の顧客を得ようと息巻いて参加したのだが、結果は見事に惨敗。

まだクローシュブランドの知名度もそれほど高くなく、どの貴族からも軽くあしらわれ商談どころではなかった。まさか一件も取引が成立しないとは思いもせず、自分の滑稽さに打樋がれ、外の庭園で一人やけ酒を煽っていた。


飲めないくせに、度数の高いワインを口にしたものだから、一気に良いが回りすぐに気分が悪くなった。

(…踏んだり蹴ったりだ。)


ふらつく足取りでなんとか近くのベンチに座りこもうとしたのだが、そのとき暗くて先客がいることに気が付かなかった。


『きゃ』


若い女性の声。その人は暗めのドレスを着ていたので、背景と同化して余計に気がつくのが遅れてしまった。


『す、すいません、人がいるとは気が付きませんでした…』


そこまで言って、口元を抑える。先ほど飲んだものが既に胃からせり上がってきていた。


『大丈夫ですか?あの、私はいいので、こちらに横になってください。』

『申し訳ない…少し気分が悪くて。』


普段なら遠慮するところだが、断ることもできないくらい、辛い状態に陥っていた。


ご令嬢の言葉に甘え、ベンチに座り、目を閉じて上半身を横たえる。しばらくの間そうすることで、幾分不快な気分がましになった。


先程のご令嬢はそのまま立ち去ってしまったらしい。彼女も外で休憩をしていたのだろうに、席を譲ってもらい申し訳ないことをした。

そう思っていたところ、


『あの、お水をお持ちしました。どうぞ、飲んで下さい。』


目を開けると、自分の前に先程のご令嬢が水の入ったグラスを持って立っていた。


『あ、ありがとうございます、いただきます。』


上半身を起こしてグラスを受け取る。それを一気に飲み干し、呼吸を落ち着けた。

ふらついていた視界が、徐々にクリアになっていく。


『ご気分は大丈夫ですか?人を呼んできた方が良かったでしょうか。』

『いえ、おかげで大分ましになりました。飲めもしないアルコールを飲んだせいです、お恥ずかしい…』

『そうだったんですね。あ、お水は水差しごと貰ってきたので、おかわりが欲しかったらおっしゃってくださいね。』


なんと、彼女は重いであろうに水差しとグラスを会場まで取りに行って戻って来てくれたらしい。

給使の者もさぞ驚いたことだろう。


『本当にありがとうございます。あなたのお気遣いに心から感謝します。』

『いえ、お気になさらず。私がしたくてしたことなので…あ、宜しければこちら使ってください。』


そういって美しいレースの編み模様のハンカチをセティに差し出す。


『キレイなレース編みのハンカチだ。こんなのとてもではないが、使えないよ。』

『いいえ、遠慮なく使って下さいませ。それに、そちらは拙作ですので、返さなくて結構です。』

『貴方の手作りなのか!なんて見事な出来栄えなんだ…なら尚更、使わせて貰うわけには、』

『本当にお気になさらず。私はそろそろ父の元へ戻らないといけません。あちらの警備の者に休憩室まで貴方を案内するように申し付けてあります。立ち上がることができるようになりましたら、彼にお声がけください。それでは失礼いたします…』

『あ、待って!』


咄嗟に呼び留めるも、彼女はその場を立ち去ってしまう。おぼつかない足で追いかけることもできず、その場に立ち尽くす。顔を認識できない自分はおそらく次に彼女に会ったとしても、気づくことができないだろう。せめて名前だけでも聞いておけばよかった。


まだややふらつく頭を落ち着かせるため、グラスの水を再度飲み干し、受け取ったハンカチで口元を拭う。

ふと手元のハンカチを見ると、端の部分に赤い刺繍でイニシャルが縫いつけられていることに気が付いた。


・・・これは彼女にもう一度会って、お礼をしろということなのだろうか?

まさに、運命の鐘が鳴り響いた瞬間だった。

そのときには既に、彼女の見返りを求めない優しさにすっかり魅せられており、なんとしてもまた会いたいと思っていた。


それからどうにかして夜会の参加者で刺繍のイニシャルに合致する名前を調べ上げ、あの時の女性がタチアーナ・ハロフスキーという最近夜会を賑やかせている美貌のご令嬢であることを知った。


そうして色々考えた末、初対面を装って接触することを試みた。もう一度会ってお礼がしたかったのだが、自分のあの醜態を思い出して欲しくはない。その結果が、ビジネスへの勧誘である。



「タチアーナ、大好きだよ。」

「?はい、私も大好きです。」



あの時のハンカチは今も大切に机の奥に閉まってある。

…ちなみにこっちの秘密は墓場まで持って行くつもりだ。





数カ月後、タチアーナは体型を元に戻す暇もなく懐妊した。それと同時にクローシュブランドは妊婦向けのドレスパターンを売り出すことに方針を固め、今はその立ち上げに大忙しとなっている。


「タチアーナ、身体は大丈夫かい?もうここに新しい家族がいるだなんて不思議な気持ちだ。」


セティは優しくタチアーナの丸いお腹を撫でる。


「セティ様、まだまだ初期なので、これは大半が私のお腹の脂肪です…」


タチアーナは体型が戻らない恥ずかしやらなんやらで、顔を赤くする。


「そういえば、セティ様は色々な情報から個人を識別するとおっしゃっていましたが、イリリアに私を迎えに来てくれたとき、よく私だと気付きましたね?」


今ではすっかりぽっちゃり体型が定着してしまってるタチアーナだが、イリリア国にセティが会いに来たとき、彼女の変貌した姿は初見だったはず。

それなのに、なぜタチアーナだとすぐに気付くことが出来たのか、不思議でならなかった。


「ああ、それはね、」


セティはお腹を撫でていた手を止め、タチアーナの頬を両手で包み込んで額にキスをする。


「もちろん、愛の成せる力さ。」



(おわり)

実態は一人だけ若いのが混じってたから、だったりもします。

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