「水鏡峠」
暮れは田舎へ帰る予定だったが、何故か業者下がりで安く買ったというワンボックスカーに乗せられて、改造したのか低音の振動ばかりで流行っているかも知れぬ音楽が尻の下から鳴リ響く後部座席で、俺は缶ビールを片手に見知らぬ女に浮かれはしゃぐ仲間を冷めた目で眺めていた。
話は今から五時間前……
「大学二年、十代最後の冬だぞ! 独りで田舎に帰ろうとしてんじゃねえよ! 思い出の一つぐらい作ろうぜ!」
彼女もいない奴の代名詞を堂々と、夜も九時を過ぎた辺りに理想だけは高い西島貴章が俺の家にやって来て、扉を開けた途端に肩に腕を回して行こうぜ! と、缶ビールを賄賂に拉致された。
ナンパ経験もない野郎四人でドライブするだけでも、気持ちにすら行き場がないが、行き先も決まらず適当にただただ冬タイヤを履かせた車を無駄に走らせる。
街にでも行くのかと思えば何故か山。
この時期、男を求めて山に来る女が居る筈だとか……
くだらない話の中からナビ役の真中が以前リサーチしたという温泉宿近くのスキー場を曇る眼鏡を拭きつつ地図に探し、急遽向かう事となった。
勿論俺はスキーやスノボの類は服も道具も何も無いが、着の身着のまま向こうで全てをレンタルすれば済むからと、後部座席の隅で重低音と高速道路の揺れにも負けず眠る事に、深夜も何時か湖の名が付くICを降りる遠心力に目が覚めた。
マッチョとはかけ離れた脂肪の塊でしかない岩田が、国道らしき通りに24h営業の店を見付け駐めさせ、朝食代わりにジャンクフードの店へと入る。
あの女はそこに居た。
店内でスキー場への道を探りつつ独り身女が本当に多く居るのかと皆で真中を問い正し、寝起きの深夜とは思えぬ程に騒いだ後、岩田を店に残し、車にチェーンを装着しようと三人で奮闘していた折、唐突に女が声をかけて来た。
歳は少し上程か、冬の寒さを何ともせずに、何処か水臭いタイトなパンツとTシャツに白い腰丈ダウンを着てるだけの格好で、深夜に出歩くには襲ってくれと言わんばかりなのだが、その肩にはサンドバッグみたいなバッグを担いでいる事に違和感を覚えた俺とは対象的に、女の格好そのままに期待を寄せた西島は急ぎニヤけた顔で呼応する。
「乗ってく?」
ここぞとばかりに調子に乗って野郎の下心全開な台詞を吐き出すも、女はそれに応えるように笑顏を見せた。
「良かった。今から山向こうの病院に行きたいんだけど、いい?」
「いいよいいよ! 乗って乗って!」
「ありがと。じゃぁ……」
「真中、お前後ろな!」
助手席に女を乗せようとする西島のニヤけた目が、俺等に何を言いたいのかも解らせるが、女は序列意識を植え付けるよう姉の如くに優しく諭す。
「それ、裏通さないと外れるよ」
チェーンの着け方を注意され、男の威厳を削がれ情けなくも見えるそれこそが軟派な男らしいとも思えるが、雪国育ちが故の慣れと捉えて頭を下げると。
「あざ~す! 美人なお姉さんには雪が似合う!」
等と、持ち上げてるのかも微妙な返しで浮かれる西島が痛々しい。
チェーンを装着し終え女を待たせ手を洗いに店へ戻るも、岩田には何も言わず金を渡して支払いを任せ、皆は先に車へ乗り込みその時を待つ。
戻って来た岩田が助手席の女に気付き驚くも、予想通りに目を輝かせ、何かの成功と捉えて乗り込むと、席に着くまでもなく興奮を覗かせる。
「何々々々々、何? 何が起きたの?」
巨体を揺らし訊き迫るが、無論誰も応えず笑うだけの意地悪に、女も理解したのか「どうも」とだけ顔を見せ、西島と行き先の相談に前を向く、岩田が俺等に執こく訊くせいで女の声は殆んど聴こえず。
「水鏡峠から行った方が近いけど」
かろうじて聴こえたそれが何処か知れずも、峠を越える事だけは理解した。
真中より地元女の方が道は詳しいだろうと任せ、行く道を理解したのか女の頼みに西島の馬並みの思考が車にも伝染ったようでスグに車を走らせ、白銀に染まる山を前にし来た道を戻るように駐車場から右へと出る。
「え、一対四?」
下世話が漏れる岩田の呟き。
西島にも聴こえたのか、女に聞かせまいと音楽のボリュームを上げたせいで、前の会話は後ろの俺等には聞こえなくなった。
峠道に入ったのか登坂がキツくエンジン音が唸り出し、音楽の重低音と相まり後ろの声も大きくなる中、前では何を話しているのか、西島が会話で女を笑わせるなど学校ですら見た事が無い。
けれど女は助手席で笑う横顏を見せていた。
除け者状態になった後部座席の面々は、とりあえずに車内ランプを点け缶ビールを開け岩田の駄菓子を貪りエンジン音にも馴れてきた頃、突然女が叫んだ!
「止めてっ!」
女の声にも暖房をガンガンに鼻息荒く騒いではアルコールを含む呼気もあり、曇る窓の外は真っ暗で何も見えず、ヘッドライトに照らされる前を見ると雪も深まり峠の中腹辺りに来ているのが何となく判った。
そのヘッドライトに照らされる女が二人……
雪の峠道を手を振り近付いて来る二人の女は荷を一つ抱えるだけのスノボウェアにスニーカーと、車で来た客なのだろう事だけを物語る。
けれど顔を突き出し前を覗けばヘッドライトの先に小さく見える青看板、スキー場の町まで32㎞とある。
二人の女がどうして32㎞も離れた雪の峠道にポツンと居るのかなんて、凡そ軟派気取りに調べた真中の情報から推測するに、軟派野郎と反りが合わず物別れに車から降ろされたのだろう事位は容易に想像出来る。
乗せる方も乗る方も分かり易くろくでもねえ。
軟派で山についてく馬鹿女もそうだが、こんな真っ暗闇の雪の山中に女二人を車から降ろす野郎もどうかしている。
冬の雪山で凍死し兼ねず、夏とて熊や猪やの獣に襲われる危険もあるが、それ以前に獣に身を委ねた結果だろうが、雪道を迷走する不慣れな車に撥ね飛ばされる可能性もあるだろうに。
当然のように二人の女の安全確保を受け入れる西島だが、後ろの俺等に向ける笑み……
蛇の道は蛇。
西島もまた、そんな軟派野郎の模倣犯にも見えて来る。
助けを求める相手を違えた女は凍死や車に撥ねられる事は回避したのだろうが、獣に襲われる可能性を僅かに残した。
救われたのは命だけ。
その身を捧げる事になるのだろうか。
態々車外に出てまで女を出迎え、寒かろうとばかりに後ろと真ん中の奥の席を譲る、お人好しで意気地無しの面々に、それを出来る野郎が居るかを問えば、下を向くだろう事も判っている。
ただそれは女からすれば分散させられ男の相手をしろとでも? 等と捉えられ兼ねない席の配置だが、真中と岩田にそんな頭は無い事をどう伝えれば良いのかに、二人を傷付けずにフォローする術が浮かばない。
俺はこの女共に〈感謝しろよ!〉と、虚しさに強がり念を送っていた。
「これ、山向こうの病院に行くけど、いい?」
車を止めた際に下げた音量のお陰で聴こえた女の話し声。
山向こう……
行先が本当に病院なのかと、今知った。
隣に座った女から放たれる妙に湿っぽい笹か何かと香水が汗に擦れて血にも似て混じる女の匂いが、暖房の風に乗り真中と岩田を興奮させる。
暗闇の雪の山道を歩き疲れて青白く憔悴しきった女の顔に、笑みを戻そうと必死に語りかける優しさなのだろうが、傍から見てもキモい眼鏡とデブが前のめりに女の何かを舐めようとしている様にしか思えない。
走り出すと音量が少しだけ上がった車内で、見知らぬ女に浮かれはしゃぐ友人の姿を、俺は飲みかけの缶ビールを片手に冷めた目で眺めていた。
ふと山向こうの病院が気になった。
先の店で少し見た地図の記憶に、山の向こうは違う町、山間に病院のマークを見付けこんな所に? と名前を何となくに見ていたが曖昧な記憶で、それが精神病院だった気がしてならず。
考えてみると、それでなくとも閉塞感のある山間の町に閉鎖的な精神病院が在るのだとすれば気味が悪くも思え、その気味の悪さを助手席の女にと向けていた。
同時に、西島が素直に病院に向け走っている事実に気付き、凡そ後部座席の俺等と同じく女を襲える度胸も無く、送り狼にもなれずに女を送るだけのただの足と化している事に、運転席で冗舌に語っているつもりの優男に虚しさの目を向ける他になかった。
直線は長くも起伏が激しい為か、時に下りの感覚にも登っている事を理解させるようにエンジン音は唸りを上げる。
峠の峰が低いのかあっさりと頂上に着き、真新しく無駄に広い駐車場に展望台があり、車を駐めたが日中も開いているのか土産物屋は電気を落とし出口の緑が光るのみ。
深夜とはいえスキーシーズンの今ですら車の通りも少なくここに駐める車も見当たらず、自販機とトイレが並ぶだけの閑散とした姿に、大規模工事で最近敷いたと判る真新しい峠道が、公共工事に物を言わせた税金の使い道と知れる開通祝いの大きな記念碑、まだ二年もあるのに卒業後の社会人生活が虚しくも思えて来る。
「なあ、展望台登ってみようぜ!」
と、西島は声を掛けたが、乗せて貰った恩義もないままに女の勝手は暗闇の雪山に降ろされた理由を解らせる。
皆が如実に乗り気でない態度を示すと、先に乗った女は地元訛りにフォローした。
「こご本当の頂上でねえから展望台から見えるげさっきの町の明かりだけだげね、其処に登山道あるげ登れば湖の方まで見えるげど、湖ば少し下ればも一つ展望駐車場在るげ、そっちのが人気だげど行ぐ?」
訛りに少し田舎を感じるも、何か燻る物言いに凡そ地元にとっての不利益があったのだろう事を匂わせる。
「ええぇ、面倒臭せえよ。それより上、凄え星観えるんだけど」
優男故に、雪山で車を降ろされた事へのトラウマからか、悲壮感漂う女を気遣う真中は女よりもロマンチストに星を語るが、顔を上げる事なく目だけを上にシラケた顔で付き合う二人の女に俺はムカつきすら覚えて来る。
西島は空気を読んだか、諦めトイレを済ませ飲み物を買うと病院へと向け車を走らせた。
最初に乗った女は少し恩義を感じたか音楽の音量を下げ、助手席から振り返り自分の名前を口にする。
「私、加々見温子ココの生まれだげど、二人は何処から来たの?」
ようやく名乗った女の名前は俺等にではなく乗り込んで来た二人に向けられた。
凡そ女同士に気を許したか、優男の問いには頷くばかりで声も出さなかった女二人が、先に乗った女からの問いには口を開いた。
「あぁぁ私達、旅行で来たんです。バス停で待ってたら観光案内してくれるって言われて乗ったんですけど、降ろされちゃって……」
「ふぅん、私アッコでいいよ。二人は何て呼べばいい?」
それ以上はまた黙りそうな萎む声に、アッコが名を問う。
「私はマミ、こっちはエミ」
「マミとエミ、見た目の割にアニメみたいな名前だね」
仕切りだすアッコの台詞に、女二人の顔がムッとする。
それがわざとだと解った瞬間、このアッコという女の知性を理解出来た。
女の勘がそうさせたのか、勘繰りに怒らせ悲壮感に隠していた裏の素顔を俺等に晒させた。
真中と岩田はそれに気付かず、アッコに対して嫌疑を持ったのだろう事を示すように、マミとエミを庇おうと口を挟む。
「アニメの名前、可愛いじゃん!」
「いや、むしろ俺はアニメっぽい方が好き!」
流石にまともなフォローすら出来無い二人に俺が引く。
けれど、それが自分達を庇おうとした事だとは判ったようで、味方と理解した途端に笑みを見せ、真中と岩田に甘えるように会話を始めたマミとエミ。
それを横目に顔を前へと戻したアッコは、最初からそれが狙いでマミとエミの裏の顔を見透かしていたのだろう。
女にはしゃぐ岩田達の会話を横目に座席と頭の隙間からヘッドライトに照らされる雪道を見ていたが、下りとはいえ慎重にエンジンブレーキを多用し速度を落としてヘアピンカーブを曲がる。
不意に妙な所にカーブミラーを見付けると女の声に速度を緩める。
「そご、気を付げで」
緊張感のあるアッコの声。
脇に車を寄せて止めると車を降りたアッコが道路を渡り、窓が曇り見え難いがオレンジの街灯の照らされない奥へと入って行く、トイレかとも思えたが直ぐに戻って来ると車を其処に向けさせる。
周りは暗く分からないが、普通の車は通らない事を理解させるようにヘッドライトに照らされる道は狭く雪も深い、明らかに造りの違う古い脇道に入っていた。
すると何かを察して前を覗いたマミとエミは、この道が何処かを知るかのように騒ぎ出した。
「騙しやがった! このクソビッチ!」
「ハメられた! ハメられた!! ハメられた!!! クソッ! クソッ!! クソッ!!!」
それまでの憔悴しきった顔は何処吹く風か、アッコに対して怒りを顕に罵詈雑言を吐き捲る。
豹変した女二人に真中と岩田は意味が分からずキョトンとして見る他に無く、隣でいつ暴れ出すかも知れぬエミの握り拳を、掴み諭すべきか否かと考えていた俺の思考を吹き飛ばすように、前に居たマミが立ち上がりアッコに向かって飛びかかる。
「病院つったろが! ふざけんなよこのクソビッチ!」
座席の間から身体を乗り出し、アッコの首を絞めて罵るマミに、運転していた西島が驚き焦り車を止めようとブレーキを踏む。その反動で身体を前へと持っていかれたマミがギアを倒したせいでエンストし、雪道の急制動にチェーンを装着しているとはいえ横滑りに少し斜めを向いて止まる車体。
後部座席は不測の遠心力に身体を前へ左へ右へと揺らし、怒りに震え屈んでいたエミが俺の膝に覆い被さるも、岩田の巨体が伸し掛かり潰される格好に、苦悶し悲痛な声を上げる事も出来ずに手だけを動かし脱出を試みている。
直ぐに巨体を押し退けてやろうとするが、岩田も身体を前へ右へと持っていかれた際に、前の座席の背もたれに頭をぶつけたようで気を失っている。
直ぐに身体を起こしたいが頭を揺らしてはマズそうで、ぐったりとした巨体は全体重を掛けエミを押し潰す格好で、どちらへ手を向けるかトロッコ問題のようだった。
止まるも下りに前へと進み出す車体に気付き、西島が慌ててサイドを引こうとするが頭を打ち気を失ったマミの身体が邪魔をする。
フットブレーキを踏みつつマミの身体を退けてサイドを引くと、何が起きたか見回し助手席のアッコの様子に気が付いた。
「首、血出てるけど大丈夫?」
首を絞めていたマミが前へと吹き飛ぶ際に爪で掻いたのだろうが、それよりもフロントガラスの向こうに針葉樹の枝幹が乱立していて、車体が崖に向いていると解り気が気でない。
俺と真中は奥の席で咄嗟に前の席の掴み手を握ったからか何とも無く、マミとエミが騒ぎ出した理由を模索する。
「こいつら急に何なんだよ!」
俺の声に応えたのはアッコだ。
「多分、この先行げば判ると思う」
そう言って雪道を指したが、俺には何の事だか分からず、「はあ?」と返すも西島がフォローする。
「この道に車のタイヤ痕と足跡があるのは可怪しいんだと」
可怪しいと言って車を向けた西島の応えから、面倒事を背負い込み首を突っ込んだ事だけ理解した。
とはいえ崖に車を突っ込まれては事だけに、先ずはバックで車の向きを正せと俺が後方確認をする。
チェーンを履いていても横滑りした分少し空転するタイヤに焦る西島を見て、直ぐにアッコが運転を代わると言っては後ろから周れと崖に落ちないよう注意を促しドアを開けると、気を失った岩田とマミが意識を取り戻す。
潰されたエミもぐったりとしているが、マミはブツケた頭が痛いのか大人しくはなるも何かに取り憑かれたかの如くにブツブツと呟き下を向く、女二人を捕え用心するよう真中と岩田に伝える。
交代したアッコが男勝りに熟れた運転で雪道を走り出すと、五分もしないで右の山側雪壁にぶつかり前半分に雪を被って止まるバンを見付けて車を降りた。
「電話で警察、怪我人二人居るげ救急車も要請すんげよ」
中を確認して戻って来たアッコが捨て吐き、降りようとした西島に運転席側から降りろと言って二人で事故車両へと向かった。
女二人がこの事故車両から来たのなら、降ろされたと言うより逃げて来た事になる。けれど先の様子からして、逃げるの意味が違うように思えてならない。
襲われ逃げたのではなく、怪我人を放置し殺す気満々に……
途端に女を抑えているのが優男の真中と岩田である事が危険に思え、今の捕らえ方を視認し悟られぬよう紐やロープを頭で探しつつ電話をかける。
繋がる電波に先の展望台の奥に見えた鉄塔を浮かべるも、場所を聞かれて判らず外のアッコに訊こうとエミを押し退け外へと向かう。
――GALOLOLOLO――
ワンボックスの横のドアを開けると一気に冷たい風が入り込み、一旦閉めて上着を羽織り意気込み外へと向かおうとすると、電話の向こうからGPSで位置を確認したと言われて安堵した。
いや、それが出来るなら最初からしとけ! とは思うも、あまりにも簡単に位置を探られた事に、普段から覗ける可能性が国民監視機能の一端を見たようで恐ろしくも思えて来る。
ふと助手席後ろの物入れ網の中にマジックテープを見付けた。業者が資材の固定に使う長く強力なそれが四束も。
何も語らなかった俺は計り知れていないのか、見れば女は目を背ける。
今はそれが都合よく、言う事を聞く内にと手を出させ、手首を巻いてそのまま身体に巻き付け真ん中の席に座らせ二人をシートベルトで固定した。
マミは手首に巻いてる最中によだれを垂らし、頭の打ち所が悪くマズい状態かと少し顔を覗き見ると、歯を剥き出しにイカれた狂気の笑みを浮かべ何かを唱えていた。
あまりの気持ち悪さに、女が暴れるなら残る二束で足を固定する事も考えたが、女の荷物を太腿に乗せ、荷の持ち手をシートベルトに通したせいか、足が上がらずそこまでの必要は無さそうだ。
優男二人から可哀想等とする目を向けられるも、事故車両に放置され殺されかけていた者が居る事に、お前等もああなりたいか? と問うと直ぐに納得した。
暫くして戻って来た西島がマジックテープで捕えた女を見て俺に手を貸せと言い、席を跨いで運転席から外へ出ると、酔った俺の身体に向け吹き荒ぶ山颪が無理矢理に起こして来る。
雪壁に当たった衝撃で気を失った二人の男は運転席と助手席に放置され、女はドアを開けたままに出て行ったらしく、吹き抜ける風の寒さに衰弱していた。
フロントガラスが割れて入り込む雪を掻き出し二人を引き摺り出すと、アッコが西島の車を動かし事故車両の奥で右に寄せ、後部座席に二人を乗せようと西島が横のドアを開けた途端。
「うわあああっ!」
獣にも似た人とは思えぬ物凄い形相で狂気に叫ぶマミと共にエミも荷を持ち飛び出すと、上の峠道へと駆け出し逃げて行く。
追うよりも先ずはと、担いだ怪我人を車に乗せるが、真中と岩田は車内で何があったか鼻血を出して痛がるも、背中の怪我人よりはマシだろうと手伝わせ、マミとエミに押されて倒れた西島と怪我人を立ち上がらせて車に乗せている最中、今度はアッコが声を上げる。
「車乗れげ、早ぐ!」
耳から押し迫る妙な胸騒ぎにアッコはそれが何かに気付いたらしく、二人目の男を担いで乗せていた西島は後ろに、俺が助手席に乗り込みドアを閉めたと同時にアッコが運転し走らせた。
――GOOOOOOOOGOGO――
走り出してものの数十秒の事だった。
巻道で左に薄っすら見えた先の場所を、地響きと共に上の峠道辺りから斜面を流れる雪が針葉樹をなぎ倒し、事故車両が在る事を隠すように覆い被さり道の存在すらも無かった事にする。
「雪崩げ何処まで来どんが?」
早口訛りで何を言ってるのか解らずも、雪崩の事以外には無いだろうと九十九折の一つ上の道で止まっているのか窓を開けて確認しようとするも「開げるな!」と直ぐに怒られ、閉めた窓に上を見る。
「あ、まだ流れてる!」
上の峠道からのオレンジの灯りを斜面に雪が溢れ出す影が隠して行く。
「ここざ曲げれば大丈夫」
熟れた運転なのか少し後ろが滑る感覚にも前はしっかり道を捉え、ハンドルではなくアクセルワークで車の姿勢を整える。
暫く走ると脇道を抜けたと解る閉まるゲートに、アッコが車を降りるとどうして開けられるのかゲートを開き、出ると同時に、右手の広い駐車場へと車を駐めた。
「あんだら上のチェーンば勝手ざ切っで入ろったんがろ!」
怒気の混じるアッコの問いに、後部座席に乗せられた怪我人二人の男の内の一人が微かに意識を取り戻していたのか、男が応えたソレを西島が伝える。
「クミが開けたって言ってるけど?」
「クミ? マミでもエミでもなく?」
ここが何処なのか見当もつかないが、湖が観える展望駐車場ではないようで、薄っすら見える小さな看板に先の展望駐車場で見た山の名前があった。
【双穴水鏡山登山道入口】
ココが登山道の入口ならば峠を下山した事になる。けれどあの展望駐車場から頂上に行けるとあっては態々ここから登る登山客など……
ふと、展望台駐車場でのアッコの燻る物言いに合点がいった。
「あぁぁ……」
漏れ出た声に睨むアッコの姿が突然窓に映る。ヘッドライトを消した駐車場は真っ暗で、先の看板も見えなくなった。
「ありがとうございます、助かるとは思いませんでした」
エンジンブレーキで唸っていたエンジン音も下がり静かになった後部座席の車内灯の下、怪我人の一人が暖気に快気し飲み物を口に感謝を述べると、アッコの問いに応えるように語り出した。
「運転してたコイツが急に、バックミラーを見て『来る来る来る来る』訳の分からない事を騒ぎ出して、何か在るのかと車内灯を点けたら、『うわぁぁあああっ』て叫んだと思ったらドーンと……」
擬音語ばかりで聞いてるコッチもワケワカランが、男の顔は真剣で、とても嘘とは思えないが、アッコはマミとエミの事を訊く。
「マミとエミが乗ってたでしょ? あの娘達とはどういう関係?」
事によっては警察に突き出すといった処か、圧をかけて問う。
「え、クミの事か? え、アイツラは何処に?」
応え難い所でサイレンの音が近付き、駐車場の奥に広がる山並みの下の方で、動く赤灯が見えた。
てっきり後ろの峠道から来るものと思っていたが、どうやら峠道をショートカットし山向こうの山村辺りに出ていたようだ。
――PUUUPUUPUUU!――
パトカーが直ぐ近くの橋か何かを通る折にヘッドライトを点けパッシングしながらクラクションを鳴らすアッコ。
連なる二台の内の一台がコチラへと進路を向けたが、もう一台は違う方へと向かって行った。
マミとエミが無事かは判らないが、無事なら峠道を歩く怪しい二人をパトカーが確保するだろうと思え、怪我人を放置して逃げ出した報いにも思えて来る。
もう警察が来るという中、アッコが男に訊いた。
「ざっぎの話ば本当げ?」
どの部分かが分からずにいる男を問い正すアッコ。
「バッグミラー見でこの男ば怯えでたんか?」
「あぁ、はい。それで事故に……」
何でかそれは不味い事だと解らせるように、額に掌をあて少し考えるような素振りにアッコは携帯電話を片手に車を降りた。
後ろで西島達がもう一人の怪我人に暖気をと頑張る中、俺は少し気になり暖房の風量を上げ窓を三分の一程開けて耳を澄ます。
「冬幻鏡の鏡げ割れどるかもだげ、氏子ざ集めで確認しでげんが? 私ば今がら警察の取り調べ有るげに行げるか分からんげよ!」
正直訛りが酷く何を言ってるのか分からなかった。
現着した警察官に経緯を説明していると、後から後からやって来る警察車両に救急車に消防車両にと、駐車場が埋まる頃には自分が誰と話しているのかすらも分からない状態になっていた。
ただ此処は登山道用の駐車場で、川の対岸には雪屏風と呼ばれる観光名所へ行く為の駐車場が在ると聞かされるも、それが何処かも分からない。
スキー場へも行けず、取り調べを終えれば高速道路を無駄に折り返すのだろう事を考えウンザリしていた。
何処の課なのかも分からない刑事の取り調べを受ける中、怪我した男の話から二人の女の名前が嘘だと判り伝えられ、真中と岩田は怒り出し、報いだとでも言いた気に何のファンだか
「魔法少女に謝れー!」
と山に向かって怒りをブツケると、幽かにヤマビコが返って来た事に怯える馬鹿を見て安堵する。
結局スノボ処か妙な事件に巻き込まれ、大学二年の冬休みを無駄にした。
家に帰ると道が気になりネットで調べてみたが、事故車両の在ったあの道は森林整備の林道だった。
尾根で町を分け合う境界線に、頂上への登山道がある展望駐車場は高速道路や温泉の町側の物で、行かなかった湖が観える展望駐車場は雪屏風や登山道入り口がある山間の町の物、峠に二つも展望台を作った理由にアホらしくなる。
後に事故を起こした四人が別の事件にも絡んでいたと知り驚いたが、雪解けしてエミの遺体は見付かるも、マミの安否は未だ不明でバックも見付かっていない。
運転中にバックミラーを見て怯え事故を起こし怪我していた男も息を吹き返したが、精神を病んでいたようであの山間の町に佇む精神病院に入院したと聞く。
加々見温子はその精神病院に何の用があったのかは分からずも町の出で、大学の講師をしている事を含め古風にも西島に送られて来た手紙で知らされた。
以外にもマメな一面を見せた西島が住所を交換し、冬休みの思い出を満面の笑みで語るのがウザく、無視する為にとバイトを始めた俺にも少し歳上の春が来た。