秋、午後六時、駅前通り[1]
個人の価値観は、人それぞれだ。
例えば、良いことがあった日に、外の天気が土砂降りの雨だったならどう思うだろう。
どんよりした雨雲を吹き飛ばすほど喜べるのか、降りしきる雨粒に負けて心が湿ってしまうのかは、その人によるのだと思う。
会社からの帰り道、僕はそんなことを考えていた。
「山本、最近仕事どう?」
隣で歩いている伏見が僕に尋ねた。
僕と伏見は会社の同期で、同じ営業部に所属している。新卒で入社したこの会社は、小さくもなく大きくもない平凡な建築商社で、長年採用がなかったため、若手と呼ばれる社員は僕と伏見の二人だけだ。
「まあ、良くはないよね」
僕は俯きながら答える。
「でもお前、この前大口の案件獲ってたじゃん」
「あれはたまたまだよ。営業成績、累計だと伏見の半分にもいってない」
伏見はふうん、でもすげえよ、と返してくれた。入社三年目の僕たちは、営業としては半人前で、上からは成績に目を瞑ってくれている。しかし伏見は新人の頃から飛びぬけて仕事ができた。天性の人懐っこさで顧客に気に入られ、入社してすぐ新規の案件を大量に獲ってきてからは、営業部イチの期待のエースとして上層部から一目おかれていた。
そしてそんな伏見を僕も尊敬していた。
「あー、人生って何なんだろうな」
空を仰ぎながら伏見がつぶやく。
「それ言うの何回目?」
仕事終わり、最寄りの駅まで一緒に帰るのが恒例になっていた僕たちは、たいてい同じ会話を繰り返していた。そもそも僕からすれば、営業成績も上々で、上層部から目をかけられている伏見なんか、人生について変に考えなくても順風満帆じゃないか、と思う。
夕暮れの街は、夜の入口に向けてみんな忙しく動いている。
「いやぁ、最近思うんだよな、このままゆるい幸せがだらっと続いて終わるのかなって」
「何言ってるんだよ」
「部長にならないか、って言われた」
子供を後ろに乗せた自転車が、僕たちの横を追い抜いていく。
「え?部長?」
「そう、部長」
僕の目の前の景色が、少しづつ色を失っていくように思えた。それでも街は止まってくれない。
「最近調子いいから、マネジメントの方に回らないかって。笑っちゃうよな。3年目だぜ、おれ」
伏見はハハッと笑う。最寄り駅の改札が道の先に見えた。
「それ、受けるのか?」
僕は伏見に尋ねた。一体僕は今どんな顔をしているのだろう。
「うーん、どうしようかなー」
伏見の横顔は、少し笑っているように見える。
同期が、離れていく。
職場は同じでも、心の距離が。
「伏見」
「ん?」
「今度飲もうよ」
伏見の顔をじっと見る。
伏見は微笑み、目を合わせず「いいよ」と言った。僕たちはいつの間にか、駅の改札の前にいる。
「じゃあ、来週金曜」
「おう、空けとく」
じゃあ、と僕は手を上げた。毎日一緒に帰るのが楽しいはずなのに、今日は早く伏見の元から立ち去りたい。
改札の中へ消えていく伏見を見送る。遠ざかる背中に、思わず声を上げた。
「伏見!」
見えていた背中が振り返る。
「自分を持って、やりたいことやれよ!」
ホームへ続く階段の途中、伏見の笑顔と立てた親指が見えた。
次の日から、伏見が会社に来ることはなかった。
ー続ー