命知らずの怪物
「さぁ、やるだけやってやる!どっからでもかかってこい!」
覚悟を決めて全身に魔力を巡らせる。
まともにやりあったところで万が一つにも勝ち目はない。でも今回はあくまで時間稼ぎがメイン。私が死ぬことなく、彼を逃がして私も逃げ切ることができれば私の勝ちだ。
しかし相手は私と一定の距離を取りながらこちらの動きを窺うばかりで仕掛けてくる様子はない。
私の魔力を観察しているのか、すでに何か魔法の準備をしているのか?
通常種は魔法を使えないはずだが、やつはすでに威圧系の魔法らしきものを使っている。なら他にも魔法が使えたとて不思議じゃない。
「……それならこっちからいく!!」
右手を前に突きだし手のひらに魔力を込める。
「『ファイア』!!」
見本として見せたものよりも強力な火球を魔獣めがけて放った。
しかし魔獣は避ける動作をとらずに正面から火球を受け止めた。
「うわぁ、結構強く撃ったんだけどな。この程度じゃ避けるまでもないってことか」
煙が晴れて姿が見たが、やはり何も効いていないようだ。
やはり魔獣は今の攻撃で私の実力を試していたようだ。
今の魔法で私を格下だと判断したらしく、先ほどとはうってかわってこちらに突進してきた。
振り下ろされた爪を難なくかわし、一旦距離を取る。
さっきまで私がいた場所の後ろに生えていた木々がオーバーランした魔獣の体当たりを受けて吹き飛ばされてなくなっている。
「爪どころか体に当たっても終わりか」
逃げた私の方にゆっくりと振り返る。もはや逃げられた彼のことなんて微塵も考えていないのだろう。
もう少し、時間を稼がなければ。
「少し本気を見せてやろうじゃないか」
魔力をより多く体に巡らせて、先ほどよりも全身を覆う魔力のオーラが濃くなり、髪や服がなびく。
振り返った魔獣は、魔力を高めて雰囲気が変化した私に一瞬反応するが、そんなことおかまいなしと再びこちらに突進してきた。
まっすぐこちらに向かってくる魔獣の前に立ち塞がり、今度は両手を突きだし、両手の親指を交差させ、魔力を集中させた。
「くらえ!『フォース・フレイム』!!」
親指が重なっている部分を中心に、火で出来た両手を囲うほどの輪が出現し、手のひらから『ファイア』よりも圧倒的に強力な火球を生み出し、放った。
それは突進してきた魔獣の顔に見事に命中し、私の元にたどり着く前に転倒した。
「はぁ、はぁ……さすがに、効いただろ」
かなり魔力を込めた一撃だったために、一気に魔力を消耗し膝に手をついた。
「いい頃合いか、これ以上の戦闘は厳しいし、私も逃げーー」
任務を遂行してその場を立ち去ろうとしたそのとき、煙の中から魔獣の腕が飛び出し、私の膝辺りの高さの大気を切り裂いた。
「うわっ!あっぶな!」
殺気を感じた私はとっさに空中に飛んで横薙ぎの攻撃を間一髪で回避する。
しかし、煙の中からこちらをのぞいた魔獣の真っ赤な瞳を見たその瞬間、私の体は強烈な重力に襲われた。
「うぐっ、これはーー」
空中にいた私は重力に耐えきれず、地面に正面から叩きつけられた。
「ぐっ……くぅ…」
すぐに魔力を纏って立ち上がるが、すでに目の前の魔獣は腕を振り上げていた。
「やっば…」
回避しようとするも、魔獣にかけられた重力の魔法が思ったより強力で十分に体を動かすことができなかった。
振り下ろされた腕は無抵抗の私の右半身に直撃し、私の体は吹き飛ばされて木に激突し、地面に転がった。
「ごぷっ………げほっ、げほっ」
避けられないとわかってすぐに魔力で右半身を覆ってダメージは軽減したはずだったが、右腕とあばらの何本かが完全に折れ、吐血した。
それだけではなく、殴られる箇所に魔力を集中したせいでそこ以外の部分は守りが薄くなり、木に打ちつけられた衝撃もかなり強く、とても動ける状態ではなかった。
その場に倒れ、動けなくなった私の方に魔獣がゆっくりと歩いてくる。
「う゛っ、動げ!……くそっ…」
私の意思とは裏腹に、体はまったく私の言うことを聞かなかった。
殺される、と思った。
そして今まで一度も感じたことのないような恐怖と同時に過去の記憶が思い出された。
私の知らない記憶。子供の頃の……血にまみれた…
魔獣が鋭い爪を振り上げた。
体は動かなかった。一瞬思い出したその記憶に思考が止まり、全身が恐怖に包まれていた。
「な……んで…」
魔獣が爪が振り下ろすのが見え、私は目をぎゅっと瞑った。
体が軽くなった。死んだと思った。それが当然だろう。
妙にあたたかい感じがする。何かに包まれているような、体が持ち上げられているような…
「おい!俺のことを追いかけてくるんじゃなかったのかよ!!」
「なっ、なんで…」
街に向かっているはずの彼が私を抱き抱えていた。
「なっ、なんで逃げてないのよ!これじゃ、私が頑張った意味がっ、ごほっごほっ…」
「あんまりしゃべらない方がいい」
「それにな、今日会ったばっかりって言っても、女の子を囮にして逃げるほどクズ人間じゃねぇんだよ俺は」
「何、かっこつけてんのよ……これじゃ二人とも殺されるだけじゃない……私はさっき殴られてまともに動けないし戦えない、のに」
体は動きそうになかった。なんとか左腕は動かせるが、右腕はもちろん、足は私の体重を支えるのが難しいほどにやられている。
こんな状態じゃこの状況を変えることはまず不可能だ。
攻撃を外した魔獣の目が私たちを睨みつける。やはり上位種。本能的に体がすくむ。
「お前、左腕は大丈夫なのか?」
「なんとかね。少し動かす程度なら」
「そんな左手でも魔法は使えるのか?」
「まぁ、一応使えるとは思うけど、それが何か………え?」
私はもうほとんど諦めていたのに彼はやる気に満ち溢れていた。
止めを差し損ねて怒り狂った魔獣を目の前にして彼は一歩も引いていなかった。
「実はお前が殴られる少し前にここに着いたんだけど、すぐに助けに入れなくてごめん」
そんなことを真面目に話す彼に私は呆れてしまった。
「はぁ、もういいわ。で?どうやって逃げるつもりなの?」
彼の適当さのせいで緊張感がなくなり、魔獣に対する恐怖心は一切なくなっていた。
「あいつの動きを止められるような魔法はあるか?」
「少し見てて気づいたんだけど、お前があいつの顔に一撃お見舞いしてから少しだけ無駄な動きが増えたんだ。お前を吹っ飛ばしたときもお前の方に向かう足取りが右往左往してたから、多分目が弱いんだと思う。だから目を刺激するようなものがいい」
「へぇ、黙って見てたわけじゃないのね」
「ある。でも今の魔力じゃ少し離れたところまでしか届かないわ」
「じゃあ近づけばいいんだな?」
「正気なの?もしかして着地したときに頭でも打ってーー」
「大真面目だ!俺がお前の足になる!!体力と安定感には自信があるからな、安心しろ!」
「今から俺があいつの懐までどうにかして潜り込むから、タイミングを見計らってやってくれ!」
私の返事も待たないで彼は走り出した。魔獣はこちらの予想外の動きに合わせ身構えている。
「ちょ、あんた!まっすぐ向かってるだけじゃっ、げほっごほっ」
何か策があるのかと思っていたのに、あろうことか彼は魔獣に向かって一直線に走り出した。
そして先に射程に入った私たちに向かって魔獣が後ろ足で立ち上がって爪を振り下ろした。
しかし当たるかと思ったその攻撃を常人とは思えない加速でかいくぐり、後ろ足の間をスライディングでくぐり抜け、私に合図を出した。
「今だ!やれ!!」
「くっ、『フォース・ライト』!!」
すぐに振り返ってきた魔獣の顔を指した人差し指と中指から強烈な閃光が放たれ、予想通り視界を奪われた魔獣は爪を振り回して暴れ始めた。
「よっしゃあ!よくやった!!」
魔獣の視界を奪い、彼は私を抱えたまま街に向かって走り始めた。
ふと彼の肩に目を落とすと、肩から血が出ているのに気がついた。
「ちょっと!あんた、肩が!」
「あぁ、これはさっきお前に吹っ飛ばされたときに木に引っかかってそんときにな。それより今はさっさとこの森を抜けねぇと」
「ごめんなさい…」
いくら緊急事態だったからといって少し乱暴が過ぎた。無理やり解決しようとするのは私の悪い癖だ。
「ガア゛ァァァーーッ!!」
後ろからすさまじい雄叫びが聞こえ、後ろの木が次々なぎ倒されていく。
「まじか!もう治ったのか!?」
「いや、もしかして魔力…?」
この森は独特な木の匂いがあるから嗅覚で私たちを追いかけることは難しい。
通常種は魔力の感知が苦手なはずだけど、もしかして上位種になって感知能力を…?
「冗談じゃねぇ!俺は自分の魔力だって分かんねぇのに!」
「足止めできないかやってみる!」
私はわずかに残っている魔力をすべて左手に集中させ、後ろの地面に向ける。
「『アイス・フィールド』!」
氷の魔法を使って地面を凍らせていく。
我を忘れている魔獣は簡単に足をとられて盛大に転倒した。
「お前、いろんな魔法使えるんだな!」
「まぁね。でもこれで終わり。もう魔力が尽きたからこれ以上の足止めはできない」
「あぁ!あとは俺に任せろ!」
魔獣の方を振り返ると、凍っていた地面のゾーンを抜けてまた走り始めていた。
そして、こちらを捉えた魔獣の目が怪しく光った。
「気をつけて!魔法を仕掛けてくる!!」
周囲の空気が一気に重くなり、木の枝や葉が普通じゃありえない速度で落ちてくる。
が、彼だけでなく私も魔法は影響を受けていなかった。私が彼のから流れ出る魔力の領域内にいたからだろう。さらに、落ちてきた枝や葉も彼の魔力圏内に入ると魔法が解けているようだ。
「くそっ邪魔だな、枝とか葉っぱとかしょうもねぇことしやがって!」
彼は自分が無意識のうちに何をしているのかまったく理解していなかった。
「気をつけて!また何か仕掛けてくる!」
再び魔獣の目が光ると、今度は進行方向に生えていた一際大きな木が倒れてかて道を塞がれてしまった。
「うわっ!やべぇ!」
彼が思わず足を止めた。彼も後ろを振り返り、猛スピードで走ってくる魔獣を見て焦りを見せる。
「こりゃあ、まずいな」
「どうするの!なんとかしなっ、げほっ…」
「くそっ、避けれはするけどこの足場じゃ追いつかれたらもう撒けないぞ…!」
もう魔獣が目の前まで迫ってきていた。
私はもう何もできない。ただ彼に託すことしかできなかった。
「くそっ!」
魔獣が走ってきた勢いそのままに飛びかかってきた。
それに合わせて彼は私を抱えたまま攻撃を避けようと一歩踏み出した。
しかしその瞬間、目の前の魔獣の体が何かに押されるようにして横に揺らぎ、私たちの視界の外へと姿を消した。
「なっ!?」
「な、なんだなんだ!?」
今分かるのは先ほどまでブラッドベアがいた場所には別の何かがいること。
そしてその目の前の白い塊の正体に気づいた私は絶句した。
「ア、〈アサシンラビー〉……」
今、目の前にいるその魔獣はAクラスのうちの一匹だった。
そして魔導師が絶対に遭遇してはいけない魔導師キラーの存在。
「は……早く、逃げーー」
「んー?………あぁ!お前っ!」
彼は少し考え込んだあと私をそっと降ろし、魔獣に抱きついた。
「あっ、なっ……は、早く離れて!!!」
「そいつもAクラス魔獣よ!!」
「そうなのか!?こいつは俺がこの世界で目覚めて最初に出会ったやつなんだ!こいつがAクラスなのは驚きだが、出会った時に何もされなかったし、大丈夫だと思うぞ?」
確かに、彼が触れているのに大人しく、むしろ懐いている、ように見えなくもない。
「こんなことが、本当に…」
そのとき再び魔獣が咆哮が大気を震わせた。
「…っ、またあいつが来るわ!」
「わ、わかった!ほら、お前も…」
アサシンラビーは徐に吹き飛ばしたブラッドベアの方を向いて威嚇していた。
「お前、まさかあいつとやるのか…?」
アサシンラビーは静かに振り返り、彼と目を合わせた。
「……わかった。死ぬなよ!」
彼は再び私を抱えて走り出した。
「あの子は?」
「言葉はわからないはずだけど、あいつが逃げろって言ったように感じたんだ。だから俺はあいつを信じる!」
「……いいわね。そういうの憧れるわ」
後ろからすさまじい音が聞こえる。Aクラスの魔獣が彼を守るために魔獣と戦っているんだ。
にわかには信じられないが、あの目、明らかに野生のものじゃなかった。
「本当にそんなことが…?」
足場の悪い道を駆け抜け、ようやく街を取り囲む壁が姿を表した。
「見えた!街に入るための門はあっちよ!!」
「おっしゃ!」
そしてついに、私たちは森を抜ける。