第3話 ゑびす屋
永井主計に引っ張られるようにして門前仲町の料亭・ゑびす屋に連れられた。
銕三郎が父から拝借する程度の懐具合ではおいそれとは使えない高級料亭なのだが、主に満面の笑顔で歓迎された永井主計は勝手知ったる我が家の如く刀を預けて奥へと進み、離れの座敷に銕三郎を招き入れた。
上座に永井主計、銕三郎がその対面に座るや間を置くことなく女将が酒と料理を座敷に運び入れ、やや遅れて座敷を訪れた主と並ぶ。
「ゑびす屋の吉兵衛、これなるは女将の志乃でございます。長谷川様、今後ともどうぞご贔屓に。この離れは永井様の別宅のようなものでございまして、お気兼ね無用でございます。ゆるりとおくつろぎのほどを。」
志乃から酌を受けて一献。
道場では無口な印象だった永井主計が吉兵衛や志乃と世間風俗の話も交えながら歓談しているのを呆然と眺めていると、座敷の襖が開かれた先に羽織姿の美妓が座していた。
「お、幾弥が参りましたな。では、我らは下がらせて頂きます。幾弥、あとはよしなに頼む。」
吉兵衛と志乃が下がり、入れ替わりに幾弥が座敷に入った。
深川の芸者は男言葉に男羽織での男装、源氏名も男名という形態が定着しており、深川が江戸の南東(辰巳)に位置することから辰巳芸者と呼ばれている。
男装することによって”歌舞音曲の芸は売れども身は売らぬ”との姿勢を示し、”いき”と”いなせ”を看板とする辰巳芸者の気風は銕三郎の好むところであり、売れっ妓の芸者としての幾弥の名もかねてより耳に届いていた。
「主計様、とんと無沙汰でござんしたなぁ。」
座敷に入り、長めのお辞儀から頭を上げるや永井主計にキッと視線を投げながらも幾弥の顔は紅潮している。
「まぁ許せ。このところ忙しくてな。気晴らしにゑびす屋へ寄ることもあるのだが、売れっ妓の幾弥はいつもどこかのお座敷に掛かっているからなぁ。今日はたまたま茶を引いていたのかね。」
「いけ好かない水野とかいう殿様から呼ばれていたのでござんすが、他の妓を紹介させて頂き…。」
「歯切れ悪いなぁ幾弥。また”惚れた男から呼ばれたのでござんす”と座敷を蹴飛ばして来たのだろう?」
「主計様は意地が悪うござんす。」
「すまん。したが、今日はそこの長谷川銕三郎を接待するのにお前を呼んだのだ。後ほど賑やかにするつもりだが、まずは少し込み入った話をする。其方に引いて、三味線でも奏でてくれまいか。」
「ようござんす」
幾弥は脇に身を引き、抱えてきた三味線を包みから出すと爪弾き始めた。
明和7年(1770年)
長谷川 平蔵 (25)
永井 主計 (31)
遠山 金四郎 (6)