1話 帰郷
今回もお楽しみください。
俺は元々、冒険者だった。
ランクはB。高くもなければ低くもない、いわば中途半端な位置にいた。
何か特別な武勲を挙げたわけでもなく、一世を風靡するような英雄になったわけでもない。ただ、日々依頼をこなし、戦い、傷を負い、また戦う——そんな生活を繰り返していた。
かつては夢見ていた。いつかSランクの凄腕冒険者になり、その名を轟かせることを。世界を股にかけ、財宝を手にし、強敵を打ち倒す、そんな生き方を——。
だが、現実は甘くなかった。
気づけば、Bランクのまま年月が過ぎていた。Aへの壁は思った以上に厚く、才能も運も、俺には決定的に足りていなかった。もう少し、もう少しと思いながら挑み続けたが、その結果、今の俺がある。
……まぁ、夢破れたってところかな。
細かい事情はさておき、今はそういうことにしておいてほしい。
そして今、俺は療養のために故郷へと戻ってきた。怪我や疲れもあったが、それ以上に、ここらで一度立ち止まるべきだと感じたからだ。
ただ、実家に帰るとなると、問題は別のところにある。
何と言われるだろうか——
「お前、都会で大したこともできなかったのか」とか、「冒険者なんてやめて、さっさと落ち着け」とか。
家族や幼馴染たちの反応を考えると、少しヒヤヒヤする。
だけど、もう帰ってきてしまった以上、腹を括るしかない。
さて、俺はどう迎えられるのか——それは、もうすぐわかることだ。
「終点、フィーネだよ~」
馬車の車輪が軋む音とともに、御者の声が響いた。
俺はゆっくりと腰を上げ、荷物を肩にかけながら馬車を降りる。土の上に足をつけた瞬間、潮の香りが鼻をくすぐった。海風が心地よく頬を撫で、思わず微かに口元が緩む。
目の前には、変わらぬ田舎の景色が広がっていた。
「……帰ってきたんだな」
見渡せば、どこか懐かしい。
駅のような立派な施設はなく、小さな馬車の停留所がぽつんとあるだけ。
風化しかけた木製の待合所には、かろうじて読める手書きの時刻表が貼られている。相変わらず本数は少ない。
周囲を見回しても人影は見えず、聞こえるのは遠くから響くカモメの鳴き声だけ。
「さて、行きますか」
俺は肩にかけた鞄と剣を軽く揺すりながら、ゆっくりと歩き始める。
ここからさらに歩かなければならない。この田舎では、それが当たり前だった。都会のように魔導列車が走っているわけでもなければ、タクシー馬車を気軽に拾えるわけでもない。移動手段は自分の足のみ。
だが、不思議と苦にはならなかった。
目の前には広大な海が広がり、寄せては返す波が一定のリズムを刻んでいる。風は緩やかで、潮の香りを肺いっぱいに吸い込めば、なんだか心まで洗われるような気分になった。
道の先に人影はなく、この景色を独り占めできるのも、田舎ならではの贅沢だろう。都会では絶対に味わえない静寂と、広がる青の美しさ。すべてが、記憶の中のままだった。
さて、俺はどこへ向かっているのかというと——祖父の家だ。
だが、約束の時間まではまだたっぷりある。何か寄り道でもして時間を潰そうかとも考えたが、「観光」と呼ぶには、ここはあまりにも馴染みのある場所すぎる。
そんなことを考えていると、ふと目に入ったのは海辺に佇む小さな教会だった。
「……潮風の教会、まだ残ってたんだな」
幼いころ、何度も足を運んだ場所。
潮風に晒されて色褪せた白い壁が、どこか懐かしい。ステンドグラスの窓は今も美しく、太陽の光を受けて柔らかな輝きを放っている。
その傍には、木の屋根があるベンチがぽつんと設置されていた。
「少し休んでいくか……」
俺はふらりと歩み寄る。木の屋根に覆われたベンチは潮風を遮り、心地よい木陰を作っていた。
そこに近づいた瞬間、ふと気がつく。
すでに誰かが座っていた。
「……あ」
思わず声が漏れる。
ベンチの端に、小柄な女の子が身を丸めるようにして眠っていた。涼しげな髪が風に揺れ、細い腕を枕にして、「すーすー」と規則正しい寝息を立てている。その姿は、まるで陽だまりの中で丸くなって眠る猫のようだった。
潮の香りと柔らかな陽射しに包まれた彼女の寝顔は、どこか穏やかで、見ているだけで心が和らぐ。
どこか懐かしい、その顔立ち——。
「……セラ?」
変わらない。少し幼く見える顔立ちも、小柄な体も、あの頃のままだった。
「……どうしてこんなところに。いや、それよりも……」
俺は予想外の再会に戸惑いながらも、声をかけるのをためらった。
まさか、こんなところでセラに出くわすとは。
しかし、ぐっすりと眠っている彼女を無理に起こすのも気が引ける。相変わらず無防備なやつだな……。
だが、都会での生活を思い出し、ふと嫌な考えが頭をよぎる。
ここは田舎とはいえ、夜の街ではないにしろ、女の子がこんな風に一人で眠っているのは危なすぎるんじゃないか?
俺が通りかからなかったら、もっと悪い奴に出くわしていたかもしれない。
そんな考えが消えず、俺はそっと手を伸ばした。
「……おい、そんなところで寝てたら風邪引くぞ」
軽く声をかけると、セラの長いまつ毛がぴくりと揺れ、わずかに頬を動かした。しかし、すぐには目を開けず、微かに唇が動く。
「……んん……あと五分……」
寝ぼけたような声が漏れ、細い指先がゆるりと動いた。まるで暖かい布団の中で夢を楽しんでいるかのような仕草に、俺は思わず呆れる。
「……いや、ここ布団じゃないし。起きろって」
再度声をかけると、ようやくまつ毛が再び震え、ゆっくりと瞼が開いた。微睡みの中でぼんやりとした視線がこちらを捉え、何度か瞬きを繰り返しながら焦点を結んでいく。
「……っ!? ラ……ライル!??」
「ああ、その通り。目は覚めたか、眠り姫さん」
「な、なんで!? えっ、本物……!? 」
驚きが一気に広がり、セラの眠たげだった瞳が一瞬で大きく見開かれる。だが、その様子があまりに無防備で、まるで夢と現実の境目で混乱しているようにも見える。
いや、待てよ。この状況、まるで俺が不審者みたいじゃないか?
「お、おお……本物だよ。久しぶり」
俺がそう返すと、セラは目を丸くしたまま固まっていた。
俺自身も動揺していて、どう返せばいいのかわからない。
もう少し寝かせたままにして、挨拶でも考えるべきだったか——
そう思った瞬間。
「えっ、まっ……!?」
突然、視界が揺れた。驚く間もなく、セラの小柄な体が俺の胸元に飛び込んでくる。思わずよろめいたが、しっかりとした腕の力でぎゅっと抱きしめられる。
「わぁぁ……本当にライルだ……! 夢じゃない……!」
セラは顔を俺の胸に埋め、ぎゅっと俺の服を掴んで離さない。
まるで、二度と離したくないとでもいうように。
懐かしい温もりと、胸に染み入るような声。
「……そ、そんなに驚くことか?」
「驚くに決まってるよ……! だって、もう帰ってこないのかと思ってたから……」
そう言う彼女の声は、どこか震えていた。
だけど安心させるように、肩を叩く。
「はは……そんなわけないだろ、たまにふらっと帰ってくることくらい」
「だ、だって、だって……あのとき……っ」
「……っ!?」
セラの声が一瞬震えた。
その仕草に、俺は何も言い返せずにいて……。
彼女は言葉の続きを探すように、小さく息を呑む。
だが、すぐに何かを振り払うように首を振った。
「……ううん。なんでもない!」
その表情は、ほんの一瞬だけ寂しげに見えた気がした。
この小さな村で待っていた彼女の気持ちを思うと——俺は、何も言い返せなかった。
「……おかえり」
セラは、いつものような笑顔を浮かべてそう言った。
その一言に、胸がじんわりと温かくなる。久しぶりに帰ってきた実感が、ようやくこみ上げてきた。
くすぐったくも、懐かしくもあるこの感覚。
俺は、照れくさくもそっと口を開いた。
「……ただいま」
そのまま、セラの温もりを感じながらしばらく抱き合ったままでいた。
鼓動が伝わるほどの距離に、どこかくすぐったい気持ちが込み上げる。
セラの細い指が俺の背中をぎゅっと掴んでいて、まるで俺がどこかへ消えてしまうことを恐れているかのようだった。
——そんな風に思った瞬間、突如として後頭部に鈍い衝撃が走った。
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