2話 不審者じゃない
今回もお楽しみください。
ゴンッ!!
突如、強烈な衝撃が後頭部を襲った。
「なっ……!?」
視界がぐらつき、思わず膝が揺れる。
鈍い痛みがじわじわと広がり、頭の奥で鈍器を叩きつけられたような感覚が残る。
まさか、この俺が——!?
俺は冒険者だ。危機を察知すれば、即座に反応できるはず。それなのに、今回はまるで気配を感じなかった。
何故か? それは、そもそもこの攻撃に脅威がなかったからだ。
「の、ノエルちゃん、違うよ……この人は——!」
セラの焦った声が耳に届く。
俺はゆっくりと振り返った。
そこには——バゲットを握りしめた黒髪の少女が立っていた。
風に揺れる黒髪、鋭い視線、どこか姉御肌の雰囲気。
記憶をたどるまでもなく、その顔に見覚えがある。
「の、ノエルなのか……?」
俺が呻くように言うと、黒髪の少女はバゲットを持ったまま目を丸くした。
「え、もしかして……ライル!?」
その瞬間、彼女はバゲットを放り出しそうになりながら、慌てて俺のもとへ駆け寄る。
「ご、ごめんなさい! セラに近寄る不審者かと思って……!」
謝りながら、俺の後頭部を気にするように手を伸ばしてくる。だが、俺は軽く手を振り、頭を押さえながら苦笑した。
「いや、お前な……。いくら田舎でも、初手で殴るのはどうかと思うぞ……」
「だ、だって! こんなタイミングで男が抱きついてたら、普通は怪しむでしょ!」
「いや、でもな……」
言いたいことは分かる。
感極まっていたとはいえ、こんな人気のない場所でセラを抱きしめてしまったんだから。
不審者がいたら危ないぞと彼女に言っていたばかりなのに、不覚である。
「とにかく、あんな重たい一撃を俺が食らうなんてな……。一体、何で殴った?」
そう尋ねると、ノエルは「え?」と間の抜けた顔をして、自分の手元を見た。
そして、思い出したように俺にそれを差し出す。
「これ……だけど?」
それは——バゲットだった。
……いや、パンだよな?
「まさか……これで?」
「うん、これで」
ノエルは悪びれる様子もなく頷く。
中にコルクでも入っているのだろうか。
俺はしばらくその硬そうなパンを見つめ、試しにちぎろうと指をかけた。
「……え?」
全然ちぎれない。
指に力を込めても、まったく歯が立たない。
まるで剣のように硬い。いや、本当にこれ、食べ物なのか?
「な、何でこんなに硬いんだ……?」
俺が困惑していると、ノエルはバゲットを見つめながら、得意げに胸を張った。
「何言ってるのよ? これはウチのパン屋さんの特製バゲットよ。焼きたての時はすごく美味しいんだから!」
そういえば、ノエルの家は村でも評判のパン屋だった。
昔から「ここのパンは絶品だ」と村人たちに愛され、旅人や商人たちの間でも評判だった。俺も幼い頃から何度も通い、焼きたてのパンの香ばしい香りに誘われるように店の前で足を止めたものだ。
ふわふわの丸パン、外はカリッと中はしっとりとしたクロワッサン、優しい甘さの菓子パン——どれもノエルの家のパンは、ひとつひとつが職人の技と温もりを感じさせるものばかりだった。
そんな店の娘であるノエルも、幼い頃から店を手伝い、生地をこねたり、焼き上がりを確認したりと、パン作りに慣れ親しんでいた。忙しい朝の時間帯は、パン屋の裏口から飛び出して、配達の手伝いをする姿もよく見かけた。
それなのに——。
「……なんで、こんな鈍器みたいなバゲットが生まれるんだ?」
俺は未だに硬さの衝撃が抜けないバゲットを見つめ、心の底から疑問を抱くのだった。
「凶器って何よ! ちゃんと食べられるわよ!」
「いやいや、これ普通に鈍器だからな!? 俺、後頭部に受けて今もじんじんしてるんだけど!?」
「だから謝ってるじゃない! そもそも、変なタイミングでセラに抱きつくライルが悪いのよ!」
「……俺のせいなのか……?」
ノエルは不満げに頬を膨らませ、俺の腕を軽く叩く。
「あはは、いたいのいたいの、とんでけー♪」
セラが楽しげに笑いながら、そっと俺の頭に手を当てる。
その仕草はまるで子供をあやす母親のようで、ぽんぽんと優しく撫でながら、俺の痛みを吹き飛ばそうとでもしているかのようだった。
「ライル、大丈夫?」
覗き込むように顔を近づけ、心配そうに俺の表情を窺う。
その瞳はまっすぐで、どこまでも純粋だ。
「ちょっとびっくりしちゃったね。でも、ほら、もう痛くないでしょ?」
柔らかな声で微笑むセラ。その表情があまりにも無邪気で、俺は思わず苦笑してしまう。
「いや、普通にまだ痛いんだけど……」
そうぼやくと、セラは「むむ」と考え込むように唇を尖らせ、次の瞬間、ふわりと俺の額に自分の額をそっとくっつけた。
「えっ……?」
「こうすると、ちょっとは痛みが和らぐんじゃないかなって……えへへ」
至近距離で微笑むセラの顔が、やけに可愛らしく見える。
「ま、待て待て、そんなことで痛みが引くわけ——」
「気持ちの問題だよ♪ ほら、ライルも『もう痛くない』って思えば、本当にそうなるかも?」
目を細め、悪戯っぽく微笑むセラ。
ノエルが呆れたようにため息をつく中、俺はもう何も言えなくなってしまった。
おかしいな、まだじんじん痛むはずなのに、なんだか胸の奥が妙に落ち着かない。
でも……変わらないな、この感じ。
相変わらずはちゃめちゃで、でもどこか憎めない。
久々に帰ってきて、懐かしい再会のはずだったのに——なぜか俺はバゲットで殴られるという、まるで冗談みたいな形で迎えられることになった。
「……もう少し普通に再会できなかったのか」
「いや、こっちのセリフだから!」
俺はため息をつきながら、ノエルの手元のバゲットを改めて見た。
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