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中編②

◇◇◇



「セルゲイ、タチアーナの居場所がわかった。」



伯爵邸に出勤してきた秘書のセルゲイに先程の言葉を告げると、彼は「おおっ!」と驚きと喜びの入り混じった声を上げた。


「ようやくですか!モデルはタチアーナ様の代役を立てているものの、やはりタチアーナ様でないと売り上げに明確な差が出ていますからね。あー良かった良かった。で、今どこに?」

「イリリア国。」

「それはえらく遠いところまで…」


イリリア国は、この国から二つ国境を隔てた場所に位置する国である。タチアーナはそのイリリア国の地方にあるアトリエに、身を寄せているらしい。


「というわけで、迎えに行ってくる。僕は今日から謎の病気にかかってしまったようだ。明日からの予定はすべてリスケでお願いする。」

「えええ、またですかっ!?ついこの間まで一月も休んだばかりなのに…もはや休業ですよ。休業。」


セルゲイはがくりとわかりやすく項垂れる。彼に皺寄せが行ってしまうのは申し訳ないが、ここは譲れない。


「僕は自分やタチアーナがいなくても事業が回る様に日頃からうまくやってたつもりだが。」

「それはそうなんですが、はぁ・・・とりあえず、その病気にかかるのは、最大でも一月にしておいてくださいね。それまでにどうにか奥様の回収をお願いします。」

「わかった、約束するよ。…もしかしたら帰ってこない可能性もなくはないんだけど…」


離縁状を書くくらいだから、その可能性は大いにある。


「何弱気になってるんですか!前言撤回です、説得が長引くようなら延長も許可します!何としてもタチアーナ様を連れ戻して来て下さい!さあ、今日中に引継ぎを終わらせますよ!」

「・・・ありがとう。」


セルゲイに鼓舞されたセティは、弱気になっていた気持ちを振り払い、不在中の引継ぎに専念することにした。





タチアーナの元へ向かうと宣言した翌日。

セティは伯爵家の家令であるニコラスを伴い馬車に揺られていた。


昨日あれから急ピッチで引継ぎ作業を終わらせた。正確に言えば、完全には終わっていないのだが、隠居している父を邸に呼び寄せ領主業を全部丸投げしてきた。服飾事業については父は関与していないので、こちらはセルゲイに全てお任せとなる。まあ、二人とも文句を言いながらもうまくやってくれるだろう。その代わりにタチアーナを何が何でも連れて帰ってこいと言われてしまったが。


幸いにしてイリリア国は自国と陸続きのため、上手くいけば10日ほどで到着できる見込みである。往復で約20日、説得に割ける時間はそう多くない。

自分達がタチアーナの元に向かっている間、アンナには彼女の友人のアトリエ宛てに、自分達がそちらに行く旨を手紙に(したた)めて貰っていた。もし戻って来てくれる場合、彼女には仕事を辞めてもらわないといけない。そのため、先方に迷惑がかからないように考慮する必要がある。考慮というか、金で解決しようとしているのだけど。


あとは、どうやって彼女を説得するかを考えるだけ・・・



セティが思案に耽っていると、向かいに座るニコラスが、ふいに疑問を口にする。


「それにしても、奥様はどうやってイリリアまで渡ったんでしょうね。女性一人で、それに国境付近は治安もそれほどよくないというのに。」


「もしかしたら誰か付添人を雇ったのかもしれないな。彼女にこれほど行動力があったとは、本当に僕は彼女を何一つ理解出来て無かったのかもしれない。」


積もりに積もった不安と不満が溢れ出て自分の元を離れた、それがアンナとジェイコブが出した結論である。

確かにそうかもしれない。タチアーナには不満があればすぐに相談してほしいと言っておきながら、真剣に向き合えて無かった結果だ。


アンナとジェイコブに、自分たちはプラトニックな…白い関係だと言い張ったが、全くスキンシップをしなかった訳ではない。普通に手は繋ぐし、夜会等では彼女の腰を抱く。それに見送りのときは、タチアーナが頬に、そして自分が彼女の額にキスをするのが習慣だった。

物足りなさはもちろんあったが、それでも彼女といれるならそれで十分だと感じていた。


…自分は十分だと思っていたが、タチアーナは?


『もっと、セティ様と仲良くなりたいです。』

『大切にされているのはわかるんですが、妻として、私はお役に立ててますか?』

『セティ様似のお子が出来たら私、もっと幸せになると思います。』



あれ、遠回しではあるが、暗に物足りないと言われていた?

それに対して自分は何て返していた?


『僕たちは十分仲良しじゃないか!』

『もちろん役に立ちすぎているよ。僕も夫として君の役に立てているかな?』

『僕は今も幸せ過ぎるくらいだ。今は君と二人の生活が素敵過ぎるから、しばらくはこのままでいよう。』


なんとも見事に話題をすり替えていた気がする。

特に子供に関しては、悲しそうな顔をしていたのに気が付いていたくせに、見て見ないふりをした。

・・・これでは価値観の違いとして離縁を切り出されるのも無理はないか。


「僕は彼女の優しさに甘えて、本音を話すことを避けてしまっていたんだな・・・」

「今そのことに気付けて良かったじゃないか。タチアーナ様にお会いしたら、二人で気のすむまで話合えばいいよ。」


家令のニコラスはセティの幼馴染でもあるため、二人きりの時は時折砕けた物言いになる。本当はセティ一人でタチアーナを迎えに行く予定であったが、身の回りの世話をするものが必要だろうと付いてきてくれた。屋敷の管理については、これまた父の代にクローシュ家の家令として働いていた既に引退済みの彼の父に、不在期間だけという約束で現役復帰して貰っている。


「今回のことだけど、まさか君が()()()()をまだ奥様に話していないとは思ってなかったよ。」

「話したら嫌われるかもと思って、言い出せなかったんだ。気づけば二年も経ってしまっていた。」

「理由もわからず、清い関係を続けていたんだとしたら、奥様はよく二年も我慢してくれたよね。」

「…そうだな。」

「それで、どうやって奥様を説得するの?」

「まったくいい考えが思いつかない。ただ、自分の気持ちを伝えるのみだ。」

「奥様は自分をビジネスパートナーにしたいがためだけに結婚したと思ってるらしいね。実はこれ、俺も相談されたことがあるんだよ。」

「ええっ!?なんでそのとき言ってくれなかったんだ!?」


まさかニコラスにまで相談していたとは。


「これに関しては俺が対応を誤ったと思う。ごめん。ビジネスパートナーなんかじゃなく、本当に奥様のことを愛していると思いますって言ったんだけどな。だって人あたりはいいのに一定の距離以上は踏み込ませない君が、奥様にだけは心から気を赦しているんだから。でもその言葉だけじゃ奥様の不安を取り去るには足りなかったようだ。だから、『もしまだ不安なようでしたら、セティ様の愛を試す行動をしてみてもいいかもしれませんね。例えば、押してダメなら引いてみる、とか。』と言ってしまった。」

「それ、まさか、『押してダメなら引いてみる』、を『話し合ってダメなら、家出してみる』、と解釈したとか…」

「ありえるね。奥様ってあんな恵まれた容姿を持ってるくせに自己肯定感が超絶低いから、物事を大げさにネガティブに考えるし、そのくせ変なところで度胸があるから婉曲して事を起こした可能性はあるかも。」


彼女の性格からして、大いに有りうる。

でも、この家出が、本心から離縁をしたい訳ではなく、自分の好意を試す行為なのだとしたら?


その場合、まだ戻って来てもらえるチャンスがあるかもしれない。

未来は絶望で覆われているかもと思っていたが、そこにわずかな光が見えた気がした。




その後、二人は国境を二つ越え、ようやくイリリア国へ入国した。そして予定どおりアンナの友人のアトリエへ辿り着くと、到着早々、代表のカティナが彼らを迎え撃った。


「これはこれはクローシュ伯爵様、そしてお付きの御方。アンナの友人のカティナと申します。アンナより大方の事情はお伺いしていますわ。それにしても私の元に来たターシャが、すっかりこちらの生活に馴染んで来た頃にお迎えに来るなんて、もうとっくに離縁されているものだと思っていましたわ。ほほほ。」


カティナは迎えに来るのが遅くはないかと、暗に嫌味を言ってくる。アンナの友人と言うだけあって、中々に良い性格をした人物のようだ。


彼女の話しぶりから、タチアーナは今はターシャと名乗っており、こちらの生活に馴染んでいるらしい。これは、彼女が帰ってきてくれるか怪しくなってきたな…


セティは内心不安を増しながらも、カティナに向かって自分は連れて帰る意思があると宣言をする。


「夫婦の問題にご迷惑をおかけして大変申し訳ない。タチアーナのことだが…アンナの手紙に書いていたとは思うが、彼女が了承するのであれば、すぐにでも家に連れて帰りたいと思っている。しかし急に仕事を辞めるとなると、貴女方に支障が出るとも理解している。」


「ターシャの抜けた後については、まあなんとかします。実のところ、彼女のレース編みはそれ自体を装飾品として売っていましたので、それありきでドレスを作成したり、予約の注文を受けて作製してもらっていたわけではありませんの。衣食住と場所代を保証しつつ、ほぼ個人事業主として活躍して貰っていましたわ。」


これは後日カティナがアンナに認めた手紙でわかることになるのだが、カティナはタチアーナはただの家出だと見抜いていたらしい。今までの生活を捨てて生きて行く覚悟が足りてないというか、どこか未練があるように見えたそうだ。そのため、いつ家族が彼女を迎えにきてもこちらに支障が出ないように仕事を割り振っていたらしい。


「カティナ夫人、あなたのお心遣いにこころから感謝する。」

「迷惑料はあとでがっつり頂きますけどね。ターシャは今、お昼休憩で職場の仲間とともに外のテーブルにいると思います。早く会いに行ってやってください。」

「ありがとう。」


礼を述べるセティに、ニコラスも付け加える。

「ありがとうございます、迷惑料については、後で私のほうから改めて話をさせて頂きます。」

「ええ、よろしくお願いしますわ。ほら、早く行った行った!」


セティは改めて夫人に頭を下げ、ニコラスとともにタチアーナのいる休憩場所へと駆けて行った。





アトリエの外に出ると、裏方にピクニックテーブルが点在しており、各テーブルに女性たちが5,6人くらいで分かれて休んでいる様子が見えた。

セティはその内の一つに一直線に向かって走りながら、大きな声をあげる。



「タチアーナ!!!!!」



その場にいた全員が、セティのほうを振り向く。そして、


「!?セ、セティ、さま…」


アトリエメンバーに紛れたタチアーナが一人声を上げ、驚愕した面持ちでセティを見ていた。



「ん?タチアーナ様?」


ニコラスは先に駆けていくセティの後ろから二人の様子を見ていたのだが、セティの言うタチアーナが一瞬誰かわからず、疑問形となってしまう。


それほどまでに、タチアーナの容姿が以前とは変わってしまっていた。



腰まであった綺麗なストロベリーブロンドは、今や耳の下くらいの長さで切りそろえられており、貴族としてはかなり前衛的な髪型となっている。


そして、真っ白で雪のようだった肌はこんがりと日に焼け、顔も手も貴族女性には有り得ないような小麦色をしていた。


それから服装だ。いつもタイトで身体のラインを強調するようなドレス姿ばかりだったのが、長袖ブラウス、ロングスカートとエプロンという一般的な労働者の出で立ちをしている。



それから何より、その服に包まれた身体つき。


出るとこは出て、絞るべきところはとことん細い見事なプロポーションをしていたタチアーナだったが、今の彼女は率直に言うと洋服が窮屈そうな身体つきへと変貌していた。


ブラウスの袖に隠れた二の腕は丸みを帯び、鎖骨ラインはおそらく消滅している。胸は大きいままだが、細かったくびれはどこへ行ったのやら、ウエストラインに厚みがある。顔付きも以前は凍てつくような美貌だったのが、頬がぷっくりとして顔全体が丸みを帯びたためか優しいものに変わっている。



(…えええ、めちゃくちゃぽっちゃりしちゃってるじゃないか。)



近寄りがたい完璧な美貌が、良く言えば親しみのあるものに、悪く言えば美の女神がただの人間になってしまったかのような変貌を遂げていた。

ニコラスはタチアーナの信じられない変化に思わず声に出そうになったが、なんとか我慢してその言葉を飲み込んだ。


ニコラスが呆然としている間に、セティは彼女の近くまで駆け寄り、目の前に跪いて懇願する。


「ああ、タチアーナ!僕のタチアーナ…無事で生きていてくれて良かった。今まで君の不満に気付いてあげることができず、本当に申し訳なかった。もう君は僕に愛想を尽かしてるかもしれない。けれど、どうか僕にやり直すチャンスを与えてくれないだろうか。僕と一緒に、家まで帰ってきて欲しい。」


「そんな、セティ様、どうぞ顔をお上げください。あ、あの、手紙は読まれました?その、り、離縁の件も…」


タチアーナは数か月ぶりに見た少しやつれた様子の夫を見て、どうすればいいかわからずおろおろとしている。


「あんな簡単な言葉一つで離婚に応じるとでも?それとも、僕たちは手紙だけで終わらせることができるような絆しか築けて無かったんだろうか。」


先程とは異なる低い声がセティから発せられる。


・・・離婚、という言葉に思わず過剰に反応してしまい、嫌な言い方をしてしまった。そんな自分の言葉にタチアーナははっとした表情を作る。


「…申し訳、ございません。あなたと真剣に向き合うのが怖くて、逃げて、試すようなことをしてしまいました。」


「怖いだなんて、「いいえ。」


セティが言おうとしたことを遮り、タチアーナは言葉を続ける。


「私は、怖かった。あなたが、私を必要としなくなるのが、途方もないくらい恐ろしかったのです。あなたは私の外見をかって、ビジネスパートナーの妻としてくれました。けれど、もし、私が年を取って今の容貌が失われてしまったら…そう考えると、捨てられてしまう前に、自ら離れるのが一番傷つかないと思ってしまったのです。それに、あなたは私を見ているようで見ていなかった。もしかしたら、あなたには別の好きな方がいて、私はその方の隠れ蓑とするため結婚したのではないかとも疑っていました。あなたが私との子供を作ろうとしなかったのも、そのためかと…」


アンナが言っていたタチアーナが出て行った原因全てが見事に的中した。


タチアーナの目線は下を向いていたのだが、ふくふくとした手を胸の前にあて、意を決したようにセティに視線を合わせる。


「あなたは私以外に家族にしたい方はいますか?私、随分と変わってしまいましたが、それでも、私を、まだ好きでいてくれますか?」


瞳を揺らしながら、自信なさげに小さな声で自分に問いかけてくるタチアーナ。



そんなの、答えはわかりきっているじゃないか。



「今もこの瞬間も、ずっと君だけが好きだ!これからだって大好きだ!タチアーナの他に家族になりたい人なんて誰もいない!ビジネスパートナーじゃなくて、君は僕の妻で、家族だ!それに、どこが変わったというんだ?君はいつもの可愛いタチアーナだよ。」


タチアーナは自分の大きな声の告白に、いまにも泣き出しそうな顔をしながらこちらに視線を合わせる。


「髪が短くなりました。」

「すっきりしていいんじゃないか。」

「日に焼けてしまいました。」

「健康的だよ。」

「その、かなり、太ってしまいました。」

「そんなの気にならない、寧ろふくよかな君も新鮮だ。…君はなにも変わってなどいない。タチアーナは、芯から美しいままだ。その証拠に、今度はちゃんと君を見つけられただろう?」


彼女の美しさは外見だけでは表しきれない。心根の優しさ含め、彼女を造る全てが美しいのだから。


「仕事が出来なくなったっていい。姿が変わってしまってもいい。ただ、僕の側にいて欲しいんだ。君が望むなら、新しい家族だって…」

「…!」


セティの真剣で嘘の無い言葉に、やっと肩の力が抜けたのか、タチアーナがおずおずと彼の身体に手を回す。


「信じても、よいのでしょうか。」

「当たり前だ。さすがの僕も、これで信用ならないと言われたらお手上げだよ。」

「…ご迷惑を、おかけてして、ごめんなさい。あなたの愛を疑ってしまいました。」

「疑わせることをした僕が悪い。さあ、家に帰ろう。こちらのアトリエ代表には話はつけてある。」


抱き合っていた身体を一度離し、セティはタチアーナの柔らかな手をとった。



「大団円だ」と、ニコラスがゆっくりと拍手を送った。すると、二人の様子を見守っていたアトリエのメンバーたちも立ち上がり、盛大な拍手を始める。祝福の音は、しばらく鳴りやむことがなかった。



――こうして、約二か月に及ぶクローシュ夫妻の騒動は幕を閉じたのであった。




次でラストです。

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