「創穴鑑見構」
「お疲れ様です」
あれから数週間、終わりの見えない仕事に凡その切りをつけ、資料室へ向かうも何から調べれば良いのかも判らず、とりあえずに鑑石市が書かれた刊行物を幾つか漁るが温泉街の観光名所案内ばかり。
出版社にある報道資料から祐二先輩の起こした事故に似た案件を探そうか、もしくは鑑石市内の失踪事件を洗うか等と考えるも、そもそも鑑石市の事は合宿の温泉地としか知らず、警察署の場所や地形その他もまるで分からない。
あの封筒に押された判のマークの見覚えに鑑石市に関わるような気がするも、感覚的なものでしかない。
▲▲並ぶ山の形から連想しただけの可能性に自分を疑いつつ、先ずは外堀を埋めようと温泉地となった鑑石市の成り立ちが書かれた書籍や地図やを持って、資料室管理者に報道記事で鑑石市を検索にかけてもらい古い物から読み漁る。
温泉地と知られるようになって久しい鑑石市だが、元々は第一次大戦の疲れを癒す静養地としての役割に、双見湖へ訪れ湖畔で泳ぎボートに揺られ釣りや読書に星降る夜宙を楽しむ自然に抱かれる別荘地だった。
戦後にホテルや企業の保養所も建てられ、別荘地といえる静けさを保ちつつ道路や遊戯施設等が整備され、駅からは遠くもバスが走れる道路に湖畔を歩いて周れる自然散策道やテニスコートやスケート場や温泉宿やに商店街が立ち並ぶ。
バブル期に入り少し離れた山の方にスキー場が出来ると、バスで行く道すがらの中継地ともなり、温泉や商店街に寄る者が増え出した。
別荘に住む人達の多くは槍水町の商店街で食料等を買っていた事から、名物とされるパンやデザートが生まれ今も尚人気となっている。
しかしバブル崩壊後の平成に入ると政治屋の後ろ盾に、己の利を求めるだけの開発業者の手が一気に押し寄せ、湖畔の浜近くまでを護岸整備に大きな道路を敷き詰め、周囲の自然は淘汰され、見知らぬ業者が土地を買い漁ると彼方此方でボーリング。
何処かで湯が出ればアッチもコッチもと掘り進め、気付けば鑑石村は温泉街となっていた。
詰まる話に源泉を管理するような掘り方ではない事から、いつ温泉が枯渇しても可笑しくない状態で、10年も経たず湯の止まる宿が多く出た。
止まれば温泉宿とし存続する為にと、市の税金を使って共同の源泉を掘り、そこから分けてもらう等して給湯管を繋ぎ割合額も何処ぞの団体の繋がりに不平等な維持費を支払い温泉の文字を維持する訳だが。
その共同源泉が市の管理である事に、そこが枯渇すれば何れは市の責任を追求するのだろう。
割りを食わされているのは元から在る温泉宿や別荘や保養所や地元民だ。
何も無かった鑑石村の方が平たく開発に適していたのもあって市になる程に人口が爆発的に増え、元は栄えていた槍水町は山間の村だった加々見村やスキー場の方まで範囲を広げて合併する事となったが町のまま。
成長過程の蓋を開ければ、国の補助金も与党政党に擦り寄る鑑石村ばかりで、湖畔を分ける二つの村に分断化が進むと政治屋の思惑通りに田舎らしくも差別意識に蔑み罵りと村八分の如き思想が蔓延し、土地開発を巡る地上げが横行。
買収に応じなかった槍水村は鑑石村の開発の割りを食う形で商店街を分断する道路を敷かれ、賑わいのあった商店街は廃れ人気のある店が残るのみだが、道路計画はその人気店の上を走らせた事で移転しての営業に嘗ての姿はない。
それ故に槍水町の者は鑑石市の愚行に冷たい目を向けていたが、湯止まり宿に絡む団体からの要請で鑑石市が源泉調査を行なった所、予想されていた通りに槍水町の方から流れる地下水脈に関係する事が判明。
詰まる話が槍水町で温泉宿を増やし源泉を使えば鑑石市の温泉は出なくなる、その結果に震える最中に槍水町から出された双穴水鏡山に峠道を敷く計画に、一時は政治に目論む怪しい動きを見せたが、とある事件に声を潜め峠道は完成した。
「おい知佳、営業部がこんな所で何やってんだ? また変な事に首突っ込んで泣く事になっても愚痴には付き合わんからな!」
「あ、その節は。いえ、変な事……ではあるか」
刑事事件関係に精通する40代中堅のスッポンと呼ばれる編集者の中谷さんが言っているのは、以前編集部に居た頃に車関係の事で上にあげるも隠に葬られた件で不貞腐れ、飲んで愚痴に付き合ってもらった後に吐き捲り、家に泊めてもらって奥様にもお世話になった経緯から。
「そうだ、刑事事件でこのマーク見た事ありませんか?」
携帯で撮った封筒に押された判のマークの画面を向けると、覗き込む中谷さんの顔には思い当たる何かがあるのか口に親指を当てて考え込む。
「これ、何処かで……」
同じく見た覚えに記憶を探る様子から、この会社で取り扱った何かである事は確実だ。
ただそれが何かが判らず読んでいた鑑石市の資料を手持ち無沙汰に整理する中、中谷さんがそれに目をやり何かに気付く。
「それだ。鑑石市、確かそこにある教団のマークだ!」
そう言うと机に出ている資料を確認するが、そこには無いのか別の資料を探しに奥へと向かう。
「あったぞ! おい知佳こっち手貸せ!」
資料室奥の部屋は編集者と校正の人達以外は入る事はあまり無く、一応にIDの提示が求められるが、中谷さんの呼びかけに無言の了承を得た。
鉄棚にジャンルと年代で区分された引き出しを開けると、ファイリングされるも大量に詰め込まれていて、取材メモをまとめた解説文ごと綴じた資料ファイルだと判る。
机に運ぶをせずその場で見ては一応に手に取る資料を幾つも渡され、先輩が読んでは戻せと渡され、残すと戻すを判別する。
「これだこれ! 5年前の火山ガスか否かに、吹き溜まった二酸化炭素で20人程が亡くなる事故があったあの施設の教団マークだ」
「ああ、新人だからって荷物と食事の運搬係にさせられたアレ!?」
入社した年の秋頃に起きた事故で、火山ガスなら噴火の予兆だの何だのと世間を騒がせたが硫黄類は検出されず、調べた結果に道路建設に建てた防音壁が高速道路や市街地の排ガスの流れを塞いでしまい、教団施設の土地であった事から偶々そこに信者が居た事で、吹き溜まった二酸化炭素を吸い込み次々と倒れて亡くなった。
件では仕事の一貫で泊まるでもなく社と現場の車中泊組との繋ぎ役の往復に、鑑石市に行っていたという認識はまるで無かった。
「あれ、この施設の場所って……」
事故のあった教団施設のマークと判明するも先の資料にあった一部が気になり、出した資料と中谷さんを残して机に戻り鑑石市の報道記事を読み返す。
例の峠道の計画に断固反対の姿勢を見せていた者が居り、その者が言うには、鑑石市に伝わる村の名前ともなった鑑石が峠道の建設予定地に見付かったというもの。
既に展望台駐車場や登山道までを含む道路計画は議会で決定されていたが、それでもと市の役人と市議会議員に詰め寄り確認させた。
だが調査も政治屋の利に働き、大きな岩の脇に隙間があるだけと判断され道路計画を進めようとする中、今度は市の契約より先んじて山の地権者からその土地を買い取り抗い、宗教法人施設を建てる事で道路を800㍍もずらす事態となったとある。
その宗教法人団体こそが20人程が亡くなった事故の教団施設であり、鑑石を発見したと言って道路計画に抗った石神宇曽を教祖とする宗教法人団体【▲▲創穴鑑見構】であった。
元々石神の家は鑑石村にあった寺の家系だが、山に在った寺は大雪で潰れたままで平成の宅地開発時に子供が入ると危険だからと取り壊され、宗教法人の証も危ぶまれていた中で、その名を改める事で寺の宗教法人団体の証を流用した新興宗教団体だ。
それ故に申請手順を踏む事なく起ち上げ、急ぐ資金にかなり強引な勧誘による調達見込み資金で先物買い感覚に土地買収と、宗教法人を盾に証拠の掴めぬ資金の流れで勝ち取り建てたのがあの施設。
思惑有りきに集めた教団幹部は己の欲を満たそうと動くばかりで、信者を増やして奪い膨れる腹では飽き足らず、信者の統制にと称し他人の金や命まで奪わせる等の問題を起こしている。
「知佳、先に帰るけど、その教団はかなりヤバいぞ。悪いことは言わねえ、手出すな! この資料読んで諦めろ。じゃ、お疲れ!」
「お疲れ様です。ありがとうございました!」
肩に手をやり渡された【暴対法の陰】と題す資料を読むと、暴力団排除条例に則して組からハグレた三下奴が宗教法人に誘われ教団へと入り込み、暴力で上へのし上がると宗教法人を盾に問題を起こす者が増え出した。
けれど教団関係者は警察幹部や政治にまで入り込み、暴対法によって黒い噂の絶えない組織体制を強める結果になっている事からも、最初から仕組まれた法案ではないのかとの問いに締め書かれたこの取材メモには、政治家や警察幹部の名前も書かれており、見ればそれが如何に国の中枢にまで入り込んでいるかが良く解る。
この資料の作成者は見るまでもなく中谷さんだ。資料としては書き残せるも、記事としては世に出せない危険事物扱いのそれを見せられ、諦めろと言われた意味を嚙みしめる。
とはいえ教祖に石神の姓を見て無反応では居られない。教祖の親族の中に公美さんが居るのではないかと疑いを持つのは当然の事、粗方読んで片付け社を後に、直ぐに達郎先輩へ電話していた。
「あ、先輩、公美さんの実家って……」
知らぬの応えは予想通りだったが、先輩の今居る場所に思わぬ形で中谷さんの忠告虚しく首を突っ込む事となる。
警察からの連絡に、公美さんが住んでいた家の住所を訊かれるも達郎先輩も判らず、後になってあの飲み会で公美さんが付き合っていると話していた相手の事を思い出したらしく。
大手企業に勤める課長を飲み屋で拾っただのと言っていたからと、繁華街の裏通りに在る話に出ていた飲み屋で公美さんの写真を見せ訊ねてみると、店員が覚えていて相手の事も知る事が出来たが、それは私達の知るそれでは無かった。
元々常連だった相手の男性に、見た目ではなく女を武器に傍目に引く程の色仕掛けで迫ると店の中で行為をし始め、周りの客からの苦情に追い出すも直ぐにホテルの方へ向かったという。
達郎先輩が教えてもらった名前を頼りに会社へ電話すると、同級生であると公美の名前を出した途端に慌てた様子で折り返すと言われ、後日家に来てくれと頼まれ今向かっているという。
「何でそうなるんですか?」
『それが良く分かんないんだけど公美の荷物がどうのこうの言われて、警察に連絡するように言ったら、それは困るからって……』
警察に連絡されれば大手企業の出世争いに支障が出兼ねないと判断したのだろう事は容易に想像がつくものの、背負い込む質なのは今も変わらずで何だか安心する。
とはいえ警察よりも彼女の同級生という他人を迎え入れる事を不安に感じないものかに、凡そそれ処ではない事情が垣間見える。
「先輩、それ私も行くから住所教えて」
住所は会社から電車を乗り継ぎ行くも然程の距離はなく、流石は大手企業の給料を判らせる。
駅前の珈琲チェーンで待ち合わせるも、達郎先輩に電話して向かいのケーキ屋で腹を満たす。
駅からの徒歩も程々に、迷う事無く辿り着く高層マンションのロビーで部屋番号を打つと、カメラに映る私の姿に驚きもせず、どうぞの一言に扉が開く。
オートロックマンションのセキュリティなのか部外者が入るのに幾つものカメラの前を通る事になり、エレベーターで29階に降りると一つ一つの部屋の間取りを判らせる程の間隔の広さに角部屋のドアホンを押す。
「どうぞ、態々こんな所まで来てもらってすみません。いや、僕も出来れば警察に連絡して荷物を引き取ってもらいたいんですけど、先に来られた加々見さんの話だと荷物の全部を持って行く訳ではなく関係ありそうな物だけ引っこ抜いて、その際には僕も調書を取られて現状維持を求められるんじゃないかって聞いたものですから……」
カガミと言う名が達郎先輩の話に出て来た人かは判らずも、達郎先輩が納得するかに肯くので多分それだろうと聞き流し、警察が物証探しに入れば泥棒が物色しに入るのと変わらぬ有り様になる可能性は否めないな。と、中へ入り靴を脱ぐ。
言うだけあって家の中は片付いているというか生活感があまり無く、整然とした広い空間に仕事の忙しさにも呆けず掃除も片付けもしている事を判らせる。
廊下の先に見えた茶菓子の置かれたテーブルを挟むソファへと通されるが、先輩と私は今食べて来たのでとやんわり断り雑談よりも本題にと、荷を置き公美さんが使っていた部屋へと案内してもらう。
廊下にある5つの扉に部屋は幾つかと考える中、男が止まる玄関から2番目の扉の前で、反対側の扉を指し言う。
「あの、トイレはココにあるので、吐きそうになったらコチラでお願いしますね」
男の妙な前置きに先輩と目を合わせ首を傾げて肯くと、男からビニール袋を足に被せるようにと渡された。
確実に汚れる程の何かがある事を理解し、覚悟を決めるように「では」の一言に扉を開けた。
「ぅ……」
思わず漏れた私の声に、男は申し訳無さそうに肯き理解を示す。
吐き気に口を塞いで中へと入るが踏み場所も無い程に物が散乱している様は、先の廊下までの整然とした空間との差に唖然とする。
「これ何の匂い?」
学生時代にも汚部屋の主は居たが、生活臭とは違う田舎の何処かで嗅ぐような腐敗臭が鼻を突く……
「堆肥のような物みたいで、ある程度はポリ袋に入れて車で捨てに行ったんですけど、匂いが残ってしまって……」
「堆肥? 何で部屋にそんなものを」
「いや、それが……」
達郎先輩の問いに男も困惑顔を見せつつ口にした。
公美さんは何かの研究機関に属しているとかで、その研究で必要な微生物を探す為に土を作っているとの事だったが、夏場に臭いがキツくなり他でやれと追い出すも、妙な後ろ盾に脅されやむを得ずに置いていたが、ここ数週間程家に帰った様子も無い事からようやく捨てられたのが一昨日の夜……
「加々見さんが言うには、何処だったかの山の生態系に近い環境を創り出そうとしている可能性が高いって話で、捨てても問題ないと言われたもので……」
話から推測するに、この一見何の研究かも解らないゴミの山に、カガミさんとやらは答えを見付けた事になる。
目の前に落ちている紙に書かれた英語かどうかも微妙なアルファベットや数字や記号が並んだ物すら何の事だかも解らない。
聞く所に、抱き込んだ男の家に転がり込み、相手の部屋を研究室代わりに何の抵抗もなくこうも汚して居られる心情は、私には理解出来ない行動規範に則して動いているようにも思える。
そう考えれば妙な後ろ盾に思い当たるは一つ、幾つかの紙や封書やをひっくり返すと……
「やっぱり、このマーク!」
「え、あ! ここにもある……て、どういう事?」
先輩にはまだ伝えていないが、予想通り例の教団との繋がりが出た。男が伏せた後ろ盾とは創穴鑑見構で間違いない。
「それ、お二人は知ってるんですか?」
男はいぶかし気にコチラを覗く、恐らく教団に関わる者か否かに窺っているのだろう。関係者なら自分が消され兼ねない相手と知るからこそに。
詰まる話が男は教団を知っていると言ったに等しく、私達が本当に関係者だったなら消されるコースの発言だ。知らぬは首を横に振る達郎先輩のみ。
「彼女から何処まで聞いてます?」
「聞いたと言うか……」
付き合い出した頃には、土壌に住む菌や微生物を採取し研究する何処かの研究所に勤めているかに話していたが、転がり込んでから家を出るのは外で何かを採取して持ち帰る程度で、その辺りから怪しく思っていた。
別れ話を持ち出すと直ぐに部屋へと逃げ隠れ、中から鍵を掛けられてしまい、家を出ている隙に追い出そうと画策するも何故かその時ばかりは直ぐに帰って来る。
夏場にあまりの悪臭で隣や上下階から苦情を言われ、我慢の限界に「出て行け!」と正面切って言った折。
「私と別れたら、貴男は裏切り者として教団に追われる事になるけど、それでもいいの?」
意味が解らず知るかと一蹴するも、口論にもならず部屋へと逃げられた数分後、知らない男達がドアホンを鳴らして来たと途端に部屋の鍵が開く。
「どうする?」
問われ言わんとする事を理解し諦め肯くと、玄関の外に向かって声を上げた。
「了解取れたから帰っていいよ」
ウィーッス! の一声に去る足音を聞き、公美さんは鼻で笑い高圧的な態度で部屋へと戻った。
一時は漫画喫茶で過ごし、会社帰りにネットで教団の事を調べてみるも伏される話ばかりで、掲示板ですら隠に伏しても発言者が声を潰された足跡ばかり、警察も手を出さないとか手先だとかで相談する事も出来ず。
弁護士に訊くも会社に迷惑のかからないような解決策は無く、マンションを売りに出そうにも権利書を奪われ、仕方なく戻り我慢の生活をしていた最中の今だった。
詰まる処が、ネットの情報と押し寄せて来た男達の事しか知らないという話になる。
当事者よりも私の方が知れていた事に優越感に浸るでもなく、むしろ教団の危険を理解していないからこそに達郎先輩を呼び込み、私も渦中に放り込まれた可能性に、今も何処かから覗かれているようで悪寒が走る。
一つの救いに、カガミという恐らく先輩達を助けてくれたという人もここに来ている事……
いや、何で助けてくれた人がそこまでする必要が?
話の流れに聞き流していたけど、可怪しいでしょ。何で助けた相手の素性を警察や私達よりも先んじて来れたの? いや、何故に来たの?
「あの、カガミって?」
「え、あの、お知り合いじゃないんですか?」
男の顔に気不味さが見える。知り合いでないならどちらが間違いとして考えているのかは判らない。けれど知り合いだからこそに部屋に通された可能性が高いという事は……
「あぁぁ、いや、俺が教えたからだと思いますけど、言語地理学の講師をされてる加々見さんの事ですよね?」
「ええ、そうです。確か名刺をいただいたので、ちょっと待ってて下さいね」
男が名刺を取りに行った折に先輩から聞く、助けてくれた加々見さんはこっちの大学で講師をしていて、祐二先輩が精神を病んだ原因や、公美さんが逃げた理由が地域文化研究をしている加々見さんの知る何かに関わっている可能性が高いとの話で、事件とは別に調べてあげると言われ、気付いた事があったら教えて欲しいとの事に連絡したという。
「何なのそれ? 地域文化の何の研究?」
「いや、俺には分かんないけど、確か、シンコウがどうとか言ってた気がするけど……」
そんな曖昧な話で情報を教える馬鹿がいるのかと、呆れ顔を先輩に向けていると名刺を持って男が戻って来た。
「これですね」
大学名や言語地理学の科名や講師の文字よりも、その名前を見て目を疑った。
「え、これ……」
会社で読んでいた資料の中にこの漢字を目にしていた。
【加々見温子】
書籍の内容からデスクワークのお婆さんを想像していたが、先輩が助けられた話に照らせばフットワークも軽く大学生と共にスキーへ行き、雪の峠道を運転し人助けまでするアクティブな女性。
別々の所にあった名前が同一人物と判り、一気にアレコレの印象と共に見ている景色も変わり始める。
加々見温子の書籍に見たのは双見湖を囲む鑑石市と槍水町の成り立ちと変容だったが、▲▲創穴鑑見構に関する資料では協力者として名前があった。
果たして何の部分に協力して名が記されたのかは、資料作成者に訊く他にない。もしくは、本人に……
いや、そもそも加々見温子はここで何を確認して何を見付けたのか。よく分からない研究資料と土の残り香と……
土、土を何処かの山の生態系に近付け……
何で凡その場所まで判るの?
研究の内容を知っているから?
違う、住んでいたんだ!
加々見温子も公美さんも地元の人間で同郷だとすれば、二人の接点は判らないけど、仮に公美さんが石神宇曽の娘だとすれば、地方の田舎暮らしに存在を知られていても可笑しくはない。
「ちょっと待って」
部屋を出てソファに置いた鞄から何となしにまとめたメモを取り出し読み返しつつ、部屋の前まで来てそれを見付けた。
「すみません、土に関して加々見さんが言っていた山の名前って、双穴水鏡山ではありませんか?」
考える男と奥でぽかんとした顔をする先輩。
「フタロク、そう、それです双穴水鏡山」
「やっぱり……」
研究の内容は私達には解ける筈もない。この部屋で私に紐解けるとすれば、公美さんと石神宇曽の関係と、貴子との関係位か。
恐らく加々見温子が来ても、この男が土を捨てても、教団の男達に絡まれるでもなく居られる理由を考えるに、既に研究の何かが完成した以外にない。
ここに在るのはその残骸だ。
先輩達とスキーに行く段階で既に他の何処かの教団施設へと運ばれた。もしくは教団の他の誰かが研究を成功させて要らなくなったかのいずれか。
「何で山の名前が判ったのか俺にも説明してくれよ」
幾つかの紙や封筒を拾いながら教祖や貴子とのやり取りした物がないかと見ていた私は、問いかける達郎先輩を見上げる。
「ちょ、知佳ちゃん?」
けれど、その背後にある部屋の隅の棚に黒い遮光カーテンのような布が掛けられた四角い何かが並んでいるのに気付き、先輩を通り越して棚の前に立つと妙な音が聴こえる。
――KUTYANUTYANYUTYU――
牛乳を含んでフヤケたコーンフレークをかき回した時の妙な、粘着質な感触を伴う何かが這うような不快な音。
中に何かが居る事は確実と思えるが、気味の悪さに怯える自分を鼓舞したく、布を一気に掴み取った。
――BASSA――
「ぇゔっ!」
ナメクジ・ミミズ・山蛭等が溢れんばかりに詰め込まれたアクリルケースに、見開いた目はケースから外す事も出来ず、身体中の筋肉に力が入り硬直し震えて声も出ない。
「何だよそれ!」
「嘘だろ、あいつ……」
目が追うケースの底には、入れられた土の一部に薄っすらと何かの菌床が白く根を張る箇所もある。
「何だよそれ!」
私よりも男の方が何倍も驚いた事だろう。何せ自分の家の中でこんな物が飼われていた事をすら知らずに生活していたのだから。
そう思うと申し訳無さに少し筋肉の緊張が解れ、今度は顔までを背筋からの震えが一気に襲う。
「おい、待ってくれよ。ひょっとしてその棚にあるのって、全部……」
先輩の嘆きにも似た情けない声が皆の心を怯えに沈ませる。
掴んだ布を放り捨て、先輩達の弱気を振り払うように次々と棚のケースの布を掴み取って行く。
「ぅぅゔ」
「何なんだこれは……」
別のケースには百足・ダンゴムシ・ヤモリ・蛙・蛇にゴキブリまでもがケース目一杯に大量に飼育されていた。
恐らく虫類は放置されるも餌が置かれていたかでケースの中で繁殖率は変わらず目一杯になるまで増えたのだろう。
研究用の飼育ケースが幸いして今の処は溢れ出る事も無さそうだけど、これ以上増殖すれば互いの体で潰し合い、ケースの中で絶命するだろうけど、それまでケースの蓋が保つか否か。
これ等を飼育する理由は何かに、双穴水鏡山に似せた土を創り出そうとするのにその地の生態系が幾らかは必要なのかもしれない。
けれど、そもそも何の為に土を……
そうか!
「餌……」
思わず漏れた私の声を聞き、男は何かを思い出して呟いた。
「鑑見様のか?」
達郎先輩と目が合った。
まさかの名前に予想とは違う方の答えが聞ける可能性が出て来た。
「カンガミサマが何か知っているんですか?」
達郎先輩は得たチャンスを逃すまいとする気概に、男の肩を掴んで離さずに訊き込む。
「あの、いえ、僕も詳しくは知らないんですが……」
公美さんが誰かと電話で話しているのを耳にした中にそれがあり、カンガミサマを連れ出す装置が完成すれば世の中の異分子を排除出来ると息巻き、最後に笑うのは自分達だと高笑いしていたと言い。
男はいつだったかに見付けた資料のような物がある筈と、公美さんの使っていたデスク手前のゴミを漁り始めた。
「あった! これ、この【鑑見様持ち出し条件】てのに色々と……」
「何なのこれ、生き物?」
「でも呪いを放つって……」
元は何頁あるのか資料と思しき破かれ上半分程の紙に書かれた内容からして鑑見様が地下水脈の流れ出る所に住まう生き物であり、園児程の大きさを有し何かを放出すると判っただけでも……
いや、前方に放出する呪いというのが仮に有るのだとして、使われた相手はどうなるのかに、引っかかる何かが思考までもをざわつかせる。
そもそも達郎先輩の話は曖昧な部分が多過ぎるからかもしれない。
絡まる糸を解す必要に、時間軸に考えれば、仮にあの事故で怪我した女性も創穴鑑見構に関わっていたのなら消された可能性すらある。
祐二先輩が撥ねたのは偶然で、掲示板にあるように警察も手先だとするなら……
そうか!
通報者でもある目撃者の三十代後半程の女も教団関係者で、後続車両の運転手と考えれば……
「先輩、例の動画ファイル観せて下さい!」