「双見精神病院」
「こんなの、ココから入るのは無理だろ……」
古井戸が間歩(坑道)の通気立坑で間違いないとの見方に、映像は最初に丹羽がカメラをロープで降ろす所から撮られており、ロープから伝わる底に着いたかの感触に、少しだけ持ち上げ固定した部分。
実は、運良くカメラの向きが合っていたからこそに撮れただけなのだと、映像を最初から確認して理解した。
通気立坑は垂直に掘られていた訳ではなく、底と思える箇所から少し斜めにくの字を描き、もしもの折の抜け坑にとした感もある。
とはいえ斜度は75度以上を有している事から、人が両腕を壁に張って登るような事をしない限りは出られない。
勿論ロープを垂らして洞窟探検のように上り下りするなら出来るだろうが、底を捕らえたカメラが映し出すモノを観ては数の力に圧倒され、諦めの声が漏れるのも仕方がないように思えて来る。
溢れんばかりに犇めき合う鑑見様の映像を観ながらぼやきを溢す飯尾の言葉に、皆も同じ考えだからか重い頭に手をやり思考を巡らすも、出るのはため息ばかりで、私もこの絵面にようやく慣れたが目を逸らし、少し冷めた料理に手を出し口へと運ぶ。
映像を観るまでは▲▲創穴鑑見構の敷地内に在るという鑑石の裏側に拡がっていると思われる坑道にココから入り込むのも可能ではないか、等と地図を広げて推論を投げ合っていたアッコと田中だが、予想を遥かに超えて犇めき合う鑑見様の数に応えは出ない。
そもそも鑑見様を求めた坑道調査の筈が、当の鑑見様が居るから坑道に入れないと嘆く現状の違和にふと気付く。
よくよく考えてみればおかしな話でもある。
何故に鑑見様を求めていたのかに、先程からの会話はオカルト雑誌のソレとは少し意を違えているように思えて来る中、食事を終えて尚も映像を観ていた田中が焦りに声を荒げた。
「何だ今の!? おい、巻き戻せ!」
田中が何を見たかとノーパソの向きを変えた丹羽は、スライダーの位置をずらしながらに何かに気付いたらしく、妙な嗚咽を漏らして作業を進め、脇から見える編集画面が戻すだけではなく見易くする為映像に加工を施している事を判らせる。
けれど数分が経ち、編集を終えたであろう丹羽が背中を向けたまま映像を再生しているのか動かない。
「おい、どうした?」
固まる丹羽の異変に田中も気付き声をかけるが、食事を終えて寛ぐ横柄な姿勢は一応程度の声がけだと理解出来、信頼関係の内実を知るようだ。
「足、だな……」
口を開いた丹羽の言葉に嫌な予感が脳裏を過る。
「人のか?」
意に介さず問う田中は思い当たる節があるのか地図を見返すと、アッコは私を抱えるように肩に腕を回して頭を撫でる。
「きっど違う、大丈夫」
私の不安を和らげようとするアッコの言葉に気を緩めたか、考えないようにとしていた顔が次々と浮かび出すのを消そうと目を開く。
アッコの腕を掴んで丹羽の応えに注視し、気を張り詰める数十秒は永くも感じて唾を飲む。
「ああ、指の形状からして人の右足首だ」
人である事は受け容れるも、それ以上の事は当たらないようにと願いため息まじりに下を向き、目を瞑ったせいで浮かぶ顔に首を振る。
画面を観る気にはなれず、違って欲しいと掌を額に充てがい目頭に力を入れる中、丹羽は他にも何かを見付けていたらしく画面を指し示すように話を続けた。
「それと、下隅のコレ。服っぽくねえか?」
「んん? ああぁ、あそこの信者が着てる服にも、見え……」
アッコの身体が傾き、画面を覗き込もうとしているのを判らせる。
田中の言葉に一人を可能性から外すも、残る二人の可能性に喜べない。
別に信者なら良いという訳ではないが、鑑見様を持ち出し呪いを放出しようとする計画を知るだけに、因果応報の文字が脳裏に浮かびもする中、アッコが想定外の事を口にした。
「そげ、病院の患者が着とるやつでねが?」
胸から少し籠もって聴こえるアッコの声に、思考の奥底からひっくり返されるような衝撃が走ると共に、浮かべる顔に新たな一人の可能性を考えてしまう自分に嫌気が差すと、思わず私も画面を覗いてしまった。
ズームされた映像は、中指から小指にかけて足首の方へと引き裂かれ、骨が露出し垂れ下がるも親指と人差し指のみが元の形状を残すだけで、土踏まずから踵までの肉は食い千切られ、骨と軟骨組織が剥離した残骸は、スジ肉までを貪り尽くした事を如実に判らせる。
先の映像で見た共喰いシーンと同じように、獲物を噛んで振り回すワニやウツボやに見られるデス・ロールの如く、多量の個体に喰い付かれては引き裂かれたのだろう事を理解させられる。
画面下部に居る個体が少し青味を帯びた布端のような物を咥えているのか体液で貼り付いているのか、鑑見様の頭部にある口の右脇から右前足の辺りに映り込んでいた。
こんなにも血生臭いスプラッター映画のような映像を観ていても、意外と平気なものかと強張る身体に肩で息をし、吸い込んだ息を吐き出した。
と、直後に全身を襲う悪寒と震え。
空気が抜けた腹部に力が入り、腹の内側の肉が胃の内容物を圧し出すかの感覚に反して喉は締め付けられて嗚咽が漏れる。
慌てて口を塞いでトイレへ走り、食べたばかりの米や野菜が噛んだ形をそのままに、固形物の感触を伴い吹き出した。
鼻の奥に感じる異物感と胃酸の匂いに涙を浮かべ、吐いて尚も感じる悪寒に颪が叩きつける音で窓を見上げる。
何処の明かりか外から射し込むオレンジの照明が曇り硝子に陰影を浮かべ、外の氷柱の一部を輝かせては寒気と孤立感に不安を煽る。
吐いた折の涙が恐怖と気持ち悪さに不安を戻そうかとするように流れ出し、自分が何をしているのかも分からなくなって来るのが悔しくも、自分に向けた怒りも相まり止まらぬ涙に嗚咽を溢す。
「知佳ちゃん、大丈夫げ?」
アッコの声に自我を取り戻そうと深い息を吐き出すと、震えに寒気が襲い出す。
涙を拭い、その手で口元の汚れを拭き取り紙で拭き、捨てて流して深呼吸。
――JAAAAAAAAA――
「大丈夫。ごめんね」
「ええげええげ、あげば気持ち悪がもん観て吐がん方が可怪しいがよ」
アッコの介法に甘えまいと気を落ち着かせるのに、力を入れて笑顔を造り扉を開けた。
「風呂で顔お洗いんばね」
鼻を啜って肯く私に笑顔を見せるアッコだが、心配して来ただけではないとも思える目の奥の悲しみなのか不安なのかが私の心をざわめかせる。
顔を洗いつつも申し訳なさに気を取り直そうとすれば尚も出る泪に、顔を上げては洗い直すを繰り返す。
「こげ新しいタオルだげ、安心しろな」
何気ない声にも何かを隠すかの暗いトーンを感じるそれが、先程来のアルゴとアッコの会話に感じた違和に重なり、不安の答えを見付けたようで嫌な形で気持ちが落ち着いた。
「うん、大丈夫。でも、私に隠してる事があるでしょ?」
洗面台の鏡に映るアッコと目を合わせると、一瞬視線を逸らす姿に悔しさからかため息が出た。けれどアッコの口から出た言葉に肝が座る。
「主眼ば創穴鑑見構だでね。さっぎの足ざ信者だ思てたげに、あの布端さがらしでもっとマズい話みてえだげ。どがする知佳ちゃん?」
既に何らかの見当をつけていると判る口振りに、遺体だろう一部を見付けて尚も警察を呼ぶでもなく平然と確認する理由にも、中谷さんがアルゴを仕向けた意図を理解した。
飯尾が言う鑑見様の発する音の危険性が、例の中谷さんが勝手にアップロードした記事にあった、無所属議員の死因と重なるキューバ大使館で起きた音響攻撃のDangerous Soundと同じなら、暗殺事件の凶器を証明するようなもの。
それはつまり、公美さんの部屋で見付けたあの紙の、鑑見様を持ち出し呪いを放つ暗殺計画を創穴鑑見構は既に実行した事を示してもいる。
宗教法人法により表立っては調べる事の出来ない創穴鑑見構だからこそ、鑑見様を出汁にオカルトの側面からのうのうと調べ上げようとしていた訳だ。
けれど名目に掲げた鑑見様は、辿り調べる筈の坑道を塞ぐ格好で呆気なくも群れて現れ、知らぬ亡骸に創穴鑑見構の関与たる証拠との見方が故にか悦に入るも、アッコの見立てに患者衣の可能性を言われ……
「マズい話?」
そうか、信者なら裏切り者の始末や人柱に使い捨てる三下奴や、教団に都合の悪い者や何かを見聞きした一般人の口封じとも考えられる。
けれどアレが患者衣ともなれば、別の何かが絡んでいる事に……
「うん、その顔ば続ける気満々だな。皆にも話すげ、戻ろが」
詰まる話がアルゴにも伝えていない何かをアッコは知っていると言う話だ。
うがいし吐き出し覚悟を決めて戻ってみると、それを知ってか鼻で笑い顔を背ける田中にムカつきを覚えるが、端からコレを承知で来たなら甘ちゃんと笑うのも頷ける。
けれど鑑見様の犠牲者が居る可能性までを想定内に出来るのは、鑑見様に対する見識ではなく、教団の危険性を知り得ていたからに他ならない。
だからこそアルゴは教団の被害者として見て、信者の服に見えるか否かに凝視するも、アッコの患者衣との見方に眉を寄せた。
で、今はそのアッコの見立てが待たれるという話なのだろうと思っていた。
「アレは確かに患者衣みてえだが、知佳が泣き言吐いてる間に飯尾が面白えモン拾ったぞ」
「泣き言って……」
田中の棘のある言い回しにムッとはするも、アッコの話を前に新たな拾い物に期待を覗かせる田中のギラつく眼に圧倒される。
「何げ? こげば家の物に面白い物なんげ無かが思うげど」
「違う違う、拾ったのは音! 昨日の夜寝てる間に外の音を録ってたらしくてな、その中に奇妙な音が混じってたんだと。おい、聴かせてやれ!」
田中の指図に飯尾がノーパソで再生した音を聴くも、良くは判らない。
颪が吹き抜ける風音と雪がマイクに当たりコツコツと鳴る音に、時折雪が崩れて落ちる音だろうものに雑じる、あの電波の乱反射による耳鳴りのような妙な雑味のある高音しか聴こえない。
「若い耳でも聴こえねえか……」
田中の癇に障る言い草に一瞬睨みを利かすも、飯尾が田中に向けた話に鼻で笑う。
「それ高音の方だな。これが聴こねえのは低過ぎるからで、歳は関係無えよ」
文屋に対し実理を返す飯尾はある意味ピュアなのかもしれないが、デリカシーの無さは一歩違えば宗教心に道を踏み外しそうでもある危うさを感じる。
「耳鳴りみでな高音だら私も知佳ちゃんも聴ごえとるげ、聴ごえね低音域だばコゴまでて、鑑見様の音がか?」
アッコの気付きに事態を理解した。
とはいえ鑑見様の音がこの集落にまで聴こえているとなれば、耳や脳を損傷し兼ねないDangerous Soundで今も危険に曝されている事になる。
「颪に拡散されて影響は低いけど、多分その高音に聴こえてる音の中には低周波によるものも含まれてる筈なんだよ。て、解らんか。要するにさ……」
飯尾が噛み砕いて説明する中、私は例の記事を読んだ後にDangerous Soundを発生させる方法についてを調べた際、英国の元|諜報員《Military Intelligence Section》の見解記事から探り辿り着いた、低周波の危険性を説く科学誌の記事を思い出していた。
民家の庭等の地下にアンテナとなる物を埋め、地核に溜まるアースに変調電圧をかければ磁性流体の如くに静電気を動かすことが出来る事から、強電磁場を形成せずとも静電気放電で隣近所の電化製品や人体にも危害を加える事が可能で、春秋にも何かしらのファンが回り続ける音がする家が有れば怪しむべきだと言う。
仮に人工地震を創るにも民家の庭でもアースに変調電圧をかける事が可能な事から、配置も規模に合わせた地点数を機関に属する構成員等の民家数軒を使い、低周波で起こす振動の周期を強く長いもので可変速に同期させればよく、時間をかければ振動波の目標地にある他の周期をも慣性の法則に従わせる事が出来、他の周期振動の波をも呑み込み同期して行く。
同期に合わぬ短く細かな周期振動機器は、その大きな周期に呑まれて悲鳴を上げる。
そうした同期に溢れる周期の音こそが低周波による高音であり、Hyper Sonic Sound Systemで使う超音波とは違い、壁をも突き抜ける電磁波でパルス状の波を単一指向性に放つ事で引き起こすフレイ効果にも通ずる音響兵器こそがDangerous Soundの作り方。
聴こえる音の雑味は音や電気の汚い流れに出るノイズであり、科学者なら流れを整えノイズを消そうとするものだが、金と地位に溺れ兵器に手を出す腐った者はただの汚いノイズにより引き起こされる不快感を相手への攻撃として考えた物。
その手の物を作る者の発想の陳腐さは、錆びた包丁で人を刺しては切口の雑味に塞がらない傷口から細菌感染やも引き起こす素晴らしい武器だ! と言っているのと何ら変わらず、要するに使い方を違えれば幾らでも武器となると言える稚拙な話でもあり、既存の枠を脱しないソレを聞いた誰もが科学とは言わない。
故に、その手の兵器は表立って使われず国防やその他機関が持っている事すら公表される事は稀な上、CIAや公安やカルト教団が私欲に走った不正に対し、それを見破る都合の悪い正義相手に使う性根の腐った代物だ。
昨今日本では地上げに使われているガスで電気を作りエコを謳う給湯機器の騒音も、その周期を変調させた電磁波を放つ事から壁を突き抜ける為、執拗に調整され仕向けられた家の中ではDangerous Soundと同質の音を聴かされている。
鑑見様がソレに近い音を出すなら電磁波を用いないHyper Sonic Sound Systemに近い低周波だ。
それを呪いとして捉えていると考えれば、創穴鑑見構が手を出す理由は明らかで、凡そ亡くなった無所属議員に使ったのだろうそれが試射のようにも思えて来れば、坑道の中に居る数を要せば……
「それで反響音の範囲から考えた結果に、加々見川の何処かに排水坑道の出口が在るんじゃねえか? て話になってな。先生、何処かに心当たりねえか?」
飯尾が説明を終えると田中の見解に話は移り、問われたアッコは明らさまに嬉しそうな顔を浮かべている。
その笑みの違和にアルゴも気付いたのか目を細め、思考に足らないピースを探しているが、私は先程聞いて気付いた事こそ欠けたピースと踏み、視線をアッコへと向ける。
「双見精神病院」
聞こえた名前に違和を感じてアルゴと共に、えっ? となった。
今に思えばアッコは話の中でソコの病院としか言っておらず、頭の中で勝手に病院名の漢字を湖の名前に照らし、当然のように双見精神病院だと思っていたが、アッコはその反応にも納得の顔を見せている。
まるで、そうだろう そうだろうと言わんばかりに……
「あん足ば患者だば、全部が繋がっだ」
そう言って一旦間を置き続けるアッコの話を要約するに、双見精神病院の大元は村の小さな個人病院だったが医者不足に経営苦しく、加々見村が槍水町と合併する折、当時別荘を有する富裕層に取り入り町営化に際し今の大きな箱に建て替えられた。
その時に名を双見病院としたが、昭和後期に精神を患う者が多く出た事から病床が精神病患者で埋まり、時を同じくして鑑石市の方に大きな県営病院が建った事で患者の取り合いに負けた形に精神病院へと転換する事に。
そうした経緯で今に至ると思っていたが、帰省中のアッコだけでなくこの加々見方の住人達すらも知らぬ話に、実は水鏡峠の道路建設中に病院の経営者が代わっていた。
偶々アッコが及川家の妻に話を聴こうと足を向けた折に例の事故に巻き込まれ、日を改めるも入院患者への面会に申し入れをと申請書類に目を通してみてふと気付き、確認すると名前だけに非ず看護士までもが一部を残して大幅に入れ替えられていたと知る事に。
それまで叔父と何度か面会していた元鑑識官との関係で知る看護士が数名残る程度に、何故かを問うも他の看護士に仕事の邪魔だと追い返され、更には面会申請書類が通らない事に不信感を抱き、町役場やネットで病院を調べてみた処、とんでもない事実が判明したと言う。
「何だよ? 製薬企業にでも買われて患者が人体実験にされてんのか?」
実にオカルト雑誌らしい田中の推測に鼻で笑うと、アッコもため息を吐き笑うも私とは意を違え……
「惜しい!」
と、田中を指し、笑った私の間違いには目もくれずに答えを述べた。
「病院を買ったば羽出寿美吉、創穴鑑見構の幹部の一人だげ、本名だがも怪しいもんだぢ……」
「それって、まさか……」
「多分。誰ばまでは知らんがよ」
けれど創穴鑑見構により入院患者の誰かが文字通り餌食にされたという他に無い話。
そう考えた次の瞬間、祐二先輩の顔が再び浮かび、まさかの事態にアッコの両肩を掴むが言葉にならず、顔が訴えているのかアッコが気付く。
「大丈夫。事故の当事者だげ、まだ事故処理に保険関係や逃亡中の二人の件も有るげ、今証人消しだば疑い持だれんで手ば出さん!」
確かにと思える応えに少し落ち着き肯き下を向くと、アッコが続けて口にする。
「だげ、川口達郎も病院に居るがじ。気になるがば看護士だげね。知佳ちゃんも聞いたがろ? 消えた及川 結希のヘルメットさ出だんば病院だで」
達郎先輩から聞いた話に、ヘルメットを祐二先輩が見付けた話で公美さんが怒った話までを思い出す。
「そっか……」
思わず声が溢れる。
あの病院に公美さんがヘルメットを渡して隠し、祐二先輩へと渡され見付かった。
詰まる話が、あの病院内には敵と味方が居る事にもなり、創穴鑑見構とも繋がる誰かと、祐二先輩や達郎先輩に繋がる誰かが居る事に他ならない。
「あ、ならあの映像……」
肯くアッコは他にもあるでしょ? とばかりの視線に記憶を巡らし考える。
アルゴの面々には話が見えず怪訝な顔を寄せて私の応えを待っている。
それが判ると少しの優越感からか余裕が生まれるも、記憶の端で思い出すべき何かがあるのにそれが何かに頭を悩まし、髪をかき上げては頭の様々な所に手を充て、ココでもないココでもないと記憶を探し、不意に現れた答えに目を開く。
「あ、貴子が公美さんに疑われた理由……」
静かなる笑みを浮かべたアッコの肯きに正解へ辿り着いたと理解する。
「井上貴子、あの日私にエミち名乗ったげ、川口君に本名聞ぐまで気付かんがったげな、母親ば井上貴美子ち言う双見精神病院の看護士だったがよ」
だとすれば、ヘルメットを祐二先輩に渡し、例の映像が入ったSDカードを貴子の母親が娘に渡していた事になるが、なら貴子は何故あの事故の後に達郎先輩へ送りつけたのかが解らない。
それに公美さんからヘルメットを受け取ったのも、ドライブレコーダーの映像も手に入れられるとすれば……
「貴子の母親も信者って事?」
「だげ、そげな事より大変ばが浮かばんが?」
アッコに言われて記憶を辿るが、あまりに衝撃的な事ばかりで思考が単一指向になっていたようで、柔軟さに欠け周りが見えていない気がしてならず、落ち着きゆっくり今自分が言った話を思い返してみる……
「あっ! 確か、及川家の母親も精神病院に……」
「だげ、轢かれた及川結希ば連れ去られだんが双見精神病院だばなら、何が目的で精神病院に連れ込まれるがも知れる話だげ、内情探って実行犯の車ざ映像有るがかの確認も信者だば一応に可能だぢ」
「おい、映像って何だ?」
何処で買ったか煎餅を齧りながらに確認する田中は眼光鋭くギラつかせ、声に振り向き気付いた丹羽が煎餅の袋に手を伸ばす。
言われてみれば達郎先輩はアッコにも映像を観せていたのか、頼りなさから教団の手に渡り兼ねないからと、コピーを達郎先輩に渡して大元のSDカードは私が預かり、今はデスクの鍵付きの引き出しに入れてある。
とはいえ、ココへ来るにあたり必要性を感じて私のノーパソにコピーを入れて持って来てはあるのだが、料理の事しか頭に無くアッコの家に置いて来ただけに、仕事を忘れていたと思われたなら癪にも障る。
けれど話の流れは見せろと言われる可能性が高まって来ているようで……
「なら先生も直接観た訳じゃねえのか。おい知佳、お前はソレ観たのか?」
「え、ええまあ……」
自分でも何故に答えを濁したのか分からないが、映像で顔をハッキリと確認出来た訳では無く、撮影日時だけでは推測に過ぎない。
だが、個人情報保護を謳う政治がやたらと信頼度を置く何処ぞのIT企業は、余程政治家にとって都合の良い話を持ち込んだのか、互いに都合の悪い事を有耶無耶に出来るだけの関係を築いてもいるのだろう。
お陰で国民の個人情報は丸裸だ。
及川結希の顔は学生時代の友人と映る写真がネット上に晒されていたが、ストリートビューで家に置かれた自転車を確認出来てしまえる個人情報の闇を使い、轢かれた自転車と照らし合わせて間違いないと踏んだ。
「何だ、随分と邪気の籠もった返事だな」
丹羽と煎餅を奪い合いながら言われる台詞に、邪気も籠もるのが当然にも思えて目を細めたが、病院内で何が起きているのか解らない点が多過ぎるが故に、映像をアルゴとアッコに観せて新たな何かを見付ける事が出来るなら、そう思えて来たと同時に立ち上がる。
「知佳ちゃん、どがした?」
「ノーパソ取りに行く」
その一言にアッコも田中も理解が早く肯く中、飯尾の一言に気が逸れる。
「飯、ちゃんと食ってけ」
吐いた口の中にまた入れる申し訳無さに、漬物ごと焼く田舎料理の妙に酸味のある匂いも冷めたからか風味は和らぎ、味付けの濃さが舌に来る。
小学生時代に残弁していた子の気持ちを今に知るも、食後に煎餅を頬張るアルゴを横目に気も冷める。
飯尾の優しさかと思えるそれは、単に食器類を一緒に持って行けと言うに他ならず、食べて洗って持ち帰る中、アッコと二人で歩く雪道に例の高音の圧迫感からか思わず振り向くも、ぼんやり浮かぶ病院の看板を照らす明かりに不穏な澱みを感じ、街灯も少ない町との対比に澱みが包むかの気がしてならない。
「知佳ちゃん、大丈夫だげ。私も親も皆こごで暮らしとるげに」
怯えているのを気取られ少し恥ずかしくもなるが、確かにそうだと思わされる。
「ご馳走様でした」
ノーパソを持って戻る中、不意に前を行くアッコが立ち止まり、何を思い出したか口にする。
「そがだったば……」
横に追いつき顔を覗くが、アッコは病院の明かりを見詰めていた顔を下に向け、記憶を探っているのか脇の雪壁を掴んで握り締め、ギュギュッと鳴らす感触で頭が冴えるかの動きにも見え、話しかけるのも憚れ応えを待つ事にした。
「ある! 在るがよ! 排水坑道の出口」
何をどうして思い出したかは解らないが、排水坑道の出口の在り処を掴んだアッコが走り出す。
慌てて追うも転びかけ、ノーパソの入ったバッグを思わず抱き締め尻を打ちつけると、先を行くアッコが道を曲がったか見えなくなっていた。
これだけ雪深ければ熊の心配は無いとは聞いたが、それでも横に連なる雪の壁から何かが襲い出て来るような気がして怖くもなる。
ましてや鑑見様の件を知る今に、この町で独りになる事の怖さに危険を感じ、すぐ様立ち上がっては転びそうにもなりつつ急ぎ足で追いかけた。
然程の距離は無いが焦ったせいで息が切れ、門戸を開けようとする中で氷柱の事を思い出し振り向くも、流石にこの短時間で出来る筈もない。
けれど雪を被った垣根向こうの道から妙な視線を感じて凝視する。と、子供程の背丈の黒い何かがスッと雪の壁へと姿を消した。
怖くなり急ぎ門戸を開けて家の中へと入り鍵を掛け、雪靴を無理矢理脱いで皆の居る部屋へと駆け込んだ。
「あ、ごめん知佳ちゃん忘れでだ訳でなぐで……」
「違う! 外に何か居る!」
その瞬間、アッコと田中が目を合わせ可能性を探り考える中、臨戦態勢に入るでもなくノーパソや機材をそそくさと片付ける丹羽と飯尾。
「こげな時間、こござ歩ぐ者なが居らんがよ!」
「そんじゃ……誰だ?」
「誰だも何も人かどうかも判んないよ!」
思わず口を衝いて出た文句に丹羽が笑うが、笑い事ではない今に笑う丹羽の頭を田中が平手で叩く。
と、飯尾が思い出したように片付けたノーパソを取り出し何かを開き「おお」と、何を観たのか声を漏らす。
「何だ飯尾? そういやお前昨日何かやってたな!」
「ああ、確かに何か居たみてえだ」
そう言ってノーパソの画面を皆に向けると門戸の外の映像がそこにあり、保存中の文字と共に私の後頭部と黒い何かが道を横切る瞬間で止めた静止画。
その黒い何かは動きが速いのかブレた姿は予想より低い背丈だが、背筋の悪寒に震える身体をアッコが抱き締める。
「こげば大ぎさ、鑑見様でば無げ?」
「けど、今の先生の話を鑑みれば……」
アッコが何を話したのかは解らないが、病院の明かりを見て考えていた事に照らし考えれば、自ずと答えは見えて来る。
「まさか、あの病院に排水坑道の出口が在るって言うの?」
問うて顔を上げると、視線を合わせたアッコの顔がゆっくり沈み応えるそれが、外の何かを判らせた。