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11話 昼食

今回もお楽しみください。

 薪の配達を終え、次の家へ向かおうとした矢先。


「あ、待って!」


 ノエルが急に俺たちを呼び止めた。

 何事かと思えば、彼女は小走りで店の奥へと消えていく。


「……なんだ?」


 爺さんと顔を見合わせること数十秒。

 すると、ノエルは紙袋を抱えて戻ってきた。


「お昼、まだなんでしょう? これ、持っていきなさい」


 差し出された袋には、ふっくらとしたパンがいくつも詰められていた。

 焼きたての香ばしい香りが漂い、空腹を刺激する。


「おお、ワシはこれを待っていたんだ!」


 爺さんが目を輝かせ、袋に手を伸ばす。


「……がめついぞ、爺さん」


 思わず呆れながら言うが、爺さんの手は止まらない。


「いやぁ、ノエルちゃんのパンは格別じゃからな!」

「もう、おじいさんってば……」


 ノエルが苦笑する。


「だったら俺も……一口、もらっていいか?」


 俺が遠慮がちに尋ねると、ノエルはにっこりと微笑んだ。


「ええ、もちろんよ」

「じゃあ……って、おいおい」


 俺の目の前では、すでに爺さんがパンにかぶりついていた。

 だけど、ノエルは俺に視線を送り「食べて」と言っている。

 紙袋の中から適当にひとつ取り出し、ひとかじり——。


「……おお」


 口の中いっぱいに小麦の香ばしい香りが広がった。

 外はサクッと軽やかで、中はふんわりと柔らかい。

 噛むたびにじんわりと広がるバターの風味と、程よい甘さが舌に心地よく馴染んでいく。

 ……それはとても、懐かしい味だった。


「やっぱり……お前の両親のパンはうまいな」


 ぽつりと感想を漏らしたその瞬間、ノエルが小さく吹き出した。


「ふふん、残念だけどそれ、私が作ったパンよ」

「……えっ?」


 思わず目を見開く。


「じゃあ、昨日のパンも全部……?」

「ええ。あれもこれも、ぜーんぶ私が作ったの♪」


 ノエルはさらりと言いながら、どこか誇らしげに微笑んだ。

 その表情を見た瞬間、俺の脳裏に、幼い頃のノエルの姿が蘇る。

 ——そういえば、ノエルは昔、料理が大嫌いだった。

 両親にパン作りを教わるたび、あれこれ言い訳を並べ、渋い顔をして逃げ回っていた。


『こねるの疲れるし! 粉まみれになるし! もう、いやぁぁ!』


 小さな手を粉だらけにしながら、ふてくされた顔で文句を言っていた彼女。

 パン生地をこねるどころか、少しでも厨房に長くいると、すぐに退屈そうにため息をついていた。

 そして、逃げ出すのがいつものパターンだった。


 俺たちと遊ぶために、修行から逃げる常套手段——裏口からの脱走。

 忍び足で厨房の裏手へ回り、気配を消してそっと戸を開ける。

 そして、風のように駆け出していくノエルの後ろ姿。


『バレなければいいのよ!』


 満面の笑みで言い放った、あの無邪気な表情が今でも目に浮かぶ。

 だが——今目の前にいる彼女は違う。

 逃げていたはずのパン作りを担い、この店を支えているのだ。


「すごいな……努力したんだな」


 俺が感嘆の声を漏らすと、ノエルは少しだけ肩をすくめた。


「そりゃあね。今は私ひとりでパン屋を切り盛りしてるんだから」

「えっ?」


 その言葉に、ふと胸がざわついた。


「……じゃあ、両親は?」


 俺の問いかけに、ノエルの表情がかすかに曇る。

 遠くの記憶を手繰るように、少しだけ目を伏せた彼女の肩を、じいさんがそっと叩いた。


「……ノエルの両親は、もう数年前に亡くなったんだよ」


 その言葉が、胸の奥にずしりと響いた。

 ノエルは、ふっと小さく息を吐き、努めて明るい声を出す。


「そうね……たしか、数年前だったかしら? 病気で、二人とも身体を悪くしちゃって……」


 穏やかに話しているつもりなのだろう。

 だが、その穏やかさが、逆に俺の心を締め付けた。


「二人とも……?」

「ええ、二人ともよ。まさか両方ともいなくなるなんて、さすがの私もびっくりしちゃった」


 努めて明るく振る舞おうとしているのが分かる。

 けれど、その言葉の奥に滲むのは、隠しきれない寂しさだった。


 ——本当は、どれだけ辛かったことだろう。


 俺は、あの頃の無邪気なノエルを思い出す。

 両親の作るパンが当たり前にあり、修行を面倒くさがっていた彼女。

 けれど、そんな日々は、ある日突然奪われた。


「……ごめん、顔を出してやれなくて」


 俺の言葉に、ノエルは一瞬驚いたように目を丸くした。

 だが、次の瞬間には、優しく微笑む。


「気にしないでいいのよ」


 ふっと笑いながら、ノエルは首を軽く傾げる。


「だってライルは冒険者をしていたんでしょう? こうして帰ってきてくれて、それで私のパンを食べてくれるだけで……私は嬉しいわ」


 少しだけ寂しさを孕んだ、それでも温かい笑顔。

 俺はそんな彼女をじっと見つめる。

 再び、手の中のパンを口に運んだ。

 小麦の甘みが広がる。


 ——けれど、同時に胸の奥で何かが引っかかる。

 ノエルが頑張っていたあいだ、確かに俺は冒険者をしていた。

 だが、それでも後悔がある。


 なぜ、もっと早く気づけなかったのか。

 なぜ、駆けつけてやれなかったのか。


 彼女は強がりな一面がある。

 だから、どんな思いでこの店を継ぎ、どんな日々を過ごしていたのか、それを知る手段はいくらでもあったはずだ。


 ——それなのに、俺は。


「ちょっと、そんな顔するのはやめなさいよ」


 不意にノエルが口を尖らせた。

 俺は無意識のうちに、何か思い詰めたような表情をしていたのだろう。


「……あぁ、悪い悪い。ちょっとびっくりしちゃってな」


 慌てて笑いながら誤魔化すと、ノエルはふぅっとため息をつく。


「もう……ライルって、ほんとそういうところ変わらないわよね」


 ノエルは苦笑しながら、少しだけ視線を逸らした。

 その目が、どこか遠くを見つめるように淡く揺れる。


「……あなたが結婚してくれたら、寂しくないかもなぁ」

「……え?」


 思わず聞き返してしまう。

 ノエルは少しだけ口元を歪め、いたずらっぽい笑みを浮かべた。


「だってパン屋さんを一人で切り盛りするのって、大変なのよ? そういうパートナーがいたらなって、ちょっと思うわけ」


 ニヤニヤしながら、妙に芝居がかった口調で言ってくる。


「お、お前な……! そういうの冗談でもやめろっての!」


 俺が慌てて手を振ると、ノエルはくすくす笑いながら腕を組んだ。


「ふーん、やっぱりね。ライルってそういう話になると、すぐオロオロするのよね~」

「オロオロなんかしてない!」

「ええ? してるじゃない」


 ノエルはじっと俺の顔を見つめ、俺が少しでも目を逸らしたら勝ちみたいな顔をしてくる。


「うるさい! もういい、配達に行く!」

「はいはい、行ってらっしゃい」


 そう言いながら、ノエルは紙袋を俺の腕に無理やり押し付けてきた。


「ほら、お土産のパン。ありがたく持っていきなさい」

「……お前、ついさっきプロポーズめいたこと言ってたくせに、急に雑な扱いになるな」

「プロポーズ? あら、ライル、そんな風に聞こえちゃったの?」


 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべるノエルに、俺はなんとも言えない表情になる。


「……くっそ、なんか負けた気がする」

「ふふっ、気のせいよ♪」


 肩をすくめながら、ノエルは軽く手を振る。


「ライル、じいさん、お仕事がんばってね」

「お、おう……」


 じいさんが「ワシもノエルちゃんのパンを毎日食べられる相手に選ばれたかったなぁ~」とボヤくのを横目に、俺はため息をつきながら足を踏み出す。

 ——けれど、さっきのノエルの冗談めいた言葉が、妙に引っかかって離れなかった。


面白い、続きが見たい!思った方は評価、ブクマ、リアクションもよろしくお願いします。

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