「鑑見様」
「おい知佳、あの男とまだ付き合ってんのか?」
スポンサーからの苦言に、入れた筈の広告頁が少ない等と、税務の関係に確認を必要とするも訳有って我が社に保管していない刊行誌。と言えば解る者には判るアレな類に、面倒事に18歳以上のバイトを数名雇い、手分けし確認するのに国会図書館へと。
一度に借りられる数が決まっている為バイト一人一人に刊を振り分け借りさせ、広告が在るか調べ頁を確認しては戻し次を借りさせるを繰り返す。
昼を過ぎる前に人を二分し、国会図書館上階の食堂にランチを求め、バイトを並べ領収書を一括にしようと端なくも万札を握る中、役所飯故のランチの安さに編集部の中谷さんが現れ声をかけられた。
一瞬何の話かと考えそうになるも、周りに人が居ても話せるようにと、男とはネタの事、付き合いとは調べ向き合う事、詰まり「この間のアレまだ調べてんのか?」と聞かれたのだと数秒遅れに気付く。
「え、ああいえ、それがちょっと怪しい事に」
と、陰にし話そうとする私に口を噤めと自分の口に手をやり、その指を国会図書館の中庭に向ける。ここでは口に出来ない情報を持って来てくれたものと理解し、食後の中庭に気を止める。
「お前またお子様ランチか?」
周囲への逸し話とはいえ、ここへ来ると何となしに選んでしまう大人のお子様ランチを頭に描き並んでいただけに、一言が痛い。
内容の割に値段が安い役所飯のこの食堂では高めの設定でもある流行りに遅れた大人のお子様ランチ、けれど中庭の時間を考え諦めた。
前は握り寿司も在ったのに今はネギトロ丼が残るだけかと愚痴と醤油を垂らす私の前で、40代でメガ盛りカレーを食べる中谷さんは当然のように私より後から食べ始めるも先に食べ終え出て行った。
待つを知り、味わう事も適わず丼物で重くなった腹の恨み節を、中庭で待つ中谷さんから甘いイチゴのパックジュースを渡され鎮め治めて話に入る。
「双見湖の事故ネタだ。警察は事故扱いにせず自殺未遂にしたらしいが、一昨日別の件で鑑石市に行った折に耳に挟んだ話でな、ソイツは例の教団施設の前で電線工事をしてて、そこで目眩を起こして半休扱いになったもんだからって、空いた時間にソイツは趣味の釣りをしていた。なのに自殺なんて可怪しいだろ? どうやらソイツは警察にも突然湖に引き摺り込まれたって言ってたらしいが、即日で無理矢理に精神病院へ送致されられたって話だ。警察の動きも可怪しいし、これはあの教団に何かあるぞ。迂闊に手を出すなよ」
今更事に思えて言い出し難い仕草を感じ取られたか、中谷さんの目尻がひくつき怪しむ目で迫られる。
恐らくもうバレていると感じ相談する事にした。
「実は、大学当時のサークル仲間が過去に向こうで事故を起こしていたらしく、それがどうにも例の教団の口封じに絡んでいたようで、今日明日にでも見てもらいたい映像があるんですけど」
貴子が達郎先輩に送った動画ファイルの事だが、その前に資料にあった加々見温子に関する事を訊こうとした折。
「おい知佳! お前が仕切らねえからバイトが遊んでんぞ! 高い金出してんだからしっかり働かせろ」
中谷さんに気付きお辞儀だけしてとぼけて逃げる同僚の背中に向け「い」を腹の底から口にし息を吐き出し、迂闊に連絡が取れない中谷さんの空きを確認する。
「少し調べて置きたい事があるから、木曜の昼に暗室で」
デジタルの時代にも未だ使う人が居る為残されているフィルム写真の現像室の事だ。隠れて話すのには丁度いいが、現像液の臭いに曝されるあの部屋でも中谷さんはおにぎりを平然と食べる。
翌週の昼抜き日を覚悟に少し憂鬱に了解し、急ぎ中庭を後にした。
図書館の閉館時間にバイトを帰らせた後も社での集計と照合と、残業疲れの影響からか頭を休め眠る休日の昼、達郎先輩からの電話で目を覚ます。
「あ、ごめん寝てた? いや、俺今から鑑石の警察署に行く事になってさ、もし俺に何か遭っても例の件は言わないから安心して。変な事に巻き込んじゃってごめんね」
「あ、いえ、その件なんですけど……」
切れていた。一方的に言うだけ言って通話を切り、かけ直すも電源を落としたのか繋がらない。
如何にもな死亡フラグに心配よりも頭にくる。
巻き込んでおいてごめんで済ますな、最後まで責任を持っておけ。と言いたかっただけに腹の虫がおさまらない目覚めの悪さに起き上がり、冬の昼下がりに陽射しで温まる布団で汗をかいたかシャワーを浴びる。
ひょっとしたら健の所にもかけているのでは? と考え電話で訊くも、知らんの一言に電話を切った。
寝てた時間を取り戻そうと、音楽を聴きながらノーパソでネットの情報に目を通していると、とある訃報記事に目が止まる。
まともな事をする議員程ニュースにされず顔も出ないこの国では、無党派議員が亡くなっても報道される事は稀。
中谷さんが政治部時代に懇意にしていた無党派議員が亡くなっていたらしく、記事の出も我が社で中谷さんの名があった。
けれど記事の内容に意味深な文字が並ぶが故に、事件記者である中谷さんの名で記されていた事に気付かされ、死因が病気ではない可能性を仄めかす。
外傷は無いが脳の一部が損傷し、耳の鼓膜に異常が診られる事から、キューバの米国大使館で起きたDangerous Soundと言われる音響攻撃の可能性を示唆されたあの事件CubaHornAttackを彷彿とさせられる。と締め括られていた。
CubaHornAttackは未だ解明されてはいない中で、調査機関で電磁波兵器による音響攻撃の可能性が高い事が示唆され憶測を呼ぶ中、一部与党メディアが火消しに走り、精神病の類に違いない、コオロギの鳴き声だ、蚊の殺虫剤が原因だ等と流すも、今尚そのDangerous Soundの音声ファイルは聴ける状態にある。
日本の主要メディアはマイクロ波によるフレイ効果を利用した音響攻撃を可能にする兵器の情報を陰に伏し、精神病の類と一刀両断に切り捨て統合失調症と重ね馬鹿にし蔑む中で、政府は製薬企業と抗精神薬に関する条約を上書きに大量に仕入れさせ、今も尚薬漬けの患者を増やしている。
けれどこの訃報記事が数時間で消えた事から、中谷さんが勝手に出した記事の可能性に、今頃社内は荒れているだろう事が予想され、明日は報道関係に近付かないようにと肝に銘じるが、木曜の昼までに収集がつくのかに気を揉み酒を飲む。
予想通りの荒れた社内で日を過ごし、迎えた約束の木曜の昼。中谷さんが来れるとは到底思えないが暗室へと向かう。
「あ、知佳ちゃん来たぞ」
未だフィルムカメラを使うオカルト雑誌【アルゴ】の面子が現像中で、そもそも暗室に立ち入る事が出来無いと理解したが、手前の部屋に私が入室したのを見てアルゴの一人が立ち上がる。
「これ、中谷さんから。面倒事に関わりたくないから中は見てない」
月刊誌から四季刊誌へと降格したアルゴの予算配分を考えれば頷ける話に頭を下げ、張り込みに連携する仲間以外は繋がらない中谷さんの携帯に連絡する事は出来ずも、いつも通りに人から渡された封書の中身を読む。
「え、」
書かれている内容に驚きが漏れる。
亡くなった無所属議員が反対し関わっていた改正法案の中身に、例の兵器に関わる内容が含まれていた事を知り、あの記事に含まれていた兵器の話に繋げ考えれば、どれ程危険な記事だったのかを理解する。
けれど何故に私へそれを伝えるのかに、改正法案の賛成派議員の中に例の教団と近しい関係にあると噂される議員の名があり、原案を出したのがその議員である事からも、訃報の怪しさを滲ませる。
独り闘っていた無所属議員の訃報だが、訃報記事すら消される黒い影により、世間は事なかれ主義に真実を影に消すを手助けする。
仮に中谷さんが言っていた“少し調べて置きたい事”というのがコレなら、それを調べる事は出来たのかに……
「ちっ! 撮れてたけどこれならカガミ先生に見せたアッチのが絶対ネタになるよなぁ」
現像を終え写真を持って暗室から出て来た男が仲間に観せるもその出来に、愚痴を溢す会話の中にカガミの名……
先生が付くカガミの名に加々見温子を頭に浮かべたが、訊くも可怪しく思え聞き耳を立てていた。
「当時は研究所が閉鎖してたんだから仕方ねえけど、これ失踪中の人からの投書だと知った上で載せたら、何か罪悪感持っちまうじゃねえか」
「でも先生の話じゃ、出したら色々面倒な事になるとかって、アレもどうなのよ?」
「だからって同じ双見湖のフタッシーネタってのも、何かカガミ先生に当て付けてるみたいじゃね?」
双見湖とカガミ先生、決定打は無いが間違いないように思える。だとすれぱオカルト雑誌アルゴの何を見に来たのか気にもなる。
「あの、カガミ先生って加々見温子の事ですか?」
唐突に首を突っ込む私の顔を睨み見るアルゴの面々。聞き方を違えたか四人程の男性社員に囲まれ品定めでもするかの如くに視線で私の全身を舐め回す。
「同級生、じゃないよな?」
的外れな応えにも裏を返せば加々見温子の歳が割と近いのかもしれない。
「どういう方なんですか?」
「え、知らないの?」
自分の問いに戸惑う理由も分かる気はするが、大学のホームページにも写真は無く、刊行誌と同様に書籍にも名前と一部経歴が載るのみで、大学講師の肩書に出身大学と勤務先が同じ経歴では容姿も何も分からない。
肯く私にキョトンとしながら何から説明するかを考えるアルゴの面々。
「いや、俺等も突然連絡受けて急遽……」
歯切れの悪さに何かあった事だけは理解するも、先の会話に出ていた事以外に無いだろうと敢えて口にする。
「失踪中の人からの投書を確認って、秘匿情報じゃないんですか?」
「ぃゃぃゃぃゃぃゃぃゃぃゃ、ちゃんと父親の許可を貰っての事だから問題無いって! 怖い事言うのヤメてくれ、正規の手順踏んでるから」
中谷さんや私の顔に、報道における取材相手の秘匿を想起したのか、慌てる面々に漬け込むチャンスと見てけしかける事にした。
「ふぅん、面倒恐れて封印してたのに?」
「いや、アレは別に封印とかじゃなくて、亡骸が大山椒魚だった場合、特別天然記念物だから死んでても迂闊に弄ったり何かの形跡があるとマズいんだよ。だから研究所で確認してもらおうと思ったら閉鎖中で、とりあえず締切日に間に合わないからって、お蔵入りにしてただけの物だから、問題がある訳じゃないぞ」
言語地理学の講師が何故に失踪した人の投書を知り得て態々確認しに来たのかも、そもそもアルゴの面子が何故に大山椒魚の亡骸に興味を示したのかも解らない。
「大山椒魚って別にUMAでも何でもないでしょう?」
「違う、アレは、大山椒魚っていうか、少し違うんだよ、写真だけだから何とも言えないけど、だから研究所で観てもらうつもりだったんだっての」
小馬鹿にした怪しむ顔を向け少し挑発すると、直ぐに怒った一人がその何かを取りに行く。何とも扱い易いプライドを利用した後味の悪さを感じもするが、先ずは確認する事に重きを置く。
「ほら、コレ観てみ!」
持って来た封書から出される数枚の写真。大山椒魚自体も良くは知らないが、明らかに頭部が違うだろう事だけは理解した。
前頭部で大きく円形状に開かれた口は上下に開く顎とは違い、餌を吸い込むような形で食すのか、周りのヒダに似合わぬ大きな歯が斜めに回り窄めて切り裂くように生えてはいるが、歯の太さからして咬み切るというより喰らいついてはワニのように振り回して引き千切るのだろうか。
目らしき物は見当たらず、口周りとは別のヒダはエラなのかヒレなのか、少し硬そうな繊維質にも見えるが、首の辺りを切り裂かれており、露わになった白い肉には虫が湧き、既に他の部位も虫に喰われ腐りかけているこの姿では、これが何かの判別は不可能にも思える。
映り込むゴミから推測される全長は1㍍無いし80㌢程か、茶褐色に黒い斑紋を散りばめた体表面にはいぼ状の突起があり、尾はヒレ状。
胴部を何本もの厚い皮膚の線上ヒダが縦に走り、手足には水中での行動故にか水掻きがあるものの、かなり硬そうな土竜にも似た掻く事を目的とするような爪が見える。
何かの体液が噴き出し腐り、青味にカビているのか風に吹かれ乗った枯れ葉やゴミやが付着し、一見すると地面と同化し気付きそうもないが、写真は近距離で数枚撮られている為、腐敗臭が漂って来そうでもある。
中々にグロテスクな写真を観ても動じないのは、アチラの部署で散々むごいご遺体写真を見て来たからでもあるが、昼を抜いて来た甲斐もあり、吐き気もなく加々見温子と何の関係があるのかに興味を持って見ていた私を、アルゴの面々が困り顔で見ている事に気付き写真を返す。
「で、コレを観て加々見先生は何て?」
「ん、ああ、迂闊に載せると双見湖の生態系を研究する前に人が押し寄せて、その物自体を絶滅に追い込み兼ねないから研究機関で調べてからにしろって、んで、さっき調べてみたら両生類研究所が再開してるってんで調べてもらえるか確認したら結構な費用と時間がかかりそうだし、ウチの予算じゃちょっとなってんで今、フタッシーの写真をさ」
「捏造してた訳ね」
捏造ではないがフィルムカメラ独特の紛れを狙った撮影方で得るネタ写真に走った事は理解している。故に背後で怒る面々に笑顔を見せて部屋を出た。
仮に加々見温子が同じ物を追っているなら、アレが鑑見様の可能性を考え確認しに来た。とでも言うのだろうか……
“鑑見様持ち出し条件”を思い返せば、暑さに弱いと理解出来るが、今の写真は首を裂かれて死んでいた。
いや、肝心な事を聞き忘れていた事に気付き、部屋に顔だけ戻し問いかける。
「ねえ、その投書した人の名前は?」
「教える訳ねえだろ! とっとと消えろ」
先のは冗談と向こうも判ってはいるが、確かにそこは言えないのだろう。なら、本気ではどうか……
「あそ、じゃあ中谷さんからのコレ。誰から受け取ったか上に聞かれたら応えるね」
は? という顔が分かり易い。
「おま、汚えなあ……」
ため息を吐きながら手紙の差出人名をコチラに向ける。
【及川 結希】
鑑石市 湖南……
「もう協力してやんねえぞ」
「それ、凄い危ないネタかもですよ」
え? という顔に焦りも見える。私の言う危ないには信憑性があるようで、ヤバい代物に手を出しかけたと理解したのか、慌てて封書に仕舞う姿に笑顔で手を振り部屋を後にした。
通路の自販機で栄養補助食品を買い、デスクに着くなりそれを咥えて失踪中の及川結希を検索にかける。と、直ぐに妙な噂の書かれた掲示板に行き着いた。
本来出るべき捜索願いの掲示板よりも、アチラの掲示板が先に出る検索サイトの指標もどうかと思うが、それだけ本来の掲示板が役立たずに有る事を理解させられる。
湖南に住む女子大生が失踪した事件だが、掲示板に書き込まれているのは蔑みに精神病を疑う話が多く、母親が精神病院へ入院している事に関する偏見的な言葉での幼稚なマウント合戦に、読んでいても胸糞悪くなって来る内容だ。
ただ、それが意図して貶めている感じも否めず、一握りの者が執拗に精神病に関するをばかり書き込んでいる辺りに、まるで何かを隠そうとしているように思えるのは、事件が権力に近しい所で起きた折に出される目線逸らしのデマのやり口に似ているからだろう。
けれど情報だけを書き込む者のお陰で、双見湖の怪しい噂を理解したと同時に二つの件にリンクした……
「え、ウソ、これってまさか……」
及川結希の失踪時の詳細には自転車で出かけて消えたとあり、その日時からして達郎先輩から聞かされたあの事故の被害者に思えてならず、仮にそうであるなら予想通り鑑見様との繋がりに、▲▲創穴鑑見構が関わっている可能性が高まった。
何故ならもう一つの繋がりに、双見湖で起きた水難事故には幾つかの噂があり、その中にあの鑑見様の名を見付けたからだ。
▲▲創穴鑑見構の在る鑑石市の双見湖には、鑑見様が関わる神事がある事をまで知り、繋がり見えて来る事件の臭いに画像を見付け、リンクを開く。
及川結希の失踪に絡む噂で馬鹿にし、湖畔に貼られていたというポスターには、先に見たアルゴに送られたという及川結希の撮った写真と酷似するメモ書きの絵があった、掲示板には及川の父親が貼っているポスターで地元でも煙たがられているのだと書き込まれている。
直接の検索では出ずも、及川結希の名からこんなにも簡単に行き着いた鑑見様、アルゴの面々は何を調べてフタッシー等と言う馬鹿げた物に手を出しているのか……
不意に中谷さんの記事を思い出し、鑑見様の呪いと電磁波兵器の音響攻撃を重ねると、無所属議員の死因が仮に鑑見様の呪いであったのなら、あの▲▲創穴鑑見構の犯行という可能性も見えて来る。
鑑見様と思われる先の写真の外見的特徴に、呪いとされる何かが仮に音響攻撃と似たものなら、それを可能にする生体兵器の素養があるのかに、大山椒魚と被ると言う話に則して考え、先ずは大山椒魚の生態を調べる事にした。
見た目は確かに先の写真と瓜二つにも思えるが、やはり頭部や細かな所を観ると別種のように思える。
全長60㌢~1㍍が平均で、最大は全長135㌢・体重19.5㌕程。
岐阜県より西の山地に分布していて、生態は成体も幼生時とさして変わらず一生を山間の渓流で過ごし、河川上流域の用水路や小川にも生息。
性質は荒く餌は魚・甲殻類・蛙などの小動物までと貪食で、日中は水中の岩穴等に潜み頭を上流に向け、口に触れる生き物を捕食していて、夜間に餌を求め流れに出る夜行性動物。
繁殖期は夏の終わり頃に集団で上流へ移動し、一度に500個程の卵を産み一週間ほどで孵化、3年で全長約20㌢に成長して変態する特別天然記念物。
生態を調べ見た感じに鑑見様の持ち出し条件にも則す部分が多く有り、凡そ鑑見様が先の写真の物に相違ないようにも思えて来る。
更に画像検索してみると、例の写真と同じように首を裂かれて死んだ大山椒魚が多く居るようだが、その理由は未だ解明されておらず、人や獣の類によるものでもなく、水族館で展示されている中でも起きている事から、繁殖に仲間同士の争いを疑われている。
だとすれば鑑見様も生殖本能に従い争う程には数が居る事になる。
昨今の温暖化で岐阜より以西だった生息環境が信州・北陸の辺りまで拡大していても不思議はないが、河川の繋がりにそれが出来ずに居るのだろうか。
京都の川では中国産の大山椒魚が混入し、交配が進みハイブリッド種が増えた結果に種祖が途絶える危機に曝されてもいる。
仮に鑑見様が別の進化を遂げた亜種だとして、大山椒魚との交配に新たなハイブリッド種を産み出したなら……
いや、大山椒魚程度なら持ち出す方法は幾らでも有った筈なのに、態々バッグに抱えて個別に持ち運ぶからには何か別の理由があるからに他ならない。
となればそれこそが、呪い……
考えた処で答えが出る訳もなく、栄養補助食のゴミをデスク脇のゴミ箱に捨てようと右を向く、と誰かの足。
「知佳、お前今度は何したんだ? 辞令が出たぞ」
「え?」
上司から渡される辞令の封を開け、中身を読む。
本日付けでアルゴへの……
「は?」
何故にこのタイミングでの人事異動かにすら理解出来無いのに、先の今でオカルト雑誌アルゴへの異動とは如何なる話か全く以て解らない。
「何でも例の中谷さんの件に託つけて上の動きも活発みたいだし、お前何に関わってんだ? まあ、仕事中にそんなトカゲを調べてるような奴は尻尾切りされて当然だろうけどな」
「あ! いえ、コレはトカゲではなく大山椒魚で……違う、ああもう! お世話になりました!」
何が何だか解らないまま勝手に色々動かされるのは性に合わず、とりあえずに怒りを顕に荷物をまとめる。
「おい知佳」
まだ嫌味を言い足りないのか上司の掛け声に苛つきを返す。
「はい?」
と上司へ振り向くと、困り顔でドアの方を指差している。口で言えと思うもドアへ顔を向けると知らない女が立っていた。
「何方様で?」
「知らねえよ。昼にお前を探して来てたけど居なかったから。荷物まとめるのは後で良いから、とりあえずアソコに居られると困るからどっか連れて行けよ」
そう言われても見知らぬ女と何処に行けというのか、何だかアホらしくもなり直帰気分に荷を持ち向かう。
「すみません、私が鈴木ですけど、何でしょうか?」
「あ、鈴木知佳さんですか? 私、加々見温子と申します。中谷さんから聞いてませんか?」
「え、加々見って……」
混乱する頭に先のアルゴの会話が浮かぶ。
「あ! アルゴに寄ったのって今?」
「ええ、その序でに中谷さんと会う予定でしたが、今は何か色々あるようで、渡されたメッセージに『知佳を連れてけ』とあったものですから……」
何が何だか急展開過ぎる話を読み込めず、固まる私に何を納得したのか加々見温子は私の手を取り歩き出す。
「とりあえず、行きましょうか」
「え、あのちょっと」
通路へ出て暫く行くと不意に立ち止まり、避ける間も無く私の耳元に口を近づけ小声で語る。
「川口達郎、貴女の先輩でしょ?」
「え、何でそれを?」
「彼、警察署に居らんかった」
何故にそれを加々見温子から聞かされるのか意味が解らずも、達郎先輩の危機を知らされ、手を離し先を行く加々見温子の後を追う。
着いた先は壁際の狭い仕切りにアルゴの面子。
「あ、本当に来たよ」
「その節は……」
配属部署がここになると理解し見渡すも、投書や写真の類だろうダンボールの山と、床にまでガラクタが転がる如何にもやる気のない雰囲気が滲み出る溜り場に、諦め半分に溜め息すらも出ない。
「あれ、やっぱ先生と知佳は知り合いなの?」
「私、加々見温子と鈴木知佳は皆さんと鑑石の謎を解きに行く事ばなりました。音波計と赤外線カメラと登山ロープと安全帯、後は……」
何の話をしているのか、アルゴの面々もキョトンとした顔で聞いている。
当然だ。社の人間でもない大学の講師が突然仕切り出し、挙げ句に刊行誌の取材ネタを決めて現地へ繰り出そうと言っているのだから。
「え、えと……」
「田中さんでしたね、そうだ! 洞窟探検になるのでその手の服も揃えて下さい」
「はい。え、いや、ウチにそんな予算は……」
やる気のないアルゴの面々には加々見温子の小気味良い仕切りが丁度いいようにも思えて来る。
けれど何か確証めいた話の流れにも聞こえるのが気にはなる。
「可怪しいな。知佳さんをアルゴに受け入れる代わりに随分と大きな予算ば取ったち聞ぎましたけど?」
「は?」
シレッとトンデモナイ話を出して来たが、そんな人事異動が許されて良い筈がない。
とはいえ加々見温子は自信あり気に含み笑いを浮かべ、見つめられている田中の苦い顔からして……
「まさか、本当に?」
「さっきのお前との会話を聴かれててな、お前と入れ替わりに上役が来たんだよ……」
今の今で出された辞令の速さに上役が直接絡んでいる話、加々見温子が何故に先んじてそれを知る立ち場にあるのかを考えれば、中谷さんの入れ知恵以外には無いだろう事は解る。
けれど近付くなと言ったのは中谷さんなのに、態々現地へ調査しに行かせる動機が解らない。
ましてやオカルト雑誌アルゴの面子としての調査で、言語地理学講師の加々見温子と行く理由など……
「それじゃ、年明け6日に現地集合で。隣の槍水町に在る私の知り合いの家を宿にすんげば安く済むけど、どがする?」
達郎先輩の失踪にも関わるなら早い方が良い筈だが、冬休み期間中は宿も移動も混み合う事から、年末年始となれば尚更に動きがとれないものと理解する。
「お願いします」
達郎先輩から何処まで聞いているのか、仮に全てを聞いて達郎先輩が及川結希の失踪事件に絡む容疑者の一人でもある所までを理解しているのなら、達郎先輩と連絡を取っていた理由もそこにあるようにしか思えない。
そして何故に私に近付いて来たのかにも、私が何かを知る処に居るという事だ。詰まる話が私自身も謎を解く為には、この加々見温子に確認する必要がある。
どの道、上からの指示に異動が成されたからには、アルゴだからこそ出来る何かがあるのだろうと考え、思惑に中谷さんの影がチラつく加々見温子に従う事にした。
ともなれば、行き着く答えにあの鑑見様が関わるのなら対処する必要がある。
「あの、キューバの米国大使館で起きた音響攻撃みたいなのに対応可能な装置とかって、何かあります?」
「はあ?」
間抜けな顔を私に向けるアルゴの面々にも、加々見温子は何かに気付いたようで。
「在るならそれも人数分用意して!」
「え、ええ?」
まさかキューバの米国大使館で起きた事件に絡む何かを、自分達が解明するのかと、焦る顔を笑う余裕が自分に生まれたのは加々見温子という存在が故なのだろう。
「あの、私と歳一緒みたいだから知佳ちゃんって呼んでもいい? 私の事はアッコでいいから」
「はい、その方が私も慣れてるんで」