第3話 お父さんは終戦を迎える
隊列を組み、軍が王都の大通りを進む。
歓声が大通りを埋めている。
通りには王国旗が飾られ、子どもたちが手を振りながら隊列を追いかけ、商店や酒場は店先に、勝利を祝え、英雄たちに祝福を、などと書かれた看板が飾られている。
通りの両端を埋める人々の中には、花びらをまいている人もいる。いつの間にか、肩に淡い色の花びらが乗っていた。
「隊長、俺たち帰ってこれたんすね」
俺のすぐ後ろを歩いているダッドの声が聞こえた。
「ああ、帰ってきたんだ」
五年ぶりに見る街並みは記憶の中の風景と変わっておらず、懐かしさに胸にこみ上げてくるものがある。
久しぶりに踏む王都の石畳から軍靴に伝わる感触は、戦場の泥と血の混ざった感触と違っておかしな感じがした。
残った左目を動かし、通りを埋める人を見る。ひょっとしたらこの中にいるのではないかと、期待を込めて。
ああ、右目を無くしてなければ、もっとよく探せるのに。
隊列は通りを進み、街の広場の前で止まった。
広場には人一人分の高さの台が置かれ、その上に赤いの鱗のドラゴニュートが立っているのが見えた。
ラッパの音が響き渡る。
「見よ、この広場に集う王国の民よ。そして戦場から帰還した英雄たちよ。五年前、帝国が我々の平穏を奪った日から今日まで、どれほどの血と涙が流れたか。だが今、皆の手で平和が取り戻された
」
へえ、あれが王子なのか。初めて見た。
王子を見ていると、一瞬、俺に視線が止まったような気がした。まるで、戦場で俺たちに指揮を出していた将校のような目。
いや、気のせいだろう。この国の王子が、たかだか一兵士を見ることなんてない。
「傷つき、剣が折れ、それでも戦い続けた英雄たちよ、君たちの友が、家族が待つこの王都で、再び笑い合える日が来たのだ。王国の民よ、共に歩もう、この勝利の喜びを王国の歴史に永遠に刻むために
」
歓声が一層大きくなる。
王子が台の上から下り去っていくと、通りを埋めていた人々の中から一人、また一人とこちら側へ走り寄ってくる人が出始めた。
兵士の一人に抱きつく女性、兵士の前で立ち止まり涙を流す老人、幼い子供を抱き上げる兵士。それぞれがそれぞれの感情を顔に出し、再会の喜びを感じているのが分かる。
「すまん、ダッド。少し離れる」
「分かりました。家族を探しに行くんでしょ、行ってきてください」
牙を見せて笑うダッドに感謝の言葉を投げて、隊列を外れ通りを埋める人の中へと入っていく。
違う、違う。
道を埋める人々の顔を見ながら、探すべき家族がいないか、人波をかき分けていく。
どこだ、どこにいるんだ? ここには来ていない? ひょっとして、家にいるのか?
「義兄さん? 義兄さん!」
家族の顔を探していると、俺よりも頭一つ以上は背の高い、空色の鱗のドラゴニュートが肩をつかんでくる。
こんな知り合いいたかと一瞬考えるが、顔を見ていると、見知った面影がそこにはあった。
「まさか、ゴーヴァン? ゴーヴァンなのか?」
「そうだよ、俺だよ義兄さん! ゴーヴァンだよ!
良かった、無事に帰ってきてくれて!」
ゴーヴァンは俺の背中に手を回し、何度も叩いてくる。
「なんだゴーヴァン、こんなに大きくなって! 最初、誰かと思ったぞ」
俺の記憶の中のゴーヴァンは確かに背は高かったが、俺と並ぶくらいだった。それが俺を見おろすほど、大きくなっていた。さすがに驚かずにはいられない。
再会の喜びと、義弟の成長への驚きを込めて、俺もゴーヴァンの背に手を回し、叩き返す。
「まさか義兄さんを小さく感じる日が来るなんて、俺、思ってもいなかった」
「誰が小さいだ。こんなに大きくなって!
はは、これじゃもう頭を撫でてやれないじゃないか」
「義兄さん、俺もう、そんな子どもじゃないって」
思わず声を出して笑い合う。
しばらくそうして笑い合っていたが、ゴーヴァンの顔が曇るのが分かった。
「義兄さん、それは」
俺の顔をじっと見ている。右目に着けた眼帯のことを言っているんだろう。
「ああ、これか。戦いでやられてな……おい、なんて顔をしてるんだ。左目も見えなくなったわけじゃないし、両手も両足も、尻尾だって無事なんだ。何も心配することはない」
特別大きな笑顔を作り、ゴーヴァンの胸を拳で軽く叩く。
「それより、シアラは。シアラはどうしてる?」
「姉さん? ああ、姉さんはこっちだ」
ゴーヴァンに手招きされ、人波をかき分け進む。
多くの人であふれかえる中でも特別背の高いゴーヴァンは目立つから、逸れることなく後をついて行けた。
人波を向け、立ち並ぶ建物にそってしばらく歩くと、子どもと手を繋ぐ空色の鱗のドラゴニュートの女性が目に入る。
ああ、ああ。
「姉さん! 義兄さんだ、義兄さんが帰ってきたぞ!」
ゴーヴァンが大きな声で呼びかけると、女性がこちらを向く。
その顔が見えた瞬間、俺は駆け寄り胸に彼女を抱きしめていた。
「シアラ、シアラ。ずっと、ずっと会いたかった」
片手が俺の背中に回される。
「ガーウェイ、良かった。無事、帰ってきてくれて」
かすかに震える声。抱きしめる力を抜き、胸の中に抱いていた顔を覗き込むと、シアラは夕日色の両目に涙を貯めていた。
両手で彼女の顔を覆い、キスをする。
しばらくして顔を離すと、シアラの両目から涙がこぼれ落ちていた。
「良かった……本当に、良かった」
流れる涙を拭い、もう一度キスをする。
五年前と何も変わらない。この温もりも優しい香りも。
夢じゃないんだ。眠るたびに、初めて思いを告げた日のシアラの驚いた顔を、結婚を申し込んでシアラが受けてくれ俺の方が嬉しくて泣いた日を、何度も戦地で夢に見ては、目が覚めると消えてしまった。けど夢じゃないんだ。
顔を離し、シアラの瞳を見る。シアラの夕日色の瞳に俺の顔が映っているのが見えた。
そうやって見つめ合っていると、シアラの手が俺の顔へそっと伸びてくる。
眼帯越しに、手が触れる感触が伝わる。
彼女の手に俺の手を重ねる。ああ、こんなに小さな手だったな。
「ガーウェイ、これは……」
「右目を、な。
そんな顔をしないでくれ、シアラのことはちゃんと見えてる。こうして、触れることもできる。
それだけで俺には十分すぎる」
シアラは一度目を伏せてから俺の顔を見ると、俺の顔をそっと撫でる。
「ガーウェイが生きて帰ってきてくれた。それを神様に、感謝しないといけないものね」
祈りをささげるような表情で、シアラが俺の胸に触れる。
良かった本当に、そう言って顔を覆って嗚咽し始める。
「お母さん、どうしたの?」
シアラが手を繋いでいた子どもが、心配そうな声を投げかけてくる。
五年前より大きくなっているが、当然だ。五年もこの子に会っていないんだ。
膝をつき、子どもに視線を合わせる。
俺と同じ青い鱗、シアラに似た夕日色の目、まだ小さな角。
俺とシアラの息子だ。アズだ。
「アズ、大きくなったな」
アズは、俺の顔を見て驚いたように目を大きく開く。
アズは俺の後ろに視線を送る。ゴーヴァンを見上げているんだろう。
次にシアラを見上げる。
シアラは膝を突き、アズと目を合わせると一度だけ頷く。
アズが俺を見る。
俺は両腕を開く。
アズが俺の腕の中に飛び込み、俺はアズを強く抱きしめる。
アズの小さな手が、俺の角を掴むのがわかった。
「お父さん!」
どこか甘い匂いがした五年前と、ちがう匂いがする。ああ、五年で子どもはこんなにも変わるんだな。
「お父さんだよね! お父さんなんだよね!
お母さんが僕と同じ鱗の色だって言ってたもん。お父さんだよね!」
「そうだ、俺がアズのお父さんだ。
今まで帰れなくて、すまなかった」
戦争が始まったのは、アズが三才の時だ。三才の頃じゃ、俺の顔なんて覚えてないのかもしれない。
けれど今、こうして俺をお父さんと呼んでくれている。
「すまない、アズ。ずっと、お父さんしてやれなくて。
これからは、一緒だ」
俺の腕の中で、アズが何回も頭を縦に振る。
アズの小さな体が震えていた。俺のことを思い出してくれているのか、それとも会えたことを喜んでくれているのか。小さな体を震わせていた。
五年、この五年間、俺がやっていたことを考える。アズを見守ることすら出来なかった五年間を。
「お父さん、苦しいよ」
「ああ、ごめんなアズ。アズに会えたのが嬉しくて仕方なくて」
「ぼくも! ぼくもお父さんに会えてうれしい!」
アズが俺の顔に自分の顔を擦り寄せる。
シアラの手が、アズを抱きしめる俺の腕に触れる。
ゴーヴァンの腕が、俺の肩に回される。
左目が熱い。涙が頬を濡らすのが分かった。
俺は、帰ってきたんだ。俺の家族に、帰ってきたんだ。