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一抹の幸福

作者: アノニマス

この世界は歪んでいる。

そう錯覚させたのは誰なのだろうか? 



 僕がこの精神科病院に入院したのは1カ月前である。この世の中で生きる希望を失い、自殺を試みたのである。結局は未遂に終わってしまい、救急車で運ばれ、精神に異常ありという烙印を押され今に至るのである。

 今思うと、死に関して躊躇いが生じていたのだと思う。やれ死の後の世界はどんなところなのだとか、輪廻転生なのだろうかとか、死んでしまったらこの家は事故物件になってしまい迷惑をかかけてしまうのでわないかだとか。このようなことを考えているうちに、足が震え、動悸が激しくなり、涙があふれてくる。そしてこう思うのだ。「ああ、僕が生まれたときは元気だということを表現すために産声をあげるのに、死ぬときには悲しみで泣くのだ」

 しかし、自殺未遂という愚挙のおかげで得たものもある。それは生の実感だ。今日1日生きれたことに、感謝し、自分を労うことができるのである。そして価値観が一変する。やはり、生と死は表裏一体だということを実感させてくれるのである。 

 医者の指示によりこの病院(桜の丘病院という)に入院することとなった。山奥にあり、外観は何十年も前に設立されような学校のようで(もしかしたら廃校だったのかもしれないが)、周りには雑木林しかない。もちろん、住宅街などなく、地元の人など見かけることはない。

 3階建ての建物で、2階が女子部屋で3階が男子部屋となっていて、1階が医師たちの職場であったり、食堂があったりする。

 そんなところで、1カ月も生活してきたことになる。しかし、慣れない。突然発狂する人もいれば、泣き出す人もいる。それを対処する看護婦の顔はやつれており、かえってこちらが心配になるほどだ。

 だから、僕は外出許可をもらい、緑に囲まれた中で読書をする。山に登っていくと古びたベンチがあり、そこに座って読書をしている。はじめは同伴してくる看護婦がいたが、2週間が経つうちに同伴してこなくなった。僕も一人の方が都合がよかったので、かえってありがたかった。

 今日も相変わらず山の奥で読書をしていた。すると、耳元でカサカサという音が聞こえてきた。看護婦の人が来たのかと思い、そこに目を向けていると、そこには見知らぬ女性が立っていた。年は同い年くらいで、息をのむほど美人で、肌が白く、今にも消えそうな表情をしていた。

 「いつもここで読書をしているの?」と彼女は今にも消え入りそうな声で言った。

 僕がうなずくと、彼女はポケットから本を取り出し、ここで読んでいいかと訊いた。それにまたうなずくと、僕の対面にあった丸太に座り本を読みだした。

 僕は気になりながらも何とかして本に集中しようとしたが、まるで頭に入ってこず、あきらめてを眺めていた。

 1時間ぐらい経ったあたりで、彼女は本から目を離し、僕の顔をじっと見た。僕はドキリとしたが、平然を装い彼女の顔を見つめ返した。雀の鳴く声が聞こえる。

 「あなたの隣に座ってもいいかしら?」と透き通った声で言った。

 「もちろん。ずっと隣に座ってほしかったんだ。僕がベンチに座っていて君が丸太に座っているのは居心地が悪かったし」

 彼女は優しく微笑み隣に腰掛けた。そして、色々な話をした。好きな小説家は誰かだと、好きな映画はなんだとか。その時間はとても楽しかったし、あっというまに夕方になった。

 そろそろ戻らないと心配をかけてしまうので、僕たちは明日もここに会う約束をしてから別れた。  

 その日の夜は周りの狂乱が気にならないほど、僕は高揚していた。まるで、戦場で一輪の花が咲いたような心持だった。

 翌日また同じ場所で僕たちは会った。彼女は髪に花の髪飾りをしていて、それがとても似合っていた。そしてまた他愛のない話をした。彼女は笑うとき必ず口を覆ってクスクス笑う。それが愛おしいと同時にどこか悲しみが孕んでいるような気がした。

 そして、月日はあっというまに過ぎ僕たちはより親密になった。おすすめの本を交換し合い、ここに来るまでの経緯を話し合った。

彼女はお嬢様学校に通っていて、そこでいじめられていた。先生や親に相談しても取り合ってくれないこと、そしてそれで、自殺未遂をしたこと。結局は親に見放され、この病院に入院することになったこと。彼女はまるで自分のことではないように話し、そして最後に「この世の中は死んでいる人には優しいのよ。自分が原因と思いたくないから。でも、生きている人には冷酷で厳しの。みんな頑張っているからお前も頑張れって」

 僕はそれに納得した。

 それから、僕たちは肌を触れ合った。お互いを慰めあった。

 翌日彼女は自殺した。山奥で首を吊って。僕は彼女に会った最終人物ということで、警察に事情聴取を受け、マスコミに取材を受けた。そして、僕はこう答えた

 「彼女は意地が悪くて最低な人間だった」と。

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