9話 目が覚めると
今回もお楽しみください。
——夢を見ていた。
どこか遠くで、誰かの泣き声が聞こえる。
少女が涙を流し、震えていた。
手を伸ばそうとする。助けなければ——そう思うのに、指先は虚空を掴むばかりで、何ひとつ救えなかった。
悔しさが胸を締めつける。
俺は……また、守れなかったのか?
——けれど、その苦しみを優しく包み込むように、温かなぬくもりがそっと降り注ぐ。
『大丈夫だよ』
誰かが囁いた気がした。
その声に導かれるように、意識がゆっくりと浮上していく——。
…………
……
「ゆさゆさ、ゆさゆさ……」
耳元で、小さく規則的な声が聞こえた。
ぼんやりとした意識の中、微かに布団が揺れる感覚がする。
「ゆさゆさ、ゆさゆさ」
……なんだ、このリズム?
瞼を重たく開くと、目の前には小柄な少女が俺の布団を揺らしていた。
——セラだった。
「……お前、なんでそこにいるんだよ」
寝起きの頭で言葉を絞り出すと、セラは満面の笑みで答える。
「えへへ。だって、お嫁さんになったら、ねぼすけのライルくんを起こさないといけないでしょ?」
「……俺がいつねぼすけになったって?」
寝起きのツッコミは、どうしても少し不機嫌になってしまう。
それにしても——。
「てか、お前……本当にそんな理由で、朝から家にやってきたのか?」
俺は半分呆れながら上半身を起こす。
セラは相変わらず布団の端を掴みながら、にこにこと微笑んでいた。
昨日あんなにはしゃいでいたんだから、疲れているはずなのに。
それに——。
「ん-とねー……」
俺の記憶の中のセラは、いつも病弱だった。
無理をさせたくない。
そんな思いが、心のどこかにこびりついている。
「……まぁ、それもあるんだけど」
セラは少し照れくさそうに笑うと、そっと視線をそらした。
「実はね、ドーソンさんに用事があって……」
「じいさんに?」
彼女が言う「ドーソンさん」とは、当然ながら俺の祖父のことだ。
「何かあったのか?」
俺が身を乗り出して尋ねると、セラはこくりと頷く。
「えっとね……お仕事の依頼があったから、それを渡しに来たの」
「依頼?」
「あのね……」
セラはゆっくりと言葉を選びながら説明し始める。
彼女の住む教会は、都会でいうところの“ギルド”のような役割を持っていた。
この村では人手が少ないため、街のように職業ごとに細かく役割を分けることができない。
だからこそ、教会は祈りの場であると同時に、依頼の受付所にもなっていた。
「この村はね、お祈りも大切だけど、日々の生活も大事だから……」
セラは静かにそう呟いた。
人々の信仰を支えつつ、実務的な仕事もこなさなければならない。
それが、彼女の務めだったのだ。
「だから、今日もお仕事の依頼を届けに来たんだよ」
そう言って、セラはそっと懐から紙束を取り出した。
俺はその白い用紙を見つめながら、ようやく意識が完全に覚醒するのを感じた。
「……ふぁぁ……」
大きく伸びをしながら、俺はゆっくりと体を起こした。
その瞬間、隣にいたセラがじっと俺の顔を覗き込み、心配そうな声をかける。
「ライルくん、大丈夫?」
「ん? 体調なら問題ない。昨日、じいさんが用意してくれた美味い飯をたらふく食ったからな」
俺は軽く肩を回しながら言う。
だが、セラの表情はどこか曇っていた。
「えっと……そうじゃなくてね」
彼女はふと視線を落とし、少し躊躇うように言葉を続ける。
「さっき、なんだかうなされてたような気がして……」
「……うなされてた?」
一瞬、脳裏にさっきまで見ていた夢の残響がよぎる。
助けられなかった誰かの姿——。
けれど、それを口にする気にはなれなかった。
俺は努めて軽い調子で笑い、手をひらひらと振る。
「何言ってんだよ。そんなわけないだろ」
セラはしばらく俺の顔をじっと見つめていたが、やがてふっと微笑んだ。
「……そっか。でも、何かあったらちゃんと言ってね?」
「お前こそ、病弱な身体は本当に治ったのかよ?」
俺が冗談めかして言うと、セラは小さく笑って、胸の前でそっと拳を握る。
「ふふ、大丈夫だよ。もう昔の私じゃないから」
その言葉は、自信に満ちているようで、どこか儚げにも聞こえた。
——本当にそうなのか?
つい心配してしまうのが、俺の悪い癖かもしれない。
「……ま、ならいいけどな」
そう言いながら、俺はベッドから立ち上がる。
すると、セラが思い出したように言った。
「あ、そうだ。ドーソンさんが呼んでたから、行ってきて」
「じいさんが?」
「うん。大事な話があるって」
「了解。じゃあ、行くとするか」
俺は服の裾を整えながら、部屋を出ようとする。
だが、その瞬間。
「待って!」
セラが慌てて俺の袖を掴んだ。
「……ん?」
「いってらっしゃいのキス、いる?」
「——は?」
一瞬、思考が停止する。
冗談めかした笑顔で、セラは俺を見上げていた。
けれど、冗談にしてはその瞳が妙に真剣に見えた。
「な、なに言ってんだお前は!? い、いらねーよ!!」
顔が熱くなるのを感じながら、俺は慌てて扉を開ける。
セラのくすくすと笑う声を背に、俺は勢いよく外へ飛び出した。
……まったく、朝から心臓に悪いことを言いやがる。
だが、頬に残る微かな熱が、なぜかすぐには消えてくれなかった。
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