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イタチの短編小説

心を壊した後に幸せあれ.jp

作者: 板近 代

 これから私が話すことは、所謂、フィクションというものであり一人の人間のSOSなどではありません。その点だけ、皆々様にはご了承いただきたく。何卒、何卒、勘違いなさらぬようよろしくお願い申し上げます。


 私がソレを患ったのはいつだったのか。正確にはわかりませんが、よく見る病名が記された診断書を受け取ったのは先週の通院日のことでした。本日は少々疲れておりますので大まかな説明となってしまいますが、ともかく、ともかく、まあ、ともかく、私は、緩慢な私になってしまったというわけです。


 驚きました。食後に皿を一つ流し台まで運べただとか…………そんな程度のことで、自分を褒めてあげられるようになるだなんて。


 今最も困っていることは、いろいろありますが、やはりゴミ袋ですかね。怖くてなかなか捨てられないのですよ。「もし、このごみ袋の中に大切なものが混ざり込んでいたらどうしよう」だなんて不安に取りつかれて、袋の中身を床に広げて確認してもう一度詰め直す。そんな作業を何度か繰り返してようやく(まだ残留する不安とともに)ゴミを捨てることができるのです。


 そんな生活をしているからか、とてもとても、疲れてしまって。最近は一度の入浴で、自分を上手く洗いあげることもできないのです。


 特に、髪の毛。


 髪は本当に洗うのが難しくてですね。途中で疲れてしまって、洗えたとしてもなんとなくになってしまうのです。


「結果頭はフケだらけ。困ったものです」


 人前に出ることがより恥ずかしく(或いは恐ろしく)なってしまいますから。


 でも仕方ないのですよね。私はもう、食事をするだけでも疲れてしまいますから。髪を洗うだなんて難しいこと、上手くできないのです。


「(調子が良い日に外でともに食事をしたのですが)そんな私を見かねてか、妹が、家にまで訪ねて来てくれました。それで、髪を洗ってくれるだなんて言い出したのですよ」


 もちろんはじめは断りました。さすがに申し訳ないし、そこまでしてもらったら、もう(どこへだかはわかりませんが)戻れなくなってしまいそうでしたから。でも、すぐにお願いすることにしました。だって、痒いから。それに、脂で汚れた髪は後ろに流すくらいしか、整理のしようがないからです。


「妹は私の髪を、心の底から洗いたがっているように見えた。そしてそれが、ありがたいように思えた」


 いくら妹とはいえ(そして、いくら同性とはいえ)温泉でもないのに、裸を晒すのには抵抗がありました。だから私はシャツと下着は着たまま、風呂場で、こう、なんというのでしょうかね、できるだけ服が濡れない姿勢をとったわけです。


 驚きました。妹はとても、髪を洗うのが上手くて。気持ちよくて、気持ちよくて、気持ちよくて。ああ、こんな感覚も人生にはあったなぁだなんて思い出してしまったのです。


 洗いはじめは、まるで、久しぶりに美容院へとやってきたような気分でしたよ。でも途中から、自分のことが汚れた犬のように思えてきてしまって。それがおかしくて、おかしくて、おかしくて、笑って、しまったんですよね。


 そんな私を見て、妹はこう言ったんです。


「よかった」


 もしかしたら、妹は泣いていたのかもしれませんね。私は泡が目に入らぬように瞼を閉じていたので、確かめることはできませんでしたが。


 でもね、静かに痛感しましたよ。私はとても静かに、髪を洗われながら痛感したのですよ。


「ああ、私は恐ろしいほどの心配をかけて、怖いほどの心配をさせてしまっていたのだなぁ」


 愚かな私は、この時まで、気がつくことが、できなかったのです。近しい人間が笑わないということは、この世からいなくなってしまいたいという願望を語られるよりもつらいことなのだと。




 さて、今日のお話はここでおしまいです。

 突然。ごめんなさいね。

 私が(お話の)続きを思いつくことができなくなってしまいまして…………。


 ほら、最初に言ったでしょう。


「これから私が話すことは、所謂、フィクションというもの」


 そう。フィクションだから、心配しなくてもよいのです。

 たしかに、私に髪を洗ってくれる妹はいませんが、髪を洗ってもらわねばフケだらけになってしまう私もいないということですから。


 ああそうだ。この物語に「実は私、幽霊なんです」というオチをつけるのはどうでしょう。いかにもフィクションらしくて、素敵じゃあないですか。


 ええ。ええ。そうですね。そうしましょう。そうしましょうよ。


 だって私が幽霊なら、このお話に人間は一人もいなかったことになりますから。

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