【SSコン:給料】 初給料
「はいこれ、今月分のお給料ね」スーパーの小さな一室に呼び出された私が受け取ったのは、『六月分』と書かれている手の平サイズの袋だった。バイトをしているものなら、何故かこの中身がお金であることが分かる。そんな不思議な袋だ。かくいう私も、この中身が給料である2万5000円がキッチリ入っているんだなということが分かった。「君は…初給料だったよね。初めて貰ったからってあんまり散財しないように。ウチは月末払いなんだから、大事に使わないと来月の給料日まで困ることになるよ?」店長が今月入ったばかりの新人のアルバイトにそう言い聞かせる。店長から新人が入る度にロボットのように繰り返し言っているその言葉は結構うんざりする人は多い。ただでさえ店長は人柄がお世辞にもいいとは言えないのに、この長ったらしい話が組み合わさると救いようがない。店長も私たちのうんざりとしたような顔を見て、ふぅ…と頭を掻きむしりながら仕方ない、とでも言ったような顔で「じゃあ、今日はもう解散ってことで。みんなお疲れ様」その店長の言葉だけは、人を笑顔に出来る唯一のものだった。
オレンジ色に染る自分の身体が少しだけ面白く感じたその時、突然後ろから声がかけられた。「先輩!今帰りですか?なら、一緒に駅まで行きましょ!」「…九丈さん」後ろを向くとそこには誰もおらず、視線をもう少し下に下げることでやっと九丈 武彦の幼いと感じさせられる顔が見えた。九丈武彦は、今月から入ってきた高校1年生の女の子だ。髪を茶髪に染めて、後ろはポニテで結んでいる。だが、顔はまだまだ大人の雰囲気とは言えないような可愛らしいもので、バイトでは後輩にあたる存在だ。武彦という男っぽい名前が嫌いだそうで、首にかける名前カードも『九丈』としか書かれていない。もし誰かが『武彦さん』なんて呼んだ日には小鳥のようにピーピーと怒る。まぁ、初めてそう言ったのは私なのだけれど。「まったく!店長ったら話が長いですよね!終業の話も給料の話もどうだっていいことばっかりだし…そう思いませんか?先輩」歩きながら九丈はさっきの話の根を持つように私に愚痴を吐いてきた。その子供らしい感想に、私は少しだけ微笑みながらこう返す。「えぇ、私も同感。店長は話が長い。………でもどうだっていいことかって言えば、ちょっと違うかも」「えー、先輩は真面目すぎますよ〜!あんなおっかない顔してる店長の話、真面目に聞くだけ損ですって!」私の返した言葉に九丈は納得がいかないようで、まだ頭は熱いままだった。このまま説得すると機嫌が悪くなるだろうな、と直感的に感じとった私はすぐさま話題を変える。「そういえば武……九丈さんは、初給料はどうするの?」「…………!!!」その言葉に九丈は、さっきまで話していた嫌な店長の話なんて覚えてないかのように目を輝かせた「そりゃあ勿論!!推しの赤名クンに貢ぐに決まってるじゃないですか!!!!」「赤………何?」「赤名君ですよ!赤名淳和クン!!!あの"Universe Unrea"通称『ダブルU』のメインボーカルの人です!あぁ…赤名クン歌声はやっぱり健康になれる〜…」おもむろに取り出した携帯から聞こえてくる明るそうな男の人の声に、まるで世界一の絶景を見たかのような九丈のとろけた顔がそこにはあった。私はそういう今風?と言うものに疎く、中々話についていけなかった中学時代を思い出して少ししんみりとする。「あぁすいません!!私が勝手に暴走しちゃって………先輩?大丈夫ですか?」「…え?あ、あぁ。ごめんなさい、なんでもないの。…でも、九丈さんはそれに初給料を全部使っちゃうの?」「勿論です!推しに貢ぐならこのお金もとても貴重なものに思えてくるんです!」お金は元々貴重なもののような、と言いかけたが今それを言ってしまうのは野暮だろう。そしてふと、給料袋を掲げていた九丈はおもむろに呟いた。
「でも、不思議ですよね。毎月貰うはずの給料で、金額も変わらない…まぁ、ちょっとボーナスが入った月は別ですけど、そういう月を除いて、今月の給料も来月の給料もぜんぜん変わらないはずなのに……なぜか初給料って、ちょっと特別感ありませんか?」
「………!」九丈の言葉に、私は心臓が飛び跳ねた。そして思わずその場に立ち止まる2つだった足音は、1つになるとすぐに気づく。九丈は私をポカーンと眺めていた。「え……あ、アハハ!!ごめんなさい!私変なこと言いましたよね!!別にこんなの変わりませんよね!ただちょっと気持ちの問題───────」「───いえ、貴方は……貴方の言葉は、間違って、ない」私の手は九丈の手を握りしめ、私の目には状況がわからず恐怖している九丈の目が映る。そこでハッと私は正気に戻り、ギュッと握っていた手を急いで離す。「ご……ごめんなさい!私…どうかしてたみたいね。ごめんなさい、急にこんなことして……怖かったわよね。…ごめんなさい」「う、ううん!全然全然!気にしないでください!その…疲れてたんですよきっと!きっとそうです!」九丈は私の突然の奇行に驚きながらも、全然大丈夫じゃないのにも関わらず、私のフォローばかりしてくれている。…優しい子だ、私はいい後輩を持てて幸せだなと心の底からそう思った。「……そう、そうよね。ごめんなさい、今日は……早く帰って休むことにする」「そうしてください!明日になればすぐ疲れもとれますよ!」「…ありがとう、九丈さん。それじゃあ…また明日」ふらりとした足取りで、私は九丈武彦を置いて、電車と向かって行く。夕方のこの時間帯でも電車は混んでいて、私は少しクラクラと目眩がした。そう、この目眩は……きっと電車が混んでいるからなんだと、私はそう思った
家に帰ると、薄暗い部屋の中で電気もつけず、すぐに鞄を開けた。中には、『六月分』と書かれた袋がキチンとそこにはあった
『なぜか初給料って、ちょっと特別感ありませんか?』
その袋を見ると、九丈のあの言葉が蘇ってきた。初給料は、特別だ。それに気づいたのは私が初めて"初給料"を貰った日だった。あの日も店長はこう言っていた『大事に使うように』と。その言葉は私に鎖をかけたように、私の初給料の使い道は全く思いつかなかった。おかしいと思った。"お金"の使い道ならいくらでもあるのに、"初給料"の使い道は全く思いつかないなんて。そこで私は悟った。『あぁ、お金を大切に扱うってこういうことなのか』
と。そこに金額は関係がない。初給料とお金に差がある訳でもない。けれど皆、初給料は貴重だと思う。そして貴重な物は大事に使う。しかし、"初給料"でなくなってしまえば……私たちは、貴重だとは思わなくなる。大事に、使わなくなるんだ。「これが……'今月分'の、"初給料"」だから私は、"初給料"を貰い続ける。次の給料なんてものは、絶対に来ない。いや、私が…来させない。もしかしたらこれを異常だと思う人もいるかもしれない。九丈さんのように…きっと、『一般的』にはそうなんだろう。でも私はこれをやめようとは思わないし何も間違っているとは思わない。だって、これを間違いだと指摘できる人は誰も存在しないんだから。みんな、最初は『初給料は大事だ』と感じるでしょう?
「来月は……どのくらいの"初給料"が貰えるかな」
私は暗い部屋の中で、初給料を胸に抱いた