無知な怪物
私は今、目の前で起こったことに未だに頭が追いつけないでいた。
今のは何?見たこともないくらい巨大な風が森に文字通り風穴を空けていった。
明らかに低位のそれじゃない。この規模なら最高位、もしかしたらそれ以上…
そもそもあれは本当に魔法なの?
辺りは彼が放ったモノによって根元から無理やりへし折られた木々があちこちに散乱していた。
メインの竜巻に目をとられていて気がつかなかったが、あの竜巻によってその周囲に生じた風によって直線上にはなかった木々も押し倒されていた。
「なぁ!見たか!?火じゃなかったけど、風、だったよな!?」
彼は興味津々に目を輝かせながら聞いてくるが、私の頭の中はそれどころではなかった。
とりあえず魔法かどうかを調べるために彼が放ったモノによって抉られた地面に魔力が残っていないかを調べるために土に手を伸ばす。
「痛っ……何?」
突然指先に鋭い痛みが走った。
とっさに手を引っ込めて指先を確認すると、中指がまるで刃物に触れたかのようにまっすぐ切れていた。
「やっぱり魔法、それも最高位以上の…」
傷は魔法によるものだった。
傷口から魔力の残滓を感じ取り、それが彼の魔力と同じことが確認できた。やはり彼の放ったモノは魔法で間違いない。
しかもその場に実体を持ったまま残り続けられるほど濃密な魔力による魔法。
この前読んだ本の最高位を越えた魔法の部分に同じような記述があったはず。あのときは最高位以上の魔法なんて存在しないと思ってたけど…
「おーい、大丈夫か?なんか声が聞こえたけど」
「……別になんでもないわ」
「あっ、それどうしたんだよ。血出てんじゃねぇか」
「来ないで!」
「うぉっ……ほんとにどうしたんだ?」
私は向かってくる彼を制止し、一歩後ろに下がっていた。私自身もどうしてこんな行動をとったのか分からない。
彼への恐怖?才能の差を感じたから?混乱した頭で考えると余計にわからなくなってくる。
「……いや、ごめんなさい。ちょっと混乱してて気が立ってたみたい」
「あぁ、俺も悪かった。よく考えてみればさっき会ったばっかなのに馴れ馴れしすぎたよな」
私がこんなことをしても優しく接することのできる彼を見て自然と口元が緩む。
「ふふっ、あんた、頭悪いでしょ」
「なっ、人が真面目に反省してたっていうのにお前は!」
なんだか不思議な気持ちになってくる。
今まで異性の親しい人がいなかったからか、とても新鮮な心地良い気分だな。
「何はともあれ、あんたの得意魔法の一つが分かったわね」
「えっ、まじか!いつの間に?」
「わかってないの?それは逆にどうなの?」
「うっ…」
「あんたは直前まで火の魔法を使おうとしていたでしょ?それで、魔力は火に変わりつつあったのにとっさの動作で出たのは風魔法」
「あぁ!じゃあ俺の得意魔法は風魔法ってことか!」
そう言うと彼はまた子供のようにはしゃぎ始めた。
私も素直に祝ってあげたいところだけど、そうもいかない理由があった。
本来魔法は意識しなければ放たれることはない。
しかし彼はとっさの行動をとったときに魔法が出てしまった。これは魔力操作が苦手な者に起こることがあるちょっとした問題だ。多分彼もこのうちの一人だろう。
でも彼の一番の問題はその規模。
反射的に虫を払う程度の小さな動作でもあの規模の魔法が放たれかねないというのはもうちょっとどころの騒ぎじゃない。大問題だ。
「初めて魔法が使えたのは嬉しいでしょうけど、あんたはしばらく魔法禁止よ」
「えぇっ!?なんでだ!せっかく使えるようになったのに!!」
今はこれが最適だろう。私が巻き込まれたら確実に死ぬし、魔法の方向によっては私の街が壊滅しかねない。
「さっきのは偶然でしょ?あれで使えるようになったとは言えないわ。それにあの規模の魔法をぽんぽん撃たれたら森がなくなっちゃうわ。魔法の解禁は自分の魔力をコントロールできるようになってからね」
「うっ……で、でも、ちょっとだけは…?」
「絶っ対だめ。もしあんたが街を歩いているとき、転んだ拍子にあの魔法が出たらどうなると思う?街は?人は?」
「うっ、わかったよ…」
元気にはしゃいでいた彼は、まるでさっきのが嘘だったかのように静かになり、私が貸した本の方にとぼとぼ歩いていった。
多少かわいそうだとは思ったが、今はこうする他ない。
「ちょっとその辺歩いてきてもいいですか…」
彼は今にも倒れそうな弱々しい声で言った。
「いや、そんな余裕はないわ」
「余裕がない、というと?」
「あなたは知らないだろうけど、ここアルカラの森はBクラス以上の魔獣が多く生息している有名な危険地帯なのよ」
「Bクラス?」
少し興味を持ったようで話に食いついてきた。
「そう。魔獣にはランクつけられていて、一番下はEクラス。そしてD、C、Bと上がっていって一番上がAクラス。Aクラスの中でもさらに分けられているけど、今はいいわ」
「B以上ってことはAクラスのやつもここにいるんだな?」
「そうね。むしろAクラスの方が多いくらい」
「そのAクラスはどのくらい強いんだ?」
「そうね……冒険者登録っていう制度があって、それにもランク制があるからその基準でいいかしら」
「登録を終えた冒険者にも同じく5段階のランクがあるの。5から順に上がっていって1級が最上位。1級以上がないから中でも差はあるけれど、平均的な1級冒険者はAクラスとはあまり単騎で戦いたくないと思うわ」
「ほぅ、ちなみに君はどのくらいのランクなんだ?」
「私は登録していないから詳しくはわからないけど、3級くらいじゃない?良くても2級。だからAもBも戦いたくないっていうか、なんなら負けるわ」
「……おとなしくしてるよ」
特にこの森には魔導師相手に圧倒的な強さを誇る相手もいるし、もし鉢合わせたら逃げられるかどうか。
「私、目的の本をまだ持ってきてないの。取ってきたら私が街まで連れていくからそれまで中に入って待ってて」
「げっ、また入るのか」
さっきよりは元気になったようだ。ほんとに子供みたいに思えてくる。私は末っ子だから弟がいたらこんな感じかな?
「じゃ、私は本を取りに行ーー」
グガアァァァァーー!!
今まで静寂に包まれていた森の大気を震える。
同時に辺りの空気が重くなり、森に漂う魔力の流れが乱れる。
「う゛っ……これは、魔法…?」
「お、おい、今の声なんだ!?ていうかどうした!大丈夫か!?」
彼にはこの魔法が効いていないようだ。見たところ彼から無意識のうちに出続けている魔力が外部からの魔法を相殺しているのだろう。
「私は平気!それより早くここを離れるわ!!」
魔力で体を覆って立ち上がり、彼の手を掴んで街に向かって走り始めた。
「あっあぶねぇ!!」
突然彼が私の頭を抑えて地面に伏せた。
すぐに私たちの頭上を大きな木が通りすぎていく。
「あ、ありがとう…」
「礼はいい!このあとはどうすればいいんだ!!」
振り返ると、奥の森の中からゆっくりと大きな魔獣が姿を現した。
「……完全に狙われてるわね」
「おいおい、冗談だろ…?」
「〈ブラッドベア〉、あれがここに生息するAクラス魔獣の一匹よ。それもあの大きさ、Aクラスの上位種ね…」
状況は最悪だ。Bクラスならまだやりようはあるが、目の前にいるのはAクラスの中で最も危険な上位種。1級冒険者が束になってやっと倒せるくらいの大物。
しかもかなり興奮してる。多分さっき彼が放った魔法のせいだろうけど。
「……あなたは先に逃げて。この先にまっすぐ走れば街があるはずよ。目印もところどころつけてあるからあんたでもたどり着けるはず」
「はぁ!?お前はどうするんだよ!」
「私は、なんとか時間を稼いでみる。さっきは3級なんて言ったけど魔法には結構自信あるし、あいつは魔法に対してあまり耐性を持っていないから!」
「いや、それでもーー」
「適当に相手したらすぐ追いかけるから安心しなさい!」
口ではなんとでも言える。魔法に自信があるのもブラッドベアが魔法に弱いことも本当だ。でも実際にAクラス、その上位種相手に私の実力や常識がどこまで通用するかは未知数だった。
「俺も何か手伝えるんじゃないのか!?」
「だめ!魔法は絶対使わせない!!」
「お前!今はそんなこと言ってる場合じゃーー」
「『ウィンド』!!」
私は下から殴りつけるように魔法をぶつけて彼をできるだけ遠くに吹き飛ばした。
彼は空中で何か叫んでいたが、それに耳を傾けている時間はない。
相手はすでに私に狙いを定めて戦闘態勢に入っていた。
私は目をつぶって大きく深呼吸をし、心を落ち着かせて目の前の魔獣を見据えた。
「さぁ、やるだけやってやる!どっからでもかかってこい!」
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