「冠納祀」
棚裏から出て来た鑑見様は尾まで含めると全長130㌢程はあり、茶褐色に黒い斑紋を散りばめた胴体には粘液を纏わせ、水掻きの付いた手足の先には爪も見え、板間で滑っているが畳なら踏ん張りに咬まれ振り回され兼ねず。
扁平な身体も円形状に口を拡げた途端に丸みを帯びて、斜めに回り窄めて切り裂くように生えた鋭い歯を剥き出しで威嚇し合うも、少し硬そうな繊維質のエラかヒダかを小刻みに震わせ何かを発していると判らせる。
低周波による脳への音響攻撃に小さな端末で心細くも明滅する光が音響攻撃を防いでいると理解させ、飯尾に感謝こそすれ、俊敏な動きで喰らい付きデス・ロールまでする物理攻撃から身を守る術を考えていた。
「いいか、行くよ!」
決意に怯えが混じる丹羽の声に振り向くと、いつ炉に投じていたか蓋を開けた薪ストーブから灰かき棒を取り出し、飯尾の脇腹に喰らい付く鑑見様へとフェンシングの如くに焼き付け充てがう。
――JUSHUU――
一瞬、鉄板焼きで聴く音に先の料理が脳裏に浮かぶも、すぐに焼けた粘液からの悪臭が漂い鼻を突く。
――BETEBUDE――
焼鏝効果にビクッとして飯尾の脇腹から離れ床に落ちた鑑見様が、見た目はパンの耳に苺ジャムを塗ったような飯尾の皮膚片を口から溢してのたうち回る。
その隙にと四つん這いでテーブルに上がる飯尾だが、苦痛に顔を歪め今にも倒れそうでアッコが近寄り介抱するも医者ではない。
中年の腹とはいえ服と共に脇腹の肉を咬み千切られ、アッコが確認に服を上げると流血よりも白い薄皮肉を覗かせる。
「よし、これイケるぞ!」
先までアッコを狙っていた鑑見様がテーブルを回り込む中、丹羽は飯尾の悲痛な姿に目もくれず、武器を手に興奮していて背後にも気付いていない。
「丹羽さん、後ろっ!」
思わず叫んだ私の声に丹羽は焦り振り向くが、既に灰かき棒の長さよりも距離が無く、慌て振り回すも右足の脛に喰い付かれ叫びを上げる。
「んぐぁああっ!」
助けようにも飯尾を襲った鑑見様も息を吹き返したのか、口を開いて威嚇しながら丹羽の方へと狙い行く。
――VABIVITTI――
――DOFUNN――
声を上げる間もなく鑑見様に何が起きたか、突然跳ねて姿勢を正し硬直したまま床へと落ちて動きを止めた。
尾や足が僅かに動いてはいるものの、何処から戻って来たのか如何にもお手製な電撃棒を手にした田中が丹羽の右足に喰らいつく鑑見様へと突くが動じない。
「おい飯尾! コレ丹羽に喰い付いてるけど電気ショック使っても平気か?」
――VABIVI――
――DOFFU――
聞いてるそばから棚裏から出て来た鑑見様も向かっていたのか田中が電撃で仕留める中、歪める顔で片目を開き丹羽の方を確認した飯尾が首を横に振る。
「駄目みたい!」
「はああ? クソッ! 丹羽それ、自分で何とか引っ剥がせ!」
「嘘だろ……」
苛つきを返す田中も、丹羽にまで電撃が流れると知れば使えない。
飯尾の頬脇に薄く着いた粘液が頬のたるみを引っ張る様からしても、乾きに白く濁り出しては固形化に伴い粘着性も強くなり、不純物の多さに導電性も高そうだ。
「んがっ!」
丹羽が振り払おうとした動きに反応し、脛に喰らいついた鑑見様がしがみつき踝の辺りに爪が突き刺さる。
「痛ってえなこのっ! このっ! だあああっ!」
灰かき棒で突くも冷めたか動じず、田中に鉤爪状の火かき棒を手渡され、持ち替え銛とし足に喰らいつく鑑見様の口の中へと差し込み“てこの原理”で引っ剥がし、離れるも再び咬み付こうかと爪を立てるが、床に着く己の粘液に滑り動きが遅れた所を田中が追う。
――VAVII――
――DOFU――
電撃に動きを止めたが、粘液に導電性が有るなら厄介な事に鑑見様に触れた手では電気ショックを扱えない可能性もある。
けれど田中が電気ショックを持ち戻って来た事で一つの勝算を見ていた私は車に向かおうと、足をやられた丹羽をテーブルに上げて肩を貸しつつ進路を訊いた。
「ああ? 無理だよ!」
呆気なくも希望を断ち切る田中の一言に、次の一手が浮かばず思考も身体も動きを止めると、希望が抜け空虚になった心に入り込むのは不安からの八つ当たり。
何が無理かと意味が分からず、丹羽は血が滲む靴下を脱ぐも出来ずに痛みを堪える力みが怒号に代わる。
「何言ってんだ! 俺も飯尾も車までは行けるよ!」
「運転席に三匹も居るのに乗れるかよ!」
周りを警戒しつつも憮然とする田中の話に皆が諦めの息を漏らす中、眼前に転がる鑑見様の扁平なボディを鑑みれば、エンジンルームからボンネットの配線部へと入り込むのも容易に見える。
とはいえトランクを開け荷を探し、電気ショックを手にココへ戻って来た事実に何とかなりそうで解せずも、よくよく見れば靴を履いたままの田中に外の異常を理解はするが、この部屋の現状を探り見ては問いを返す。
「鑑見様が消えるかも判らないのに、ここで籠城する気?」
「他に行く当てあんのか?」
車で逃げるまでしか頭に無く浅知恵と気付かされるが、言い合う最中にも棚裏から新たな鑑見様が顔を出す。
「でもコレ、入って来るのどうにか出来ないの?」
「それ、後ろどうなってんだ?」
――VABITTI――
――DOFFU――
電撃が何処まで有効なのか、先に倒した鑑見様も死なずで微妙に動き、ここでの籠城に不安が残る中アッコが問う。
「携帯繋げれん! 無線ばねえが?」
飯尾を介抱しつつもアッコは母親に例の音源の使い方を教えようとするが携帯が繋がらず、ならば無線でと頭を切り替え、実家とのコンタクトを模索する姿に勇気を貰う。
怖がり面倒をかけては死亡フラグを立てる馬鹿はここには居ない。危うく私がなりかけていたようにも思えて姿勢を正し、次の一手を考える。
「あぁぁ、無線も車ん中だ」
丹羽が申し訳無さそうに応える中、思い出したのは地デジ化時にB-CAS社や電波利権を探った折に調べた無線関連の記憶。
アッコが使おうとしているのが地域防災無線なら、防災関連機関だけではなく学校や病院やと民間でも無線機器が在れば誰でも聴ける。
鑑見様を放ったのだろう連中にも無線通信は聞かれる可能性が高く、敢えて携帯電波を遮断したとしか思えない。
無線での安否確認や情報共有は鑑見様が放たれた町の状況を態々アチラに知らせるようなものだが、アッコの両親や加々見方の住民達を思えば情報共有が必至でもある。
対抗する手立てが出来たとて、その策すらも相手に聴かれる可能性に、鑑見様を放った者達の薄ら笑いが見えるようで腹立たしい。
「外ばどんげね?」
「どん……何つうか、コレがそこいら中を這い回って……そういやあれ、上流に向かってんのかもな……」
田中の推測に、向かう先にはアッコの実家や加々見方の住居が多く在り、更に上がれば観光地化された断丘崖の雪屏風、夜間とはいえ駐車場が在れば不貞な観光客は往々にして……
居れば襲われ警察消防に通報が入っている可能性もあり、救援が来るまで籠城するのも有りかとさえ思えるが、棚の裏側の確認に背を向ける田中に先まで電撃に動きを止めていた鑑見様が蛇の如く動きで狙いに襲う。
「田中さんっ!」
「ぅおっ!」
焦りに振り返り一瞬で避けるまでは出来たが、避けた拍子に腰が抜けたか尻を着き、何とか手を伸ばして電撃棒を振り回して抵抗するも、電撃棒の届かぬ位置へと間合いを計る鑑見様の警戒する動きには、反響定位だけではない周囲を認識する他の機能が有るように思えてならない。
心配に肩を貸そうかと声を上げるも代わりとなる武器もなく、先の灰かき棒を炉に投じたとて焼鏝として使うには時間が掛かる。
「付けっぱなしにすんな、電池が保たねえ!」
痛みを堪え伝える飯尾の声に、切羽詰まる状況に文句を返す田中だが、もどかしくも頭を悩まし電撃棒を銛の如くに突き始める。
途端に鑑見様は田中へと突っ込んで行き、田中が応戦に背の辺りに突き刺しスグに電撃を喰らわせた。
――VABIVITTI――
――DOFUNN――
倒した安堵に抜けた腰も落ち着いたのか立ち上がり、尚もゆっくり尾を動かす鑑見様に警戒しながら、微妙に空いた棚と壁との隙間を確認すると、密着させようと棚に肩を充てて押すが、裏に何があるのか動かない。
ならばと棚の戸を外しては隙間に放り、引き出しの中身をそこらにぶち撒け、動きを止めた鑑見様2体を寄せてそれを被せ、再度それをした引き出し二つに重り代わりと荷を載せた。
一段落に疲れたかテーブルに腰掛け休む田中に丹羽を任せ、私は外の様子を確認しようと飯尾のノーパソを開き観る。
「え?」
けれどそこに鑑見様の姿は無く、LIVEか否やfpsを確認するが、颪に舞う雪が時折映る事からも正常に稼働中。
何処へ消えたか妙な静寂が襲い来ると、急にあの雪音に混ざる耳鳴りのような妙な高音が部屋の中にまで鳴り響く。
――MIIIIIIIIII――
田中や丹羽にも聴こえているのか、耳に手を充て部屋の周囲を見回している。
と、次の瞬間、急に内耳にレーザーでも浴びせられたかのようなキーンッ! と痛みを伴う耳鳴りに、皆が耳を押さえて顔を顰めた。
耳鳴りが治まると先までの高音も消え失せ、不自然なまでの静寂は皆の顔を強張らせ不穏な空気に警戒する中、戸を外された棚から微かな物音が聴こえ出す。
――KATAKATAKATAKATA――
細かな振動音に嫌な予感しか浮かばない。
皆も同じか薪ストーブに不安を感じて炉の蓋が開かぬようにとロックし、スグに来るだろう大きな揺れに備えて体勢を低くテーブルにしがみつく。
――DOHOOONN――
――GADAGADAGADAGADA――
下から突いては一気に身体を持って行かんとする凄まじい縦揺れの直後に大きく横へと波打つ激しい揺れに、棚や物やが移動し引き戸までをも開け放つ。
先の鑑見様を閉じ込めた引き出しも、部屋の彼方此方に動き回りいつ飛び出して来るかも判らないが、床の基礎に固定された薪ストーブのテーブルに掴まり踏ん張るのがやっとでそれ処ではない。
揺れ幅大きく耐え切れず、バリバリと何処かの壁か板かが割れ崩れる音にバタンと倒れる重い音、長年雪の重みにも耐えて来た家が悲鳴を上げるも何とか踏ん張り部屋の形を維持しているが、不安を煽る揺れが長周期になり永々続く。
いつ収まったのかすら判らない程、海で波酔いしたかの如くに揺れてなくても揺れているかに感じられ、錯覚か否かにテーブルを掴む手を離せずにいた中、何処からともなく聴こえる轟音に、山の斜面の雪崩や崖崩れを想起する。
――GOGOGOGOGOGOGO――
地震で山の一部が崩れたり小規模雪崩を起こし峠道が使えなくなれば、鑑石市から来る警察消防の車両も阻まれ双見湖を周遊せざるを得なくなる。
実態を把握出来ていない事に、鑑見様が鑑石市や双見湖の方にも現れているならここ加々見方への救援は後回しになるも、水鏡峠が無事なら湖南へ向け敢えて逆回りでの救援も有り得、行きすがらに加々見方の状況も確認される可能性に峠道の無事を願う。
けれど雪崩や崖崩れとは異なる振動はドップラー効果か近付き遠ざかる轟音の余韻に位相速度で何処に消えたか、音の正体にも疑問を残す。
「ひょっとして……」
外に鑑見様が消えた理由が地震の予知なら、鯰の暴れる姿に鑑見様を重ね見れば魚や両生類に見られる“側線”の特異性にも思え、先の田中との争いに見た鑑見様の警戒する動きの違和感に繋げ見る。
海川の水中で360°を警戒する為、水の動きに敵や餌やと周囲の動きを側線で感知し身を守り捕食するが、先の警戒の動きは少し違う。
人は筋肉を動かすにも考えるにも脳や臓器も電気信号を発しているが、準静電界という静電気に等しい電界の膜を帯びており、気配を感じる等というアレも準静電界を内耳の蝸牛が感知しているからではないかとも云われている。
裏を返せば、人の準静電界に向け変調した電圧をアースに掛け流せば危害を加える事も容易に隣近所の人を殺せもする事に、諸外国では電磁波に対し厳しい規制を設けているが、この国は何処ぞの勢力への配慮か規制を緩くスパイや科学を殺人に使う犯罪組織にとっての天国とも言われている。
そうした準静電界の微弱な電気を感知する事が出来るのが先の鯰や鮫やで、古来から鯰が地震を予知する話にも繋がる事に、捕らえよう等と人がそろりそろりと動くにも、足一つ浮かせるのに脳から足へと伝える電気信号を発しては筋肉を動かす電気まで、電位差に気付けるセンサーが有れば逃げる事も容易となる。
実際、鯰だけにあらず地震の予知は自然界における動物の退避行動で多岐に見られ、鑑見様も感知出来るセンサーを持つならパルス波を感じ地震を予期し、電撃棒の先から出される強い電磁波にも警戒した可能性が高い。
そう考えると双見精神病院から放たれたのではなく、山から逃げたと見る方が……
「何だよ?」
私の溢した『ひょっとして』の続きを待っていたのか睨みを向ける田中。
「鑑見様が地震を察知して山から出て来たのなら、双見精神病院でも予見は出来ないんじゃ?」
「だったら何だよ?」
「あの動き、泳いで加々見川を遡った方が速そうなのに態々陸に上がって上流に向かうとか、排水坑道から出るにしたってあの数じゃ例の横穴に圧し流されたと考える方が適当で、だとすれば」
「だば、達郎君等も……」
アッコが気付きハッとするも、ココより実家と囚われの者達とが真逆に位置する事に悩み、顔を顰める。
「居ねえ! 何処行った?」
訊いた田中は引き出しを持ち上げ確認していたのか、鑑見様が消えていると気付き焦りに部屋を見回し探すが、見える所にソレは居ない。
「アッコ、実家に行こう!」
「だげん……」
薪ストーブの上で待たせ田中と私で外の確認に鑑見様を警戒しながら行くも見当たらず、地震に倒れ壊れた物や壁のヒビや割れた硝子に、先を行き戻った田中に靴を渡され履いて歩く家の中。
電波が入らず震災の程度は未だ不明も、古い家屋を悪とする国の基準にココも直すより潰して建てろか、柱の傾きを不安に見る。
外は月明かりで雪面は視認出来るが、屋根から落ちた雪山や足下の雪面ですら鑑見様への警戒心に気が気でない中、田中は雪面に顔を近付け車の下を覗き見る。
「開けっ放し」
スライドドアを開けたまま、吹き込みシートに積もる雪、先の状況が凡そに知れる。
「ああ? お陰で運転席のも消えてんだから結果オーライだろ! おい知佳、見とくからお前が取れ」
トランクを開け電撃棒と無線と照明を取り出し戻ろうかとする中、山の反響に聴こえた人の声に歩みを止めた。
よいやっさー
かいでかいで
かいでかいで
よいやっさー
耳を澄ませばアッコの実家も在る上流の方から祭り等で聴く漢衆の掛け声。
「シートの粘液剥いどけ!」
田中を睨み見ると理解したのかヘラを渡され、無線を一つ持って家の中へと戻り、飯尾を背負う田中と丹羽に肩を貸すアッコが警戒しながら外へと出て来た。
「こげ、冠納祀りの……」
アッコが眉を寄せる様からしても、漢衆の掛け声は地元民にも理解不能と判るが、先ずは怪我人二人を車に乗せ、一応にエンジンルームを確認してからキーを回す。
――BURORORORO――
ヘッドライトに照らされ出来る陰影に、鑑見様が這ったのだろう波打つ跡と地震の揺れに動き崩れて雪に割れ目を作り、舗装も割れたか時折凹凸に車が揺れる。
先ずは声のする実家の方へと行く道すがらにも鑑見様の姿はなく、実家が見えたと同時にアッコの母親の姿に車を停め、運転席の窓を下げた田中が無事の挨拶。
降りたアッコと母親の訛り言葉は解らずも互いの無事に安堵する中、家から顔を出した先代宮司の話にアッコが「は?」と首を傾げる様に、先のアレかと推測は出来。
後部座席で母親が怪我人の様子を診る中、話が見えない私達にアッコが翻訳するも、現宮司の叔父を筆頭に父親や町の男と共に祀りの音頭でお社の方へと鑑見様を連れ立って行ったという。
「は?」
私も田中もアッコと同じ声を上げていた。
話が見えずも、ふと音響攻撃を思い出し、加々見方の者には耐性でもあるのかと訊ねるも、神事に対するある種の精神統一により一つの事を考え続ける事で脳波の揺らぎにも惑わされずに居られたようだ。
「鑑見様ば現れで皆、鏡さ向げだば反転しだ言うぢ、そげで洞弥叔父さんば……」
叔父が精神統一に祀りの掛け声を上げた折、リズムに合わせ動くソレを見て、もしやと踊ってみると手の動きに合わせて動く事から、スグに土間の箕を手に家族へ近寄る鑑見様を掬い放って守り、嫁が無線で皆へ呼び掛けた。
漢衆は声を張り上げ踊りながらに鑑見様を家の外へと連れ立ち、上流へと向かい集まり列を為して行く中で、数人が祀りと同様に松明の火を手に回していたが、その火に誘われ大量の鑑見様が従順に横を行く事が判り、皆も松明に持ち替えた。
「祭りの踊りに、鑑見様が?」
訊けば秋の収穫期に行う神事らしく、“冠納”という祀りに氏子衆が列を成して踊る“火狩”と云われる泥鰌掬いが如く所作があり、氏子衆の漢共が腰を振ってはガニ股で歩く隊列に松明を手にし回して火の粉を飛ばし、越冬に無病息災を願い貢ぎ物を捧げると言う。
その火の粉が鑑見様を寄せ付けず、けれど篝火の何で誘われたのか周囲に集い、ここらの鑑見様は一掃されるも、私達の居た家に無線が無い事を思い出し、母親が慌て向かおうと外へ出た折の今だった。
「病院ざ行がねげ、こごでば無理がよ!」
母親の一言に振り返ったアッコが何を見たのか目を細め、来た道を指す。
「アレざ何げ?」
薄曇りの窓に近付く明かりは車列と判るが、普通の車には無い位置の強烈なライトが何かしらの専用車両だろう事を判らせる。
けれど五台程の車列の最後尾に赤色灯が視えると不思議に思えて母親に訊く。
「通報されました?」
「すん余裕なんざ無えで、誰げかげたんが、無線ばがね?」
加々見方に住む氏子集族の中に通報した者が居たとて、先頭に見えて来た物々しい銃器を備えた装甲車両が何を見据えて来たのかを物語る。
けれど銃装備の準備と現着の早さは、鑑見様は勿論に今日の出現も地震も既知の作戦としか思えない。
一個師団か前の三台はココをスルーし漢衆の方へとそのまま進み、後続の歩兵を乗せたトラック一台と救急車両がコチラへ寄せ停まる。
降りて来た姿に軍かと思えば機動隊、所謂SATの車両と判り制圧目的と知ればSITとの違いにコレをテロや犯罪組織の類に扱い殲滅しに来たと理解出来、ここの住民が人質扱いにもされていないと解りハッとする。
救急車両は一応程度に連れて来たと判れば、この先に居る漢衆の身の安全に不安が過ぎる。
「こちらの家の方ですか?」
田中も其処に気付いたのか私を睨み、怪我した二人を救急車に乗せて貰おうと話すアッコをチラ見し、行けとばかりに道の先へと顎をやる。
「対象は家人、怪我人二名をSITに渡し、これより……」
後ろから更に来る車両がSITだろうか、凡そ作戦は制圧を主に置きSATを先んじ、住民の保護を後回しにSITが民家を回り怪我人と共に制圧した地へ運び出す。そんな処だろう。
定期訓練の取材に何度か同行した経緯から知れる動きに、警察手動の制圧作戦に違和感を覚えるのは、これを災害として見ていない事にある。
地震災害に県が要請すれば自衛隊が来ただろうが、地震で来た訳でもなく誰の通報かも判らずも、出現から三時間足らずで鑑見様の殲滅を目的に現着するのはどう考えても……
アッコを連れ出すのに助手席から降り声を掛けようかとした瞬間。
――TAKANN――
――TAKATAKATANN――
軽くも響く銃声と、どよめきにも似た男の怒号が入り交じるが、止まぬ
銃声に男の声は打ち消され、逆位相されたかの如くに反響して増える弾の数。
――TAKATAKATANN――
――TAKATANN――
「無事だったか!」
聞き覚えのある男の声に振り向くと、SITの歩兵車両からコチラに駆け寄るヨレたスーツの中年男。
「何で中谷さんが?」
「無理矢理にな。無事で良かった。何だ、タイタンは重症か?」
後部座席の飯尾と丹羽の怪我の様子を覗う中谷さんだが、救急隊員が飯尾をストレッチャーで運び出すと、悔し気に機動隊の作戦を皆に伝える。
「警察は国の許可に教団と坑道を潰す計画だ」
鑑見様の亡骸による腐り水の影響はどれ程か、今日までは共食いによる消化に抑えられ、糞尿類も排水坑道により山に浸透せず加々見川へと流されていたが、坑道が潰されれば山の中へと。
山の湧水を飲料に使う加々見方の者からすれば環境負荷に看過出来ずも、警察は国の許可に強制執行すれば済むとの考えか、後先を考えない国策事業の十八番とも思えるやり口だが、折に彼等はやって来た。
公安を名乗らずMGHと怪しい作戦名に配下の人員がどれ程居るのか、坑道に電気を流し焼き殺すとの説明に、アレが襲い来るもしもを理由に避難を強制。
歩兵トラックに乗せられ戻って来た漢衆の酷く窶れた顔が向こうで何が起きたかを物語り、皆怒り静かに口を噤み、避難の移動に再会した家族と抱き合い無事を歓ぶ。
「今は急を要するので退避にご協力下さい」
有無をも言わせず護送車両に乗せられ荷も持てず、走り出してどれ程経ったか湖南周りの移動も窓には格子、前の席では田中と中谷さんが公安車両の積載機材で推論し、“マグネシウム触媒法”や電力会社との密会に“電気分解法”やと水爆予想。
「何だ?」
闇夜に浮かび上がる凶々しい光を帯びた双穴水鏡山、格子窓にそれを観た者が上げた不安に皆も語気を強めて抗議する。
前では二人が顔を顰めて睨み合い、光が電子の帯に思えてならず。
美子川の手前辺りに差し掛かり、二人の予想は真となった。
――DAGOOOOOOH――
双穴水鏡山の尾根に漏れた水素が火を吹くと、爆発に崩れる坑道に則して高さを下げる尾根、雪崩が土煙を呑み込み湖底に沈む。
揺れに停めた車内で加々見方の住民達が肩を落とし下を向く中、機動隊員は成功の無線に笑みを溢しハイタッチと、空虚感に苛まれ、雲間の月夜に湖面を眺めていた。
その湖面に目を疑う。
「まさか……」
遠目にも判る水面を跳ねた巨大なシルエット。
前で田中が格子の隙間に丹羽のカメラを向け狙う仕事への気概に、せめてもの抵抗を脳裏に宿す。
無論、鑑見様や爆破のもみ消しに国の圧、加々見方の住民には無形文化財とする一時的な保護措置と補助で治め、メディアには報道管制が敷かれ公安が創った内容に呆れ返るばかりだった。
「登山客が古井戸に捨てた煙草が溜まっていたガスか何かに引火し爆発、崩落した坑道の出入り口の在る▲▲創穴鑑見構の敷地内へと水が噴き出し、教団幹部が秘密裏に研究していた生物兵器の実験体が鑑石市内に逃げ出すも機動隊によりこれを殲滅、現在教団関連施設等各所で家宅捜索が行なわれ……」
それから凡そ一月後、飯尾は未だ療養中も、社に戻り田中とフタッシーをネタに岡山県の鯢大明神の逸話を用いて記事を書く中、アルゴに顔を出した中谷さん。
「今や政治を疑えば陰謀論扱いだ。知佳、経験活かして陰謀論らしくオカルト誌で記事を書け!」
「ソレが狙い?」
笑い立ち去る中谷さんの背を見て息を吐き、手渡された封書を開けた。
あの日の前夜、創穴鑑見構幹部による殺戮計画を掴んだと警視庁公安部からの連絡に、内閣府に上げると官房長官と公安委員長に防衛・国交・総務・文科の大臣が集まりテロ組織と認定。
即時対応で機動隊の配備と自衛隊のバックアップが認可され、警察庁長官から制圧を指示に、機密事項として報道管制を敷く。
怪しい動きに手順を無視した指示統制、教団制圧とは別の何かも有して動く機動隊。突如として起きた地震に慌てる事なく不自然にも機動隊は制圧に門をこじ開け教団施設へ突入。
罵声と怒号が数分後には悲鳴に変わり、大量に噴き出た水は教団施設の南壁を倒して道路を川とし、溢れ出た未知の生物が人を襲うを機動隊が撃ち殺す。
観光客や近隣住民も市街地での銃撃に悲鳴を上げるが水嵩に外へ出られず被害者は少なくも精神を冒された者多く、鑑見港と加々見港の間では崖崩れの発生に十五㍍程の岩か何かが湖底に沈み、高波が湖畔へ押し寄せ車や店を呑み込む被害は湖南港でも発生。
都合良く海保が飛空艇で広範囲の救助任務を受持つ予定に着水待機し高波で機が沈むも、国交省はこれを隠蔽。
尚、双見精神病院での被害は看護士数名が未知なる生物に喰い殺されたが、精神病院の特異性に全患者数は不明も部屋に居た者はその監禁性故か被害は無く、捜索の先輩二人と及川母の安否を確認。
教団幹部でもある公美の行方は未だ不明も、信者が起こした強姦事件の被害者が裁判を前に国外へ出国した不可思議に、国も関与し公美の国外逃亡を幇助に殺害された可能性を被害者の弁護人が疑っている。
「組織の動きを知り得て潰す組織と潰れて利を得る組織、本当に危険な組織は……」
■補足
▶ドップラー効果
音波や電磁波の波の発生源が移動したり観測者が移動する事により、相対的な速度が存在する時に波の周波数が実際とは異なる値として観測される現象を言い、駅を通過する電車や緊急車両が通り過ぎる際の音真似に聴くアレの事。
▶位相速度
波形データに観る波の、山や谷の特定の位置が移動する速度の事
▶群測度
波形データに観る複数の波を重ね合わせた時に、全体の波の束が移動する速度の事。
■あとがき
ほぼ私事の“紆余曲折に”遅れ冬ホラー企画も終えて尚、投稿から凡そ半年をかけて完結に“到り”ました。
最後までお付き合いいただき、ありがとうございます。
一話一万文字縛りにダラケを消そうと構成を膨らませ過ぎたか、最終話では詰め込む要素が多く当初の見込み違いに、構成通りに書くも倍以上の文字数にもなり削る内容が多く出てしまい、話に書ききれずはみ出た謎に難儀しました。
けれど推論の域を脱しない足らぬを知るにはココでは言えず話せずも、別の何処かに機会を探せば、政府や組織に都合の悪い何かを疑うは陰謀論者とのレッテル貼りに、陰謀論とされるならオカルト誌で堂々と記してしまえば済む話とした中谷さんの期待に添えるか分かりませんが。
本連載『双穴水鏡山』に出て来た謎や伝説等も解き明かそうかとしていたタイタンと知佳のオカルト四季刊行誌『アルゴ』編集部により……
【Argo】がWEB小説に登場!
☆☆☆☆☆の評価より下部にリンクを貼りました。
ライターである田中や知佳の記事も読めるかも!!