アパート住まいのインベーダー達
挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」を使用させて頂きました。
都会は良い意味で無関心だと言うけれど、これは確かに一理あると思うんだ。
明確な実害が無い限りは必要以上に他人の領域へ踏み込まないし、多少風変わりな所があっても見なかった事にしてやり過ごしてくれる。
何しろ私が黒いチョーカーを春夏秋冬いつでも首に巻いているにも関わらず、誰も何も言って来ないんだもの。
これが都市伝説や怪談だったら、きっと執念深く聞いてくる人がいるはずなのに。
このアパートの御近所さんも職場の同僚達も、会えば挨拶してくれる気さくな人達ばかりだけれど、余計な詮索は一切して来なかったの。
だからこそ、お向かいに住む大垣内さんの発言は殊更に印象的に感じられたんだ。
「こんばんは、船橋さん!今日は僕も定時の早上がりなんですよ。」
「ああ…どうも、大垣内さん。」
気の合う仲間と一緒にベンチャー企業を立ち上げたという大垣内久修さんは、ウェブデザイナーとしてもメキメキと頭角を現している優秀な青年実業家で、学生時代には登山部に所属して日本各地の山々を縦走した文武両道の凄い人なの。
正直な話、コールセンターでノンビリと電話営業をしている私とは別世界の人間だと思っていたんだ。
ところが思っていた以上に気さくな人だったから、私としても面食らっちゃったの。
だけど本当に驚いたのは、そこからだったんだ。
「船橋さんって、いつも黒いチョーカーを御召しなんですね。やっぱり御気に入りなんですか?」
「えっ?!ええ、まぁ…」
ここまでストレートに聞いてくる人は、今までに会った事もなかった。
だから私も戸惑ってしまい、すぐには気の利いた返事を出来なかったんだ。
そうして苦し紛れで閃いたのは、前から大垣内さんに抱いていた疑問だったの。
そういえば、彼は何故いつも…
「それを言うなら大垣内さんだって、いつ御会いしても偏光グラスを御召しじゃないですか。何か拘りでも御座いまして?」
「ああ、これですか?船橋さんに勇気と御興味が御座いましたなら、私の部屋へお越し下さい。大丈夫、悪いようには致しませんよ。」
偏光グラスの下で輝く柔和な目と、口元に閃く穏やかな微笑。
それに魅了されたかのように、私は大垣内さんの誘いに乗ってしまったんだ。
同年代の若い殿方の私室にお邪魔するだなんて、生まれてこの方初めてだ。
しかし大垣内さんの私室に足を踏み入れても、私の心は至って穏やかだった。
何故なら私には、決して間違いを犯さないという自信があったのだから。
私ならではの個性と特技を駆使すれば、たとえ大垣内さんが野獣に転じたって…
「最後に聞きますが、私が偏光グラスを常に着けている理由を知る事に後悔はありませんか?これを知った後では、知る前の貴女には戻れませんよ。」
「構いません、大垣内さん。貴方が教えて頂けるなら、私も貴方の御質問にお答えします。」
私の返答に小さく頷くと、大垣内さんはそっと偏光グラスに手をかけた。
「うっ!?」
すると目も眩むような目映い光が大垣内さんの両目の辺りから迸り、彼の全身は淡い光で包まれたの。
「おお…これは…」
「私の目から迸る光は、普通の人には少し眩し過ぎますからね。この偏光グラスは、私が普通の日常生活を送る上で必要不可欠な代物なのですよ。だが、どうやら貴女は少し勝手が違うらしい…」
さながら夜光虫の群れに集られたかのようにボンヤリと発光する大垣内さんは、この世の者とは思えない程に神々しかったんだ。
そして事実、彼はこの星の人間ではなかったの。
「レチクル星系の光状生命体。他の知的生命体の肉体に憑依する事で実体を獲得する、またの名を『知性を持つ光』…」
「そこまで知っている事から察するに、貴女もこの星の人間ではありませんね。貴女もそろそろ地球人への堅苦しい擬態を解いたらどうです、船橋楠葉さん…いや、我が宇宙の兄弟よ!」
その言葉に促されるようにして、私は黒いチョーカーを外して首元を露わにした。
思えば第三者の前でチョーカーを外したのは、果たして何年ぶりだろうか。
「ほう…その赤い筋は?」
「今に分かりますよ、大垣内さん。しかし…これを知った後では、知る前の貴方には戻れませんよ。」
いぶかしがる大垣内さんに軽く笑い掛けながら、私は両手で頭を持ち上げたの。
その次の瞬間、高鳥屋百貨店で買い求めたオフショルダーの春物を纏った身体が支えを失って床にへたり込んだの。
そうして頭部だけの身軽な姿になった私は、天井や壁にぶつからないよう気配りしながら室内を存分に浮遊するのだった。
「クビト人…オリオン座付近にはヒューマノイドの頭部に似た知的生命体が存在すると耳にしたが、地球に来ていたのか…」
「私達クビトの民が地球に住み着いたのは、今に始まった事じゃないわ。飛頭蛮にチョンチョン、それに抜け首…この星には空飛ぶ生首の怪談が幾つもあるけど、それらは全て私達の同胞達の物語よ。」
職場の同僚達にも学生時代の友人達にも決して明かせなかった、本当の私。
それを包み隠さずに話せるなんて、なんて素敵なんだろう。
同じアパートで御近所付き合いをしている、地球外からやってきた知的生命体。
そんな縁から見事に意気投合した私達は、地球人への擬態を解いた真の姿で和やかな歓談の一時を過ごしたんだ。
「この身体は元々、六甲山で滑落死した登山部の男子高校生の物なんだよ。全身複雑骨折というボロボロの有り様で谷底で転がっている死体に乗り移ったのだけれど、使い物になるように修復するには骨が折れたなぁ…」
「ああ、複雑骨折だけに!そういうブラックジョークが、レチクル星系では流行っているの?」
この頃になると、私の口調もすっかり砕けた物になっていたの。
どぎついブラックジョークを茶化すだなんて、地球人に成り済ましていた時には思いもよらなかったなぁ。
「まあ、私も似たような物だけどね。大学受験の失敗を苦にして自室で首を吊った浪人生の頭を食らって、生前の記憶と人格を個人情報と一緒に受け継いだのよ。」
「クビトの民は捕食した知的生命体の顔と記憶を奪って本人に成り代わると聞くけど、君のように生命の尽きた個体の頭部を食らうなら、誰にも迷惑をかけなくて良いだろうな。君が捕食した個体の家族も、本当の娘が既に死んでいるという残酷な事実を知るよりは、今の方がまだ幸福と言う物だよ。その点、私も君も広義の人助けをしたと言えるだろうね。」
大垣内さんを名乗るレチクル星人の言葉は、私にとっても共感出来るものだった。
SF作品や陰謀論等の中には、「地球外生命体が地球人を殺して成り代わり、人間社会に潜伏して侵略を企てている」と主張する物がしばしば見受けられるけれど、それは私達に言わせれば哀れな被害妄想というか自意識過剰という物だ。
地球のような平凡な惑星を侵略した所で大したメリットはないし、リスクを被って労力を割くだけ無駄という物だ。
そもそも下手に侵略して地球の社会インフラや土着文化をメチャクチャにしちゃったら、現地人に成り済まして地球生活をエンジョイする事も、ブラブラと観光する事もままならなくなっちゃうよ。
そんな肩の凝るばかりで実りの少ない侵略活動なんかよりも、こうして地球人に成り済まして生活する方が遥かに刺激的で面白いんだよね。
何しろ私達の目で見れば、地球人の暮らしぶりは面白い事この上ないんだ。
身体に悪いと分かっているのに劇薬を嗜好品として摂取したり、同族同士で平気な顔して戦争する癖に手間暇かけて少人数を助けたりするし。
そういうのを一介の地球人の視点で垣間見ていると、本当に飽きないんだよ。
今の人生に飽きが来るか、或いは憑依出来そうな新鮮な死体に巡り会えるか。
そうなる時まで、私は船橋楠葉として市井で平凡に暮らすのだろう。
そして恐らく、それは大垣内さんにとっても同じ事なんだろうな。