第7話 お父さんは軍を辞めた
日が昇り、人々が行き交う活気ある市場の中を、家族全員で歩く。
周りでは野菜や果物、パンにチーズに肉や魚、色とりどりの布や飾りと様々な商品が並び、店主の掛け声や俺たちのような買い物客の会話が混ざり合い、心地よい賑やかさを作っている。
穫れて間もないのだろう魚が魚屋の桶で跳ね、店先に飾られた色とりどりの布の間から恋人なのだろう女性と何か飾りを手に取って見せている帰還兵の姿が見えた。
どの店の店主も、男も女も、老いた店主でさえ大きな声で戦勝を祝って安くする、なんて言って客に声をかけている。
人込みの中、はぐれないようにとアズの手を引いているが、こうするのも五年ぶりだ。
あの頃に違って、しっかりした足取りで歩いているのが我が子の成長を感じさせる。
「しかし、あっけなく終わるもんだな」
軍の事務所での手続きを思い出し、つぶやく。
事務所で辞めたいと伝えて装備を返したら、書類にサインさせられて退職金を渡されて終わりだった。
書類の俺の名前を見て、お偉いさんが探しているようなことを言っていたが、もう関係ない話だった。
書類一枚のサインで終わり、本当にあっけないものだった。
「まあ、所詮は一兵士と言うことなんだろうな」
今朝、パンとミルクだけで軽い朝食を済ませて、すぐに軍の事務所に向かった。
さっさと行って、手続きを済ませて家に帰るつもりだったんだが、みんな一緒に行くと言ってついて来てくれたので、帰りに市場に寄っている。
昨日、軍を辞めると言った時、シアラはあっさりと受け入れてくれた。自分も働いているし、辞めればいくらかは退職金が出るから、しばらくやって行けるし、いざとなったら自分が皆を養うとまで言ってくれた。
だがその瞳は五年間の苦労を感じさせる、疲れや不安があった。
まあ、そんなに長い間、職無しでいるつもりもないから安心して欲しい。
ガーウェイは王都警備隊に入ったらどうかと、勧めてくれた。ガーウェイ自身、王都警備隊に所属しているし、配属は絶対に王都内だから皆と離れずに済む、という意味もあるのだろう。
試験のコツなら俺でも教えられるなんて、頼れるようになったもんだ。
しかし俺に、王都警備隊の入隊試験が合格できるのか?
アズは純粋に喜んでくれた。五年も離れて暮らしたせいか、昨日はやたら俺に甘えてきた。親としては距離を置かれるよりは嬉しいが、八歳っていうのはこんなに甘えるものなんだろうか?
ただ俺の手を握るアズの手の力は、どこか俺を離さないようにも思えた。
まあ、アズが甘える方なのかどうかは、これからは親子としての時間も取れるし、ゆっくり考えればいいか。
アズの手を握っていない方の手で持っている、革袋の重みを確かめる。
剣に比べると手にかかる重みが全然違い、自分の五年間の戦いが何だったのかと思わされる。
「十五から軍に入って、戦争中は五年も前線に立っても、辞めればこんなもんなんだな」
思ったよりも軽い退職金に、軽いため息が出る。
「大丈夫よ。私が働いてるんだし多少は貯金もあるから、慌てて変な仕事に就いたりしないで、いい条件の仕事を探して。
昨日も言ったけど、もしもの時は私が皆を養うから大丈夫」
「そうそう。どこか遠くに行くような仕事じゃなくてさ、この街でやれる仕事を探そうぜ。
義兄さんも読み書きはできるんだし、王都警備隊の試験、受けちゃえよ。俺も義兄さんと一緒に働けて嬉しいしさ」
「そうだな。慌てて決めないで、少し、考えて仕事を探すよ。
もう、家族と離れて暮らすのはいやだからな。
それより、昼は何を食べようか。なんなら俺が作ろうか? 少し早いけど、何か食べて帰るか?」
せっかく市場にいるんだ、何も買わないで帰るのももったいないなからな。
「お父さん、僕お菓子食べたい」
お菓子? ああ、そこの焼き菓子の店で売ってるやつか。
「アズ、ご飯食べる前にお菓子はダメって言ってるでしょ」
ああ、そういう決まりが出来てるのか。
まあ、でも、な。
「買うくらいなら、いいだろ。
いま食べるんじゃなくて、後で食べるなら……ダメか?」
「ガーウェイ、アズみたいな目で見ないの……しょうがないわね。
そのかわり、お菓子を食べるのはご飯を食べてからね」
アズが嬉しそうに返事をする。
ゴーヴァンが俺とアズを見て、笑いを堪えていた。
「義兄さんとアズ、やっぱり親子だな。さっきの顔、そっくりだ」
そりゃあ、親子だからな。似るだろ。
「アズ、シアラが買っていいって言ってくれたから、菓子を買って帰ろうか。
どれが欲しいんだ?」
「あのね、あそこのお店の干した果物が入ってるのが食べたい! あれね、すっごくおいしいんだよ! お父さんも、いっしょに食べよう!」
アズが俺の手を引いて、店の方へと引っ張っていく。
店の前で欲しい菓子を指さして、これ、と嬉しそうな顔でアズの言っていた菓子を教えてくれた。
焼き菓子の香ばしい匂いに、干した果物の甘い香りが混ざり、何とも美味そうな匂いがしている。なるほどな、アズはこういう菓子が好きなのか。
菓子屋の店員に、アズが欲しがっている菓子を四つもらえるよう言うと、店員はその菓子を四つ包んで差し出してきたので、退職金の中から硬貨を出し、菓子と釣りを受け取る。
「じゃあ、アズ。お昼を食べたら、みんなで食べような」
「うん! お父さん、ありがとう!」
そんな笑顔見せられたら、また買ってやりなるな。
「たーい長、何やってんすか!」
聞き慣れた声が聞こえたのでそちらを見ると、軍の装備に身を包んだダッドがいた。
「ダッド、お前こそ装備一式身につけて何やってるんだ? まだ何の指示も出てないだろう」
「いやぁ、女の子に声かけるのに、この方がいい気がするんすよね。戦場帰りの男、なんて箔が付いてる感じしません。
今が彼女作れる、最高の機会だと思うんすよ」
ダッドは得意げな顔をするが、そういうものなのか?
「ガーウェイ、この人は?」
俺がみんなにダッドを紹介しようとすると、ダッドはシアラをまじまじと見ていた。
「ひょっとして、この人が隊長の奥さんすか? へぇ……」
ん? ダッド、お前シアラのどこを見てる?
「隊長も結構好きなんすね。奥さん、すっごい立派じゃないっすか」
ダッドが俺に近づいて、周りに聞こえないような小さな声で囁く。
「やっぱ隊長も、おっぱい大きい方が好きなんすね」
「ダッド。お前、人の妻のどこを見て何を言ってるのか分かってるんだろうな」
ダッドの表情が固まってるいるのが分かった。
「なんなら、ここから宿舎まで俺と全力で走るか? 俺に捕まったら全力で手合わせしてもらうぞ」
「や、やだな隊長、別にそういう目で見てないっすよ。ただ、ほら、男だったらどうしても、立派なもの見たら目が行っちゃうじゃないっすか」
「俺はシアラ以外の女性にそういう目を向けたことはないぞ」
ダッドが乾いた笑いをこぼす。
「隊長、それよりこの人たちが、隊長の奥さんと息子さんと弟さんっすよね!
ども、同じ隊で隊長にお世話になってるダッドって言います」
シアラたちに軽く手を挙げ、ダッドは挨拶をする。
「ガーウェイの知り合いだったのね。
始めまして、妻のシアラです」
「はじめまして、僕、アズって言います」
シアラに肩を叩かれ、アズが大きな声で名前を名乗る。
「俺は義弟のゴーヴァンだ。
よろしく、ダッドさん」
ダッドは笑いながら、両手を軽く振る。
「いやいやいや、そんな丁寧な挨拶申し訳ないっすよ。
俺は隊長の部下なんすから、普通に話してもらって構いませんし、さんとかつけなくていいっすよ。
特にゴーヴァン君とか、隊長の弟なら、俺とそんな年変わらないんだろうし」
ゴーヴァンに親しげに話しかけてるが、ダッド、頼むからお前のナンパに、俺の義弟を連れて行くようなことはしないでくれ。
「ところで、隊長は家族そろって買い物っすか?」
「いや、軍の事務所に行ってきてな。
それで軍を辞めてきた」
ダッドの目が丸くなる。
「辞めた?! 隊長が?!」
「ああ。これ以上、家族と離れてすごすのが辛くてな。この街にいられる仕事を探すよ」
ダッドは少しの間、呆気にとられた顔をしていたが、すぐに真剣な顔つきになって、何かを考え始める。
「そっか、隊長が辞めるんすか。
なら、俺も続ける必要はないっすね」
「おい、ダッド。お前、その言い方は」
「新兵の頃から隊長のお世話になってきて、これまで生きてこられたのはホント、隊長のおかげっす。
初めて魔物と戦って怖くなって動けない時に助けてくれたのも、帝国の連中相手に俺が得意な弓を使いやすいように注意を引いてくれたのも全部、隊長じゃないっすか。
正直、隊長以外の下で戦うとか、俺には無理なんで」
ダッドは急に笑顔に戻る。笑顔なのに、その顔には新兵の時の怯えた顔が見えた気がした。
「隊の皆にも、このこと話していいっすよね。
みんな、何かしら隊長には恩があるっすから、隊長以外の指揮は受ける気はないと思うんすよ。だから隊長が辞めるって聞いたら、みんな軍辞めるかも知れないっすけど」
でも隊長、とダッドが声をひそめる。
「どうして、急に辞めるなんて言うんすか?」
表情は変わっていないが、声は真剣そのものだった。
俺は声の調子を少し落として、家族には聞こえないよう、ダッドの言葉に答える。
「戦争中に一度だけ、相手を仕留め損なったことがあってな。
その時の帝国の兵士が、女性の名前を呼んだんだ。ナーシャって言ってた。
妻なのか、母親なのか、娘なのか、姉妹なのか、恋人なのかは分からない。でも、そんな時に思い出すほど、大切な人だったんだろうな。
それ以来、俺もいつか同じことになるのが怖くなったんだ。家族のことを考えて、会えないまま死ぬんじゃないか、てな。それだけだ」
そっすか、それだけをダッドはつぶやいた。
「じゃあ俺、ちょっと予定変えて一度、宿舎に戻るんで!
隊長の家族の皆さん、また会えたらよろしくっす!」
ダッドはいつもの調子で笑い、俺たちに手を降って宿舎の方へ向かって行った。