「堀内家の古井戸」
言葉の違いに伝播の流れを探す方法で、同じ内容に呼称を違えるAとC、内容を少し違えるBを見付け派生を探り周囲を調べ地図上にABCを配置、次にC地点と接するDを見付けCからの派生と仮定しC→Dとすれば、BとDが同じ内容でどちらが先かに起源の産地にB→D→C→Aすらある事に、地図上に配置するABCDの分布図で派生の起源を求め伝播の流れを見る。
では鑑見様とは何処からの流れに付いた名か、鑑見川からに思えるが、湖南地区に在る双巫神社と同じ鑑見様を模した狛を配すお社が在るのは加々見川の源流である事に確定は出来ない。
鑑見川が枯渇して幾年経つのかに答えを見れば、鑑見様の描かれた絵の年代を調べそれとを比較する事で名の由来に関する流れは判るだろう。
けれどそれを調べるまでの予算はオカルト四季刊誌【アルゴ】には無い。
ここ槍水町加々見方に在る古い家屋の中で、囲炉裏ではないがテーブル型の薪ストーブに置き熱せられる鍋と地酒を腹に入れつつ談笑し、この地方の土地神信仰に関するを加々見家の氏子総代という杜生さんが話を始めるも、奥さんが直ぐにやめさせ連れ出した。
続きを話す加々見温子(アッコ)は雪屏風の前に在るお社と村との共生社会についてを軽く話すと、敢えては記事に出来無い旨を解らせ、地元では冬幻鏡と呼ばれる怪奇譚を語り出す。
鑑識官が近くの双見精神病院へ入院した事までを話し終えると顔を変え、その後に調べ見付けた事を口にし語るアッコの顔は、自分の家の事なのに何処か他人事のようで、謎解きを楽しんでいるのがひと目で分かる。
アッコの話によれば、雪屏風に在るお社に纏わる書物が各務家の氏子総代の家蔵2階に忘れ残されていたのを見付けたと叔父から知らされ、三が日を読み過ごして解いた結果に、それこそが明治の学者が読んだと思われる江戸中期頃の書物であったと言う。
アッコ曰く、湖南地区では神様と云われ奉られる鑑見様だが、元は加々見村のここでは鑑見様の様は“見る様”を意味する呼称と判り、神様ではなくモノノ怪として封じる為にお社を建て、封印とし鏡で蓋をした事をまで解いていた。
更には、加々見村での神事に鏡で塞ぐ理由を考え、鏡の原料にされる銀の可視光線透過率が関与していると踏み、鏡に反射するのが可視光線である事を考えれば、視覚効果による縄張りと勘違いに向きを返す行動ではないかと考えていたようだ。
それを裏付ける理由に上げたのが、双見湖から東南へ流れる麻布川の名称元と思われる双穴水鏡山で銀が掘られていたという間歩(坑道)の逸話だ。
石神宇曽が見付けたと言う鑑石の伝承も城壁としての鑑石ではなく、銀鉱山を統轄する城主を示す物の役割ではないかと考え、鑑石の裏側には坑道が在ったのではないかとの推測すれば、【▲▲創穴鑑見構】が鑑見様とするソレはその坑道から見付け、双見湖にも現れるのは別の所に在るだろう坑道の通気口から出入りしている可能性を疑う。
けれど私の調べた内容に照らせば、大山椒魚と同種の類なら視覚は既に退化している事からも、水の流れも光も無い出口を塞がれた坑道内で行動出来るよう他の何かを発達させ、コウモリ等に見られる超音波による反響定位で行動しているのではないかとの推測を述べる。
アッコと違えている部分を摺合せようと推論を投げ合う中、黙って聞いていたアルゴの田中が声を上げた。
「どんな坑道か知らねえけど、川から銀を都に贈る程掘ってるなら露頭堀じゃねえだろから、通気立坑だけじゃなく他の坑口も在っただろうし、水抜く為の排水坑道なんかはそのまま残ってんじゃねえか?」
「ああ、じゃないと坑道内に水が溢れて崩れたり噴き出したりする危険があるかぁ」
「え、じゃあ入るも何も、中の構造処か入る穴すらも分かってないって事?」
ヘルニア持ちだからと坑道調査を嫌がり社に残った編集長の臼木を除き、アルゴのタイタンと呼ばれる面子が自分達の役割を理解したのか話に入る。
何処で仕入れた知識なのか物知りではあるライターの田中、どういう経緯で入社したのか理系の工学部出という機材担当の飯尾、元は写真誌で撮影手法の解説までをしていたカメラの丹羽、平均40歳の妙に熟れた精鋭ではある。
部は隅に追いやられるも信頼は厚く、頼まれた仕事は確実に熟す。そんな話を聞く事もあるが、社のはみ出し者感が強くその実態は良くは知らない。ただ、中谷さんも信頼している間柄に私も少しは知ろうとしていたが、頭の中では呼び捨てだ。
「だっけね、あん写真ば映り込んどる木々の場所さ調べんべか思って、役場の山林整備しとる人さ訊いである程度ば絞り込んだでね、こごさ辺り今は元の林道が一部残っどる言う話だげ、コッチば展望駐車場から行ぐ予定だげ、どんがよ?」
「雪の積もる山ん中を歩いて穴を探せってのか?」
広げた地図を指し、双見湖に突起する双穴水鏡山の裾野辺りを捜索するのに、地中にマイクロ波を放ち地下構造物を調べる地質調査会社に見積りを訊ね諦めたと言い、代わりになる物は何かないかと話が移り、田中の話から飯尾は湖の中で魚探を放ち、その周波を山で探るという途方もない話に皆が頭を抱える中。
「あの写真の下に出てた数値と撮影時刻と地形から見て、朝陽の当たる鑑石市側の何処かだろ?」
丹羽が吐いた得意分野からの呟きに、アッコと田中は同じ事を考えたのか互いの反応に目を合わせるも先に言うを譲り合い、せーので共に口にする。
「古井戸の△○☆✕◇」
途中からズレる2つの名に歳と時代が関与する。地元では『泣き女』と云われているが、昭和のワイドショーで取り上げられた際に『宇宙人』とされたが為に昭和に育った田中と名を違えたもの、聞けば同じ鑑見港の近くに在る古井戸の事だった。
ネットにも残るソレを検索にかけると思わぬ答えに辿り着き、アッコも敢えてソレを調べる事は無かったのかノーパソの画面に食い付いた。
掲示板に『堀内家の古井戸』と記された書き込みを見て検索をかけてみると意外な事に、鑑石市が作った観光案内地図でソレを正式名称として提示していた。
鑑見港から登山道を行き、裾野東の中腹に走る作業林道を北へ少し行った辺りに在る古井戸の事らしく、時折聴こえる音は多種多様で、低い唸り声・高い金属音・SF映画やアニメのレーザー銃のような音・子供が啜り泣くような妙な声までと、どうしてソレが古井戸の中から聴こえて来るのかに興味を惹く。
いつから残る古井戸なのかも知れず、地元の子供が度胸試しに行くような所だったが、昭和の終わり頃にワイドショーで放送されてから暫くは人が大量に押寄せ、地元警察や市役所は面倒事と捉えていた中、人が落ちそうになったとの報告に厄介払いのチャンスと見たか、危険だからと封鎖した。
けれど封鎖されたが為、逆に地元の高校生や大学生の心霊スポット感が強まり、度を越した者が行くようになった事で遂には帰らぬ者が出てしまい、捜索に古井戸内の調査をしようとしていた折、双見湖で遺体が上がり完全封鎖となった筈のアッコの記憶とは異なる現実。
知らぬ間に観光名所用にと周りを柵で囲い、音だけ聴けるようにしていたらしく、水鏡峠の道路工事に際して作業林道も絶たれ地図から消された中で、鑑石市役所は名所案内地図にその場所を載せている。
「飯尾、マイクで拾って元の音だけ掴めるか?」
「聴いてみねえと判らんが、リバーブ除去なら簡単に出来る、けどレーザー銃の音ってのは引っ掛かるな」
田中の問いを直ぐに返す飯尾の見解、調査対象を見付けただけで何を調べるべきかを即掴み、対応可能かに問題点までを見越した応え。少しアルゴを舐めていたとも感じられ、私自身はアルゴの役割に何が出来るのかを考えていた。
「井戸の上から暗視カメラ降ろす位の穴は開いてんのか? てか知佳ちゃん何㎏まで背負えそう?」
カメラ機材を確認しながら荷増を見越してか、私を荷物持ち扱いにしようと目論む丹羽の問いかけにハッとする。
これに応えては荷物持ち確定だ。いや、既に機材の仕分けを始めた飯尾の手元でも何故か山が3つ、どう考えてもそれは車積み・持ち出し・私……
「私20㎏程度ば持てるでね、今降っとるげに朝ば雪掻きから始まるかもだげ、重て物は今夜の内に車ざ入れんば埋まるがよ」
アッコ曰く今年も雪は少ないらしい、それでも主要道路は腰より高く除雪され、ここ加々見方の道は観光に雪屏風までは除雪されるも、家の在る道は雪を残して踏み固め、地域購入したのか小さな除雪機と人の手で行われた事を物語り、背丈程の雪壁を残している。
「雪の音さ苦手でね、都会の人等は『シンシンと降り積もる』なんち何処ぞの文屋の言葉に音の無い世界を云うげど、そげホテルや何げかなら静かにも聴いてられるかもだげ、こがん古い民家に住んだば雪の重みにミギミギ言うんを聴いで、不安で寝られるかち言う話だげな。皆も今夜で雪国住む者の雪に対する気持ちば判るだろげよ」
不安を感じるのは、宿代を安く済ますと言われて話に乗ったが、その発起者がソレを言うからだ。当然のように訊く田中。
「いや、大丈夫なんだろうな?」
「大丈夫だて。一応に手ぇば入れとるげに、あ! 朝ば起きだら外出る前に上さ確認しで、軒の氷柱ば落どしでから出ろな。下手すんば刺さるでよ!」
着いて直ぐに家脇の軒下に連なる氷柱を見てサスペンス的なモノを想起したが、玄関の軒にも出来るものだと知る今に、忘れて出そうな不安にかられ電話のアラームに氷柱とメモする中、アッコが更に不安を煽る。
「本当よ、こごさ住んでたさっぎの杜夫爺の姉ちゃん、子供ん頃に地震ば来で慌てて外ば出たもんだげ、頭さ氷柱刺さっで死んだげね。学校で習った通りしだもんで頭巾さ被ってでも貫いた言うち、随分とデカく鋭利だったんだげな」
雪積もるスキー場からは高度を下げるも山間の土地、峠道ですら雪山に思えたが、峠一つ越えただけですっかり雪国の様相だ。
けれど湖の近くは雪も薄く都市郊外程だと軽く言う、雪国に住む人との感覚にズレを感じつつも目の当たりにする雪の怖さは理解出来る気がした。
「あ、私20㎏なんて持てませんよ」
「使えねえなあ、とりあえず背中に入る位は持て。コケる時は前のめりな!」
解らないけど高そうな機材を仕分ける二人に男女差別の意識は無い事だけは理解した。
「ほげ、知佳ちゃんはウチで寝るげ、積もらん内に行ごか」
男女差別は無いが区別はしてもらう。出る際に思わず上を見たが滑りかけ、アッコの『足元!』の声に下を見て難を逃れた。
「知佳ちゃん、止まって見ろな」
家までの静かな道中、雪音に混ざる耳鳴りのような妙な高音に気付きアッコに訊くと、寒冷地ならではの乾燥で発生する静電気と雪を乗せた高圧電線から聴こえる音と共に、谷にぶつかり乱反射する電波の音があるらしい。
道の向きにより音もなく、スキー場の方から吹き荒ぶ颪は雪を巻き上げ、鼻の穴に向けて下から来る雪を防ぐと、映画で観る額へ腕をやり雪上を歩む俳優の姿が嘘だと知れる。
――FUTU――――FUTU――
――MIGIGIGIGIGI――
――FUTU――
――FUTU――FUTU――
――MIGIGIGIGIGI――
――FUTU――
アッコの家で湯船に浸かり、元は祖母の部屋で眠りに着いたが、雪は軽く重なり合う静かな音に混じり時折家の木材が軋み鳴く、なるほどにアッコの感じる不安を理解した。
「知佳ちゃん、知佳ちゃん」
アッコの声に目を開ける。理解こそすれ不安も何処吹く風か深い眠りに着いていた。
朝の暗さに山間故かと時計を見るが、明け方の5時。
「え、と……」
「朝食向こさ運ぶげ手伝って」
寝ぼける頭を無理矢理起こして自分の準備をする中、アッコの家族が忙しく動くのを見てハッとする。
ここは宿泊施設でも何でもない事に今更気付き、急ぎ手伝いに加勢しアルゴの家で朝を食べ終え、片付け洗いは任せて戻り、準備を整え8時には車を出す事が出来た。
「それじゃ、行って来ます」
峠道を行き最初のカーブを越えた僅かばかりの直線にある展望駐車場の一番奥の方に車を駐める。
駐車場脇の登り階段は、双見湖の部崎まで行ける尾根登山道に直結されていて、最初の階段だけは陽が当たるからか殆ど雪は無いが凍っている為、両手で手すりに掴まり慎重に蟹歩き。
手すりの切れ目で登山靴にカンジキを付け、ストックを持ちスキーウエアで雪の積もる中を行くが、慣れるまでの歩き難さで不安にもなる。
今日は下見と背負う荷は軽くも、なだらかに登り始めると間もなく尾根で下りに変わり、何処が道かも微妙な白い草原で先頭の田中が何かを見付けた。
「多分この木、案内板じゃねえか?」
「んだば、こごさ左折れば林道当だるげよ」
2番手を行くアッコの勘と記憶に3番手の飯尾がGPSを確認しつつ、場所により新雪で腰まで雪に埋まるを、先頭の田中が圧雪しながら注意深く進んでいるお陰で身動きが取れなくなる事はない。
けれど辿り着くまでに日が暮れそうな鈍足に、朝の早さが有り難くも思えてくる。
林道に入りやたら上を気にするアッコの様子に雪崩の危険を想起するが、曰く猿の類に警戒しているらしく、湖の近くは陽が差す時間が長く日々雪解けする為、雪は薄くも硬く雪崩の心配は無く、危険なのは猿の動きに揺れ落ちる枝木に積もる雪だと言う。
「下手すると氷柱落としもあるでね」
コツコツと時折当たる小さな音に、冬山登山で何故にヘルメットなのかを理解した。てっきり転落事故を考えての事かと思っていたが、無意味な自転車ヘルメットとは違い一理も二理も有るようだ。
朝アッコに髪のセットより日焼け止めと言われた理由は解ったが、帽子の上にヘルメットとフードまでを被せた頭からの湯気が視界を燻らせ、滴る汗は白を流し首に巻いたタオルでウォータープルーフの限度を理解した。
木々の間隔が広く車幅の作業道だと判る所まで来ると、雪の下地が安定するからか沈みも一定に歩みも速くなる。
いつの間にかカンジキにも慣れ、歩ける速度に汗をかくは同じなのに楽にも感じる不思議な感覚は木々を観る余裕を生むが、余所見の危険につんのめる。
「アレか!」
「だげ!」
「おお」
「ああ」
「え?」
雪国らしく口数少なに皆の疲れを理解する。着いた直後で雪に腰掛け休むが氷柱落としを気にして下を向く中、今からが仕事と田中の一言に思い出す。
「ここまで凡そ2時間、コッチは昼過ぎには暗くなるから、15時半までに駐車場着として、出来て約2時間ちょいか……」
「あの軒下以外は氷柱落としの必要も無えのが救いだな」
田中と飯尾が仰向けに腰掛けながら周りを見る中、丹羽は荷を置き現場確認に屋根を建てた古井戸の囲いの様子を確認し、カメラの落とし所を探ってメジャーで測る。
「知佳ちゃん、仰向けなった方が楽だげ、一旦帽子脱いで頭冷やせな」
アッコの声に上を向くと空に枝木が無い事を知り、ようやく肩の荷を降ろせた気持ちにため息が出た。
観光地化を目論見周囲の木々を伐採したようだが、その分積雪は多く沈む感覚も歩き疲れの勘違いではなかった事を知るも、この後掻き出す作業予想にため息ばかり、ふと脱いだ帽子に固まる氷が自分の汗と気付いて慌てて払うも、外気温の低さを今に知る。
「先ずはお昼にすんげ」
朝アッコと握った見知らぬ野草の漬け物入りのおにぎりと、アッコの母が生姜醤油に漬け込み揚げた鶏唐の弁当箱に、水筒のまだ熱い紅茶で英気を養う15分。
丹羽は一応にと持ち運んだ小型のアクションカメラを500lmのCOBライトに取り付けカラビナフックに吊り、下に向け柵の天板中央部からロープで降ろし録画、飯尾は簡易マイクを柵の隙間から古井戸の中へと向け入れ固定し録音を始めていた。
よって大きな声も上げずに作業を始め、黙々と汗を流す1時間半。予定より少し早くに粗方の雪を端に寄せ、古井戸の柱に取り付けたセンサー暗視カメラのレフ板代わりにと周囲は敢えて多少の雪を残す。
「おーい、そろそろ帰るぞ!」
いつの間にか消えていた田中が戻って来た。帰りも考え林道の雪までを端に寄せ、2㍍幅程の道をかなりの距離まで作っていたようだ。
お陰で帰りはある程度の楽が出来、最後の下り階段が一番怖くも1時間と掛からず駐車場まで戻ると荷を車に入れ、閉まりかけの店で軽食をつまみ車へ戻ろうかとする中、夕暮れの湖面に西の山影が掛かる展望に郷愁が襲う。
こんなにも綺麗な湖で何故悲惨な事件が起きるのか、全てどうでも良くなる気持ちにもなる中、田中の一言が現実へと引き戻す。
「おい、土産物屋のおばちゃんココで例のモノ見たってよ」
「本当げ?」
「ああ、毎年じゃねえけど秋先に何度か見たって、誰かが捨てたデケートカゲと思ってたみたいだけど、多分アレだろ」
田中がどう訊いたのかは知らないが、おばちゃんにとってはトカゲより雇用と売り上げの方が問題なのだろう。
聞けば、店を閉め裏戸から出て帰る折、秋の枯れ葉に混じり動く気配に目をやると、暮明とはいえ何とか見える位の枯葉色を掻き分ける黒く大きなトカゲのような物が、蛇のような動きで登って行ったという。
大山椒魚の繁殖期の行動にも合致するそれだが、少し厄介にも感じる何かが頭を過る。
「上に行ったんですか?」
「らしい……」
詰まる話が古井戸は反対斜面のここより下に在り、アレが上に行ったのなら繁殖に集まる場所は上に在る可能性が高く、今日の作業が無駄骨と言われたようなもの。
そして……
「登って行ったなら北の尾根かぁ……」
更に上にも坑口が在る可能性を意味するも、上は雪を積もらせ探査は不可能である事からして、雪解けを待たなくてはならず今を詰む話。
「こごで考えてもだげ、先ずば帰って風呂さお入りしよが」
頭を抱え車に乗り込む無言の帰途に、夕景の空が作業の疲れを癒やして目蓋を重くする。
「ああっ!」
唐突にアッコが上げた声にドキッとして目を覚ます。運転手がアッコだから問題は無いが、焦りにアルゴの皆も深呼吸で様子を窺い、何を思い出したかに耳を傾ける。
「林道でねえけど登る道ば在るがよ、そげ道ば尾根の反対側にも在っでさ、両側から延ばしで繋がるだろう辺りの上の尾根さ陥没地みでえに凹んどるげ、危ねさ言うで場所だげど……」
「陥没地、坑道が崩落して出来たものなら出入り口になっていても不思議はねえな! 試しで露頭掘りした跡が崩れたものかもだし、家着いたらその場所地図で判るか?」
「古い地図だば載っとるげに、道の入口ば峠の入口だったげ潰されとるげが、峠の途中にも見えるがよ」
期待に目を覚ますアルゴの活気にも、重い目蓋を家に着くまではと閉じたまま、眠りに着くより先に家に着く。
「知佳ちゃん、風呂さお入りして少し寝よか」
お子様扱いされるも抗えず、アッコの言葉に肯き2時間程して目を覚まし、既に作り始めていた夕食の手伝いに加わりアルゴの家へと料理を運ぶ。
と、アルゴも風呂と少し寝ていたのか寝癖をつけた田中は地図を睨み、飯尾と丹羽は互いにノーパソを開いて作業中に録っていたものを確認していた。
「夕食だげ、テーブルの上片付げろさ」
「ん、ああ」
と、寛ぎに新聞を読みつつ退かされる古い日曜の父親のような行動に歳を見るようだが、彼等はアルゴのタイタンである事を解らせる。
「ぅおっ! 何だコレ?」
急に声を上げた飯尾に振り返ると、ヘッドホンを外し何やら波形モニターの出るソフトで昨夜言っていたリバーブ除去だか何だか音の調整をする中、今度は丹羽が声を漏らす。
「んん?」
何かが映り込んでいたのだろう事は判るが、それ以上は解らない。
とりあえずに食事の準備をしていると、田中は地図の確認にアッコを呼び付け指し示しては唸り声にアッコと推測の域で語り合っている。
食事の準備と言っても殆どはアッコの母親が下処理までして、私は肉や野菜や漬物やの地場料理をフライパンに乗せ薪ストーブの上に置き、蓋をして熱を入れるだけ。
「多分、出来てると思いますけど……」
煙が白くなるのを見て声をかけて蓋を取る。
ふふぁあああと拡がる湯気と煙に、地鶏肉の脂と野菜の甘い香りに漬物の少しツンとする香味が混ざると、田舎の料理と判らせ腹を揺らして心を落ち着かせ、米を食べたいと思わせる。
ご飯をよそっては皆受け流し、全員分揃う前から『いただきます』の声に食べ始めて行く中、丹羽が静かに声を上げた。
「居た。映ってる」
「ああ”? おい!」
田中がご飯を口に箸持つ指でコッチに画面を向けろと指図すると、テーブルの端にノーパソを置いて再生された映像は、露出補正されたのか少し粗くも明るい中に蠢く何か……
「んん、おい、何だコレ……」
「コレ、コレって、絵のままじゃん!」
「だげ、何この数……」
夥しい数のアレが古井戸の下で犇めき合う姿に、見付けた悦びよりも気持ち悪さが上回る。
蠢く黒い何か全てがアレで、中を移動するも互いの体に乗り重ねては体液らしきヌメリに滑り落ち、古井戸を登ろうかとするも滑り落ちては体液を散らしてアレの山の下の方へと滑り落ちて行く。
GAINが強いからか粒状の粗さが目立ち色の判定はし難いものの、開けた口の異様さからも明らかに大山椒魚とは違うと判る。
土産物屋のおばちゃんの話通りに、動きは蛇のようなうねりを見せ、脚は在るのに蛇足感にも思える動き。
小競り合いに共喰いしているような咬み合いは、互いの首の辺りを狙い喰らいついては頭部を振り回して引き千切り、動きを失くしてはアレの山の下へと落ちて行く。
落ちた辺りの山が膨らみ蠢く流れが微妙に変化するのは、落ちて動かぬソレを食べているようにしか思えない。
食欲そそる香りの中で観るエグい映像に、焼けた漬物の匂いが胃を返すようで口を抑えて唾を飲む。
ふと横を見ると、田中はテレビを観るかのように肉や漬物やを美味しそうに大口でご飯を食べながら観ていた。
「出来た。けどこれ、可怪しいぞ」
飯尾がヘッドホンを外して振り返り、皆が丹羽のノーパソを観ている事を知る今に、食事は匂いで気付いていたのか何事も無かったかの如くに食べ始め、チラリと横目に丹羽のノーパソを覗き見る。
「ああ! そういう事か!」
映像を観て何を納得したのか、箸を置いた飯尾は自分のノーパソに向き戻り、ヘッドホンをし直し波形モニターの何かを探すように拡大していた。
「ああ、やっぱりそうだ!」
飯尾がヘッドホンを外して振り向き、ジャックを抜いて音声を流す。
――NUCHAMUTYUNTYA――
――KUTYUNUCHA――
――VOWOOOOOOO――
――KUTYUNUCHA――
――VOWOOOOOOO――
――MUTYUNUTYA――
――NUCHAMUTYU――
――PUTIKYUUNN――
――NUCHAMUTYU――
「これ、体液の音の中に声も録れてるじゃねえか! やったなおい!」
映像と合ってはいないが何の音かは私にも理解出来た。
蠢く移動に犇めき合う中、他の体液の貼り付きを己の体液のヌメリで剥がし、小競り合いに威嚇し合う中、頭部の大口を開き息を吐き出し震えるエラのような部位は低周波の振動を起こして相手の動きを封じるのか、即座に咬み付き振り回す。
皆その音全てに納得がいった所で、飯尾が別の音声ファイルを再生する。
――KUCHUNKUCHU――
――KUSUKUSU――
――NGYAAAWU――
――KUCHUKUCHU――
――NGYAAAWU――
――KUSUKUSU――
――KUSUKUCHU――
――PAKYUUUNN――
――KUCHUNKUSU――
「ああ、そういう事か」
田中と丹羽は理解したらしいが、私とアッコは数秒遅れに気付く
「ああ! だげ色んな音に聴こえたが……」
後から聴いたこれは古井戸の外で聴こえる音で、先の音は反響音を除去した音だ。
確かに、啜り泣く声や赤ん坊の泣く声、レーザー銃の音にも聴こえなくもない。
皆が納得の顔を見せると、飯尾は下を向き少し訝しげに口にする。
「けどコレ、まともに生で聴いたらひとたまりもないな……」
何の事を言っているのかさっぱり分からず、皆が飯尾に注目している事に気付いてないのか顔を上げた本人がビックリして焦りに戯け、慌ててノーパソの波形モニターを出して指し示す。
「これ、この波形部分とんでもなく幅のある重低音の中に強振されてるこの音域、ノーパソのスピーカーでは出ない音だからビリビリ言ってただけで済んでるけど、所謂エセファームやエゴキュートで問題になってる“低周波”みたいなモノで、振動波が人の脳に障害起こす危険なレベルの音を出してんだよ」
「でも俺、アソコで聞いても何にも感じなかったぞ?」
「穴の凹凸による乱反響のお陰だ!」
意味は解らないが何となくは理解する。
けれど何よりあの古井戸にコレだけの数の鑑見様が居た事に、アッコも驚きの様子を隠さない。
何を相手にしているのかすら解らないまま観る映像に、カメラに撮られた物の答えを探し求めていた。
■あとがき
※1
フィルム写真には日時の他、ピントやフォーカス等の数値も写真に残す事が出来るカメラもあります。
※2
南極の氷を調べるのに深くまで採り、開いた穴に氷を落とすと所謂SFのレーザー銃の音になる等と一時話題になった動画と同じ原理です。