第1話 お父さんは戦争中
手を伝わり落ちる血の感触が、なんとも不快だった。鼻は血の臭いを嗅ぎすぎて、何も感じなくなっている。
自分の手を見る。青い鱗に覆われているはずの手は、浴び続けた血で赤黒い色になっていた。
竜人としての体を覆うこの鱗のおかげで、こいつらの使っていた出来の悪い剣じゃ大した傷も負わないが、その恩恵が周りのこの死体の数かと思うと、竜人としての生まれを喜ぶべきかどうか分からなくなる。
足を動かすと、軍靴の裏についた泥と血が混じり、不快な音を立てる。
静かだ。
「隊長」
「どうした」
声のした方に視界を向ける。同じ隊の、自分の部下であるウルフマンのダッドが弓を手にこちらへ向かって歩いて来た。
鼻と耳が忙しなく動いているのは、このあたりに生きた敵兵がいないことを確認しているからだろう。ウルフマンは鼻と耳がいいから、こういう時にも部下としていてくれるのはありがたい。
「敵、増援の気配ありません。
投降した敵兵がいますがどうしますか?」
「装備を解除して拘束しろ。ただし魔法使いは殺せ、装備がなくても抵抗できるからな。
ダッド、他のみんなは無事か」
「ええ、みんな無事っすよ。
それより隊長、その血は……」
「返り血だ、傷はない」
ダッドを振り返る。瞬間、彼の表情が変わるのが分かった。
「隊長、右目が!」
「左目は無事だ、問題ない。
それより、本隊との合流はどうなっている」
ダッドは表情を戻すと、視線を空に向ける。
「ジョシュアが飛んで行きました。
さほどかからずに、連絡は行くはずっすよ」
そうか、と短く答え、ダッドが見上げている方角と違う方角の空を見る。大きく翼を広げた影が、本隊のいる方角に向かって小さくなっていくのが見えた。バードマンのジョシュアなら、まっすぐに飛んでいけば大して時間は掛からず、本隊へ連絡してくれるだろう。
「五年、だな」
「早いもんすね。帝国との戦争が始まってから、もうすぐ5年たつんすから」
血に塗れた手を見る。この手で妻子を最後に抱きしめてから、もう五年、戦線に立ち続けている。
こんな血に塗れた手でも、妻の温もりを、息子の小さな手を、今でも思い出すことができた。
「いつまで、続くんだろうな」
「俺にゃ、てんで見当もつかないっすよ。
先に攻め込んできたのは帝国なんすから、向こうが諦めてくれるまでじゃないっすかね。
今回だって、やたら魔法使いの数が多かったっすけど、連中、本気で俺たちのこと潰しに来てるっすよね」
ダッドがため息混じりに答える。
俺も思わずため息が出る。
「会いたいな」
「え?」
「家族に、会いたいな」
ダッドの短い笑いが聞こえた。
「隊長でも、そう思うことがあるんすね。
俺だって、彼女も出来ずに死にたくなんかないっすよ」
そう言って笑うダッドを見る。ついさっきまで殺し合いをしていたとは思えない、明るい笑顔だった。
新兵の頃は小さな魔物相手にも怯えていたのに、今は大勢の敵兵を殺した後に笑っている。
隊の中でもよく笑うダッドの顔を見て、少しだけ口元が緩む。
残った左目を一度閉じて、頭の中の考えを切り替える。
「ダッド、投降した敵兵のところへ連れて行ってくれ」
「はい!」
俺の前に出て進むダッドの後に続き、足を動かす。
しばらくして、両膝を地に着け、両手を上げた兵士が一小隊分、見えた。全員ヒューマンで、装備には両翼を広げた黒い鷲の紋章が付けられている。帝国の兵士で間違いない。
そばには剣を手にした俺の部下の、黒い鱗の双子の竜人、ヴァルザードとキリアンがいた。
二人とも鱗の色のせいか体に血がついているようには見えなかったが、手にした剣と鎧は返り血で汚れていた。
「ヴァルザード、キリアン、そいつらに装備を解除させて体を調べろ!
体に魔法使いの印があれば分かり次第殺せ! 抵抗、逃亡する場合もだ!」
帝国の兵士たちの表情が、緊張するのが分かった。
ヴァルザードが投降した兵士たちに装備の解除を指示し、キリアンは剣を構えたまま兵士たちを見ている。
ダッドも残った弓を矢につがえ、構えていた。
後ろを見、無数の死体を見る。俺はああはならなかったことを安堵していた。
今回も生きている。次も、必ず生きる。
戦争が終わって、家族の元へ帰るまで死ぬものか。