後編①
次でラストと言ったものの、後編も長くなってしまったので、二つに分けました。
◇
当初、セティの想定では、タチアーナの説得はもっと難航するものだと思っていた。そのためイリリア国で長期の滞在を覚悟していたのだが、嬉しいことにたった一日で連れ戻すことに成功したので、旅程に余裕ができてしまった。
そこで急遽ではあるが、アトリエの仲間たちとささやかなお別れパーティーを開くこととなった。
「短い間でしたが、お世話になりました。」
タチアーナがメンバー一人一人に声をかけ、挨拶をして回る。
「ああ、たくさんお世話してやったよ~!本当寂しくなるねえ。」
「ターシャ、あんたはもっと自信を持ちな!」
「そうだ、あんたはキレイ!心根も綺麗!最初に来た頃より丸っこくはなったけど、それでも一等キレイだ!」
「嫌になったらいつでもここにおいでね。一緒に働けて楽しかったよ。」
「伯爵様、ターシャを大切にしないと、またここに戻って来てもらいますからね。」
女性たちは三者三様に二人に声をかけていく。
カティナのアトリエメンバーは全員女性で、そして全員が肝っ玉の据わった性格の者たちで構成されていた。
みんなまるで娘を扱うようにタチアーナに接しており、タチアーナは短期間とはいえここで相当いい人間関係を築けていたようだ。
「本当に寂しくなるわね・・・。それに、ターシャのレース編みはイリリアではかなり人気だったからね。伯爵様、もし奥様のレースで事業をお考えなら、私のほうにご連絡ください。お力になりますわ。」
「ああ、そのときはこちらに話を通すようしよう。」
こうして話をしている間も、セティはタチアーナの柔らかな腰を抱き、片時も離そうとしなかった。
タチアーナの方も、体形が変わってしまった自分の身体に触られるのに抵抗がありつつ、彼にぴとりと身体を寄り添わせ、なんとも幸せそうな面持ちをしていた。
どこからどうみても仲の良い二人の様子に、アトリエメンバーたちは皆タチアーナを本気で引き止めることはせず、快く彼女を夫の元へと送り出したのであった。
◇
アトリエの皆との別れの後は、また自国へ戻るための10日間の馬車移動が続く。
その道中、セティはタチアーナへとその逃亡劇の詳細を聞いていた。
そしてその内容は、自分の想像を遥かに上回る行動力のあるものだった。
「まず初めに、アンナさんに接触を試みました。」
職場を紹介してもらうためアンナに声をかけたというのは、アンナ本人からも聞いた通りである。
「結婚後に社交で知り合ったご婦人方や、クローシュ伯爵家の人たちだと、足が付く可能性が高いと考えました。それに、私は子供の頃は市井で暮らしてたとはいえ、すっかり貴族の生活に馴染んでしまっています。そんな自分ができそうな仕事といえば、得意なレース編みくらいしかないと思いました。」
「ええと、普通は教会に身を寄せるとか、そういったことをまず考えそうなものだけど・・・」
「?そうなのですか?それは考えもしませんでした。教会には別の形ではお世話になったのですが、それは後でお話しますね。」
レース編みは自己肯定感が最底辺にあるタチアーナの唯一と言っていい誇れるスキルである。そして、そういった技術職の職場を知ってそうな人と言えば、ジェイコブのアトリエメンバーで、副代表である同性のアンナが適任だと考えた。
そうしてアンナから紹介してもらったのが、女性の社会進出が著しいイリリア国でアトリエを開いたというアンナの古い友人であるカティナ。彼女とは一度の手紙のやりとりだけで、是非来てほしいと返事が来たので、すぐに荷物を纏めることにした。
が、国を渡るには旅券と、そしてそれなりの旅費がいる。
つまり、お金が必要だったのだ。
旅券に関しては以前セティと隣国へ行った際に発行していたものがあったので、なんとかなった。
問題は手持ちのお金。
タチアーナの所持金はクローシュ家の予算から割り当てられていたお小遣いがあったのだが、そこには手をつけてはいけないと自制した。それは勝手に離婚しようとしてる自分からの、夫への慰謝料になると思ったから。
そしてこれもアンナから聞いたとおり、タチアーナはアンナから紹介してもらった画家のモデルをしてお金を手に入れることにした。
「けれど、その金額は私が想定したものよりも、随分と少ないものでした。」
足りない分は宝飾品を売るとして、それでもどこかで節約しないとイリリアに入国ができない。
じゃあどうすれば?
お金がかからない方法で向かおう、つまり、徒歩で。
「え」
「頑張りました。」
目立つ容姿を隠しながら道なき道を行く。髪もそのときにばっさりと切った。
危ないとは思いつつ、野宿もした。途中で路銀を稼ぐため、いくつかの宝飾品を売らせて貰った。
タチアーナの日焼けは、その道中にしてしまったらしい。
食事に関しては、教会で配給していた炊き出しに並んで恵んで貰い、なんとか一食を確保するよう凌いだ。
「配給がなかったら、途中で行き倒れていたかもしれません。ちなみにアトリエで稼いだお金は、各教会に全額寄付する予定でいます。」
「なんて危険なことを…」
道に迷って野垂れ死にすることも、野生動物や不審者に襲われることも可能性としてあった。国境付近の治安が悪い場所では人攫いの類も未だ存在しているという。よく命があったものだと思う。
「隣国との国境までの短い期間のことです。隣国に入ってからはさすがに公共交通を利用しました。あちらは自国と違って物価が安かったので、助かりました。」
そうして、約一月かけて、ようやくカティナのアトリエへと辿り着く。
「カティナさんのアトリエの皆さんは、訳ありの私を快く迎えてくれました。」
日に焼けて髪が短くなっていたタチアーナだったが、その美貌は外国においても隠しきれるものではなかった。多くを語らないが、きっと自国で辛い思いをしたのだろうと周りは勘違いし、タチアーナに構い倒した。アトリエのメンバーがタチアーナの親世代だったこともあるのだろう、「若い娘さんはもっと食べなきゃ!」と色々と差し入れをくれた。
「皆さんのご好意が嬉しくて、断ることもできず…」
一月経つ頃には、全身に脂肪を纏ったタチアーナがいた。元々太りやすい体質であったこと、そしてその国の料理が自国と違ってひたすら油っこく甘い味付けで、加えて量が多かったことも災いした。セティが迎えに行くのがもう少し遅ければ、気付いて貰え無いくらいまで増量していたかもしれない。
「お願いだから、二度と同じことはしないでくれ。もしどうしても家出がしたくなったら、君のお小遣いは全て持っていってくれていいから、危険なことはしないで欲しい。」
「はい、誓って二度と致しません。・・・二度とあなたの元を離れないと決めたから。」
セティの手を握りながら少し恥ずかし気に言うタチアーナの様子に、セティはたまらなくなって彼女の身体を引き寄せぎゅっと力強く抱きしめる。
「はい、俺もいますよー同じ空間にいますよー。続きは家についてからでお願いしますねー。」
同じ馬車内にいて黙っていたニコラスも、事が始まりそうな予感にたまらなくなって声を上げた。
◇
長い道のりを経てようやく伯爵邸に到着したときには、屋敷の人間総出で盛大な出迎えを受けた。
最初、馬車から降りてきたタチアーナを見て、その変貌ぶりに驚きを隠せなかった面々ではあるが、それについては誰も何も触れず、ただ戻って来てくれたことを喜んだ。
特にセティの父と母は無事に戻ってきた喜びと安心のあまり、感極まって泣いてしまった。これまで表には出さなかったが、それほどまでに義娘を好いていたらしい。
「今度セティに愛想を尽かしたら、まずは私たちを頼りなさい!」そう叱咤し、タチアーナも「ごめんなさい、ありがとうございます。」と涙した。
◇
その日の夜。晩餐はいつにもまして豪華なものであった。その後は両親も交えて軽く晩酌をし、夜も更けたところで、ようやく二人は夫婦の寝室で腰を落ち着けていた。
「疲れたかい?」
「はい、少し。でも、自分で撒いた種なので…セティ様こそ、お疲れなのではありませんか?」
「いいや。それよりも安心のほうが強いよ。それに、僕はこう見えてその辺の騎士に負けないくらい体力も気力も持ちあわせているからね。」
「まあ…」
椅子に腰掛けていたセティは、ベッドの縁に座っているタチアーナの横に移動し、短くなった彼女の髪を優しく撫でる。
「…実は、まだ君に伝えて無かったことがある。疲れているところ悪いんだけど、今日のうちにそのことを打ち明けたい。」
タチアーナは先程までの軽口とは違い、セティの真剣な物言いに少し不安になったが、どんなことでも受け止めようと肯定の言葉を返す。
「それは……、もちろんです。私でよろしければ、なんなりと仰って下さい。」
その返事を聞くと、セティは静かに一呼吸置き、これまでごく一部の者しか知らなかった自身の秘密を語り始めた。
今度こそ次でラストです。