ゲームは一日何時間?
ゲームをしている時間というものは、誰しもあっという間に過ぎていくものだと思う。
しかし今日ほどそれを痛感したことはない。
ノートも俺の頭も真っ白な一日だった。
授業の内容も、クラスメートらしい人達と何を話したのかも、昼飯に何を食べたのか、は覚えている。
食堂の日替わり定食、白米に味噌汁、本日のメインと小鉢がついて税込みなんと190円。
絶品なうえコスパも良い。
ちなみに今日はきのこソースの和風ハンバーグと、春雨サラダだった。
あぁ、食事に関することだけで一日目が終わっていく……。
ギャルゲー生活一日目がこれで良いのだろうか。
「…今日はもう帰るか」
いつの間にやら窓の向こうは夕焼けこやけの赤とんぼ。
教室内にはもう誰も残っておらず、開けっ放しの窓から吹いた風がカーテンを揺らす音だけが響いていた。
「お!良かった!まだ残っていたか!
すまんが少し手伝ってくれないか?」
席を立った瞬間、入ってきた教師に呼び止められる。
全く記憶にないし、会ったのも今が初めてだが、彼は地理担当のいわゆるイケおじ教師で一部の女子に人気がある。
なんで分かるんだ。
この世界怖い。
「はぁ、いいですけど」
強制発生イベント的なやつなのか、断るという選択が浮かばない。
俺は風の音に紛れて、小さくため息をつき、茜色に染まった教室を後にした。
「……こ、これで最後。
はぁ、やっと終わった…………」
最後の荷物を運び終えて肩をまわす。
俺の足元には苦労の賜物であるいくつもの段ボール。
近々移動する教科教室の荷物らしい。
重さは大したことなかったが、数が多くずいぶんと時間がかかってしまった。
まぁでも、おかげで校舎の構造はなんとなく頭に入った気がした。
自然と分かってしまうのは便利だが怖すぎる。
「さて、暗くなる前に帰るか」
茜色だった空は、徐々にその色を夜の色に染め始めている。
日暮れまでもうわずかだろう。
強制イベントかどうかはさておき、頼まれたのが俺で良かった。
女の子が遅くまで出歩いていたら危ないからな。
「それにしても静かだな」
一人呟きながら人気のない廊下を進む。
朝といい今といい、この世界の廊下は人が通らないのか?
彼らはワープ能力でも持っているのだろうか。
まぁ、今は時間も時間だし当然のことかもしれないが。
「……急ぐか」
夕暮れ時のせいだろうか。
一人で廊下を進んでいると、らしくもなくセンチメンタルな気持ちになってくる。
それを振り払いたくて、小走りで長い廊下を駆けていく。
「きゃっ……!」
「わっ……!」
下駄箱へと続く曲がり角で、向こう側から来た誰かとぶつかってしまう。
体格の差か、こちらが小走りだったせいか、ぶつかった彼女は反動で尻餅をついてしまっている。
「!ごめん!怪我はな、い……?!」
慌てて手を差し出して思わず目を疑う。
そこには予想外とも当たり前ともいえる光景があった。
「ありがとう、私は平気よ。
貴方の方こそ大丈夫?怪我とかしてない?」
「い、いえ、全然その……大丈夫、です」
「そう、良かったぁ。
可愛い後輩に怪我させちゃうところだったわ」
ホッとしたように笑う彼女をまじまじと見つめる。
しかしその視線を違うものと捉えたのか、彼女は一度きょとんとした表情を浮かべた後、ムッとわずかに頬を膨らます。
「あ、今貴方、本当に先輩?って思ったでしょう?」
「え?!いや、そんなこと……」
「ううん、いいの、気をつかわなくても。
初めましての人には絶対信じてもらえないのよね。
この前も一年生と間違えられるし……」
そう言ってガックリと肩を落とす彼女だが、俺にとって彼女は初めましてと呼ぶには相応しくない相手だ。
彼女の名前は 神無月杏
小柄で一見そうは見えないが俺より年上の三年生。
キャラクター紹介に書かれていたキャッチコピーは確か、
規格外のギャップ系お姉ちゃん
なるほど確かに、と彼女を見てひそかに納得する。
いや違うぞ、俺は決していやらしい部分を見て言っているわけではなく、見た目と真逆の溢れ出る母性というか包容力が全身からにじみ出ているところがギャップというか。
いや何に言い訳をしてるんだ俺は。
「?どうかしたの?やっぱりどこか痛む?」
「…あ、えっと、ちょっと先生の手伝いしていたもんで、疲れてるんですかね」
「あら、そうなのね、遅くまでご苦労様。
あ、そうだわ!」
ポンと手を叩く仕草をした後、彼女はおもむろに鞄をまさぐる。
そしてそこから水色のリボンがついた小さな包みを俺に手渡した。
「先生のお手伝いしてた偉い君には、はい、ご褒美あげるわね」
「ど、どうも。
ありがとうございます」
中に入っているのはクッキーだろうか。
花や星の形をしたきつね色のそれらは、開ける前から甘い香りが漂ってきそうだ。
「部活のお茶会の余りなんだけど、味はバッチリよ。良かったら食べて」
「でもこれ、誰かにあげる用のものじゃ…?」
綺麗な包装、その上可愛らしくリボンまでつけているそれは、余り物にしては上等すぎる見た目だ。
「えぇ、でも弟にと思ってただけだから気にしないで。
家でいつでも作れるし、それより君が帰る途中で倒れちゃったら大変だもの」
「そんな大げさな……」
確かに疲れてはいるが、さすがに大げさだと身振りで伝える。
しかし彼女の眼差しは真剣そのものだ。
ここの主人公はそんなにも顔色が悪いのだろうか。
「えっと、じゃあ、すみません、いただきます」
「うん、よろしい。
食を笑うものは食に泣くのよ。
ほらほら、遠慮しないで一口どうぞ」
「それじゃあ、お言葉に甘えて。
いただきます」
適度な肉体労働もあって、正直なところお腹は結構空いている。
俺は丁寧に包装を解き、中のクッキーを一口かじった。
「!!美味い!」
「!本当?!良かったぁ」
嬉しそうに顔を綻ばせる。
まるで彼女もこの甘いクッキーを食べたかのようだ。
「それじゃあ、私はもう行くわね。
君も暗くなる前に早く帰るのよ」
「はい、ありがとうございます」
バイバイと手を振って、彼女は三年生の下駄箱へと去っていく。
「…………可愛い」
率直な感情が思わず言葉に出る。
しかしこれで二人目。
おそらく残りの一人も近いうちに出会うことになるのだろう。
「でも、思ってたより普通だったな」
出会った二人に、今のところタイトルにあるヤンデレさはない。
しかし油断は禁物だ。
最初からヤンデレ感全開で接してくる人は、いくらゲームの世界とはいってもいないはず。
現代設定の学園恋愛ゲームというものは、基本リアルさを追及しているはずだ。
というかその方が個人的に好みなのでそういうゲームが増えてほしい。
と、話は脱線したが、とにかく大事なのは中盤。
そこそこに親交を深めてからがフラグの立ちどころだ。
「やっぱり、夢じゃないんだよな」
少し肌寒い日暮れの春風と、まだわずかに甘さの残った口内。
こんなにもリアルな夢を俺は見たことがない。
期待半分、今後の不安半分という相反する感情を胸に俺は家路を急いだ。
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