第9話 お父さんが少女を助ける
市場で買い物を終え、菓子を手にご機嫌そうなアズと手をつなぎ歩く。
しかし久しぶりに買った食料の量を見ると、我が家はこんなに食べたのかと驚かされる。
「そうだ、義兄さん! 昔みたいに稽古してくれよ!
王都警備隊は剣じゃなくて槍使ってるけど、俺、結構強くなったんだぜ」
「ずいぶん自身があるみたいだな、俺はいつでも相手するぞ」
「お父さんと叔父さん、勝負するの? 僕、見たい!」
「ゴーヴァン、明日は仕事でしょ。無理してケガしないでよね」
市場は相変わらず賑やかで、店先から客を呼ぶ声が、買い物に来た人々の話し声があふれかえっていた。
魚屋の桶から魚が跳ね、それを見たアズが楽しそうに俺にそれを教える。
ああ、俺は帰ってきたんだ。もう、明日死んで家族に会えないかもしれないと怯えなくていいんだ。
不意に軽い衝撃が体に走った。
何かと思い一瞬身構え、何が当たってきたのかと見ると小柄な、赤い髪のヒューマンの少女が俺を見上げていた。
鮮やかな赤い髪に貴族の紋章を模したような、翼を広げた鳥と花の意匠の高価そうな、髪飾りが印象的だった。
少女の表情は何かに怯えたような顔をしていて、俺の顔を見て何かを言おうとしたが、すぐにどこかへと走り去っていってしまった。
今の子、とゴーヴァンが呟く。
「どうした、知ってる子だったのか?」
「いや、知らない子だ。
ただ警備隊の仕事中に助けを求められたことがあって、その時の人もあんな顔をしてたから」
「じゃあ今の子、何かあったのかしら」
不安そうな顔をするシアラ。
アズが俺の手を握る力が強くなる。
声をかけようにも、少女は人混みに消え、その姿を見ることはできなかった。
一瞬、戦場に戻されるような感覚が襲うが、アズを見る。
俺を見上げているアズに微笑むと、アズは俺に笑い返してきた。
「多分、あの子は何か急いでたんだろう。
それより早く帰ろう。そろそろ腹が空いたから、帰って昼の支度をしよう」
ゴーヴァンはまだ何か気になってるようだが、いなくなってしまった少女のことを心配でもどうしょうもない。
気にならないと言えば嘘になるが、何ごともないことを祈るだけだ。
市場から離れるとき、一見店先に置かれた本にさっきの少女の髪飾りと似た模様が描かれた本が目に入った。
「ガーウェイ、どうしたの?」
「いや、あの本の模様。さっきの子の髪飾りに似てるなと、思ってな」
「なんだい、何か気になら本でもあるのかい?」
俺が店先を見ていたからか、店主に声をかけられてしまった。
「いや、その本の鳥と花の模様が何なのかと思っただけなんだ」
「ああ、こりゃあタルト家の紋章だよ。
王国どころかこの辺の国や、海の向こうの南方の国々での製紙、印刷はタルト家の独占だからね。大抵の本に、この紋章が入ってるのさ。
タルト家は隣の大公国の大公に並ぶ金持ちの一族だ、私らみたいな平民が買うもの手にするものは本どころか、ほとんどがタルト家の商品ってくらいさ」
そんな貴族の紋章を、どうしてあの子がつけてたんだ?
いや、そもそも王都の貴族はこのあたりに来ることなんてないし、連中が買い物なんて行くとしたら、大聖堂近くの通りのはずだ。
たまたま似たような飾りをつけてただけだろう。
帰ろう。
家に向かい、市場から離れる。
シアラが俺の腕に、自分の腕を絡ませてきた。瞬間、体が硬くなる。
耳元にあいつの息遣いが、鱗に爪を立てられる痛みが蘇る。
違う。俺に触れてるのはあいつじゃない、シアラだ。あんなこと、さっさと忘れればいいんだ。
やがて通りを行く人の数が減っていき、市場の喧騒が小さくなっていく。
市場から離れ、人通りの少ない道に入った時、不意に風向きが変わった瞬間。鼻をかすめた臭いに、戦場にいた時の感覚が戻る。
血の臭いだ。錆と泥、死臭が混じった戦場に戻された気がした。
皆と歩きながら、臭いの元を辿る。頼むから家とは逆の方であってくれと、何かあっても家族を巻き込まない場所であってくれと願う。
だが俺の思いとは逆に、家が近づけば近づくほど血の臭いは強くなっていった。
強くなる血の臭いに、思わず顔をしかめてしまう。
ゴーヴァンを見ると同じように顔をしかめているし、シアラも血の匂いを感じたからか周りを見回している。
ウルフマンほどじゃないが、俺たちドラゴニュートもそれなりに鼻がいい。
臭いの元は、少し先の細い路地だ。
「俺が見てくる。
皆はここで待っていてくれ」
「義兄さん、俺が見てくる」
「いや、ゴーヴァンは何かあったら王都警備隊を呼んでくれ。
俺が行くより、同じ警備隊のお前が行った方が向こうも動いてくれるだろ」
ゴーヴァンの肩を叩き、不安そうな顔をしているシアラに笑顔を向ける。
「大丈夫だ、危ないと思ったらすぐに逃げるさ」
手をつないでいたアズをシアラに預けようとした時、アズの手の力が強くなった。
手を離したら俺がいなくなると思っているかのような目で、俺の顔を見上げている。
「アズ、少しだけシアラと待っててくれ。 何、ちょっとそこを見てくるだけだ。すぐに戻る」
本当に、と聞いてくるアズに笑って頷く。
「お父さん。すぐに、戻ってきてね」
離さないように、力を強く俺の手を握るアズの手をもう片方の手で優しく撫でる。
アズはゆっくり手を離し、シアラの服を掴み、俺をじっと見てくる。
俺はアズの顔を両手で撫で、シアラとゴーヴァンを見る。
「ゴーヴァン、二人を頼む」
「ああ。でも義兄さんも、危ないと思ったらすぐに戻ってきてくれよ」
ゴーヴァンの言葉に頷き、路地の方へ向かう。
血の臭いの原因から少しでも家族を遠ざけられ、わずかだが安堵する。ゴーヴァンは王都警備隊に所属してるなら、多少は荒事もあるだろうが、家族には危険な思いをして欲しくないし、この不快な臭いの原因を知らずに済むなら知らないでいて欲しかった。
ダメだな、ここは戦場じゃない街の中なのに、何も武器がないと不安になる。だが、血の匂いがどうしても、ここが人の暮らす街の中じゃなく、戦場に立っているような気持ちにさせる。
歩く足が自然と足音を殺す。
すぐに火を吐けるように息を大きく吸う。
両手はどんな対応もできるように真っ直ぐに力なく垂らす。
路地に近づき血の匂いが強くなる。
路地を覗き込んだ瞬間、青白い光が視界を埋め尽くした。
視界が戻ると同時に、白い上着の左袖を真っ赤に染め背中を向けた小さな姿と、手に剣を持ちフードをかぶった二人組の姿が目に入った。
小さな姿、赤い髪のヒューマンは路地の奥へと走っていくが、フードの一人が剣を振り上げ、次の瞬間、小さな背中から赤い血が舞い、路地の上に倒れた。
路地の両隣は石造りの建物、問題ないな。
胸の中の空気を一気に火と一緒に吐く。
火の熱が顔に伝わり、シアラには危ないと思ったらすぐに逃げる、なんて言った自分が笑える。
二人が一斉にこちらを向く。手前にウルフマン、奥にヒューマンか。
「遅いな」
声を出されるとシアラやアズが不安になるな。
手前の一人のノドに親指を突き立てノドを潰す。
指を突き立てた瞬間、硬いものを潰す感触が指に伝わる。
不意にアズの笑顔が頭に浮かんだ。大丈夫だアズ、俺はちゃんと戻る。
ああダメだろ、すぐに斬りかからないと。
手前の一人の肘を壊し剣を落とさせる。
剣が落ちるより早く手に取り両脚の肉を断つ。
「かっ、がっ」
その場に膝をつこうとするウルフマンの胸元を掴み盾にして二人目を見る。
逃げずに来るか。
まあ仲間を盾にされて攻めあぐねいてるんだろう来ようとはしない。
ダメだぞすぐに行動しないと。
ウルフマンを盾にしたままもう一人の腹を剣で貫く。
ウルフマンを離しすぐにもう一人のノドを潰す。
「その剣は抜くなよ、死ぬぞ」
ヒューマンが手放した剣を拾い、ウルフマンと同じように両脚の肉を断つ。
これで二人とも逃げられないだろ。
剣は、持ってない方がいいだろうな、街の中だし。
「おい、大丈夫か」
倒れている赤髪のヒューマンに近寄る。綺麗な、市場の飾り屋じゃ見ない、高価そうな髪飾りをつけた少女、市場で俺にぶつかった子だ。
腕の傷と背中の傷を見て、抱き上げる。
「走るから揺れるがガマンしてくれ」
路地から出てシアラたちを見る。
「ゴーヴァン、この先に二人いる! 人を呼んでくれ!
シアラ、アズを連れて家に帰っていてくれ! この子を先生のところへ連れて行く!」
必要なことだけ告げ、先生の、医者の元へ走り出す。
足元は硬い石畳なのに、戦場の血と泥が混じった地面を踏んでいるような気分になる。
少女が痛みで表情を歪めている。
「もう少し我慢してくれ、医者のところへ連れて行く」
ああ、クソ! なんで負傷者を抱えてるとこんなに焦るんだ!
戦場で負傷者を担いだときと一緒だ。だんだんと息をしなくなって、体が動かなくなって……違う! この子はまだ生きてる! 助けられる!
先生のところまで大して距離はないはずなのに、一歩一歩が短く、記憶にある目的の場所までが遠く感じる。
もう少し、もう少しだ。
エリウスの診療所、ついた!
「先生! 先生! 患者だ、開けてくれ!」
両腕が少女を抱えていて塞がっているので、ドアを蹴りながら大声で先生を呼ぶ。
あまり間を開けずドアは開き、眠そうな顔をした黒い鱗のドラゴニュートの青年が顔を出した。
「はい、どうかしました……あれ、ガーウェイさん? 戻られたということは無事に」
「すまないケガ人だ。先生に治療してもらいたい」
黒い鱗のドラゴニュートは俺が抱えている少女を見て、表情を変える。
「父さん、急いでお願いします! ガーウェイさん、中に入ってください」
青年に言われるままに診療所の中に入ると、薬臭い匂いが鼻を突く。診察を待つ人が座る長椅子には今は誰もおらず、診療所の中は静かだった。
奥のドアから、眼鏡をかけた黒い鱗のドラゴニュートが現れる。
「ダネル、何ごとだ。大声を出して」
「ガーウェイさんが怪我人を運んできました。左腕と背中に切創です」
先生に診察室に運んでくれと言われ、中に入ると丸椅子を指差されたので、少女を座らせる。
少女は顔を痛みに歪めたまま、一言も発していない。俺が支えていないと倒れそうなくらい、体に力が入っていなかった。
先生は大きなハサミを持ってきたかと思うと、何のためらいもなく少女の服を切り、傷口を見る。
「傷が深いな、左腕の方は骨が見えてる。
ダネル、背中を頼む。腕は私がやる」
ダネルと呼ばれたドラゴニュートは短く返事をし、背中の傷に手をかざす。
同じように先生も腕の傷に手をかざすと、二人の手の平に淡く白い光が灯る。
背中の傷が流れ出ていた血が止まり、ゆっくりと傷が塞がっていく。
先生の方はもっと早かった。血が止まったと思ったら、骨が見えるほど深かった傷が何もなかったように消えていた。
背中と腕が赤く染まっているが、少女に傷はなくなっていた。
青年は少女から離れると、何かの瓶を持ち、水差しからカップに水を入れて持ってくる。
「痛み止めです。治癒魔法で傷を直しても痛みは残りますから、飲んでください。
自分で飲めますか?」
少女は頷き、右手を出すと青年はその手の上に二粒の薬を置くと少女は薬を口に含み、青年からカップを渡されると直しの水で飲み下す。
「左腕は今は痛みで動かせないだろうが、痛みが取れれば問題なく動かせる。もし上手く動かないようなら、ここへ来なさい。治療代を持って、ね」
先生が俺を見る。
「戦争から帰ってきたかと思ったら、患者を連れてくるなんて、相変わらず賑やかだな」
「仕方ないだろ、この辺りで医者なんて先生しかいないんだ」
「まあ、いいさ。うちは治療費さえ払ってくれれば、何でも診るよ。
何にせよガーウェイ、無事に帰れ……た訳ではないみたいだな」
俺の右目の眼帯を見て、言っているんだろう。
「眼帯をとってもらえるかな」
「金がかかるんだろ?」
「当然だろう。でも治せるかもしれない」
治せる、か。なら診てもらってもいいか。
眼帯を外し、先生に右目を見せる。
先生はダネル、と青年を呼び、二人が俺の右目を診て、ん? ダネル?
「ダネルって、お前ダネルなのか! その子の治療といい、今といい、しっかり医者としてやってるみたいだな」
「ありがとうございます、ガーウェイさん。去年、医師の国家資格に合格しました。まだ未熟なので、父に指導してもらいながら、ですが」
「ゴーヴァンとは、今も遊んでるのか?」
「別に遊んでるわけじゃありません。ゴーヴァンが突っかってくるから、やり返してるだけです」
義弟の幼なじみの成長に驚いていると、ダネルが低い声で、父さんこれは、と言い、先生は低い声で唸る。
「ガーウェイ、この傷はいつ、どうやってできたんだ?」
「去年の冬の前くらいだ。敵兵にメイスで殴られて、潰れたんだと思う」
「ああ、周りの骨が変形しているのは、そういうことか。
しかし潰れた? 眼球がなくなってるじゃないか」
「父さん、鈍器の殴打で潰れた状態で治療を受けたんじゃなく、摘出されてますよね」
「まったく、軍の医者には再生の治癒魔法を使える者もいないのか!
すまないガーウェイ、眼球が残っていれば再生もできたんだが、治癒魔法では失ったものは再生できない。
今回は金はいい、何も出来ることがないからな」
そうか、右目はこのままか。
俺の眼帯をつけた顔を見た、シアラとゴーヴァンの顔が浮かぶ。眼帯の下の傷を見たら、またあの顔を見なくちゃいかないか。
眼帯をつけ直し、小さく息を吐く。
「別にいいさ、左目は無事なんだ。見るのには困ってないから、問題ないさ。
それより、その子はもう大丈夫なのか?」
「私でしたら、大丈夫です。
助けていただき、ありがとうございます」
まだ、どこか弱々しい声だ。
まあ、襲われてあんなケガをしたら気も弱るか。
「先生、います?
あ、良かった。先生もダネル君もいたのね」
ドアを開けて、アズを連れたシアラが入ってくる。
「シアラ! 帰ってろと言ったろう」
「けどガーウェイが運んでた子、血で服が汚れてたでしょ。あのままじゃ帰れないと思って、服を持ってきたの」
「お母さんね、あの子困ってるって言ってたんだよ」
シアラの言う通り、彼女の手には服が一枚あった。
「ありがとうございます。このまま帰ると騒がれるので、助かります」
「いいのよ。こんなに汚れて切れた服じゃ、外を歩けないでしょ。着替えられる?」
「すみません、左腕が痺れるような感じがするので……服をお借りしてもいいでしょうか、腕が動くようになったら、着替えます」
薬が効くまで少し時間がかかりますから、とダネルが言う。
シアラは一人頷き、俺たちを見回した。
「じゃあ、私が着替えるの手伝うわ。その服のままだと、気分もよくないでしょ。
ほら、女の子が着替えるんだから男の人は出て」
そう言って俺の背中を押し、部屋から出そうとする。
先生たちも、とシアラは言いアズも含めて男は全員、部屋の外へ出されてしまい、ドアが閉められた。
ダネルが笑い、先生が私の診療所なんだが、とつぶやいた。
「お父さん。お父さんはケガしてないよね?」
「ああ、大丈夫だ。見てみろ、どこも怪我なんてしてないだろ?」
アズに体を見せるように、目の前で軽く回ってみせると、アズが俺に抱きついてきた。
ごめんな、アズ。心配させたんだな。
軽くアズの背中を撫でてやり、少しでも安心させてやる。
「シアラ、診察室の中の器具や薬には触れないでくれ」
先生の言葉に部屋の中から、シアラの返事が聞こえてくる。
それからしばらくして、ドアが開きシアラとシアラの服を着た少女がでてきた。シアラの服はこの子には大きいからか、少し不格好に見えるが、血だらけになった服よりはマシだな。
少女は俺たちの姿を見て、深く頭を下げた。
「助けていただいて、ありがとうございます。
命を助けていただいたこと、どんな感謝の言葉でも足りません」
ずいぶん丁寧な子だな。
「医者なんでな、連れてこられた患者は助けるよ。治療費さえ払ってもらえるなら、な」
「お金は家人の許しを得て、必ずお支払いします。
あと」
少女が俺の顔を見て、再び頭を深く下げた。
「あのような危険な中、助けていただき、本当にありがとうございます。
貴方に来ていただかなかったら、命を奪われていたところでした。
このお礼は、どんな言葉を尽くしても言い表せません」
「そんな畏まらなくたっていい。あの状況じゃ、俺や近くにいた家族が襲われた場合もあるんだ。
家族を守るためにやったようなものだ、気にするな」
ダネルがシアラの持っている血に汚れ、切られた服を見ている。
「ところで君、その制服を着ていたということは、王立学術院の生徒ですよね? どうして街中に?
このくらいの時間は、まだ授業のはずなんですけど」
少女は斬られた左腕をさすりながら、何かを考えている。
「今朝、家から学術院へ向かう途中に襲われたんです。
電撃の魔法で感電させて、その間に逃げたんですが、まだ王都に来てから日が浅いので道が分からないので、どこへ行けばいいのか分からず、あちこち逃げ回っているうちに見つかり、同じ事を繰り返してる間に追いつかれて」
「二人のうち一人がウルフマンだった。
君の匂いを覚えて、それを辿って見つけたんだろうな」
そうなんですか、と力なく答える少女。
ウルフマンの鼻は本当に鋭い。部下だったウルフマンのダッドの鼻に助けられたことは、一度や二度じゃない。敵が向かってくる方向、敵の数、どれも正確に嗅ぎ分けていた。
ましてやこの子、ほのかに花のような香りがするから、香水をつけているんだろう。これじゃあウルフマンに、見つけてくださいと主張しているようなものだ。
けどウルフマンがいて、朝から追いかけてついさっき、か。ダッドだったら、もっと早く見つけてただろうな。
「先生! 義兄さんはいるか!」
診療所の扉が開き、ゴーヴァンの大声が響き渡る。
「ゴーヴァン、ここは病院だぞ! 大声を出すな」
「うるせぇ、ダネル! 俺は先生に用が……義兄さん! さっきの子は……まだいるな!
おい、髪飾りをつけた赤い髪のヒューマンの娘はまだいるぞ! 確認してくれ!」
ゴーヴァンが外に呼びかけると、赤い軍服に身を包んだ二人が診療所に入ってきた。あの赤い軍服は確か王宮近衛兵のはずだが、なんで城から離れたこんな所にいるんだ? 王宮近衛兵の持ち場は王宮と離宮の警備、後は王族の護衛のはずなんだが。
「おい、ゴーヴァン。なんで王宮近衛兵がこんな所にいるんだ」
「いや、俺も聞きたいくらいだって。
一番近い詰め所に行ったら、王宮近衛兵の奴らがいて、陸軍将の命令で高価そうな髪飾りをつけた赤い髪のヒューマンの娘を保護するよう命令が出てる、って言っててさ。
義兄さんが先生の所に連れて行った子が、赤い髪のヒューマンだったから、それ伝えたら急いで連れて行けって言われて……あの子、なんなんだよ」
陸軍将って軍の一番上だぞ。そんな立場の人間に探されるって、どんな身分なんだ?
俺たちが話していると、王宮近衛兵の二人は少女を見て、最敬礼をする。
ちょっと待て、なんで王宮近衛兵たちがこの子に最敬礼なんてしてるんだ? 確か王族は全員、ドラゴニュートのはずだろ。
「お探ししました。
すぐに王宮へお連れするようにと、陸軍将より命を受けております」
「分かりました。
では皆様、これで失礼いたします。
治療費は必ずお支払いします。
この服も必ずお返ししますので、どちらへお伺いすればいいでしょうか? よろしければ、お名前とお住いの場所を教えていただけないでしょうか」
シアラが自分の名前と家の場所を伝えると、少女は一度頷いて、分かりましたと言った。
そうすると今度は、俺を見る。
「助けていただいたお礼に伺いたいので、お名前とお住いの場所を教えていただけないでしょうか」
「ガーウェイだ。住んでる場所はシアラと一緒だ、夫婦なんでな」
「はい、分かりました。
皆様、本当にありがとうございました。
用意ができ次第、伺わせていただきます」
少女は一度頭を下げると、診療所から出て行った。
「あの方の姉が次の、だったか」
「ああ、女なんかにあの家の財産全てだ。
ラウニード侯爵の気持ちがよくわかる」
王宮近衛兵たちが何かつぶやき合い、少女の後に続き診療所から出ていった。
高価そうな髪飾りをつけて、王立学術院の制服を着た王宮近衛兵に最敬礼されるヒューマン? どこの誰だったんだ?
「どこの貴族の家の子なんでしょうね、あの子は」
「なんだよ、ダネル。どうして、あの子が貴族だなんて分かんだよ」
「あの子、左腕に細い腕輪をしてただろう。気づかなかったのか?」
「ああ、そう言えばつけてたわね。
学生でも髪飾りや腕輪をつけて、おしゃれに気を使うのね」
ダネルだけじゃなくて、シアラも気づいてたのか?
「シアラさん、あの腕輪は学術院に通ってる貴族の家の出身者だけがつけられる物なんです。
王都に住んでると行くことは滅多にないんですが、学術院の学生寮って貴族用とそれ以外の部屋が違うんですよ。
その貴族用の部屋に入るのに、あの腕輪がないと入れないんです」
「へえ、貴族ってのは、そんなとこまで特別扱いされてんのか。
そういや、王宮近衛兵も貴族出身じゃないとなれないんだったな」
「それを言ったら、軍の将校なんてほとんど貴族出身だぞ。
平民出身の将校なんて、数えるくらいしかいなかったな」
正直、部隊の隊長だった俺は、平民出身じゃ出世してる方だ。
軍の一番上の陸軍将もどこかの貴族の出身だし、貴族でなきゃ軍での出世なんて、夢のまた夢だ。そういう意味でも、辞めてよかったんだろうな。
「まあ、もう会うこともない子だってのは分かった」
「それは困る。治療費を払ってもらわなきゃ、うちが損したことになる。
しまった、どこの家の娘なのか聞いておくんだった」
おいおい、先生。金はちゃんと取る気なのか。